四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

ロッテの首飾り

 客人たちが帰ってしまったイスカの王城では日常が戻ってきている。
 イスカの戦士たちは男も女も、または年端のいかない子どもから老爺まで元気でとにかくよく働く。
 怪我人だったレナードは絶対安静を言いつけられた上に、白皙の聖職者という監視付きだ。もうとっくに動けるようになっているので居心地が悪いのを我慢して、それも内乱が終わり多数の怪我人が運び込まれてからやっと解放された。クリスもレナードたちに構っている余裕がなくなったのである。
 それでも二日に一度は顔を見せるようにときつく言われている。
 白皙の聖職者は、レナードもノエルもいま生きているのが奇跡と思うべきだと、そう言う。あの夜、ウルーグの監獄の街で白の少年と出会ったとき、自分は助からないと覚悟したし、デューイだけでも逃せてよかったと思っている。それを言ってしまえばルテキアはまた怒って、シャルロットは泣くだろうから、黙っているけれど。
 ともあれ、レナードたちがいつまでも客人でいられないのはたしかだ。
 公子は軍師を含めた四人を引き連れてサラザールへと行ってしまった。レナードが知ったのは事後報告で、ひょっとしたら公子は自分たちの存在を忘れているのではないかと思ったくらいだった。しかし、置いてきぼりの魔道士の少年がいるから愚痴など言えるはずもなく、落胆する暇があるのなら一日も早く実戦に戻ることが重要なのだ。  
 レナードたちのあとで医務室に押し込められていた一人に、フォルネの王女がいる。とはいうもの彼女は無聊に耐えかねたらしく、たまたま目が合ったレナードはまたしてもフレイアにこてんぱんにされた。病みあがりで身体が動かなかったなどはただの言い訳、そもそもがお互い様である。
 あとで三人ともこっぴどく叱られたのでさすがに反省し、それでも五日が過ぎればほとぼりも冷めた頃だろう。レナードとノエルはひっそりと二人で剣の稽古を再開した。動いて食べて寝るを繰り返すうちに体力も戻ってくる。すると今度は意外な人に見つかってしまった。獅子王の連れ合いシオンだった。
 シオンはレナードとノエルを前にして剣は要らないから拳で掛かってくるように言った。さすがにそれにはむっとした。イスカの戦士たちにはまず膂力で劣るとはいっても相手は一人だ。それに公子は獅子王を相手に勝ったのだ。アストレアの蒼天騎士団がここで負けるわけにはいかない。
 意気込んだはいいものの、結果は散々に終わってしまう。何のことはない。フレイアもシオンも、彼女たちが強かっただけで、単にレナードたちが弱かっただけなのだ。
 レナードとノエルは二人で大反省会をする。
 落ち込むだけ落ち込んで、あくる日には元気になるのが二人の良いところでもあった。この日、獅子王自ら戦士たちの指導をするときいて、演習場へと駆けつけた。褐色の戦士たちのあいだから見えたスオウの身体は大きく、まさしく黒獅子そのものだった。おまけに声も大きい。イスカの戦士たち二十人の相手をしてもほとんど息切れしておらず、次の挑戦者を呼びかけている。ノエルに責付かれてレナードはかぶりを振った。いやいや、あんなのに勝てっこない。公子はどうやって勝ったのだろうか。 
 そんな日々を送っているうちにひと月が過ぎていた。
 サラザールに潜入している公子たちから手紙が届いたらしく、レナードとノエルはシオンに呼び出された。
「よかったな。お前たちの聖騎士がお呼びだ」
「サラザールに行ってもいいんですか?」
 呼ばれてもないのに駆けつけた魔道士の少年に、シオンがにやっとする。
「ああ。坊やたちは運び屋だ。サラザールに武器と馬を届けてほしい」
「それって、叛乱軍に……あ、いや、解放軍に、ですか?」
 思わずレナードが問い返す。
「いいや。サラザール王ミハイルの御所望だ」
 三人は顔を見合わせた。ブレイヴたちはサラザールにて解放軍に接触した。解放軍は蜂起するそのときを待っていて、あらゆる支援を所望しているはずだ。レナードは頭を悩ませる。サラザールの王、つまり王国軍に武器を渡すのはおかしくはないか。
「セルジュの命令だ。坊やたちがあれこれ考えても仕方ないだろう? ともかく、大事に扱え。壊すなよ?」
 輸送隊の護衛もさることながら、まずは積み込みから手伝えというわけだ。レナードたちは二つ返事で受けた。ノエルがアステアに何やら囁いている。魔道士の少年は明るい笑顔で応えて、それからサラザールの仔細を知りたがっている姫君たちのもとに走った。なるほど、なかなか良い案だ。魔道士の少年には力仕事は不向きだったが、本人に言えばむきになるところだった。
 日も暮れかけてきた頃、自分を呼ぶ声に気がついてレナードは手を止めた。
「あれっ? ひょっとして、入れちがいになっちゃいました?」
「ううん、ちがうの。アステアからきいたの。レナードたちがここにいるって」
 レオナはにっこりと笑う。午後からはじめた重労働はなかなか大変で、思っていた以上に時間が掛かっていたらしい。
「まあ。こんなにたくさんの荷物を、ふたりだけでがんばったのね」
「それは、まあ……、ええと、男の子ですから」
 向こうで勝手に休んでいるノエルが手を振っている。本当は二人だけではなくてイスカの戦士たちも手伝ってくれたのも、なんとなく内緒にする。このところ完膚なきまでに打ちのめされた相手はいずれも女性だったので、腕相撲でも勝てそうな相手を前にちょっと見栄を張っていたかったのだ。
「あれっ? そういえばアステアは……」
「クリスに差し入れを持って行ったの。レナードとノエルもあとから来てね。美味しいガレットをいただいたの」
 重たい木箱を運ぶ仕事を何往復もしたあとだ。もちろんお腹はぺこぺこだったので差し入れはありがたく頂くとして、姫君がわざわざレナードたちを呼びに来ただけとは思えない。視線に気づいたのか、レオナはちょっと困ったような顔をした。
「あのね、ロッテを見かけなかった?」
「え? ロッテ、ですか……?」
 レナードはまじろぐ。
「アステアとおはなしをしたあとから姿が見えなくって。てっきりクリスのところだと思ったのだけど」
「あ、ええと……、迷子かな?」
 イスカの王城はとにかく入り組んでいるため、一度迷うと大人でも本当に迷子になりかねない広さだ。フォルネ、ウルーグ、そしてイスカを経て、オリシスの少女の声はすこしずつ戻ってきているものの、知らない大人ばかりの城だと困ってしまうだろう。もともと大人しい少女だ。
「やっぱり、そうなのかしら? どうしよう、シオンにも声をかけて、」
「あ! 俺たちも、これ終わったらすぐ探しに行きますから!」
 このままでは大事になりかねないと思ったレナードはノエルを呼ぶ。レナードの相棒は暢気にゆっくりと歩いてきた。
「そう? じゃあ、おねがいしようかな。見つけたらルテキアにも教えてあげてね。すっごく心配しているから」
 念を押されてレナードはわかりましたと良い返事をする。姫君の背中が見えなくなってからやっとノエルがつぶやいた。
「……だってさ、どうするの?」
 レナードは閉口する。二人の視線の先は積み込まれた木箱たちだ。イスカの剣に槍と弓、薬や防寒着に加えて保存食などが入っている。そのなかのひとつが動いた。木箱に隠れていた少女がすこし顔をのぞかせている。
「サラザールに行きたいの?」
 ノエルの問いに少女はこくりとうなずいた。シャルロットがレナードを訪ねてきたのはちょうど彼女たちのお茶会の時間だった。女性たちの会話に交じってアステアがお喋りするそのあいだに抜け出してきたのだろう。蜂蜜色の髪をした少女を見つけてレナードとノエルはとにかくびっくりした。
 シャルロットは声を返さずに、ただいつも身に付けている首飾りを触っている。
「それって、デューイも持っている首飾りだよね?」
「ああ、たしかクリスさんが拾ったって」
 持ち主はすぐに見つかったし、デューイはどこか誤魔化すような笑みだったので詳しくはきけなかった。瑪瑙オパールの首飾り、楕円形の中心部には女の人が描かれていて、そこらの露天で手に入るとは思えない代物だ。あいつ、どこかで盗んだのかな。あのとき、きけばよかったとレナードはすこし後悔する。
「サラザールは、母さまの国なの」
「母さまって、テレーゼ様?」
「待って。ロッテがまだ喋ってる」
 ノエルに咎められて、レナードは口をすぼめる。
「私の、ほんとうの母さま」
「それって、デューイも関係しているよね?」
「わからない。でも……、」
 夜に近づいてぐっと冷えてきた。少女は防寒具に包まって寒さをやり過ごしている。
「母さまは、ずっと贖罪をつづけていたの。オリシスに流れ着いてからも、ずっと。あの子がしあわせでありますようにって」
 レナードとノエルは見つめ合う。二人ともむずかしい顔をして、どう少女に応えるべきか考えていた。大人しい少女だ。でも、ときにはすごく頑固だということも二人は知っている。そうでなければ、シャルロットはオリシスから遠く離れたイスカにまで皆と一緒に来なかったはずだ。
 相談するしかない。それが二人の結論だった。かの人はまたレナードたちを坊や扱いして、それから背中を痛いくらいにたたく。お嬢ちゃんの味方をするのが騎士の仕事だろう。笑いながら、きっとそう言う。

 
 
 
 
  
 



「それで、どうしてレオナがここに来ることになったんだ?」
 幼なじみの声は怒っていて、あきれているようにもきこえた。
 解放軍の住処を転々としているガゼルは妓楼に籠もっている。なじみの娼妓と密会というわけではなく、ここである人物と落ち合うようだ。 ブレイヴとディアスは事が終わるまで時間を潰しているのだが、もうなじみの顔であるからか女たちは客扱いせずに牛酪バターで作った固飴をくれた。ガゼルと比べたら年少のブレイヴたちとはいえ、ここではまだまだ子ども扱いというところか、水色のワンピースを着た少女がちゃんと靴を履いて出てきたのでブレイヴはすこし安堵する。貧困窟の状態はたしかに酷いものの、ここで暮らしている人たちはたしかに生きているのだ。
「レナードたちの荷車に、ロッテが紛れ込んでいたらしい」
 ありのままを話せば幼なじみの眉間に皺が寄った。
「ロッテがいなくなってすぐ追いかけたから、合流できたんだと思う。シオンの手紙にはそう書いてあった」
「それは理由になっているのか?」
 お前は納得しているのかときかれているので、ブレイヴは苦笑して追及から逃れる。なにしろ、彼女たちがイスカを出発して五日が過ぎている。そろそろサラザールに着く頃だろう。
「レオナは貧困街には来ない。王城へと物資を届けてから、すぐまたイスカに戻る」
「じゃあなんでオリシスの少女は忍び込んだりしたんだ?」
「さあ? そこまでは手紙にも書いてなかったな」
 ついにはため息が返ってきた。レオナたちをイスカに置いてきた理由を、幼なじみがわかっていないはずがない。オリシスの少女となればなおさらだ。純真たる少女の目にこんなところを見せてはならないと、ブレイヴだってそう思っている。
「そういうところだけをレオナに似てもらっては困る」
 さすがにレオナはそこまで向こう見ずではないと、そう言いかけてやめた。ブレイヴもディアスも、それからレオナも。シャルロットの事情は知らないのだから、余計な詮索をしたところで答えなど出ない。
「誰も止める奴がいなかったのがおかしい」
「そう言っても、これにはシオンだって一枚噛んでいるわけだし」
 となればレナードたちが断れたとは思えないわけで、ブレイヴはどうにかこの話題から離れようと視線を余所へとやる。妓楼からはガゼルも彼に会いに来た客も出てこない。込み入った話でもしているのだろう。あれは客という名の間諜、サラザールの王城にて何食わぬ顔をして働く騎士である。
「ガゼルの仲間は王国軍にもいるけれど、実際に彼らが動くのはむずかしいんだろうな」
 話が急すぎたのかもしれない。幼なじみは怪訝そうな表情をする。
「サラザールの城下街、この貧困窟だってそうだ。ガゼルに与する者は隠れているし、王城にも潜んでいる。ただ、王国軍に対して圧倒的に数で劣る。だからガゼルは待っているんだろうな」
「お前、ひょっとして後悔していないか?」
 ブレイヴはまじろぐ。そう返ってくるとは思わなかった。
「王政を倒して、この国を王の支配から解放しなければ、サラザールの人々は生きていけない」
 まるで自分を納得させるための声のようだと、ブレイヴは思う。
「王位を継承したばかりの少年王は新たな改革をもたらそうとしている。でも、それでは間に合わない。もう、時がないのかもしれない。次の冬を越す前に民は餓えてしまう。そんなことは、あってはならない」
 イレスダートの北にある城塞都市ガレリアを思い出す。王都からの支援がなければ人々はたちまち餓えてしまう不毛地帯、しかし沃土に恵まれないガレリアであってもここまでひどい状態ではなかった。
「ガゼルたちが決起する。それに乗じて王城へと侵入し、異形の魔道士たちと接触する……、か。回りくどいやり方だな」
 指摘されてブレイヴは苦笑する。あくまでブレイヴたちの目的はそれだ。別に見失っているわけじゃない。
「でも、気がかりだといえば……。お前だよ、ディアス。こんな西の果てまで付き合わせてしまった」
 幼なじみは何をいまさらと、そんな顔でいる。
「俺は自分の意思でここにいる」
「だとしても、家族は心配してる。手紙くらい送ったらいいのに」
「要らない。イレスダートにいないとわかれば、ウルスラはもっと心配する」
 ディアスが国に残してきた妹を案じていることくらいブレイヴも知っている。周辺を意味もなく彷徨いて、そうして妓楼へと戻ってきた。ガゼルはまだ出てこない。さて、どうやってまた時間を潰そうか。思案するブレイヴは建物の隅で光るものを見つけた。
「これは……、首飾り?」
 ちょうど日陰になっている場所だったので、誰も落としものに気づかなかったのかも知れない。しかし、どこかで見覚えのある装飾品だった。瑪瑙にカメオ装飾が施されたそれを持っていたのはたしか――。
「あいつじゃないのか?」
 幼なじみの声にブレイヴは顔をあげる。妓楼から出てきたのは赤髪の青年、デューイだった。


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