四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

いなくなった娘

 教会へと向かっていたレオナは、東から上った煙を見て足を止めた。
 レナードたちはサラザールの王国軍へと物資を届けるために南門に行った。サラザールの王都で唯一の教会は城内にあるので、あとで落ち合う約束をして別れたばかりだった。
 白い長衣を着た教徒たちが炎から逃れるようにこちらに走ってくる。なにがあったのだろう。人の波に呑まれないよう、レオナは少女の手をしっかりと握る。敬虔な教徒は火を恐れる。煉獄の炎に巻かれてしまえばその魂は冥界を彷徨いつづけると、信じているからだ。いま、何が起きているのか。ほどなくしてレオナはそれを理解した。
 すさまじい異臭に吐き気がする。
 レオナははっとしてシャルロットを見た。オリシスの少女は立っているのがやっとのようで、ルテキアに支えられている。レオナの傍付きはどうにかここから離れようとするものの、蜘蛛の子を散らして逃げてきた教徒たちに邪魔されて動けずにいる。東にあるのは教会だ。教徒たちは教会で起こっている《《それに》》巻き込まれる前にこちらへと引き返したのだろう。レオナは震える自身を叱咤して、シャルロットの手を強く握った。
 レナードたちの荷車に隠れて、イスカを勝手に抜け出した少女が何を思ってそうしたのかはわからない。塞ぎがちだったシャルロットが自分の意思でそうしたのなら、自ら話してくれるまで待とうと、レオナは傍付きとうなずき合った。きっと内に秘めた思いが、少女を突き動かしたのだ。それは良い傾向だと、レオナはそう思った。
 でも、彼女が見たかったのはこんな光景なんかじゃない。
 あそこで行われているのは処刑だ。火刑はヴァルハルワ教徒にとってもっとも重い罰だが、信仰深い彼らにとって公開処刑はそれこそ罪を贖うための唯一の方法だとも信じ込んでいる。他者が炎に焼かれるその様を目にするのは恐ろしくもあり、しかし背徳感と高揚感を綯い交ぜにした感情が人々の心を支配している。日々を耐えつづけている民は娯楽に餓えているのが本音で、つまり火刑はそうした人々のための演出なのだ。
 かつて白の王宮から離されて修道院へと身を寄せていたとき、レオナはその事実を知った。
 処刑は見世物であってはならない。箱庭の姫君にそれを教えてくれた修道女は声を震わせながらそう言った。北のルドラスとの戦争を繰り返しているイレスダートでも民は疲れ切っている。処刑場に群がる人々の無思慮な行動には不快を感じるものの、それも現実でしかなかった。
 その娯楽のために集まった人々は逃げ惑っている。
 レオナは意識して魔力の源を探そうとする。強い魔力、それも《《自分とよく似た魔力》》のにおいならばけっして見逃さない。白の少年。異端な力を持ったあの少年が近くにいるとしたら、追い詰められるのはレオナだけだ。
「だめです、レオナ」
 傍付きはレオナに行くなと言っている。たしかにこんな状態のシャルロットを置いてはいけない。でも、と。レオナは口のなかで言う。もしもいま、白の少年が目の前に現れたら、わたしはふたりを守れるだろうか。
「離れましょう。早く、ここから」
 ルテキアに促されて、レオナはうなずいた。そうだ。見誤ってはならない。レオナが為すべきは二人を守ること、たたかうことじゃない。
 レオナはうずくまっていたシャルロットを立たせて、ルテキアと二人で支えながら移動しようとする。白の長衣を着た教徒たちが押し寄せてくる。みんな混乱している。親とはぐれて泣き喚く子ども、突き飛ばされて倒れている老爺もいるのに、誰も助けようとしない。我先にと逃げようとするその姿のなんと浅ましいことか。常日頃から聖イシュタニアの前で己の罪を認める教徒たちの本性はこれだ。
 けれども、いまシャルロットを守るだけで精一杯の自分も彼らと何も変わらないのかもしれない。レオナは下唇に歯を立てる。強い魔力を感じる。罪人を焼くための火は聖なる火種を使うはずだ。これも演出だったのだろうか。業火の炎は人の手によって作り出されたものだ。いや、人とは異なるこの力はおそらくは竜の力だ。
 城の敷地内から出ることは叶わなかったが、教会から離れた場所ならばひとまずは安心だろう。レオナたちとおなじように逃げてきた人たちも、疲れ切ってその場で腰を下ろしている。庭園がつづく向こうには白い建物が見える。離宮だろうか。とにかくいまは早く少女を休ませてやりたい。
「ど、どうしたの? ロッテ」
 貧血を起こしたばかりの少女は立ちあがろうとして、また倒れ掛けた。
「すぐに動いてはだめです。しばらくは安静に」
「ないの」
 レオナとルテキアは同時に目を瞬かせる。
「ないって、なにが……?」
「母さまの首飾り」
 少女がいつも首から提げている瑪瑙の装飾品がたしかに消えている。どこかで落としてしまったのだろうか。だとしたら、戻らなければならない。
「わたしが行ってくる」
「レオナ!」
「だいじょうぶ。ふたりとも、ここに居てね。はぐれてしまったら大変だから」
 ちゃんと戻ってくる。レオナはにっこりとした。シャルロットは不安そうな目を向けている。行ってほしくはないけれど、でも首飾りをなくしたままにはできない。そんな顔をしている。
 少女の首飾りを探しに行くということは、必然的に教会へと近づくことになる。
 恐ろしさはあっても使命感の方が強い。だいじょうぶだと、レオナは自分にもそう言いきかせる。それに、先ほど感じていた魔力のなかに白の少年の力は見えなかった。あの少年には仲間がいるのかもしれない。幼なじみがそう言っていたのをレオナは思い出す。
 二人から離れて歩き出そうとしたレオナの足はすぐに止まってしまう。数人の騎士がこちらに向かってくるのが見えた。先頭には銀髪の老騎士、教徒たちが口をそろえて老騎士を呼ぶ。リンデル将軍。レオナは思わずルテキアを振り返った。
「怪我人や病人を優先して介護せよ。必要な物資があればすぐに手配し、必要とあらば人員の増加を」
 声音は落ち着いた好々爺そのものでも、的確に指示を与える騎士はやはり古豪の将軍だ。レオナは急に早くなった心臓に手を当てる。イスカのシオンは、先にサラザールに旅立った幼なじみたちと手紙で情報のやり取りをしていた。レナードたちに同行し、王国軍へと接触する際に交わしたいくつかの取り決めのひとつ。リンデル将軍には近づくな。まさか、向こうから近づいてくるとは思いもしなかった。
「気分が優れないのなら、我が邸ですこし休むと良い」
 老将軍は座り込んでいる少女を認めて手を差し伸べる。他意のない親切心からの声でも、いまは煩わしく感じてしまう。
「いいえ、それには及びません。私たちは巡礼者です。これから教会に向かわねばなりません」
「それは無理な相談であるな。あそこはしばし立ち入り禁区内に置かれる。関係者といえでも近づけまいよ」
 リンデルはルテキアを見てからレオナを見た。
「ふむ。そなたらはイレスダート人、しかしうしろのその娘は」
「わたしの遠縁の子です。探しものをしている途中で、巻き込まれて……」
「探しものとは?」
「……瑪瑙の、首飾りを」
 嘘を重ねること自体が得意ではないレオナだ。どうせ逃げられないのなら正直に話してしまおう。ところが、リンデルは目顔で麾下を呼ぶ。騎士の手にはたしかにシャルロットの首飾りがあった。
「私はその娘を知っている」
 リンデルの言葉に、レオナは驚きを隠せなかった。



 






 リンデル将軍の邸はサラザール城の敷地内にある。
 王宮に教会、騎士団に所属する者に官吏たちの邸宅まで有する城内はかなり広いので、徒歩での移動はまず不可能だった。客室のカウチでレオナもルテキアも黙したままでいる。レナードとノエル、それにアステア。彼らと落ち合う時間はとっくに過ぎてしまったし、戻ろうにもそのための手段もなかった。
 どうにかして、自分たちの無事をレナードたちに伝えなければ。膝の上で作っていた拳を、ルテキアがやさしく重ねてくれる。
「大丈夫です。彼らも騎士です。なにがあったのかを把握しているはずですし、自分たちのやるべきことをわかっているはずです」
 レオナはうなずく。傍付きはレオナよりもずっとレナードたちをよく知っている。ブレイヴたちと合流して仔細も伝えてくれる。それによって幼なじみに心配を掛けてしまうと思うと心苦しくとも、あの場は他にどうしようもなかった。 それに、と。レオナは寝台で眠る少女を見る。少なくともシャルロットはゆっくり休めたのだ。医者も呼んできて診てもらえたのだから、リンデルには感謝するべきだ。
「悪い人物ではありませんが、彼は王国側の人間です」
 ルテキアの言いたいことはよくわかる。そう、問題はこれからだ。レオナたちはリンデルに保護された巡礼者、イスカに戻りたくてもまずは事情を説明する必要がある。
 任せてください。ルテキアの目がそう言っている。嘘が下手なレオナよりも傍付きはずっと頼もしい。
 扉をたたく音がして、侍女が入ってきた。香茶のお代わりを持ってきてくれたのだろう。皿に並べられた焼き菓子にも手を付けていなかったので、悪いことをしてしまったのかもしれない。すっかり冷めた香茶をさげて、侍女は新しいカップに香茶を注いでくれた。レオナの向かいにはもうひとつカップが用意されている。リンデル将軍だ。
「正しくは、あの娘の母親を知っている、だ」
 香茶を飲み干すと、リンデルはそう言った。ここに連れて来られる前にリンデルはシャルロットを知っている素振りを見せた。逃げるべきではないと判断したのは、リンデルの言葉があったからだ。
「昔、ガゼルという男がこの城にいた」
 レオナはどきりとした。その男の名は、サラザールに敵対する叛乱軍の指導者だ。解放軍を名乗っている彼の元に幼なじみたちはいる。リンデルがそれを知っているとは思えなかったが、あまりに突然過ぎた。
「下流貴族出身の男で、本人は騎士などにはなりたくなかったのだろう。粗野で教養もない男だったが、同年代の騎士や年下の騎士には好かれていた。その押し出しの良い性格は私も嫌いではなかったし、他にも彼を好いた者は多数いた」
 叛逆者に対する言葉とは思えず、どちらかといえばリンデルの声は、親が子を語るときの声に似ている。
「すまない、話がすこし逸れてしまったな。そうだ。あの娘の母親を私は知っているのだ。ガゼルの妻に仕えていた娘――、蜂蜜色をした髪も薄藍の瞳もよく似ている。なによりも、あの瑪瑙の首飾りをいつも大事にしていた。自分と夫の二人、おなじものを持っていたのだ」
「では、その方がシャルロットのお母さま……」
 レオナのつぶやきに、リンデルはなぜか気まずそうに視線を逸らした。
「確証はない。なぜなら、あの娘はサラザールから消えてしまった。もう十五年は前のことだ」
「それは、どうして……?」
「離宮に呼ばれてしまったからだ。あの娘には夫と息子がいた」
 レオナは目を瞠った。夫君も子どももいる女性を離宮に閉じ込めるなど、イレスダートでは考えられなかった。リンデルの声はそれだけでは終わらない。信じがたき事実がつづけられる。
「戻りたかったのだろう。ガゼルの妻が急死したあと、王宮に居場所がなくなったかと思えば離宮に押し込められた。私は前王に娘の行方を捜すように申しつけられたが、すでに娘はサラザールから去ったあとだった」
 声を失ったレオナにリンデルは無理に笑みを作って見せた。どうしてそんな話を自分たちにしたのだろう。オリシスの少女の面影にかつての娘を見たのかもしれない。だとしたら、おそらくはリンデル自身の贖罪だ。サラザールという国をめちゃくちゃにしたのは歴代の王たち、麾下として王に仕えるリンデルは、同時に国と民を守るという使命もある。
 どちらかひとつだけしか守れない。だからリンデルはいまも王の傍にいるのだ。



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