四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

山道を行く

 自由都市サリタを経ってから七日が過ぎた。
 西の大国ラ・ガーディアまでの道のりはなかなかに長い。イレスダートからラ・ガーディアまで馬車を使うことひと月はかかるくらいには遠く、しかしこれはあくまで正規の経路だという。
 サリタの市長が用意してくれた馬は六頭。餞別代わりらしいが、つまりは体の良い厄介払いなのだろう。ともあれ、ただ馬を西へと走らせているだけで早三日、野を駆けて丘を越えて、はじめの二日はとにかくカナーン地方の西を目指した。
 東の聖王国イレスダートと西の大国ラ・ガーディアを繋ぐ街道は、多くの巡礼者や旅人が利用する。道のきちんと整備されているため、のんびり馬車を進ませていても苦にはならないだろう。それは目的が旅行であればの話で、イレスダートを追われる形で西へと旅立ったブレイヴには、それほど悠長にしていられるような時間はない。西へ。とにかくまずは西へ。
 五日目にはふたたび森へと入った。針葉樹の森をまっすぐ進んで行くうちに、馬で行くにはなかなか苦労する坂道が現れる。この先は山道だ。道案内役の赤髪の青年はブレイヴの視線を受けてにやっとする。こっちの方が近道なんだ。彼は目顔でそう言った。
 急な勾配こうばいを乗馬しながら行くのは不可能で、馬を引きながらしばらく徒歩をつづける。いま先頭を歩いているのはブレイヴとディアスだ。案内役を買って出たデューイは後方でたのしくおしゃべりしているようで、声がここまできこえてくる。じゃれているのはレナードとノエル、彼らを叱っているのはルテキアで笑う声はレオナとアステアだろう。振り返らなくともそれぞれがたのしそうなのがわかる。
「なにを笑っている?」
 そんなつもりはなかったのに、いつのまにか横顔を盗み見られていたらしい。ブレイヴはもう一人の幼なじみに向けて笑む。
「いや、すこしだけ安心した」
 説明を求める視線をブレイヴは無視する。でも、ディアスだっておなじだろ? そう言ったところで幼なじみは渋い顔をする。
 城塞都市ガレリアからアストレアまで、けっして近い旅ではなかった。馬車のなかにずっと閉じ込められるのは窮屈だし、きちんと舗装されていない道を行くには馬車も揺れたはず、それでも幼なじみの姫君は不安も不満も零さなかった。アストレアを追われてオリシスへ、さらにはオリシスからサリタへと馬を飛ばしながら先を急ぎ、あるときは森で野宿した。今度の旅はそれよりもっと過酷だ。
「フォルネに入ればすこしは道も楽になる」
「そうだな」
 責められているのだろうか。ディアスの声には同情めいた響きがある。安全を考慮すればあのまま街道を行くべきだった。最短の行程を優先したのはブレイヴで、たとえそれをディアスに非難されても、言いわけひとつ返せはしない。
「あまり信用しすぎるなというだけだ」
 ブレイヴはまじろぐ。ディアスは嘆息し、ちらとうしろを見た。つまり彼のことを言いたいらしい。なぜ連れてきたのか。幼なじみの顔にはそう書いてある。
「成り行きってわけじゃない。でも、修道院でレオナが世話になったのは本当だし、道案内だって必要だろ?」
「別にあいつじゃなくても良かった」
「適任だよ。仔細を話さなくとも、彼は余計な声をしなかった。それに、ラ・ガーディアの出身だって言うから」
「西の国も広いだろ。あれはどこから来たんだ?」
「さあ? そこまでは」
 またため息。ブレイヴは苦笑する。ディアスの忠告は正しいのかもしれない。けれどもいまのブレイヴを陥れたとして、何の利点があるのだろう。イレスダートからの追っ手もせいぜいサリタまでで、そもそもあのデューイという青年はイレスダートに関わりはない。レオナが彼と出会ったのも単なる偶然だ。
「まるで遠足気分だな」
 ディアスが不機嫌な理由がわかってきた。たまにはいいじゃないか。そう言えば幼なじみはもっと怒る。
「だいじょうぶだよ。空元気よりは、ずっといい」
「それはお前もおなじだろう」
 動揺が馬にも伝わったらしい。ブレイヴはいななく馬をなだめながら、歩く速度を急に変えないようにと気をつける。きっと、否定で返しても無意味だ。ディアスは簡単な嘘でもすぐに見抜く。
「忘れろとは言わない。だがアルウェン公のことは、」
「わかってる」
 忘れない。忘れては、ならない。
 ブレイヴは巻き込まれたのではなく、巻き込んでしまったのだ。恩人を、尊敬する騎士を、オリシスという国も。お前のせいじゃない。ディアスはそう言っている。でも。
「俺は、なにもできなかった」
 オリシス公を屠ったのは白の少年だ。それでも。
「俺が、アルウェンを見殺しにした」
 あのとき、アルウェンは自分の死期を悟っていた。はたしてそれは正しかったのか。オリシス公の声に甘えて、そこから逃げ出したのはブレイヴだ。あの場に留まってレオナの力を借りたならば、アルウェンは助かったのではないか。いまでも詮なきことばかりを繰り返してしまう。
「お前は自分への誓いを忘れてしまったのか?」
 ブレイヴは顔をあげる。ちがう。忘れたことなど、ない。
「レオナにまた《《あの力》》を使わせるつもりなのか?」
 選択肢がなかったのは口実だ。彼女にそれを選ばせてしまったのは、ブレイヴがただ無力だったからだ。幼なじみの声がここまで届く。彼女はまた笑っている。たぶん、空元気だと思う。
「忘れたりなんかしない。それに、レオナと約束したんだ。かならず守ると。だから……もうあの力は、使わせない」
 使わせてしまっては、ならない。白い光。最初の光を見たのは、ブレイヴが十二歳のときだった。あれ以降、レオナは自身に秘められたその力に頼ったりはしなかった。けれど、解放された竜の力を使うことを、きっとレオナは躊躇わない。
 身震いがした。ブレイヴはそれを寒さのせいだと思い込む。日が落ちてきた山道では夜も早くなる。それまでに今夜の宿にたどり着かなければならない。
「急ごう。そろそろ、クライドと落ち合える」
 異国の剣士はオリシスからずっとブレイヴに同行している。でも、クライドはブレイヴの臣下でも従者でもないから自分の意思で動く。峠を越える前に宿があるとデューイは言っていた。ラ・ガーディアの青年を信頼していないのはクライドもおなじらしく、先に見てくると言った。
「ブレイヴ」
 急に話題を変えたのは失敗だった。いまさら笑みを作ったところで誤魔化せない。
「あれは、おなじ力だったのかもしれない」
 認めるべきではないと、そう思っていた。ブレイヴは吐露する。ディアスならばきっとわかってくれる。あの白い光を、最初に見たのはディアスもそうだ。だから、オリシスのアルウェンを奪った力が何であったのか、幼なじみも気づいている。
「あれは、人間ではなかった。あの白の少年は――」
 皆まで言えなかったのはブレイヴの心がまだそれを否定しているからだ。幼なじみはもう何も言わなかった。











 山道を進んでいくこと小一時間、やっと前方にそれらしき建物が見えてきた。
 山小屋にしてはしっかりしている。厩舎では洋灯を持ったクライドが待っていて、後方にいたレナードたちもすぐに追いついてきた。
 ここは女主人とその一人息子の二人だけで切り盛りしているらしい。亡くなった主人から受け継いだ山小屋はあちこち修繕の跡が見えるものの、中は思ったよりもずっと広く、しかし客はブレイヴたちの他に一組だという。
「カナーン地方でも栄えているのはサリタくらいだよ。あそこは儲かるからねえ。市長も他の場所なんて知らんぷりさ」
 愚痴を零しながらも女主人の表情は明るい。ひさしぶりの客なのだろう。一人ひとりに玉葱のスープを配ってくれる。とろとろに煮込んだスープは熱々で美味しい。
「たくさんあるからね。遠慮しないで、おかわりしておくれ」
 最初に挙手したのはデューイで、レナードとノエルもそれにつづく。今日はずっと歩きとおしだったので疲れていたのだろう。身体が温まってほっとしたところで、クライドと目が合った。彼が目顔で呼んでいるのでブレイヴはそっと席を外す。女主人の息子が焼いたという白パンが振る舞われている。喧嘩にならないようにとちゃんと人数分を用意してくれたようだ。昨晩は野宿だったので、皆もやっと安心して眠れると思う。それなのにクライドの表情はさえない。
「山賊?」
「というほどの数はいない。だがこの辺りには野盗がよく出る。つい最近も山道で巡礼者が襲われたらしい。主人がそう言っている」
 ブレイヴはちらと客間を見る。女主人もひとり息子もブレイヴたちをまったく警戒していなかった。巡礼者にしては大所帯で、どこかの大貴族だと思っているのかもしれない。騎士が多ければ何かあったときに守ってもらえる。その考えは別にまちがってはいない。
「野盗くらいならどうにでもなる。女、子ども連れでもな」
 ブレイヴはうなずく。彼が指摘しているのはまた別の話、面倒に巻き込まれたらここで足止めされてしまう。それだけは避けたい。
「峠を越えたらフォルネも近くなる」
「フォルネ、か」
 ラ・ガーディアの国のひとつだ。最南に位置するのがフォルネ、北上すればウルーグ、その隣にはイスカ、最北にはサラザール。つまりラ・ガーディアはこの四つの国で成り立っている。ブレイヴが目指すグラン王国へはモンタネール山脈を越える必要がある。ウルーグ、もしくはイスカから登山道へと入れるが、ともかくまずはフォルネにたどり着くのが先だ。
「クライドはラ・ガーディアにも行ったことがあるのか?」
「いや、ないが」
「そうなのか? それにしては詳しいな」
「病死した王の跡を継いだのはその息子だ。まだ若い。……俺が知っているのはこれくらいだ」
 十分だ。ブレイヴは微笑する。ラ・ガーディアの情勢はある程度は伝わってくるとはいえ、確実性はいかほどか。西の歴史にしても士官学校で学んだ知識くらいで、文化や風土、あるいは国力など教科書に載っている情報がすべてではない。ただ、イレスダートとちがって、ここ近年は大きな戦争もないときく。ブレイヴも知っているのはそれくらいだ。
「だが、案内役など要らなかった。あいつはフォルネでお別れだな。あの人もおなじ意見だろ」
 あいつというのはデューイで、あの人はディアスだ。そういうわけにはいかないよ。ブレイヴは苦笑いで返す。むしろフォルネから先の方がわからないことだらけだ。
「報酬はあとからでいいって、そう言っていたし」
「あんたは見かけよりもずっと騙されやすいんだな」
 そうかなと、ブレイヴは首を傾げる。大丈夫だ。忠告はちゃんと受け取っている。一番高く付くのが馬でもここで手放すわけにはいかないし、長旅がつづけばつづくほど手持ちが心許なくなってくる。こういった管理はこれまでジークがぜんぶ纏めてくれた。でも、もう麾下はここにはいない。
 ディアスもクライドも、あの赤髪の青年を悪者にしようというつもりではないのだろう。たしかに人数が増えればそれだけ金も要る。
「フォルネの要人……王族にでも接触できればな。上手く取り入ればそんな心配もなくなるだろ。あんた、そういった仕事は得意なのか?」
 どう答えるべきかとブレイヴはちょっと迷った。期待されているような成果は得られそうにもない。
「とにかく、部屋は三つ取っておいた」
「ありがとう、クライド。助かった」
 女性たちで一部屋を使ってもらって、ブレイヴとディアス、クライドが同室となり、レナードたちは残りの一部屋だ。前に泊まった宿では寝台の数が足りずに、床やカウチで寝る羽目になったと喧嘩したらしい。こういうときに、ジークだったら上手く彼らを纏めただろう。いまは仲裁役がすっかりクライドに替わってしまっている。
「俺はすこし外を見てくる。あんたたちは、」
 クライドの声が途中で止まった。
「ああ、悪かった。気がつかなかった」
 どうやら人とぶつかったらしい。彼の前には頭ふたつ分ちいさい少女がいる。しかし、すぐに謝罪したにもかかわらず、相手はクライドを見あげたままだ。怪我でもさせてしまったのだろうか。ブレイヴは少女をまじまじと見る。
 年の頃は十五、六くらいの少女だった。蒲公英色をした波打つ長い髪、卵形の輪郭にちいさな唇、長い睫毛に縁取られた瞳は紅玉石ルビー色に似ている。少女はその大きな目でクライドを見つめている。子ども、には見えない。けれども声が返ってこない少女に、クライドは眉を険しくする。それが少女を覚えさせているとも知らずに。
「おい、」
「……いや」
「は? なにが?」
「寄らないで」
 その声は彼らにしか届かないくらいにちいさかった。ブレイヴとクライドは顔を見合わせる。別に取って食おうというわけじゃない。困惑するクライドに対して少女ができた唯一の抵抗だった。
「きゃああああああっ!」
 まともに悲鳴を浴びたブレイヴは耳を塞いでおけばよかったと、そう思った。たぶん、クライドも一緒だろう。いつもの無表情が困惑と驚愕のふたつに変わっている。ともかく、ここはもう一度謝った方がいい。ブレイヴは目顔でそう訴える。まだ耳鳴りがするのかクライドは動かずにいる。
「ねえ、どうしたの?」
 あれだけの大きな声だ。誰よりも早く駆けつけたのは幼なじみだった。どう説明するべきかをブレイヴは考える。レオナはブレイヴを見てクライドを見て、そうして最後に金髪の少女を見た。
「クライド。どうして、見ず知らずの子にいじわるをするの?」
 クライドは目を瞬かせた。ブレイヴも一緒にきょとんとした。
「は? いじわるって」
「だって、そうでしょう? なにもしなければ、あんなに大きな声を出したりしないもの」
「それはこいつが……!」
「こいつ、ですって?」
 じとり、と。クライドを見る幼なじみの目がより険しくなった。
「どうしてそういう言い方をするの? ほら、こんなにこわがっているでしょう?」
「ちょっと待て。別に俺は何もしていない!」
「ほんとうに?」
 助けを求めるクライドと真実を求めるレオナの両方の視線がブレイヴに集まっている。ちょっとぶつかってしまっただけ。それを説明するのは簡単だとしても、いまの幼なじみに説くのはなかなかむずかしそうだし、どちらを擁護してもよりややこしくなりそうだ。
 もう一人味方がほしいところと、ブレイヴは視線を客間へと向けたもののディアスとは目が合わなかった。作戦は失敗。ところが、そこにもう一人が現れる。
「その方が言っているのは本当ですよ」
 心地の良いアルトの音色だった。彼女、いや彼かもしれない。中性的に彼を見せているのは白肌と、太陽の光に近い白金の色をした長い髪。それから薄藍の瞳。聖職者の法衣を纏うのはヴァルハルワ教徒の証だ。
「お騒がせして申しわけありません。私の主人は、すこし臆病なのです」
 優美な仕草で一礼をして、少女の前に立つ。主人と呼ばれた少女は貴族の令嬢なのだろう。貴人の家に敬虔なヴァルハルワ教徒がいるのは、イレスダートでもよくあることだ。
「さあ、まいりましょう。フレイア様」
「でも、あのひとたち、フォルネに行く」
「ええそうです。私たちとおなじく」
 さすがに追いかける気にもなれなかったのか、クライドはただ呆然としている。まるで嵐が去ったあとみたいだ。
「ねえ、ブレイヴ。あのひとたち、ラ・ガーディアの人なのかしら?」
「たぶん。でも、もう一人は……」
 二人はそのまま一番奥の部屋へと入って行った。白金の髪に薄藍の瞳、敬虔なヴァルハルワ教徒の一族にそういった容姿の者がいる。いや、いたと言った方がいいのか。どちらにしても、イレスダートではなくともこの広いマウロス大陸にはたくさんのヴァルハルワ教徒はいる。
 関わり合いになるべきじゃない。ブレイヴは彼らに対する疑心も関心もそこで打ち消した。
 
 

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