五章 蒼空を翔ける

攻防

「敵が、来ます……!」
 ブレイヴは肩を一層緊張させた。視力には自信がある方だったが己の双眸はまだそれを捉えてはおらずに、しかし百戦錬磨の竜騎士の声に誤りはないはず、妨げとなっているのは乳白色の霧だ。やっとあがった長雨は、どうあってもふたつの国の行く末の邪魔をしたいらしい。
 ブレイヴはもう少し意識を集中させてはみたもの、目や耳で感じ取るのはほとんど不可能だった。下へと視線を落としたところで同じ、今がどの辺りであるのか検討がつかない。だが、敵と接触したとなれば軍師の見解は正しかったようだ。眼下に広がるモンタネール山脈の影響からか、知らずのうちに飛竜の速度が落ちるという。加えてこの辺りでは霧も出やすい。けっして好条件とはならなくとも、それはあちらも同条件である。
 グランルーザをたって五日が過ぎていた。斥候部隊に、救援部隊、あるいはおとりとなる部隊に、ブレイヴが加わっているのは本陣ではあるものの後方であり、先頭を行くレオンハルトの姿はここからでは見えない。友はまっすぐにエルグランを目指し、ブレイヴはそれを援護しつつ、後に続くつもりだ。
 ここでの空中戦は想定内だった。
 エルグランの主力部隊はすでにグランルーザへと着いているだろう。これは第二陣、奴らは守りに徹するつもりはないようで、総力をあげて襲い掛かってくる。そして、セルジュの策はさほど難しくはない。エルグランとは反対にグランルーザの守りは固く、主力となるのはむしろそこだ。
 敵と見れば見境なく襲い掛かってくる竜騎士とまともにやり合っても無駄な犠牲を出すだけであると、軍議室にて苛烈な物言いをしたセルジュをレオンハルトは咎めるどころか笑い飛ばし、そして策に乗った。つまるところ、わざと敵の主力をグランルーザへと向かわせたのだ。しかしそれも、すべての敵を通すわけにはいかない。敵の戦力を削りつつ、グランルーザへと侵攻するのが目的、口で言うほど簡単なことではなかった。
 ブレイヴは目の端で味方の騎士が落ちるのを見た。戦闘がはじまって小一時間が過ぎているが、どちらの勢いも衰えない。いや、あちらの方が手数は上だと、ブレイヴは口の中で改める。新たな部隊が追いつけば、それだけこちらは不利になるだろう。
 そうした客観視もいつまで余裕が続くかどうか。飛竜の背に跨るのはこれが四度目、さすがに慣れたとはいっても、戦闘となれば話は別だ。まず、竜の力が強い者が生き残る。竜騎士としての腕前はその次、とはいえど、愛竜を操りながらも攻撃を繰り出すその雄姿にブレイヴはただただ尊敬をする。
 ブレイヴは攻撃よりも防御に徹していた。敵の槍の打ち払い、遠心力を利用してそのまま反撃を繰り出す。動きは竜騎士に合わせて、それがなかなかに難しいもの、身体で覚えるしかない。竜騎士を死なせてしまえば、飛竜を扱えないブレイヴは敵の的になるだけだ。
 突然、飛竜が大きく左へと旋回し、そのまま敵の中へと突っ込んだ。何かの気の迷いかと思ったがそうではなく、体当たりを喰らわせたのだ。ブレイヴはその衝撃に耐える。次に撃ちそこねた敵を射貫く。馬上での槍の扱いとはまた異なり、それだけ体力を消耗するのも早い。このまま混戦となれば足手纏いになりかねなかった。
 飛竜は再び速度を上げる。身体の自由を奪う重力にしばらく耐えていたブレイヴは、そこであることに気付いた。
「後ろを見てはなりません!」
 制止が飛んだのはそれとほぼ同時だった。まだ戦っている仲間がいるというのに、竜騎士は戦場を駆け抜けようとしているのだ。
「あなたを、エルグランの王城へと必ず連れて行く。それがレオンハルト様との約束です」
 友は敵の牙城でブレイヴを待っているのだ。ブレイヴは歯噛みする。違えてはならないのだと、分かってはいても残した仲間の中に共にグランへと来たレナードやクライドがいれば、どうしても躊躇ってしまう。この戦争を終わらせるには、エルグランを落とす他はなかった。それだけではない、重要なのは――。
 かえってきて。ブレイヴの耳の奥で幼なじみの声が蘇っていた。死の恐怖を感じたことはもちろんある。けれど、ブレイヴは自分が死なないことを信じていた。死ねない、のだ。彼女を置いて。
 はじめてではなかった。彼女のこころを知ったのは。レオンハルトに怒られるのも当然だ。紡げなかったのは勇気がなかっただけ。それから、言ってしまえば、これがさいごになってしまうのではないかと、こわかったからだ。
 ブレイヴは振り返ることをしなかった。幼なじみと交わした約束がある。それは自身だけではなく、みなが戻るということ。己が信じなければ誰が信じるというのか。










 轟音が響いたかと思えばすぐに揺れがきた。
 癒しの魔法を発動させていたレオナは、横たわる騎士を庇うように覆いかぶさる。女たちの悲鳴が止まったのは揺れが収まってから、けれど恐怖がなくなったわけではない。
 おそらく、敵の侵入を許してしまったのだろう。レオナは下唇に歯を立てる。グランルーザは難攻不落と名高い城ではあるが、ひとたび踏み込まれれば関係がなくなる。宏壮な古城の長い歴史もいつかは落ちる日が来るのだ。
 よく持った方だと思う。エルグランの攻撃がはじまってから三日、グランルーザの竜騎士たちは果敢に戦い、敵を退けていた。士気を取るのはセシリアだ。彼女は兄レオンハルトにすべてを託し、自らもまたここを死守するようにと託されたのだった。
 敵の勢いは衰えるどころか日に日に強まっている。どれだけ撃退したところで次から次に援軍が来るのだから際限はない。ひと月は持つという城であっても、総攻撃を掛けられ、またこちらは守備に徹しているのだからいずれは限界がきてしまう。だがそれも、心が先に負けてしまっては本当の敗北を招くことになりかねない。
 それでも、男たちの双眸に勇気と希望の光は消えずにいる。レオナが癒した竜騎士はまだ少年ではあったが、歩けるようになれば再び戦場へと出て行った。
 救護室は怪我人で溢れ返り、手を休める暇などひとときもない。ここで癒しの魔法を使える者は少なく、重傷者が優先されるのはいわずもがな、非難していた女たちも怪我人の看病に駆り出されていた。女たちは怯えながらも勇気を振り絞り、手を先に動かす。その日がついに来てしまったとしても、個々の仕事を放り出すわけにはいかないのだ。そもそも、民に逃げ場はどこにもない。こうなれば、カミロ王が降伏の意を示す以外に助かる道はないのだろう。
 いいえ、と。レオナは否定をする。
 ここまで持ち堪えていたというのに敵の侵攻を許してしまったのは、そこに異端な存在が関わっているからだ。先の爆撃は魔法によるものだとレオナは看破している。グランは魔法に精通した国ではないため、エルグランの中でも有力な魔道士がいるとは考えにくく、よしんばいたとしても王城を守るのに努めるはずだ。ならば、誰の仕業であるか。
 口に出すまでもない。レオナの中でもう答えは出ていた。生命の危険がないことを確認してからレオナは騎士から離れる。騎士は胸を貫通され、未だ意識は戻らぬままだがレオナはその傷を塞ぎ、跡一つ残さずに癒した。騎士に生きようとする気力がまだ残っていれば助かるだろう。レオナは混雑する人の中を掻き分けるように進む。そこで、腕を掴まれた。
「待って。行っては、だめ」
 金髪の少女の目の縁には涙が溜まっている。レオナは彼女を安心させる笑みを作る。
「ロッテ。わたしは、行かなければならないの」
「そんなの、だめ。だって、レオナはまた」
「だいじょうぶ。約束をしたの。だからおねがい。信じて、くれる……?」
 レオナはシャルロットの肩を抱く。少女の唇は動いてはいたもの、それは声としては出てこなかった。
「クリスの言うことをよく聞いて。ここのことは、任せます」
 レオナは視線を前方へと送る。ラ・ガーディアの修道士でもあるクリスは癒しの魔法に精通しているだけではなく、人を心から安心させる何かを持っている人だ。おだやかでいて、冷静な判断を正しく下すことができる人。まだ怪我人は多く残り、何よりこれから増えていく。その後ろ髪を引かれながらも、レオナは行くことを決めた。レオナにしかできないこと、否、レオナでなければ立ち向かえないのだ。
 シャルロットはうなずいて、レオナから手を離した。凛とした眼差しはしっかりと前と向いている。明日を信じているからこんな目ができるのだと、レオナは感じた。いつの間にこんなに強くなったのだろうと、思う。こわくて、逃げ出したくなるような時だというのに、それを懸命に押し殺している。
 さすがに居住区までは敵は入って来てはいなかったが、レオナはいつでも攻撃が可能なように魔力の調節をする。セルジュの誡告はこの時のためだ。階を駆け下りて、レオナは渡り廊下を行く途中で足を止める。仲間たちの姿が目に映ったからだ。
 東の塔で戦っているのはノエルとルテキアだ。弓使いであるノエルが正確に敵を射ることができるように、ルテキアは引き付け役となっている。されど、こちらが放った矢は簡単に飛竜の鱗を通すものではなく、まずは敵の竜騎士を狙い撃ちにするもの、残った飛竜は主を失ってもなお攻撃を止めない。
 人と竜との死闘が繰り広げられている。また反対の塔では小さな竜巻が起きていた。あれはアステアの風の魔法、味方を巻き込まないように調節をしつつも威力を拡大させた風は、敵を塔へと近づけさせない。
 レオナはそこにはいない仲間たちのことも気になっていた。フレイアは侵入した敵をこれ以上進ませないよう大広間に配備された部隊の中に、セルジュはすべての部隊を円滑に動かすための指揮を取っているものの、いざという時には魔道士としての力を使うだろう。そして、レオナは――。
 仲間の元へと駆けつけたい気持ちをどうにか抑える。苦戦を強いられているのは明白、彼らを失うことはレオナにとって何よりも耐えられないことだ。しかし、今から援護に行ったところで間に合うかどうか。何よりもレオナの為すべきことは他にある。
 レオナは再び足を前に進める。王の間へと近づくにつれ、敵の数も増えていた。レオナはもう躊躇わない。こちらの姿を認めた敵の竜騎士の槍が動いたときには、もうレオナの雷撃はその身体を射ぬいていた。
 大混戦は王の間で繰り広げられており、エルグランの騎士たちは王の首を取るために必死だ。だが、カミロ王の姿はここにはない。やがて気づいた敵がそこへと向かうのも時間の問題だ。レオナは先を急ぐ。回廊にはもう動かない騎士たちの遺体でいっぱいだ。レオナは祈りの言葉を口にするが、今はかなしんでいる時ではなかった。
 レオナは敵とみなしたものには容赦なく雷撃を打ち落とす。一瞬で炭化した身体は、もう竜騎士でも人間でもなかった。そうしてレオナが殺した人は何人になるのか。先に使った癒しの魔法と合わせれば、もうかなりの魔力を酷使しているはずで、そろそろ底を尽きてもいい頃だ。されど、それは以前のレオナならばの話である。
 己の中にある竜の力が強まっている。イレスダートを出た時よりも、ラ・ガーディアの時よりも。解き放つほどに、レオナの力は拡大されていくのだ。レオナはそれが何を意味するのか、見ないふりを続けている。道義心、使命感、それよりももっと強い感情がレオナを支配しているかもしれない。

 

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