四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

闇を裂く光

「すこし疲れが出たのかもしれません」
 夕食を終えて部屋へと戻ったレオナに傍付きはそう告げた。
 寝台では少女が眠っている。今日はほとんど徒歩でこの山小屋まで来た。女主人が振る舞ってくれた玉葱のスープであたたまったあと、幼なじみたちは今後の行程を話し合い、レナードたちは白パンをご馳走になっていた。
 シャルロットを早く休ませてあげたいと、ルテキアは先に部屋へと行き、レオナもすぐ彼女たちにつづいた。心配してくれたのか、女主人のひとり息子が香茶を届けてくれる。それまでは少女も元気だったように思う。
 ルテキアはずっとシャルロットに付いている。皆さんで召しあがってくださいと、預かってきたバスケットを丸机に置く。シャルロットは玉葱のスープもすこししか食べられなかった。
 声を失った少女は食べることも苦痛をしている。無理をするとぜんぶ吐き戻してしまうのも身体が拒否しているためだろう。レオナはルテキアと顔を見合わせる。眠ることで回復するのならいまはその方が良い。けれども――。
 レオナは少女の額に手を当てる。やっぱり熱がある。どうしてすぐに気がついてあげられなかったのだろう。いつだって後悔ばかりだ。それはきっとルテキアもおなじなのかもしれない。二人とも自分の責任みたいに、そんな顔をしている。
「わたしがロッテの傍にいるから。あなたも夕食を食べてきて」
「いえ。私は大丈夫です」
 そう言うと思った。傍付きの視線はレオナが預かってきたバスケットに向けられている。野菜スープの残りと白パンと果物がすこし、でもレオナはルテキアにもあたたかい食事を取ってほしい。頑固な傍付きは、きいてはくれなさそうだけど。
「公子に伝えますか?」
「ええ……。でもその前に、アステアに相談しようと思って。彼、薬にくわしいでしょう?」
 魔道士の少年は薬学にも明るいらしい。そもそもの出会いがサリタの薬屋だった。きっと解熱の薬も常備しているはずだ。ハイトの葉は熱を下げる薬草だとそこで知った。
「アステアは魔法を習うときに、兄から薬学もすこし教わったそうですから」
「そういえば、アステアはそのお兄さんを探してるって、そう言っていたわ」
「はい。いまは、アストレアにもイレスダートにもいないようですが」
「そう。でも、もしかしたらどこかで会えるかも」
「それは……、どうでしょうか」
 会話はそこで途切れてしまった。どうにか明るい方へと話題を向けたかったのに失敗だったようだ。そしてアステアのところに行くと言ったレオナもまだ動かずにいる。本当は、すこし迷っているのだ。
 魔道士の少年はふたつ返事で薬を分けてくれるだろう。でもあまり大事にはしたくない。きっとみんなが心配をする。返事がなくてもデューイはいつもシャルロットに話しかけている。故郷に妹のいるレナードとノエルも、何かと少女を気に掛けてくれている。熱が出たと知れば大騒ぎになってしまう。それでは少女の心が休まらない。
「ねえ、ルテキア。わたし、すこし心当たりがあるの」
「あの聖職者ですか?」
 レオナは目を瞬かせる。先に言い当てられるとは思わなかった。
「なりません。たしかに聖職の法衣を纏っていましたが、何者かもわからない相手です」
「でも、彼……イレスダート人よ?」
 白金の髪と薄藍の瞳。覚えがある。あの特徴はイレスダートでも有数の貴族の証だ。
「でしたら、なおさらです」
 先に部屋に入っていたはずなのに、傍付きは一部始終を見ていたようだ。そんなに警戒する必要はないと思うけど。金髪の少女と従者の司祭、貴人と聖職者、巡礼者がイレスダートから西のラ・ガーディアと旅するのだって不自然ではない。
「ヴァルハルワ教の司祭がいずれも医学に明るいとは限りません」
「ちがうわ。そうじゃないの。ただ……」
 レオナは眠っているシャルロットを見た。少女はすこし痩せたように見える。オリシスから離れて、その後はほとんど食事らしい食事を取っていないので当然だ。身体の疲れもあるだろう。けれどそれ以上に少女の心が悲鳴をあげている。
「こういうとき、どうしたらいいのかわからないの」
 目の前で養父を亡くした少女に、何をしてあげられるのか。レオナはずっとそれを考えている。気休めの言葉なんて心には響かない。自分がそうだったからよくわかる。
「レオナ……。わかっています。私もおなじ気持ちです。それでも、」
「できることは、なんだってしてあげたいの」
 ルテキアの気持ちも知っている。傍付きという立場がなければ、きっと彼女の方が先に動いていた。
「ね。すこしだけ。話をきいてもらえたらって」
「……止めても、無駄なのでしょう?」
 よくわかっている。そろそろ一緒にいる時間も長くなってきた頃だ。レオナはにっこりする。
「だいじょうぶ。ひとりでは行かないわ。ブレイヴも……、おはなしも終わっていると思うから」
 ため息が返ってくる前にレオナは席を立った。洋灯を持って部屋を出たレオナの足は、しかしすぐに止まる。人影が見えたからだ。
「デューイ?」
「なんだ、あんたか。どうしたんだ?」
 それはこちらの台詞だった。男性たちの借りた部屋は一階で台所もおなじく、二階には何かの用事がなければやってこないはずだ。でも、ちょうどよかった。レオナはそういう笑みをする。
「ねえ、デューイ。ちょっとだけ付き合ってほしいの」
「なんだよ、改まって」
「あのね、わたしたちの他に泊まっている人たちがいるの。夕食のときに一緒だったでしょう? ヴァルハルワ教の司祭さまと」
「あんた意外と大胆なんだな。幼なじみはいいのかい?」
 レオナはきょとんとする。話がうまく噛み合っていないのは気のせいだろうか。デューイはにやにやしている。
「いや、冗談だよ。……それよりロッテ。また具合悪いのか?」
 デューイならぜんぶ伝えなくてもわかってくれるような気がした。レオナはうなずく。
「ブレイヴに先に知らせなきゃって、そう思っているの。でも、まだおはなし中かもしれないでしょう?」
「それならたぶん終わってる。クライド、だっけ? あのユングナハル人が外に出て行ったし」
「クライドが?」
「見回りじゃあないかな? この辺りでよく野盗が出るって言うから」
 口調からはそれほど深刻そうには感じられないが、それはデューイがレオナを安心させるためだったのかもしれない。
「心配要らないよ。レナードとノエルもあとから追いかけてったし。あいつらは騎士だろ? そのクライドって人も、ただ者じゃあなさそうだ」
「でも……」
「いいから、あんたは早く部屋に戻りなって。その司祭様には俺が話をつけとくからさ」
 デューイは無理やりレオナを部屋に戻そうとする。硝子の割れる音がしたのはそのときだった。
「なに……?」
 つづいてきこえたのは悲鳴だった。まだ少年の声で、レオナとデューイは視線を合わせる。レナードとノエルじゃない。彼らは騎士だから絶対にあんな声をしない。
「あっ、おい! 待てって!」
 デューイの制止よりも前にレオナはもう駆け出していた。複数の怒鳴り声は階下からだ。嫌な予感がする。野盗がもしこの宿を襲ってきたのだとしたら、先に狙われるのは一階の人たちだ。台所には女主人とその息子が後片付けをしていたし、一番奥の部屋には巡礼者の二人がいる。
 階段を下りるところでデューイが追いついた。うしろに腕を強く引っ張られたせいで、レオナは尻餅をつく。持っていた洋灯を落としてしまったので、明かりもすぐに消えてしまった。
「あんたは、ここから動くなよ」
 さっきまでとちがって、デューイの声が緊張している。レオナもそれに気がついた。野盗はすでに二階まで来ていた。
 レオナはデューイを呼んだ。暗闇のなかではっきりとは見えなかったものの、新しい人影はふたつあった。彼は、戦える人なのだろうか。すぐに起きあがらないといけないのに、足がうまく動かない。
「デューイ……!」
 目がすこし慣れてきた。やはり彼は戦闘には向いていなかった。護身用の短剣では相手にならない。大男が二人、デューイなんて簡単にいなせるのに、まるで遊んでいるみたいだ。
 あのときのようだと、レオナは思った。
 アストレアを追われて砂塵の街へとたどり着いた。あのときもそうだった。レナードとルテキアは暴力を受けて、レオナはノエルにただ守られていただけだ。
 肩が震える。でも、ちがう。こわいのではない。レオナが一番おそろしいのは自分が傷つくことなんかじゃない。大事なものを奪われることだ。
 やがて無聊した男たちがデューイを追い詰めた。彼が逃げなかったのはうしろにレオナがいたからだ。曲刀を持った男がデューイの短剣を弾く。もう一人がデューイの腹を蹴る。デューイは簡単に吹っ飛ばされた。
 悲鳴はあげなかった。大男たちは次の獲物を見つけて野卑な笑みを浮かべている。
「おい、女だ」
「ああ、女だ。それも貴族の娘だ」
 あのときのようだ。この大男たちはレオナを攫って余所の国にでも売るつもりなのだろう。人身売買はイレスダートでは禁じられている。しかし、無法地帯にいる人間に道理なんて通じない。
 もう、いいじゃないか。誰かがそう囁いた。レオナは胸の前で手を組む。祈祷者の格好をする女が神に祈っているのだと、男たちが嘲笑う。
 闇のなかで光が走る。それは、威嚇のつもりだった。けれどもレオナの両手から放たれた光は大男の身体を貫く。大男は前のめりに倒れた。
「お、おい……。どうしたんだ?」
 もう一人の男の声が震えている。人をいたぶっておきながら、自分が逆の立場にいれば恐怖は感じるらしい。許してはならない。デューイはまだ嘔吐いている。逃がしてはならない。階下には戦えない人たちがいる。
「ちかづかないで」
 今度はもう、容赦はしない。レオナは光を作り出せる。雨のように光の矢を降らせることも、天の怒りのように雷を放つことだって可能だ。逃がしてはいけない。でも、本当はその逆だ。早く逃げてくれればいい。レオナはそう思っている。
「じ、冗談じゃねえ……!」
 殺される。怯えた大男は剣を引き抜くとレオナへと向けた。剣を持つ手が震えているのがわかる。その手でたくさんのものを奪って傷つけてきたくせに、いまさら何だというのだろう。レオナは失笑しそうになる。ここが、戦場ならばあるいは助かったのかもしれない。戦って死ぬか、それとも俘虜となって人間の扱いをされなくなるか、選ぶのは自由だ。
 ふと、名前を呼ばれたような気がした。レオナは声の方へと目を向ける。それは風だった。
 そよ風みたいに心地の良いものではなく、風はちいさな竜巻を作り出す。伏せてくださいと、少年の声が響く。魔力によって作り出された風は大男の身体をずたずたに刻んだ。
「無事ですか?」
 アステアだった。アストレアの少年が風の魔法を得意とするのを、レオナはまだ知らなかった。
「ええ、わたしは。でも……デューイが」
 そのときになってレオナは気がついた。大男は二人いた。いま、アステアの風の魔法をまともに食らった男は痛みに呻いている。だが、もう一人は――。
「アステア……っ!」
 逃げて、と。声はつづかなかった。それよりも先にレオナはもう一度、光を作り出そうとする。大男の曲刀が魔道士の少年に振りおろされる。光はその前に男を射貫く。そのはず、だった。
 大男の身体がふたたび崩れ落ちるのをレオナはぼんやりと見ていた。あとすこし遅かったならば、斬られていたのは魔道士の少年だった。 
「間に合って、よかった」
「ブレイヴ……」
 泣きたくなるのはどうしてだろう。幼なじみがそんな顔をしているからだ。レオナの魔力は発動しなかった。もう一人の幼なじみが、レオナの手を掴んでいた。
「その力は、もう使うな」
 ディアスの声は命令というよりも、懇願のようだった。
 
 

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