五章 蒼空を翔ける

相対する二人

 老王の寝室には王を守るための騎士が、それから多数の侍女が控えていたはずだ。
 しかし、いずれも彼の侵入を止めることはかなわず、侍従たちの遺体は扉の外まで吹き飛ばされていた。レオナはそのわずかな時だけ目蓋を閉じる。それから、悲惨な最期を遂げた者たちに憐みではなく、王を最後まで守って戦った勇敢な者たちへの謝辞の声を口の中で零した。
 レオナは今一度、拳を作る。いつも幼なじみが与えてくれるのは、やさしさと勇気と、強さだった。おそれてはならないのだと、レオナは繰り返す。
 その扉の先は強力な結界が張られているため、他者の介入を許さないものだった。レオナは友の身を案じる。アイリオーネは守護の魔法に長ける人だ。けれど、ここまで強い魔力を使用すればそれだけ身体にも負担が掛かるのは当然のこと、彼女が戦っている相手はそうせざるを得ないほどの相手だ。
 レオナは一歩、足を踏み入れる。そこはもう王の寝室ではなく、どこか別の、異世界にでも迷い込んだような空間だった。レオナは寝台で上体だけをやっと起こしているカミロ王と、そのすぐ傍のアイリオーネを見る。目が合った時に、彼女の目はほんの少しかなしそうな光を宿していた。レオナがここへ来ることを分かっていて、けれど本当は来てほしくはなかったのだろう。
 レオナは彼女らが対峙している者へと視線を移す。雪花石膏アラバスターの肌も腰まで届く長い髪も見たことのある色で、その蒼の瞳はレオナを射貫いていた。そう、あの時と同じ。ただ、レオナはそこで違和を感じていた。以前とは明らかに容貌が異なるのだ。
 性別を感じさせない線の細さとうつくしさはそのままであっても、背丈は成人した男のもの、顔の骨格にしても成長のあとが見て取れる。レオナは浅くなっていた呼吸を整える。これを幻などと思ってはならない。半年もしないうちに、人間の子どもがこれだけの成長をするなど有り得ないことでも、彼がそうではないものならば話は別だ。つまり、彼が人間ではない証であり、なによりもレオナはもうずっと前から、彼がそれであると認めていた。
「ユノ・ジュール」
 思わず、零していた。彼はわずかに反応する。以前ならば、ぞっとするほどにうつくしいその顔は、艶麗でもあると同時に年相応の純白を孕んでいた。今は、それがない。うつくしさはそのままであっても、人間らしい感情が見当たらないのだ。
 彼は寝台に近付けずにいる。レオナは彼とアイリオーネの間に割り込むように身体を滑らせた。アイリオーネの魔力は他者から行動の自由を奪うほどの強さを持つ。されど、それは彼女よりも大きな魔力を持つ者の前では無意味なもの、実際にレオナがこの場に介入できたのはそのためだ。
 だから、彼はその気になれば人間が造った結界など簡単に壊せるのだろう。それをあえてしないのは、アイリオーネが力尽きるさまをたのしんでいるのか。だがやはり前の子どもの姿とは違い、彼には残酷さを剥き出しにするほどの情緒がない。
「なぜ、ころしたの?」
 話の通じるような相手でないことなど、分かっている。それでもレオナは問うた。敵と、敵であっても、見定めたかったのかもしれない。彼は相好を崩さず、ただレオナを見つめていた。
「オリシスのアルウェンさま、イスカの兵士たち、それから……、ジェラールという人のことも」
 憎しみだけで声を紡いでいるのではない。レオナはかなしかったのだ。尊い命を、まるで花を摘むように、彼はあっさりと奪っていった。
「あなたは、なぜ、たくさんの人を、」
「ならば、お前は正当な理由を持って人を殺したのか?」
 レオナの肩が震える。自衛のためであると、どこまで言えるだろう。いや、問題はそこではない。レオナはその手で人を殺めてきたのだ。同じことを問われたとしたら、正しい答えを返せはしない。罪であると、レオナは思う。だから、いつだって忘れたことはなかった。
「わたしは、あなたとは違う」
 レオナの否定に、彼ははじめて笑みを見せた。
「知りたいというのなら、教えてやってもいい」
 謳うように、すべらかな声音で彼は言う。そして、彼の掲げた右手は寝台へと向けられた。レオナは庇おうとして一歩遅かった。彼の放った炎の球は寝台の王とアイリオーネを襲う。
「アイリ……っ!」
 寝台とそのわずかな範囲だけに造られた魔法壁は炎を弾き返せるほどの魔力があったはずだ。しかし、レオナの不安は当たる。赤い色をした炎は邪悪な黒へと色を変え、消えるどころか威力を増してゆく。ふたりを焼き尽くすまで消えることのない炎。
 アイリオーネがここまでどれほどの魔力を使用したのかレオナは知らない。たとえ万全の状態であっても、これほど凶悪な魔力の前では無力となるのは、彼女が人間であるからだ。レオナはふたりを守るための魔力を発動させようとしたが、アイリオーネの目顔がそれを遮った。彼女は守られることを望んでいなかった。
「老王には死んで頂く。それが彼の運命だ」
「さだめ、ですって……?」
 レオナは怒りをそのまま声に乗せる。
「いいえ、ちがう。あなたの行っているのは、ただの殺戮よ」
 たったひとつの、その言葉だけで、彼らの命は奪われたというのか。あるべき流れを捻じ曲げたのはユノ・ジュールだ。その、危険な思想に耳を貸すことなどない。
「あなたは、私欲のためだけに、人のせかいに介入している。それだけのために、人の命を奪った」
 アルウェンの死によって幼なじみはイレスダートを追われることになった。ラ・ガーディアでは和平に向かっていたその時に、イスカの捕虜たちが殺され、そうしてウルーグとイスカはけっきょく戦争を回避できなかった。このグランでも同じ、ジェラールの死はグランルーザとエルグランの開戦の起因となった。誰が、そこへと導いたのか。みなまで言う必要もない。それなのに彼はレオナに憐憫れんびんの眼差しをする。
「守るためだと、言ったら?」
「なに、を……」
 言っているのだろう。以前の子どもの姿とはちがう。無垢な声をそのままに乗せ、レオナに向けた悪意も怨嗟もそこにはない。とはいえ、否定をするつもりもないようだ。ユノ・ジュールはことさらやさしい笑みをする。近しい者にだけ見せる表情のように。
「お前は、そのために力を望んだのではなかったのか? お前と私と、どう違うというのだ?」
 レオナは声を失う。たしかにそうだ。レオナはそのために戦うことを選んできた。まもるため。ならば、彼は――。
「何が、目的なの? あなたがそうまでして、人のせかいに関わるのは……。なにが、あなたをそうさせているの?」
「言ったところでお前に理解はできない」
 敵と敵であるからだ。レオナにとってユノ・ジュールは敵であり、またユノ・ジュールにしてみればレオナは彼の敵なのだ。正しさをうたう者だけが善となるわけではない。その逆も然り、不善となる者が悪となるのではない。分かり合えないから敵と敵になる。それだけだ。
 レオナの心を支配しているのは怒りなのか、それともかなしみだったのか。彼の微笑は消えない。
「悠長に会話をしていてもいいのか? 私を殺さねば、あの二人は死ぬぞ」
 レオナは弾かれたように振り返った。黒い炎はまさにアイリオーネの魔法壁を飲み込もうとしていた。背筋が凍りつき、鳥肌がたてば、次には震えがきた。レオナは恐怖に負けてしまいそうになる自分を叱咤する。己に突き付けられた死よりも、他者の死の方が何倍もおそろしい。
「あなたを、止めます」
 使命感や道義心がレオナをそうさせているのではなかった。刹那、レオナが防御の構えを取るよりも前に炎の球はレオナを襲う。直撃し、けれどとっさに作った魔法防御の壁で身体は溶けずに済んだものの、風圧に堪え切れず倒れ込んだレオナに冷ややかな声が下りる。
「お前にそれができるとでも?」
 ユノ・ジュールの魔法の発動は早い。印を結ぶことも詠唱も要らず、あるいは動作を付けずとも目の動きだけでそれを可能にする。レオナはやおら立ち上がり、彼の目を見つめた。同じ色をした瞳、同じ力を持つ者。ちがう、と。レオナは否定をする。生まれた場所も、育った環境も、思想も、何もかもが彼とは違う。だから、レオナは全身に雷を纏い、殺すための攻撃をする。
「あなたに、屈したりはしない。負けるわけにはいかない。わたしは、死ねない」
 死ねない、のではなく、死なないのだ。レオナはその意味をもう知っている。だから、その理ことわりを乱すものを許すわけにはいかない。
 レオナの放つ雷は闇を切り裂く光となりて、ユノ・ジュールを襲う。ただ、彼の動きを止めたとしても、大した損傷を与えたわけではなかった。 
 想定内だと、レオナは攻撃を続ける。反撃がこないのはレオナの力量を試しているか、その余裕が気にいらない。
 祈りはもう何の力にもならないだろう。願いを叶えるのならば、光を求めるのならば、捨てなければならないものがある。今さら、何をおそれるというのか。これまでだってずっとそうしてきたはずだ。
 レオナは己が纏っていた魔力を消す。そうして、彼と同じように笑った。



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