五、爽麻

 普段は解放されない西殿の庭でも、この日ばかりは溢れんばかりの月人たちの姿でいっぱいだ。
 一番上の兄である卯月は要人たちの警護に勤め、次兄の睦月もそれに従っているようで、十六夜よりも一足早くに邸を出ていた。
 兄たちは弟の晴れ舞台の日をそれは楽しみにしていたのだろう。十六夜へと掛ける声はいずれも明るく、心配よりも期待の方が多いようにも思えた。それに十六夜は笑みで応える。こういう日のために、鍛錬を続けてきたのだ。兄たちを落胆させてはならない。
 控え室に入る前に志月に会った。従者も矢張りそれらしき顔をしておらず、しかし一つだけ十六夜に忠告をする。
「いいですか? 出来るだけ時間を稼ぐのです」
「それは、どういう意味?」
 脈絡のない言葉だったために、十六夜は意図を汲みかけて訊き返す。察しの悪さに志月は露骨に眉を寄せた。
「言葉通りの意味です」
 十六夜はもう少し困惑の表情をする。けれど、相手は一枚上手だ。
「十六夜殿。あなたはとても賢いお方です。その意味を分かっていながらも知らないふりをするのならば、あえて答えましょう。これから戦う相手は皆取るに足らない者ばかり……つまりは雑魚です。ですから、あなたは時間をかけて応戦し、いかにも苦戦したという顔を浮かべ、そして勝利するのです」
 嫌味なほどにゆっくりと、そして志月の声色は冷え切っている。
 十六夜は最初に当たる対戦相手の名を頭に浮かべた。見覚えのある名であっても、顔がすぐに思い出せない。とはいうもの志月がわざわざこんな忠告をするくらいだから、それなりの相手であるのは間違いなさそうだ。つまり、新参者の十六夜が容易く勝ってはならない相手ということだ。
「努力はしてみるよ」
 口ではそう言ったものの、演じるというのはそうそう出来るものではない。力の限り戦うというのならともかく、わざと手を抜いて行うそこに果たして意味はあるのか。
 ふいに睦月の顔が出てきた。十六夜はかぶりを振って前日のことを忘れる。
 気を落ち着かせる間もなく、十六夜は呼ばれた。どうやら一番手のようで、控え室から出てきた十六夜の姿を認めるなり、観客たちは一斉に声を上げた。
 成人した身とはいっても、十六夜の見た目は童とそう変わりがなく見えるらしい。加えて面貌が整ったいわゆる美少年であるから、それだけで女人達の黄色い声が飛び、男人達も背丈の小さい十六夜を贔屓目で見る。
 雰囲気に飲まれないようにと十六夜は生唾を飲み込む。呼吸を楽にさせ、そうすれば少しだけ周りを見る余裕が出てくる。
 正面には要人達がずらりと並び、けれどそこには女人の姿はなかった。代わりにもっとも威圧感のある老爺が、あれが月影だろう。脇を固めるのが月卿雲客ゲッケイウンカク達、十六夜はその中の父親を捜すが目が合う前に視線を元へと戻した。落ち着きなくしていると誤解されたくなかったのだ。
「ほう。お前が期待の新人というわけか」
 上から太い声が降りる。見上げた先の男は十六夜よりも頭二つ分も背が高く、それでいて体格も良い。紫の色を帯びた銀髪を頭の高い位置で結わえたその男の顔付きは精悍そのもの、口元は笑ってはいるがそこに嘲笑の色はなかった。
 審判役の月華門ゲッカモンだ。どういう反応が正解か分からずにいた十六夜に月華門は顎で後ろをさす。そこで十六夜は己の対戦相手を初めて見た。
 程よい緊張状態の十六夜とは違って相手の顔面は蒼白、足が震えているのか真っ直ぐ進むのもままならない。歳のところは兄の卯月と同じくらいか。なかなか見目麗しい顔をしているのに、これでは台無しだ。十六夜と同様に剣舞の会は初めてなのかもしれない。
「さて、はじめようか」
 月華門が言う。
 落ち着かせてやるだけの時間はないようだ。この後にもまだ強者達の試合が詰まっている。無駄に時を掛ければ貴人達はすぐに無聊ぶりょうするだろう。
 けれども、十六夜は相手の動きを待つ。
 こういった相手に不用意に近づくほど、無用心でもなかったからだ。
 十六夜から仕掛けてこないと分かると、相手はこれを好機に受け取ったらしい。真正面から打ち込んできた。十六夜はこれを受ける。金属音がなったはいいが、押し負けようにも相手の力が弱く、十六夜は拍子抜けする。だから、兄との稽古の時みたいに、つい自然に返してしまったのだ。
 相手にとってはそれが思わぬ反撃だったのだろう。そのまま体勢を崩しただけではなく、前のめりに派手に転んだ。そこまではよかったのだが、あろうことか刀を手放してしまっている。
 歓声が溜息に変わったのはその時だ。
 剣舞の会での勝負のつき方はそれぞれで、相手が意識を失うか、あるいはその前に降参するか、もしくは刀を手放すかだ。真剣勝負であるからほとんどが前者二つであり、参加者は何《いず》れも腕に覚えのある者ばかりというのもあるために最後の一つは稀である。獲物を手放すなど恥と同じとされているからだ。
「流石にあれは、まずいですよ」
 従者の口からいの一番に出た言葉に十六夜は逃げ出したくもなった。頭ごなしに怒られている訳ではないから余計に居心地が悪くなる。とはいえど、他にどんなやり方があったというのか。相手が勝手にすっ転んだだけ、十六夜に非はない筈だ。だが、志月の嫌味は続く。
「しかもあの方は卯月殿の友人でしょう? あなたも面識があるのでは?」
「……いや、たった今、それを思い出した」
霜月シモツキ殿ですよ。忘れるなんて、失礼というかなんというか。なかなかの大物ですね、あなたは」
 邸にも何度か来たことがある人物であり、互いに顔は見知っていた。それなのに失念していたとなれば、こればかりは言い訳出来なかった。
「まさか、緊張されているとか? そういう話じゃないですよね?」
 それだったらどんなにいいか。
 そもそも志月が余計な忠言をするからいけないのだ。恨めしさを含んだ十六夜の視線を無視して、志月はすぐに去って行った。十六夜は仕方なく控え室に戻り、後の対戦相手を待つ。
剣舞の会は六人の勝ち抜き戦だが、勝ち上がってきた者が最後に対戦するための特別枠があるらしい。この様子では他の対戦相手にも期待出来ず、それなりに演出するとなればそこしかない。
 控え室に残っているのは十六夜を含めて三人だ。その中で、一番背の高い男を十六夜は見た。精神を集中させているのか男は腕組みをしたまま、他の二人が刀の手入れをしたり身体を動かしていても、または十六夜がそこに近付いてきてもまるで目に入っていないようだった。
 十六夜にしても自分が何故そんな行動を取ったのか、ただ惹きつけられたのは、己と同じ色をした青の眸か。
「……何か?」
 彼はそれだけを言った。流石に不審に感じたのだろう。十六夜は慌てて取り繕う。
「あ、いえ……その、あなたは、この会がはじめてではないようですね」
 彼が特別枠であることなど見れば同然、咄嗟に出した話題にしては不自然だったがもう遅い。
「緊張をしているのなら、必要ない」
 しかし、彼はことの外やさしい物言いをした。
「父親とは子に期待をするものだ。あの文月殿でもそれは一緒みたいだな」
「いえ……、緊張しているのでは、ないのです」
 新参者であるのは事実だから揶揄されるのは構わない。けれども、童みたいな扱いをされるのは御免だと、十六夜は言い返す。 
「それならいい。肩の力をもう少し抜きなさい。次はもっと上手く出来る」
 彼の言わんとすることが十六夜には分かる。先の試合は無様なものだった。剣舞の会とは貴人達を喜ばせるためだけの娯楽に過ぎない。
「こういったものは好まないのです。まるで、僕たちは見世物だ」
 彼とは初対面だというのに十六夜は本音を抑えられなかった。別段、彼が話しやすいというわけではないのに、これまでの鬱積が一気に押し寄せてくる。
「それでも観る者はいる」
「くだらない。このような演出が何になるというのです?」
 意図せずとも大きく出た声に、他の二人もいつの間にかこちらを見ていた。試合前に気が高ぶって喧嘩を売っているように見えたらしく、関わり合いにはならぬようにと、ひそりと様子だけを伺っている。
「そう言うな。必要なのだ、こういうことも」
 それが得意そうな人には見えない。それでも、彼は微笑する。
 次の試合が終わった後に、十六夜は志月から彼の名を聞いた。爽麻ソウマの父親は月卿雲客であり、それは月影にも劣らぬほどの要人だという。さまざまな思惑や陰謀ばかりの息苦しい宮廷内でも、彼はここに身を置いているのだ。そして、十六夜にもそうしろと言っている。
 割り切れぬことが出来ない己は矢張り童のままだ。十六夜は自身の心の中に黒を棲まわせる。
 剣舞の会も佳境を迎えた時、二人は向かい合っていた。
 先の月華門がはじめの声をしても、しばらく動かぬまま。やがて、十六夜も爽麻も一定の間合いを保ちつつ、けれども相手の出方を待つ。
 体格差からすれば十六夜は明らかに不利で、また経験の差にしてもそれは同じく、しかし十六夜は負ける気がしなかった。
 無意識に十六夜は笑っていた。
 見世物になるのは気に入らないが、剣を交えることは嫌いではなかった。最も、それまで手加減を無しに戦ったことなどない。
 ようやく同等の者と出会えたのだ。そう思うと自分の中で血が騒ぐのを、十六夜は抑えられなかった。
 
                              

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