三章 微笑みと、約束と、笑顔と

白い光

 はじめて魔法の力を見たのはいつだっただろう。
 白の王宮、その離れの別塔には幼き姫君が隠されている。アズウェル王の末子レオナの周りにいるのは乳母と守り役の老騎士、それからわずかな侍女だけだ。母親の異なる兄妹たちは毎日は会いに来てくれないし母親だっておなじ、だから彼女はずっと部屋のなかで一人きりだった。
 幼い姫君を外へと連れ出したのはブレイヴだった。
 お部屋にばかり閉じこもっていないで、僕といっしょにあそぼうよ。ちいさな王女の手を握ると、彼女は戸惑いながらも付いて来てくれた。わんぱく盛りの公子とお転婆な王女と、白の王宮でそう噂されるようになるのも、それからすこしあとのこと。たくさん遊んだし、ときどき怪我もした。そんなとき、彼女は言ってくれる。はやく、なおりますように。ちょっとしたおまじないでも、次の日には傷はすっかり癒えていた。
 彼女は光を作り出せる。
 マイア王家は竜の血と力を受け継ぐ一族だ。その身に宿す魔力は宮廷魔導士を遥かに凌ぐと言われているものの、しかしブレイヴの幼なじみは癒しの魔法しか使えなかった。ちいさなひかり。あったかくて、やさしいひかり。きれいだね。そう言うと、幼い姫君は恥ずかしそうに微笑んだ。ブレイヴはこの光が好きだった。
 あのときと、おなじ光をブレイヴはいま目にしている。
 いや、ちがう。これは彼女の怒りであり、または哀しみであり、そして嘆きと絶望のひかりだ。
 白い光が見える。
 天から降り注ぐのは無数の光の刃だ。最初にサリタの市民へと剣を向けていた騎士が頭を撃ち抜かれた。人々は光を見る。白い光が、槍のように地上へと降ってくる。
 そこから逃げようとしても無駄だ。脚を撃たれた者はもう走れなくなるし、肩を貫かれた者は痛みにのたうち回っている。まるで、雷槍だ。ブレイヴは口のなかでつぶやく。罪深き人間が神の怒りに触れたときのように、敬虔なヴァルハルワ教徒はことに雷を恐れるというがまさにそれだ。この光からは、逃れられない。
 イレスダートの前王アズウェルは雷を扱えるときいたことがある。
 ブレイヴの父親は一度だけ、聖なる光を見たと言っていた。それはまさしく神の怒りだった。いや、そうじゃない。ブレイヴはかぶりを振る。彼女レオナがあの力を使うのは、誰かを守るときだけだ。
 誰かに呼ばれたような気がして、ブレイヴは顔をあげた。
 クライドとディアスが戦っている。レナードとノエルがルテキアを助けている。ブレイヴを踏み付けていた騎士がいなくなっている。逃げたのだろうか、それとも死んだのだろうか。ランドルフの姿は見えない。そして、彼女は――。
「公子!」
 ブレイヴに襲い掛かろうとした騎士の身体が吹き飛んだ。魔道士の少年がこちらへと走ってくる。アステアは風を起こしてちいさな竜巻を作り出す。初歩的な風の魔法でも、あれに巻き込まれたら皮膚がずたずたになってしまう。
「公子、無事ですか?」
 ブレイヴはうなずく。光は止んでいたが、逃げ惑う人々とブレイヴたちを捕らえようとする騎士たちで混乱している。
「レオナは……?」
 ブレイヴは彼女を探す。王女のすぐ近くにはあの男がいたはずだが、やはり姿は消えていた。撤退命令を叫んでいるのも指揮官の声ではなかったし、すでに統率力を失った騎士たちは皆ばらばらに逃げている。王女よりも聖騎士よりも、まず自分の命を優先する連中だ。ブレイヴは失笑しそうになった。
「あそこに……!」
 アステアが先に見つけてくれた。ブレイヴはうつ伏せに倒れていた幼なじみを抱き起こす。
「レオナ」
 呼びかけてもまったく反応がない。ブレイヴの呼吸が止まる。目立った外傷は見当たらなかったものの、しかし彼女の身体がひどく冷たい。まるで体温を感じられないのだ。
「公子」
 アステアの声がする。魔道士の少年が栗毛の少年を抱いている。
「この、子どもは……」
 魔道士の少年は笑おうとして、けれどもうまくいかなかった。ルテキアが来て、血の繋がった姉弟にするみたいにアステアの肩を抱く。二人とも涙を零していた。
 ブレイヴはすべてを見ていたわけではなかった。それでも、幼い子どもが斬られたその瞬間も目にしていたし、レオナはこの子どもを守ろうとしていた。あのときと、おなじ。ブレイヴは瞼を閉じる。白い光が見える。あれは、彼女の本来の力だ。目覚めさせてはならなかった、力。いったい、いつまでおなじことを繰り返せばいいのだろう。
 化け物だ。ブレイヴの背後で声がする。サリタの住民か、それとも王都の騎士だったのか。その声は、しばらくブレイヴの耳から離れてはくれなかった。










「まったく、とんでもないことしてくれましたね」
 声音は穏やかで唇の形も笑みを描いているものの、しかし丸眼鏡の下は笑っていない。
「死亡者は三十人ですか。そこにサリタの住民は含まれていないとはいえ、一連の騒動で怪我人も多数出ていますね」
 まるで他人事のような物言いだ。自分の街の住民たちではないのか。ブレイヴはそういう目顔をする。黒髪の丸眼鏡の男に老爺が囁いた。
「ああ、子どもも含まれていましたか。おかわいそうに」
 ブレイヴはため息を吐きたくなるのをぐっと堪えた。ここにルテキアが居たらそのまま殴りかかっていたかもしれない。
「ともかく、迷惑なのですよ。あなた方は」
 王命によりサリタに接触する他国の公子、白の王宮の密命によりサリタ攻略に乗り出した騎士、それからイレスダートを追われた聖騎士。だが、これで良い厄介払いができたことだろう。
 ブレイヴは市長を見る。混乱が収まるより早く、市長の使いの者が来た。手にはしっかり武器が握られていた。客人などとんでもない。捕らえられたのがランドルフから市長へと変わっただけだ。
 宿舎へと連れて行かれてそのまま放置されるかと思っていたが、小一時間もしないうちに市長はここに訪れた。カウチに腰を沈めるとつづいて入ってきた老爺が香茶の用意をする。午後の優雅な時間さながらに、市長はまず香茶をたのしんだ。食えない男だ。それが、ブレイヴが最初に市長に対して持った感想だった。
 正面で市長と向かい合っているのはブレイヴだけ、ディアスもクライドもその背後に控えている。まだ目覚めない王女の傍にはルテキアが付いていて、レナードたちは傷の手当てをしているところだ。いますぐに出て行けと言われても困る。
 市長がくつくつと喉を鳴らして笑った。こちらの事情など知ったことはないと言わんばかりの顔をする。
「まあ、これで貸し借りはなしというわけです。そう心配なさらずとも、すぐに追い出したりはしませんよ」
 ブレイヴはうしろを振り返った。市長の視線はブレイヴではなくディアスを向いていたからだ。王女を迎えに行くより先にディアスは姿を消していたが、ブレイヴは幼なじみを問わなかった。そういうことか。ようやく合点がいった。上流階級の住居付近を合流地点にしたのも、彼らが裏切ると想定していたのだろう。そして、ブレイヴはランドルフに引き渡される。処刑がはじまる前に市民が暴動を起こす。彼らの描いた脚本はこんなところだろうか。
 ブレイヴは拳の震えを押さえる。自分はともかくとして、彼女も危機に晒してしまった。それに、完全に無事だったとはいえない。レオナはまだ眠ったままでいる。
「それでは、ここで失礼しますよ。いろいろと後始末が残っていますのでね」
 後始末。ブレイヴは口のなかで言う。この一連の責をイレスダートに問うこともできるのに、丸眼鏡の男はきっとそうしない。秘書の老爺はブレイヴを責める目をしているし、そうするべきだと目で訴えている。サリタは、自由と権利を象徴する都市だ。賠償金を求めるのは簡単で、しかしそれ以上の関わりはのちに響く。そう考えているのだろう。
「それで? サリタはこのあとどうするつもりだ?」
 退出しようとする市長にディアスが問う。丸眼鏡の男は癖のある笑いをした。
「どうもしませんよ。アナクレオン陛下のお心遣いには感謝致しましょう。しかしながら、その結果がこれです。市民は到底納得しないでしょうねえ」
「あなたはもっと賢い方だと思っていた」
「ふふっ。私も人間ですからね。ですが、誤解なさらないでください。自分たちの身は自分たちで守ります。東も西も、勝手に戦争をすればいい」
 扉が閉まる。退出する市長と秘書を見送って、最初にため息をしたのはクライドだ。
「なかなか面白い男だ。ああいうのが統治者には向いているのだろうな」
 ブレイヴは苦笑いで返す。押し出しの良い人物であることはたしかだが、どうにもクライドらしくない物言いだ。彼も疲れているのかもしれない。それよりも――。
「陛下は、サリタを欲していたのだろうか?」
「以外だな。お前がそんな言い方をするとは思わなかった」
「はぐらかすな。俺は、そうは思えない」
 これでは平仄ひょうそくが合わない。
「あわよくば、と言ったところだろう。盟約が交わされたらそれ以上サリタに手出しは出来なくなるからな。もっとも……陛下が本気なら、そもそも俺はここにいない。だが、お前の言うとおり、保護を支配と言い換えるなら話は変わる。けっきょく、市長は飲まなかったが」
 ブレイヴは膝の上で作っていた手を組み直す。たしかにそうだ。本気でサリタを奪うつもりならば最初からランドルフを放置している。あの男はどこに逃げたのだろう。市長にきくのを失念していたが、もういい。それよりも、ブレイヴはジークの詳細が知りたい。前もって市長へと訴えていたのに何も回答がなかった。ブレイヴの麾下は見つからなかったのかもしれない。
 扉をたたく音がした。入室の許可を伝えれば、魔道士の少年がひょっこりと顔を覗かせた。 
「ああ、お話は終わったようですね」
「アステア。……レオナは、まだ」
 魔道士の少年はやわらかく微笑む。
「眠ったままです。でも、心配は要りません。急に大きな魔力を使った反動です。身体が冷たくなっているのも、そのせいかと」
「レナードとノエルは?」
「こっちはもっと心配ないです。二人ともあの人たちに殴られたところが、ちょっと腫れているだけです。大袈裟に痛がるので、ルテキアさんに怒られていました」
 処刑の前に二人とも暴れたらしい。ブレイヴも釣られてちょっと笑った。
「それで? この先は考えているのか?」
 クライドだ。ブレイヴは異国の剣士を見て、それから次にディアスを見た。
「カナーン地方を西に抜ける」
「ラ・ガーディアへと入るのか?」
 ブレイヴはうなずく。
「ああ。ラ・ガーディアの最南フォルネに入る。その先のウルーグかイスカか。そのどちらかからモンタネール山脈へとたどり着けるはずだ」
 円卓には地図が載っていなかったが、皆の頭のなかにはちゃんと地形が確認されているようだ。
「モンタネール山脈……。その先は、グラン王国ですね」
 さすがは魔道士の少年だ。理解が早い。
「そうだ。グランは賢王と名高いカミロ王が治めておられる。良き知恵を授けてくれるし、これから先も道を示してくれると思う」
 イレスダートには戻れない。かといって、このままサリタに留まるのも不可能だ。残された道はそう多くないことを、ブレイヴはちゃんとわかっている。
「グランと言えば、あの男か」
 ぼそっと、独り言のようなつぶやきをブレイヴはきき逃さなかった。
「ディアスはレオンが苦手なのか?」
「そういうわけではないが、あれは声が大きい」
 噴き出しそうになって、堪えた。アステアがきょとんとしている。答えを求めてクライドを見たが、異国の剣士もグランのレオンハルトは知らないだろう。王都マイアの士官学校。イレスダートの人間だけではなく、西のラ・ガーディアや山岳地帯のグラン王国からも騎士を志す者が集まってくる。レオンハルトはカミロ王の子、つまり王子であるがそういう者も稀に士官生に混じる。グランのレオンはいろんな意味で有名だった。
 ブレイヴは渋面を作っている幼なじみを見る。
 一緒に来てくれるのだろうか。きかなかったんじゃなくて、きけなかった。ディアスは王命でこのサリタに来た。その先は何も命じられてはいない。
 でも、と。ブレイヴは声を留める。幼なじみはブレイヴをともにあろうとする。そのすぐ横で、話題に飽きたのか外を見ているクライドもそうだ。
「公子。僕も、一緒に行きますからね」
 忘れないでくださいね。魔道士の少年が言う。
「セルジュのことは、いいのか?」
 アストレアの魔道士が国を出ているのも、韜晦とうかいしたかの人物を探すためだ。
「いいえ。諦めたわけじゃありません。でも……、もうイレスダートにはいないような、そんな気がするのです」
 アステアはアストレアの名家エーベルの子だ。一緒に来てくれるなら心強い。喋っているあいだにディアスが部屋から出て行った。レオナのところに行ったのだろうか。でも、目覚めない彼女にブレイヴたちがしてやれることなんて、何もない。
 無力だな、とブレイヴは思う。
 作っていた拳を解く。この手は、彼女を守るためにあるというのに、どうして守れなかったのだろう。
 ラ・ガーディアを抜けてグランを目指す。そうして、いつの日かブレイヴはふたたびイレスダートへと戻ってくる。そのときには、ブレイヴは叛逆者だ。それでも、いい。ブレイヴは必ず、幼なじみを王都へと帰す。あの白の王宮の箱庭がレオナのあるべき場所だ。だから、ブレイヴはそのための力を欲する。そのためには、どこにだって行ける。  


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