六、芳春と大簇

「私はあなたが勝つと思ってましたよ」
 本心だとしたら買い被りすぎだと思うべきか。
 普段は過大も過少も評価をしないくせに、こういった時にだけ主に向けてそれらしき表情をする志月に十六夜は苦笑する。
 剣舞の会にて爽麻ソウマと最後に対戦したまでは覚えている。けれど、その次には床の上にいて、兄の卯月と睦月の安堵した顔が目に映った。だから、十六夜はそこではじめて自分が負けたことを知ったのだった。
 気が高ぶっていたのはやっと自分と同格の腕を持つ者に当たったからで、それ以上の意味はない。
 はじめに動いたのは十六夜だったが、爽麻は隙など一切見せずにこれを受ける。相当な手練れであるなど目を見れば分かったもの、刀を交えてみればそれが一層強まった。僅かでも集中を切らせば勝機は向こうに傾くことも。
 そのうちに歓声も耳には届かなくなる。それほどに高揚していたのだろう。一進一退の攻防はどれほど続いたことか。十六夜は思いつく限りの攻撃の形を繰り出してはみたもの、しかしどれも爽麻には通じなかった。力で押し負ける十六夜には素早さで勝つしかない。観客達の目にはどちらが優勢に映ったことか、ただ十六夜はそこまでの力量の差があるようには思えなかった。
 然れどこうして負けたのだから、そこに慢心があったのかもしれない。否、ここは爽麻が十六夜よりも強かったのだと素直に認めるべきだ。
「なんにしても、残念でしたね」
 志月は言う。どこまでが本心か。十六夜は探る目をやめた。剣舞の会はさぞ盛り上がったことだろう。新参者が古参の月華門にいい勝負をし、惜しいところで負けたのだから。
 十六夜は敗北したことをさして気にしてはいなかったが、あの爽麻という人のことには興味を持っていた。兄の卯月や志月にそれとなく問うてみたはいいが、月卿雲客ゲッケイウンカクの息子であることくらいで大した情報はなかった。
 けれど、一つだけ新たに知ったこともある。爽麻は夕映ユエ姫の婚約者であるらしい。あの幼き姫君の伴侶となるというのなら、それなりの要人であるということ。十六夜が関わろうとも、おいそれと近づける相手ではないのだ。
「十六夜殿? 聞いておられますか?」
 相槌は途中から返していなかった。
「あぁ、うん。たしかにこれからは忙しくなるね」
 ろくに話を聞いていなかったことを誤魔化せるはずもなく、ともすれば志月の舌打ちが聞こえてきそうだった。
 剣舞の会が終わってしまえば日常が戻ってくる。また月華門としての忙しくするだけだ。このところは西の方で何やらきな臭い動きもあるらしいから、いくさに駆り出されることもあるかもしれない。
 この日の御前会議はそれにほぼ時間を割いたようで、十六夜は上席である月卿雲客にその旨を伝えられた。いくさに向けて兵力の強化をせよとの御達しだ。その帰りに北殿を歩いていた十六夜は、向こう側からやたらと大きい話し声を聞く。どことなく聞き覚えのあるもので、そしていざかち合ってみればやはり見覚えのある顔が見えた。
「爽麻は強かっただろう?」
 十六夜が膝を折るより早く、相手はひと好きのする笑みをした。
「ええ、まぁ……」
 他にどういう言葉を選べばいいのか分からなかったので、十六夜は曖昧に返す。
 男は体を揺らして笑い、その高く結った銀髪が揺れていた。先日の剣舞の会で審判役を務めていた月華門だ。その時には見られなかった無精髭のせいか、今日は年相応に見える。兄の卯月よりももう少し上か、何れにしてもここでは古株だ。
「俺が教えた。だから簡単に負けてもらっては困る。だが、お前さんもなかなかのものだった。今度手合わせを願いたいものだな」
「いえ……、私などまだまだ若輩者です」
 あの爽麻の師匠というのなら、この男も相当な剣の腕を持つ筈だ。十六夜は謙遜しつつも、どこかむず痒いような気持ちになる。すると急に男の手が伸びてきた。そして、がっしりとした大きい掌で十六夜の頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。
「そう言うな。いつかうちの朔耶サクヤの相手でもしてやってくれ。まだチビだが筋はいい。そのうちにお前さんにも追いつくぞ」
「はぁ……」
 小童みたいにされるのは嫌だったのでこの手をどけたいものの、十六夜はされるがままになる。その横から男の連れが口を出した。
「親馬鹿が過ぎるな」
 月華門の男と変わらないほど背が高いが随分と痩躯そうくである。切れ長の双眸は涼しく、また口元も笑っていない。
「親ってのはそういうものだ。なってみれば分かるさ。お前もそろそろ所帯を持て」
「結構なことだ。私は小童が好きではないからな。それもお前みたいな喧しいのが増えると聞いただけで溜息が出る」
「冷たい奴だなぁ。まぁ、たしかに次の子はあいつに似てる方がいい。きっと美人になる」
「気が早いことだ」
 そして二人は十六夜を置いて勝手に話を進め、そのまま渡殿を進んでいった。十六夜にしてみれば嵐が去って行ったような気分だ。 
芳春ホウシュン殿と大簇タイソウ殿ですね」
 大柄の月華門が前者で、痩躯の男が後者。志月は更に大簇が月卿雲客だと続け、十六夜はやや首を傾げた。この宮殿内で月卿雲客と月華門が、身分の違うもの同士が共にいるのはめずらしいことだったからだ。
「どうしました?」
「いや、あの方達は仲が良さそうに見えたから」
「あぁ……、たしかに芳春殿も月卿雲客でもおかしくは無い器ですね。しかし本人がそうは望んでいないようですし。まぁ、変わり者でもありますから」
 十六夜は頷きで返す。その通りだと思った。
「ですから、月卿雲客も教え子に譲ったそうですよ。自身は英雄だというのにね」
「英雄……?」
 おや、ご存知無いので? とでも言わんばかりの目をして志月は笑む。いささかむっとしつつも十六夜は次を待った。
「三百年ほど前でしょうか。とある一族狩りが行われたのは。女帝に反旗を翻したとのことですが、どこまでが真実であるのやら。ともかく、その先頭に立っていたのが芳春殿というわけです」
「だから、英雄だと」
「危険分子は排除しておくにこしたことはありませんからね」
 十六夜はそれ以上を考えないようにする。
 月の都の安寧秩序が保たれているのは他ならぬ女帝の力、そしてそれを補佐する月卿雲客に、護るべき者達がいるからだ。志月の言葉は間違ってはいない。それなのに、十六夜の心臓は嫌な速さで動いている。
 初陣が近づいているためだと、十六夜は思い込む。それから、志月の話も忘れることに努めた。今は、来るべきいくさに備えなければならない。

                              

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