一章 イレスダートの聖騎士

確執


 指揮官に与えられる部屋は兵舎の奥にあたり、そこはそれなりに広い。ブレイヴはまず遅れたことを詫びてそれから要件を問うた。しかし、返答はすぐにはなかった。ブレイヴの視線は床へと落ちる。
 そこここに転がっているのは空の瓶だ。ガレリア産の葡萄酒にオリシスのものもある。わざわざ南の公国から取り寄せたのだろう。部屋に入ってすぐに鼻についたのは酒精アルコールのにおいで、しかし外はまだ充分に明るい。それなのにカウチに沈んでいる上官の顔はすでに赤く、目もどこか虚ろだ。その上、ブレイヴが部下を伴い入室しても、その手はグラスを離さずにいる。いま一度、要件を伺うことにした。おなじ声を二度するのは面倒ではあるが致し方ない。すると、すぐに舌打ちが返ってきた。一応、耳はちゃんときこえているらしい。上官はブレイヴを睨みつけている。
「聖騎士殿は呼び出されなければ報告を怠るのか?」
嫌みたらしい物言いは不快ではあるもの、そうこられては頭を低くするしかない。
「はっ。申し訳ございません」
 報告は常々行っていたのだがここは早々に折れるのが無難だろう。ブレイヴは己の感情とは反対の所作をする。後ろから無言の圧力を感じていたからだ。控えているふたりの従者、そのひとりはブレイヴよりも年長である。声はなくとも諫める言葉はきこえてくる。ここで誤れば後で説教をされるのはブレイヴだ。
 しかし、この光景はいくらか奇妙なものだった。
 ブレイヴの祖国アストレアはいかに小国といえどイレスダートの公国のひとつであり、ブレイヴは公子という身分にある。その歴史は浅くともブレイヴは聖騎士の称号を下賜されているし、いまのガレリアでは誰よりも指揮官にふさわしい立場だ。そうしなかったのは目に見えない上下の関係を優先させたまでのこと、なにより国王アナクレオンはブレイヴにそれを命じなかった。ブレイヴも新来者が厚顔でいるつもりもなく、面倒を持ち込みたくもない。ただ、こうして逐一呼び出されるのだから謙虚にしていてもたいした意味もないのかもしれないが。
 ブレイヴの視線はまだ下にある。上官の許しがあるまでこのままだ。形だけの陳謝などさして怒りはなくとも不信感は増すばかり、もっとも嫌悪の方が勝っていることにブレイヴ自身も気がついていなかった。
 このランドルフという男は王都マイアの上流貴族のひとりだ。
 もとは没落貴族でありながら二代でその地位を覆したというから、そのくだりはブレイヴと似ているが本人は認めないだろう。若い頃にはそれなりに苦労をしたらしいものブレイヴは仔細を知らず、どうであれいまが肝心なのである。おなじ労苦を要求されているのかもしれないがそれこそ迷惑な話、こうしたやり取りもただの嫌がらせにしか見えない。 
「なに、貴公を呼んだのは真意をたしかめたかっただけだ」
「真意、ですか?」
 やっとブレイヴは姿勢を戻した。ランドルフは底意地の悪い笑みを浮かべている。やたら幅の広くて四角い顔でも異様に大きい鷲鼻が印象にまず残る。次に目が行くのは顎を覆う髭だろうか。手入れのひとつもしていないのか清潔感などまるでなく、見た者をやはり不快にさせる。目と唇の形もどうにもいびつで、しかし眼光はするどく攻撃的だ。性格も容貌をそのまま写したように凶暴にて強欲、他人があげた功績を横取りするような男である。そのくせ、いざ戦闘となれば自身は安全な場所にて指揮するだけ、それなのに運だけは人並み以上のものを持っているらしい。ランドルフは負け戦をほとんど知らなかった。それも一種の才能なのかもしれない。たとえ、敗戦であっても責任のすべてを部下へと押しつけてきたのであっても。
「よくも白々しくも返せるものだな」
 まったく身に覚えのない言葉だ。記憶を手繰るだけ時間の無駄だろう。
「申し訳ございませんが、おっしゃる意味がよく」
「なぜ追わなかった?」
 訊き返したところで遮られる。上官自身は遠回しな言い方を好むくせに伝わらないとわかれば癪に障るようだ。追求はつづく。
「ルドラスが動いたというのに、なぜあそこで追い詰めなかった?」
「それは、」
「出陣したのに敵を討たずに逃げ帰るなど、聖騎士殿はずいぶんと弱腰なものだな」
 にべもなく、ただ捲し立てる物言いに対してまったく腹が立たないかといえば嘘になる。ため息を落としたいところでも耐えるしかなかった。呼吸のひとつにしても慎重になるべく状況で、しかしブレイヴは思考を別へと変える。ランドルフが言っているのは三日ほど前のことだ。もちろんこの件はすぐに伝えたが上官は特に動じた様子もなく報告だけ受け取っていた。敵の数、現れた時間帯など、状況は口頭だけではなく記録として残すために文書にもしたためている。確認ならばいつでもできるはずだ。
 ろくに目も通してもいないのだろう。机の上に置かれた山積みの羊皮紙がそれを物語っている。腹立たしいよりも先にきたのが失望だった。
「お言葉ですが、ルドラスに明らかな進軍というものは見られません。ですから、あれは様子見だというべき行為でしょう」
思ったよりも声が低くなっていたのかもしれない。ランドルフの顔が恐ろしい形相に変わってゆく。
「貴様、私を侮辱するというのか?」
「いいえ、事実を申しあげたまでのことです」
 ここで退くという選択をブレイヴはしなかった。下手に出たところでランドルフは納得するとは思えず、となれば小細工など用いずに向かい合い、そうして黙らせるしかない。やはり、後で従者に長い説教をされそうだ。 
 ふた呼吸を空ける。私情を挟まないようにと、考え抜き、そこから選んだものだけを言う。
「アナクレオン陛下は無駄な戦いを望んではおられません。しかしながら、危機感を抱かれる卿の気持ちもわかります。だからこそ討てと、おっしゃる意味も。その本意は私とておなじこと。脅威となれば見過ごすわけにはまいりません。それでも、ルドラス相手に失敗はならないのです。時を、待つしか他に方法も」
 そう。王は争いを望んでいないのだ。悪戯にルドラスの騎士を全滅させればそれこそ一気に情勢は動く。このガレリアですべての敵を抑えることが可能であればそれがいい。だが、要人たちが懸念したとおりに七万もの敵兵が隠れていたとすれば、とてもガレリアだけでは持たないだろう。北の蛮族がイレスダートの地を踏むそのときを、またしても許してしまう。
 さすがのランドルフも、国王の名を出されては押し黙るしかなかったらしい。そしてもうひとつ、ブレイヴはあたかも上官の心中を察した台詞を口にした。本来の味方のなかに敵を作ることはないのだ。
 ランドルフはしばし黙り込んでいた。
 首肯したようではなくとも、何かを思考しているようには見える。 
「なるほど……」
 やがて、その醜い唇が笑みの形をした。沈黙は演出のようで、あらかじめ口のなかで用意していたままを出しているのだろう。ランドルフの目に軽侮が見え隠れする。
「聖騎士殿の考えは理解した。だが、他の意見もきいてみようではないか」
 白々しい物言いだ。ブレイヴは歯噛みする。このくだりを誰かに預けたところで誰もブレイヴには味方しないし、事態はより悪化するだろう。ところが、ランドルフの視線はブレイヴをこえて、その後ろへと向かう。  
「そこにいる赤髪の男に訊いてみるとするか」
 反射的にブレイヴは振り返っていた。想定外の事態に彼は自分ではなく、他の者を訴える目をする。
「そうだ、お前だ。この私とそこの聖騎士と、どちらが正しいかどうか。答えてみよ」
ランドルフは顎でしゃくり、彼はますます萎縮したように瞬きをおおくした。ブレイヴが伴った従者のうちのひとりだが赤髪の彼はまだ成人したばかりの騎士であり、いわば新米騎士だ。問うべき相手を明らかに間違っていてもランドルフの笑みはそうは言っていない。
「え、ええっと、その……、俺は、」
 とりあえず落ち着くようブレイヴは目顔をする。騎士とは何も戦場で剣を持つだけが仕事ではない。こうしたことも、慣れておく必要もある。
「俺……いや、私には、わかりかねます」
 彼は正直な声を口にした。ブレイヴは心中で安堵のため息をするもの、ただしいこたえであったかどうか、むしろ逆かもしれない。気味の悪い空白の時間はランドルフの怒りそのものだろう。だが次の紡ごうにも呂律が回らない上官はやはり酩酊にあったようだ。そこで、このやり取り自体が面倒になったのか強引に話を打ち切り、そしてブレイヴたちを部屋から追い出した。
 ブレイヴはやっと肩で息を吐く。
 扉の向こうから硝子の砕ける音がきこえたのはそのとき、ブレイヴは自らの言動を悔やみかけてやめる。ただでさえ、ひびの入ったような関係はあっけなく割れてしまった。遅かれ早かれこうなっていたにちがいない。もうひとりの従者の諫める声もなかった。
 ブレイヴを聖騎士の顔へと戻したのはガレリアの少年兵たちだった。少年たちはブレイヴを希望として見る。そういう目を、している。だからブレイヴは正義よりも己の信念をただしいと認めた。ブレイヴの王とおなじ道にあるのだと、そう思ったのだ。

 
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