六章 あるべき場所へ

氷狼騎士団

 氷狼騎士団は若者たちだけで構成されている騎士団だ。
 成人したばかりの少年騎士から壮年の騎士まで、そのなかでもっとも年長者にしても中年と呼ばわるにはまだ若く、戦場では血気盛んな少年たちよりも活躍する。手柄を横取りされたと吠える少年騎士に、年長組は俺たちを出し抜こうなんて十年早いと笑い飛ばす。傭兵さながらの集団だと揶揄されてもあながち間違いではないだろう。彼らは皆訳ありの集団である。
 没落した一族の再興を願う者に、老いた両親とちいさい兄妹たちを養うために、または上流貴族社会に嫌気が差した者もいたりと、とにかく変わり者だらけだ。これだけでも人々を驚かせるには十分でも、彼らにまつわる逸話はまだつづく。彼らを纏める指揮官もまた若者で、自らがあげた戦果はただの偶然だとのたまうだけではなく、それに見合った恩賞もほとんど受け取らなかったと言う。国王陛下から下賜された将軍の地位も断りつづけていたものの、周りに押し切られた上での不承不承に、それも直接白の王宮に出向くことをしなかったというから相当の変わり種だ。
 ブレイヴも人伝に氷狼騎士団の噂をきいたことがあった。
 イレスダートには王都マイアの白騎士団を筆頭にさまざまな騎士団が存在するから、そういった偏屈だらけの集団がいても特別とは思わない。しかし彼の名をきいたときに、感じたのは懐かしさだけではなかったように思う。交わした約束も果たせそうにない。それだけが、心残りだった。
 なんの反応も返ってこなかったのは、自分の声があまりにちいさかったためだと、そう思った。
 彼の容貌は最後に会ったときとはたしかに変わっている。当然だ。あれからもう五年が過ぎている。彼は長く伸びた金髪を無造作に括っていて、いまのブレイヴの青髪は襟足がすこし伸びただけ、けれど互いにその顔を忘れたりはしないし、声もちゃんと覚えているはずだ。だからブレイヴはもう一度、その名を口にする。
「ロベルト・ベルク」
 しかし、やはりおなじであった。彼は瞬きひとつ落とさずに、ただこちらを見つめている。
「きみなのか……? ロベルト」
 三度目になればさすがにそれなりの動きが見えた。ともすれば深いため息がきこえてきそうなほどの、その空白はふたりが過去を取り戻すための時間であったのかもしれない。まったくの想定外とは思えなかった。けれども、頭はまだ混乱をしている。そう。二人は、少年時代を共有していた友であったのだから。
 月も見えなければ星もない夜だった。
 二人の背格好はよく似ていて、士官生のときと変わっていなかった。いや、ちがう。彼は氷狼騎士団の銀の軍服を纏っていて、ブレイヴはどこにも属さないアストレアの聖騎士の軍服だ。敵と敵で、それだけで二人が戦う理由には十分だった。
「なんだ、おれを覚えていたのか」
 声が終わる前にまた攻撃がくる。片手しか使えないブレイヴの動きなどすぐに読まれてしまう。
「それにしては妙だな。おれの知っているお前は、もっと冷静で理知的だった」
「なにが、言いたい?」
 呼吸を乱すブレイヴを嘲笑うかのように、彼は吐き捨てる。
「聖騎士サマは騎士の教えを忘れたらしい。なら、おまえはおれの知らない奴だ」
 逃げられないのならば、ブレイヴの選ぶべき道はひとつしかなかった。それなのに、最初からブレイヴはそうしなかった。だいたい、逃げたところでどこへ行くというのか。周りはもう氷狼騎士団に囲まれているから戦うしかない。多勢に無勢なことをわかっていてもなお、ブレイヴは仲間を見捨てて行けなかった。だから、おまえは甘いんだよ。痛みを感じる間もなく意識が遠のいてゆく。彼の声は、やはり懐かしかった。




 
 はじめ目を開けたとき、そこが見知らぬ天井であったがためにブレイヴはすぐに起きあがろうとした。けれどもそれは叶わず身体は再び寝台へと沈む。遅れて痛みがくれば理解するのもまた早く、まずは呼吸を整えることに専念する。なぜ、こんなところに居るのかと考えるのはそのあとだ。
 思考を妨げたのは扉を開く音だった。入室の合図も何もなく入ってきたのは、ブレイヴとさして歳の変わらない青年だった。腰に佩いた剣はやはり騎士のそれであるもの、表情も挙措にしてもずいぶんと落ち着いている。聖騎士という敵を前にしても、殺気も嫌悪も露わにしないところを見れば、どうやらブレイヴの世話をしてくれたのはこの青年のようだ。
「まだ傷みますか?」
 唇を動かしたものの、ちゃんと声になって出てこなかった。青年はひとつため息を落として、グラスへと水を注ぎブレイヴへと渡してくれた。一気に喉へと流し込めば、思ったよりもずっと喉が渇いていたことに気がついた。そして、それほど時間が経っていたことにも。
「まあ、我慢なさってください。司祭の卵に頼み込んであなたの傷を治して貰いましたが、聖騎士に近づくことさえも嫌がっていましたので」
 敬虔な教徒にとって聖騎士は大罪人で関わりたくない存在だ。いくらか銀貨を持たされてやっと治癒魔法を使っても、それは気休め程度の魔力だろう。
「ちょうどヴァルハルワ教徒がここに逗留しておりましたから、それだけでも運がよかったと、そう思ってください」
「いや……、感謝する。ありがとう」
 想定外の声だったようで、青年はきょとんとした。けれどもすぐに元の表情へと戻り、ブレイヴの着替えを手伝ってくれる。
「そもそも、あのひとは容赦がないですから」
 そう思う。だがブレイヴは生きてここにいるし、そのあとの処遇にしても彼次第だ。ブレイヴはいま一度青年を見た。青髪はイレスダート人に多い色だが、この青年に見覚えはなかった。とはいうもの、ブレイヴと彼との関係を知っているような物言いをするのだから、王都マイアの士官学校でもしかしたら会っていたのかもしれない。
「一応薬を持ってきましたが、使いますか?」
「いや、大丈夫だ」
 ブレイヴは微笑する。どうも薬の知識も豊富らしい。騎士というよりも誰かの扈従こじゅうのようにも見えるから、この青年も上流貴族の出身ではないのだろう。扉の向こうからきこえてくるのは聖歌だ。これからヴァルハルワ教徒の祭儀がはじまるらしい。きちんとした聖堂も設備されている施設だということはわかった。部屋に入ってくる陽射しはまぶしく、あれから半日が過ぎていることも確認できた。問題があるとしたら、ここからだ。 
「ロベルトに会わせてほしい」
 甲斐甲斐しく働いていた扈従の手が止まった。ブレイヴは己の置かれている状況をちゃんと理解している。はじめから殺すつもりならば牢に入れるはずだし、それが備わっていなくともそれなりの部屋に閉じ込めていればいいはずだ。何のためになどと、詮索するような時間はあとでいい。ブレイヴの視線は扈従よりも向こうにある。奪われた剣はご丁寧に壁に立て掛けてあった。それを手にしたとしても、ここから逃れる手段などない。そう言わんばかりに。
「それは……、難しい相談ですね。いえ、誤解なさらないでください。ベルク将軍は来客中です。なんでも、ルダの要人だとか」
「要人……?」
 ブレイヴは繰り返す。ここで舌戦をする気はないが、含みを持った物言いにすこしずつ苛立ちを感じてきた頃だ。扈従はにこりともせずにいる。
「ええ。突然の伺候しこうにこちらも戸惑っていたところです。ルダの公女様はなかなか強引な方のようですね」
 そして、次はブレイヴが目を瞠る番だった。ルダの公女は二人いるが、姉妹は正反対の性格をしている。姉は他国に嫁いだ身なのでその呼び方をまずしなければ、妹ならブレイヴを見捨てる。ブレイヴは無意識に嘆息していた。できれば、たどり着きたくはなかった答えだ。しかし、ブレイヴには時間がない。それに、必ず戻ると約束した。彼女のところへと――。
 洋袴ズボンへと手を伸ばす。この扈従はブレイヴの手当をしてくれた。ならば、短刀を隠し持っていることにも気がついていたはずで、それでもすべてを奪わなかった。見縊られていたのだろうか。それとも、試されているのか。
「……それは無駄だとは思いますが、やってみますか?」
 どうやら、こちらの考えなどお見通しのようだ。それでいて演者として付き合ってくれるというのなら、乗るしかない。ブレイヴは薄く笑った。










 カウチに腰掛けるようにと勧められたものの、レオナは従わなかった。相対するその人の手は忙しく動いているし、視線にしてもレオナではなく書面に落ちているからだ。
 このまま小一時間なおざりにされようとも、ここに居座るつもりでいる。ただ、時間は限られているので、表面上は冷静を装っていても呼吸までもは支配できない。そこそこに距離があってよかったと思う。それに、うしろに控えているのがノエルだったことも。
 幼なじみの従者は無言の圧を送ってくる。それには遠慮も何もなく、レオナにはいい緊張になるのだ。
「それで、用件と言うのは?」
 やっとこちらを向いたかと思えば無遠慮なため息が落ちた。
 きっとそういうたちの人間なのだろう。とはいえ、こちらの要件などすでに耳に入っているはずで、それを問い返すというのなら、はじめから取り合うつもりもないのかもしれない。
 レオナは拳を作る。不安も息苦しさも、悟られてはならない。居心地の悪さなど当然のこと、レオナは招かれざる客だ。
「聖騎士を返して頂きたいのです。彼は、わたしたちにとって必要です」
 彼女ならば何を言っただろう。どんな言葉を用意したところで、彼女を真似たとしても、レオナはアイリスにはなりきれない。ルダの公女ならば幼なじみを見限ると、最初から答えは出ているようなものだ。それでも、試してみる価値はあるのだとレオナは思う。そうでなければ、わざと囚われたりはしなかった。
 夜の森を進むうちにレオナはある集団を目撃した。南へと進めばそのままアストレア領に入るが、その反対に抜ければマイアの領域だ。アストレアとムスタール、マイアとちょうど三つの国が境目のとなるそこを管轄しているのは、まだ若い将軍だという。それが、ベルク将軍だ。となれば、集団というのは正しくはない表現で、これは彼の騎士団だと言い換えるべきだろう。氷狼騎士団。レオナの耳元にノエルが囁く。たしかに彼らは銀色の軍服を纏っていた。そして、そのなかにレオナは幼なじみの姿を見た。飛び出そうとしたレオナを止めたのはノエルで、騎士がいなければここまではたどり着けなかっただろう。ノエルがいてくれてよかった。レオナは口のなかで繰り返す。騎士はレオナよりもずっと冷静だから、見極める目をちゃんと持っている。
 そこから先の決断は早かった。氷狼騎士団を追う。もちろん彼らを付けている者がいることも隠さずに、途中で捕まったのもノエルの策だ。
 そうして、連れて来られたのがこの砦だった。
 ちいさくともしっかりと城塞の役割を果たしているのは、公国同士の境目に位置しているためだろう。周辺にそれらしき街や村は存在しているものの、ひとたび戦争が起これば住民は氷狼騎士団を頼りにする。執務室まで案内されているあいだにレオナは子どもたちの姿を見た。さすがに外には出せないようで、退屈そうにしている子どもたちは並んで歌を口遊んでいた。レオナには覚えのない旋律だった。それが、再びきこえてくる。扉の向こうの、回廊のずっと先から。今度は子どもたちの声ではなかった。ここの騎士たちが歌っているのかもしれない。
「あなたは、こんな戦争をつづけたいのですか?」
 予期せぬ言葉にレオナは瞬く。
「これほど意味のない戦いをして、何になるというのです? まったく無駄な行為だ。理解に苦しむ」
 口を開けばそこそこに饒舌であったことにまず驚き、それから次には怒りがきた。レオナの反応とは逆に彼は相好を崩さない。目も、唇も、わずかな感情すらそこには残さずにいる。
「あなた方のしているものは暴力的で残酷な行為だ。己の正しさを力で示そうとしている」
「……っ、それはっ!」
 兄がと、溢すところで飲み込んだ。レオナはいま、ルダの公女としてここにいる。
「国王陛下はルダを奪うおつもりです。そんなことが許されるはずがありません。戦うしか、なかったのです。わたしたちは」
 震えないようにと気をつけたところで無駄だった。これでは上手く騙せない。けれども、助け船を出すのは逆効果であるから、背後に控えているノエルは黙したままでいる。
「お強いことだ」
 嘲笑、あるいは憐憫か。若き将軍はレオナを見る。何ひとつとして面白くなさそうにする目は、もしかしたら試されているのかもしれない。そこではじめて彼の唇が微笑みを描いた。
「いや、失礼。聖騎士とルダの公女がそこまで昵懇の仲だというのは、私の知るところではありませんので」
 レオナの読みは当たっている。それでいて、演じてみせるように要求しているのだろう。己の考えの甘さを後悔するのはまだ早い。自分の言葉でたたかって見せろと、彼は言っている。
「祖国のために戦ってくれたひとを、今度はルダが助ける。そこまでおかしいことでしょうか?」
「もっともなお言葉だ。しかし、現実的ではない」
  たしかにそれは理想であることは認める。とはいえ、彼は何を指摘しているのか、レオナにはわからない。だから、次の声はレオナを絶句させた。
「この戦争を終わらせるのに簡単な方法です。聖騎士を犠牲にすればいい。叛逆者の末路が他にあるとお考えですか? マイアの民は歓喜するでしょうし、これでルダも助かります」
 冷たい、何の感情もないままに紡がれた声色は、まさしく騎士がするものだ。 
「安いものだと思いませんか? 聖騎士の首ひとつでこの戦争が終わるのです」
「なに、を……おっしゃっているの?」
 ようやく、言葉で返せた。けれども震えは止まらずに、心臓の鼓動も速くなるばかりだ。おそろしいものを見る目をするレオナに対して、彼は軽蔑するような声を繰り返す。
「それがもっとも合理的であると言っているのです」
 レオナはかぶりを振る。なにか、悪い夢を見ているのなら、はやく覚めてほしい。これが退屈な時間であるかのように、彼はひとつため息を吐いた。
「あるいは……、」
 そこで止まる。次の言葉を吐き出すための間は、彼が考えながら物を言っている証拠だ。
「王女が白の王宮へと戻ればいい。そもそものはじまりはそこからだ」
 それこそ、矛盾している。ベルク将軍は机上に山積みされている一番上を手に取った。王都からの書状だろうか。送り手は元老院と国王アナクレオン、そのどちらだとしてもおなじだ。そして、レオナはすべてを理解する。彼はおそらく最初からわかっていたのだ。レオナがそれではないことを。取り引き自体には応じなくとも話し合う場を設けたのもそのためで、だとすればレオナの取った行動は一番してはならないことだった。
「レオナ・エル・マイアその人が、あるべきところへと帰ればいい」
 彼はもう一度おなじことを言う。
 たしかに簡単だ。それでこの内乱は終わる。ルダ、ならびにアストレアに関わった者たちの行く末は加虐なものとなるかもしれないが、少なくとも民は餓えずに済む。この空白の時間を肯定であると認めさせてはいけない。振り向かなくともノエルの反応が見える。わかっている。屈するつもりは、ない。これではあのときと、サリタで自らマイアの騎士の元へと行ったときの繰り返しだ。もう幼なじみをかなしませることはしたくない。
「いいえ」
 嘘を重ねたところで取り繕えないのなら、ありのままを声に乗せればいい。
「わたしは約束したのです。ブレイヴはわたしを裏切ったりはしない。わたしは彼を見捨てたりはしない」
 だから、必ず返してもらう。
 もしかしたら、すでに幼なじみはここにはいないのかもしれない。聖騎士は大罪人だ。その身柄はとっくに王都マイアへと輸送されていてもおかしくはない。でも、レオナは幼なじみを信じているし、向かい合う騎士の目を偽りだとは思わない。
 堂々巡りだ。そう、つぶやく声がきこえた。ベルク将軍はマイアからの書状を見ていなかったかのように机上へと戻す。交渉が決裂した決定的な瞬間だった。  
 

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