一章 イレスダートの聖騎士

城塞都市ガレリア


 乾いた風が頬をたたく。城壁の向こうは異国の地であり、ブレイヴの知らないせかいだ。
 地平の彼方までさえぎるものが何ひとつない、広々とした眺めがつづいている。左の端にはまだ雪を被った山脈が連なっていて反対側には白い森が、イレスダートの北部に春の訪れは遅く、それは敵国ルドラスもおなじようだ。そこは針葉樹さえも育たない荒れ果てた地だときいていた。この地に住む者は情の欠片もない獰猛な者たちばかりが存在しているのだとも。
 何が正しいのか、そうでないのか。ブレイヴには判断するだけの知識も情報も充分に持たない。ただ、偏見は無知から生まれるもので、誰が言い出したのかわからない俗説であっても簡単に信じ込んでしまう。イレスダートのこどもたちは北のルドラスという王国は敵の国だと教え込まれるし、疑うことを知らずに育ってゆくのだから。
 すこし凶暴な言い方をすれば洗脳という言葉もあながち外れてはいないのかもしれない。髪の色や肌の色が異なればもう別の人種であると、人は認めてしまう。言語もマウロス語という共通のことばを使っていても、しかし地方独自の訛りはやはりあるので、それもまた人と人を隔てる要因のひとつになろう。イレスダートとルドラスはそうして争ってきた。剣を持ち、槍を持ち、戦えという声がする。弓を構え、魔力を放て、敵を滅ぼせという命令は絶対だ。騎士は、それに従わないという選択はない。殺すか殺されるか、その二択だけだ。あるいは降伏という手段も選べるのかもしれないが、俘虜《ふりょ》はまず人間の扱いをされないので騎士は死を選ぶ。自害は臆病者のすることではないからだ。おなじくして、いまこのガレリアにはルドラスの俘虜がいなかった。敵も同様の考えを持っているのだろうか。ルドラスの地から戻ってこない騎士がどうなったのかをブレイヴは知らない。きっと、死んだのだろう。
 ブレイヴはふと幼なじみの声を思い出した。レオナとディアスと。ふたりはおなじ声をしたし、ふたりともブレイヴが城塞都市へと行くことに不安を口にした。
 明日、荒野の屍となるのはブレイヴなのかもしれない。ここはそんな場所だ。我らが王はイレスダートのために戦えという。けれども、君主はほんとうにそれを望んでいるだろうか。アナクレオンというひとは、騎士たちに死を命じたりはしない。なぜならば、王はルドラスの落日など願ってはいないからだ。隣国との戦争を避けるべく最善を尽くしてきた王と、抗戦を訴える元老院との軋轢はそこにある。誰がために剣を持つなど考えるまでもない。ブレイヴの王はひとりだけだ。
 城下の声が騒がしくなってきた。ちょうど王都からの物資が届いたのだろう。荷下ろしをするのは騎士たちで、その後ろにはもう列ができている。北の大地ガレリアは沃土に恵まれない地であるから秋から冬にかけては特に食糧が困窮する。南の国からの支援なしでは民はたちまちに餓えてしまうのだ。
 ブレイヴたちアストレアの騎士がこのガレリアへと来ても住民たちからの歓声はなく、その目は虚ろなものだった。自分たちの土地に入ってくる騎士たちに流す視線はまるで他人事のようだ。男も女も、老人も子どもも皆、覇気のない目をする。いきているのに、しんでいるみたいだと、ブレイヴは思う。彼らは現実を受け入れている。戦争と死と。いつも向かい合わせに生きてきた彼らには逃げ場がないのだ。だから、責めたりをしない。主張もしなければ要求もしない。諦めているのに等しく、それがこのガレリアの人間の性質なのだろう。
 見張り塔へと行く途中でブレイヴはつまずきかけた。敷石が外れているのに補強もされずにほったらかしだ。さすがに城壁には何度か修復の跡が見られるがそれでも充分とはいえない。一人がやっと通れるくらいの階段は崩れかけているし、ひびも入っている。過去何度も北からの侵攻を防いだ城塞はイレスダートでもっとも重要な拠点だと言えるはずだ。それなのに、白の王宮は輜重《しちょう》の他をガレリアに与えないらしい。あの日、鳩首していた要人たちの顔を思い出せばため息も勝手に出てくるものだ。
 しかし、要人たちの逡巡《しゅんじゅん》もわからなくはない。
 ルドラスの主だった侵攻は見られず、見張り塔から認めた敵の姿にしてもあれは斥候《せっこう》だろう。となれば、七万の兵はどこに潜んでいるのか。
「ルドラスは、本当に攻めてくるのでしょうか?」
 遠慮がちにブレイヴの顔をのぞいたのは幼さを残した少年だった。腰にはしっかと片手剣を佩《は》いていても軍服は着ていない。ガレリア出身の兵士のひとりだ。
「どうだろうな。だからこそ、油断はできない」
 少年が唾を飲み込んだ。眼下に広がる高地には砦らしき建物も主要な街や村も確認するに至っていなかった。東に見えるのはガレリア山脈、その反対も針葉樹の森が広がっている。哨戒《しょうかい》する部隊もやはりそれらしきものを発見できず、いったいどこから敵が現れているというのか。ルドラスの都市部からこのガレリアまではさすがに遠く、敵が集結しているのなら主要な要塞がどこかに存在しているはず、目視だけでは限界があるが見落としていれば重大な損失となるのは決定的で、ブレイヴはもっと目をよく凝らす。見張り塔の交代は一日に三度、ブレイヴはその役割に付いてはいなくとも、それでも自らの目で見ておきたいのだ。敵の斥候隊はどこへと消えてゆくのかを。
 ブレイヴは視線を城下へと戻す。少年兵たちが両手剣を抱えて急いでいる。騎士の合同訓練が行われるようだ。ガレリアには貴族よりも平民や商家の子らが圧倒的におおく、彼らは騎士にはなれない。成人するより早く兵士として召集されて戦う術を教え込まれる。彼らに意思など関係がない。ガレリアのため、ひいてはイレスダートのために、たたかう。そこだけ見れば騎士もおなじなのかもしれない。兵士と騎士のちがいは馬に乗れるか乗れないかだ。
 重たそうに槍を抱えてゆく少年が遅れていた。
 剣や槍といった扱いをまず教えてから次に弓へとうつるが、そうも上手くはいかない。騎士ならば幼少の頃にある程度教え込まれているし、上流階級の子ならば士官学校にも通う。平民の彼らにはこれがはじめてだから時間を要するのは当然だ。彼らには白兵戦が中心となる。弓兵たちもそれなりに数はいるもの、遠戦は心許ないといえるだろう。白の王宮は必要以上に騎士をガレリアへと寄越さないし、なによりもここには魔法を使える者がほとんどいない。後援部隊にあたる治癒魔法の使い手ばかりで、そこに攻撃魔法を扱える者は数えるほどだ。これではとても敵の攻撃に耐えらない。まさか、いきなり魔力を用いた攻撃をされるとは考えにくくとも、それにしてもだ。
 慢心であると、言わざるを得ない。ブレイヴはそう思う。
 白の王宮には高位の魔道士が多数存在しているが、要人たちは名だたる魔道士たちを寄越したりはしないだろう。王都の守りが薄くなることをおそれているからだ。だとしても、代替えはいくらでも効く。イレスダートが公国のひとつには魔法の国と呼ばれる場所をブレイヴは知っている。なぜ、白の王宮はその魔道士たちを頼らないのか。政治的思惑など戦争の邪魔にしかならないというのに。
 いつの間にかため息を落としていたのだろう。ブレイヴを見つめる少年の目が不自然に逸らされた。今さら、表情を作り替えても遅い。せめて何か言葉を残そうとしたブレイヴに別の声が届く。聖騎士殿と。呼ぶ声もまた幼く、頼りない。 
「卿が……、ランドルフさまがお呼びです」
 ブレイヴは眉間に力を入れていた。これも無意識だった。上官の命令には即座に従わなければならない。しかし、その名をきいたのはたしか一昨日でこの五日間で四回だ。つまりおなじ数をブレイヴは呼び出されている。
「ありがとう。すぐに行く」
 呼びに来た少年は正直な反応をする。ブレイヴが遅くなればなるほど、上官はまず罵倒で迎えるし、この少年は折檻されるのだろう。気の毒そうな目をしてはならない。少年兵たちの境遇はけっして恵まれてはいなくともガレリアを本当に守るのはブレイヴではなく少年たちだ。ブレイヴはもっとちゃんと少年たちを見た。見張り役の少年は面皰《にきび》の跡がしっかりと残っていて、もうひとりは大人の骨格をしているが声変わりがちゃんと終わっていないせいか、大人にはまだ遠い。おなじ頃のブレイヴは士官学校にいた。戦争を知っていてもほんとうの戦争は知らなかった。今の、少年兵もいっしょだ。
「風が止んだら気を抜くな。いつ攻めてくるか、わからないぞ」
 不安を冗長させない声色でブレイヴはそれだけを言った。少年たちはそろって素直に首を振る。目には光が見えた。希望という色のひかりだ。  
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