四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

彼女は、獅子の傍らに立ちつづける

 誰もが皆、生まれながらの戦士だった。
 男も女も、子どもも老人も、強くてたくましい。ラ・ガーディアの国のひとつ、最南のフォルネ、隣国のウルーグにつづいて建国されたイスカは、戦士たちの国だ。
 はじめに荒れ地の民が住んでいた。
 四兄弟の真ん中、イスカルが生まれた荒野は作物もろくに育たない不毛地帯が広がっている。嵐が来ると畑は駄目になり、藁で作った粗末な家も吹き飛ぶので、荒れ地の民はそのたびに黒馬を連れてまた別のところへと移動する。イスカルもそうやって、この地で生きてきた。
 荒れ地の民は集団で移動するため仲間意識が強く、しかしその反対に余所者には敵愾心を剥き出しにする。イスカルは最年長のおばばが守ってくれなかったら、とっくに殺されていたかもしれない。なにしろ、イスカルの父親は余所者だ。勝手に村にやってきて、村一番の美しかった娘を連れて行った。愛娘を奪われたと赫怒かくどしていた村長むらおさは、その一年後に大きなお腹を抱えて戻ってきた愛娘を見てさらに怒り狂った。産後の肥立ちが悪かったのだろう。イスカルが一人歩きするよりも前に母親は他界した。
 イスカルが他の兄弟を知ったのは、彼が壮年の歳に差しかかった頃だ。
 長兄フォルはくすんだ色の金髪に灰褐色の瞳をして、その隣で微笑んでいたウルも金糸雀カナリア色の髪と翡翠色の瞳が美しかった。兄たちはイスカルよりも華奢で見るからに弱そうで、しかし弁舌はイスカルよりもずっと長けていたため、イスカルは彼らの話に夢中になった。疑いもせずに兄たちの声を信じたのはイスカルが純粋だったから、それに容姿はまるで似ていなくとも彼らとはおなじ血が流れている。余所者扱いされてきたイスカルにとって、それは希望にも似た光だったのだ。
 もう一人の弟を探しに行こう。
 兄たちに促されて、イスカルは荒れ地を旅立った。されども、末っ子のサラザルだけはなかなか見つからずに、やがてイスカルは荒れ地へと戻った。ただ一人、イスカルの味方をしてくれていたおばばは亡くなり、威張ってばかりだった村長も若者たちに殺された。村人同士で揉めていては、他の集落から攻め込まれてしまう。
 イスカルは武器を持たずに対話をつづけたが、長兄フォルのようには上手くいかない。仕方なく若者たちと拳でやり合った。そのうち彼らはイスカルを長として認めるようになった。
 末弟サラザルが見つかり、四兄弟が揃った。兄弟は西の大地に四つの国を築き、それぞれが治めるようになった。荒れ地の民を制したイスカルは獅子王と呼ばれ、その名は後世に伝わる。大きな獅子を仕留めたイスカルの伝説を荒れ地の民の子どもらは憧憬する。荒野を統べるイスカルの血は受け継がれていく。南はウルーグ、北はサラザールに挟まれた国、イスカ。シオンもまた、彼の血を受け継いだ一人の戦士だ。
 イスカの雨期はわずかなあいだだけだ。じきに肌を焼く強い陽射しと熱風がイスカの大地を襲う。イスカの戦士たちは馬を育てる傍らで畑を耕す。長時間の肉体労働はイスカの子どもらの身体と心を強くする。鍛えあげられた筋肉、褐色の肌、濡れ羽色の黒髪。どれもイスカの戦士たちの証で、彼らの誇りでもある。
 収穫の秋などすぐに終わってしまう。そのうちイスカの大地に霜が降りて、長い冬がはじまる。雪がちらつけば戦士たちは蓄えた食糧だけで耐えしのぎ、嵐が収まるのをひたすらに待つ。やっと春を迎えたと思えば、またすぐに夏になる。その繰り返しだ。
 だからこそ、この国の人々は強い。シオンはそう思う。
 温暖な気候と肥沃な大地に恵まれた隣国ウルーグとはちがう。ウルーグの人間はたしかに馬を育てるのが上手いが、しかしイスカの黒馬も引けを取らない。そう、シオンは教え込まれてきたし自身もそれを感じている。いざ戦闘がはじまれば、蹴散らされるのはウルーグの馬の方だ。
 シオンはずっと獅子王の傍らにいる。
 イスカの戦士たちを統べる王、先代の獅子王はシオンの父親だった。シオンがもしも男児に生まれていたならば、次世代を担う者としてその座を継いでいたかもしれない。シオンは微笑する。いいや、それはない。イスカはフォルネやウルーグ、またはイレスダートなどの他の王国とはちがって、世襲制を設けてはいなかった。
 獅子王の傍らにずっといると豪語したシオンだが、時として傍を離れることはままあった。
 戻ったら説教のひとつやふたつくらいはきかされるだろうか。それとも、この目で見届けることが叶わずに戻ってきたシオンを叱りつけるだろうか。どちらもないな。シオンは口のなかで言う。いわば自由に動けない獅子王の代わりだ。もしも王の座に着いていなかったなら、真っ先に駆けつけていたのはあの男の方だろう。 
 蒼穹の青には一点の曇りも見えない。モンタネール山脈から吹き付ける風は冷たく、もうじきイスカに冬が訪れる。
 シオンは草原を西へと馬を走らせていた。脇目も振らずに飛ばしすぎたのかもしれない。うしろにつづくのはたった三頭、イスカの王城を出たときにはもっと数がいたのだがいつのまにか引き離してしまったようだ。子どもではあるまい。じきに戻るだろう。置き去りにしてきたイスカの戦士たちも馬の扱いには長けている。彼らを案じるよりも、シオンは早く王の元に戻らなければならない。
 シオンは東を見た。モンタネール山脈はすでに白く染まっている。まもなくこの大地も真白の色に変わるはずだ。そうなれば雪に足を取られて、まず馬が使いものにならなくなる。屈強なイスカの戦士たちは己の足でウルーグへと向かうとはいえ、それでは遅れを追ってしまうし、凍傷で離脱する者も増える。重鎮たちの口喧しい説教を思い出して、シオンは苦虫を噛み潰したような顔をする。あれを黙らせるには弁舌の長けた人間でなければ太刀打ちなんてできない。
 三日をかけてようやく帰り着いた。石造りの建造物が立ち並ぶそれらは雨に耐え、雪も嵐にも耐えて、自然から人間を守ってくれる頑丈な造りだ。ここにイスカの歴代の王は座してきた。最初に荒れ地にイスカという国を作ったイスカルが築いた城、何度も改築を重ねた王城は堅固であり、外からの侵入を許さなかった。
 だが、どんな堅固なものでもどこかに欠点はあるものだ。シオンは身を以てそれを知っている。過去を思い出したのはなぜだろう。シオンにとってもっとも親しい友と呼べる男が、イスカの大地に還ってこなかったからだ。
 回廊を行き交う戦士の姿はほとんど見られず、皆はいくさの準備に急いでいるのだろう。
 のこりの文官たちは狭苦しい部屋のなかで鳩首し、くだらない弁論を繰り広げているのだと思うと、シオンは反吐が出る思いだった。では、おそらくはまだ獅子王も奴らに拘束されているはずだ。
 シオンはすこし遠回りをして祈りの間へと入った。小部屋の奥には青い旗が掲げられている。そこに描かれているのは四つ葉と獅子だ。
 シオンは膝を突いてまず頭をさげた。左手を開き、右手には拳を作る。それは戦士の祈りの動作だ。もう一揖して、それからまた歩みを進める。途中でシオンの帰りをいまかいまかと待っていたであろう側女そばめと会った。シオンが幼少の頃に傍にいた側女はとうにいなくなったが、その血縁者である側女はシオンよりも十歳ほど若い。妙齢を迎えた娘だが前の側女よりも落ち着きがなく、いつもおろおろとしている。
「奥方様、いえ……シオン様。お帰りなさいませ」
「スオウはどうした?」
 勝手に王城を抜け出したのに謝罪すらない。内心でため息をしたらしく、側女はふた呼吸空けてから首を横に振った。
「シオン様。湯浴みの準備はできています。着替えもすぐにお持ちしますので」
「かまわん。このままでいい」
 にべもなく、シオンはふたたび歩き出そうとした。そのとき、子どもがシオンの前に進み出た。話が終わるまで側女の足元に隠れていたのだろう。
「いまは勉学の時間ではなかったのか?」
「母上が、もどってくるときいたから……」
 子どもはばつが悪いのかまた側女のうしろに引っ込んだ。シオンは肩を竦める。雷のひとつでも落としてやりたいところ、しかしシオンも身に覚えがある行為だったので叱れなかった。
 シオンは目顔で子どもを呼ぶ。濡れ羽色の黒髪、黒曜石のような瞳。シオンと獅子王から引き継がれた色だ。太眉と目は獅子王に似ているが、側女に言わせれば口元はシオンにそっくりらしい。おっかなびっくりシオンに近づいた子どもの頭を撫でてやる。母親らしく抱きしめてやればよかったものの、甘やかせるつもりはなかった。この子もイスカの戦士だからだ。
 シオンは行き先を告げずに二人に背を向けた。急に王城を飛び出したシオンがなぜまた戻ってきたのか、二人ともわかっているからだ。
 自分が戻るまで待てないような重鎮たちを、獅子王一人が抑えきれるはずがない。
 募る苛立ちを抑えながらシオンは地下を目指す。聖堂へとつづく扉の前で守卒に剣を預けた。守卒の目顔で先客がいることをシオンは知る。
「あれはいつ来た?」 
「小一時間ほど前です」
 簡素な言葉だけで返した守卒は仕事に抜かりがない。この先にいるのは軍議を途中で逃亡した獅子王ではなく、一人の戦士だとシオンにそう告げている。
 松明を受け取り、シオンはさらに地下へとおりて行く。ここから先へと行けるのは二人だけ、シオンの息子が成人すれば三人に増えるがその前にシオンたちの方が先にこの聖堂へと祀られるかもしれない。戦って死ぬ。それこそ、イスカの戦士の本望だ。
 だが、シオンの友はそれすら叶わなかった。
 怒りで肩が震える。視界が滲むのを歯を食いしばって耐えた。シオンは女の前に戦士である。うら若い女の時分はとうに過ぎていたし、涙など見せようものならば先に逝った友に笑われてしまう。
 聖堂へとつづく階段は細く狭いため、壁に身を押しつけるようにして下っていく。底冷えがしてきた。怒りで煮えたぎりそうになった頭も、落ち着かせるにはちょうど良いくらいだった。しかし、シオンはここがどうにも好きにはなれなかった。
 没薬ミルラのにおいがする。聖堂へと近づくほど甘ったるい香のにおいが強くなる。没薬ミルラの精油を好んだのは初代王イスカルの妻だというが、シオンには考えられない。先に逝った妻の御霊を慰めるためだったのだろうか。イスカルの遺志を継ぐ歴代の王たちは、律儀にその掟を守っている。獅子王――スオウもそうだ。
「やはり、ここだったのか」
 返答はなかった。王はシオンに背を向けたまま身じろぎさえしなかった。祈りの途中なのだろう。スオウはまだシオンに気がついてもいない。
 仕方がないので終わるまで待つことにした。イスカにはイレスダートのような神という存在がない。では、何に対して祈っているのか。答えは簡単だ。天とイスカの大地にだ。
 死者を冒涜する気はなくとも、この辛気臭い場所にはあまり長居したくないものである。死んでしまった者を慈しむ心も、死を悼む心も持ってはいても、過去は人を縛り付ける楔となるのだ。シオンは知っていた。王がここへと足を運ぶとき、それは悔恨を意味しているのだと。
 シオンの前にいる男はこの国で最も強く、そして勇敢な男だ。短髪のシオンとは対照的に彼の髪は長い。いくさのときに邪魔にならないようにと一応は括ってあるものの、長々と鬱陶しいので切れと何度もシオンは口出ししている。そのたびに彼は苦い笑みで返すだけ、獅子王の座に着いてからずっとそうだ。
「あれから、三年がたった」
 低音が反響する。長い祈りを終えて顔をあげたスオウはまだ振り返らず、しかしそこにシオンがいたのは気がついていたようだ。
「私たちはまたおなじ過ちを繰り返そうとしている」
「おなじではない」
 シオンは反論する。
「戦士同士の争いはたしかに醜く、際限がなかった。だが、今度の相手はちがう。隣国だ」
「私たちは、家族の次に兄弟と戦わねばならないのか?」
 その偉丈夫でずいぶんと女々しい言葉を吐く。シオンは鼻で笑った。
「裏切りに対して屈してはならない。イスカの掟を忘れたのか?」
「ならば、骨肉の争いをつづけてはならない。その掟もまた破ってしまうな」
 シオンは拳で壁をたたきつけた。スオウのため息がきこえる。
「シュロは死んだ。それがすべてだ」
 殺されたとは言わない。シオンはシュロの遺体を確認する前に帰って来るしかなかった。ウルーグの王女から密書が届いた。その知らせを受けて、シオンはスオウを止めなければならないと思った。
「エリンシアは何を寄越してきた?」
「……謝罪と、それから弁明だ」
「何をいまさら」
「シュロは返す。しかし、ウルーグのエドワードは私と会いたがっていた」
 過去形だ。ウルーグで囚われたシオンの友は人質として使うつもりだったのだろう。
「だが、裏切られた」
「エリンシアは賢い娘だ。過ちを犯すとは思えない」
「結果がすべてだ」
「思い出せ、シオン」
 諭されたが、思い出せたのはウルーグの王女の容姿だけだ。金糸雀色の美しい髪、翡翠色の瞳、温和で可憐な少女。およそ人など殺したことのない濁りのないその目。
「エリンシアの隣には、ウルーグの鷹がいる」
 王女の弟エドワード、エディと名乗った少年。あれは鷹だ。相手が獅子であろうとも臆さずに平気で射殺す。
「重鎮たちは何と言っている?」
 シオンはスオウから視線を外すとともに、話題を変えた。
「開戦の要求を」
「だろうな」
 シオンも同意見だ。なにより、スオウ自身が一番良くわかっているはずだ。二人の友、シュロはしくじった。族長に従っていたイスカの戦士たちも帰らなかった。イレスダート人の軍師がどうなったかも、シオンは知らない。だが、もう止められないところまで来てしまった。そのことだけは理解できる。
「私が先に出る。お前は、重鎮たちを説得しろ。口ではああ言っているが、戦力のすべてを獅子王に預けるつもりのない奴らだ」
 スオウが顎を引く。
「私たちはあの日からずっとおなじ過ちを繰り返している。だが、これで終わりにしよう。それが、私の役目だ」
「ああ、わかっている」
 獅子王としての声をスオウはする。シオンはうなずいた。
「迷うなよ、スオウ。お前が揺らげば戦士たちの士気に関わる。若い奴らは皆、お前の背中を見ている。ウルーグは敵だ」
「お前はいつも厳しいな」
「それから、二度とエリンシアの話はするな。……次は、お前の首を私がたたき斬るぞ」
 スオウがまじろぐ。シオンは一歩スオウに近づき、その胸を拳でたたいた。
「安心しろ。イスカはけっして負けない。けれども死ぬときまで、私はお前の傍らに立ってやる」


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