四、睦月

「なぁ、上手くやってんのか?」
「何がですか?」
 木刀を打ち込まれては、押し返す。
「いや、その、なんていうか心配なんだよ」
 声が終わると同時にまた剣撃が来る。
「何の話か分かりません」
 再び打ち返す。今度はもう少し力を込めて。
「ほらー、お前さ、なんていうか口下手っていうか、世間知らずっていうか、世渡りが下手そう? なところあるからさ」
 次の攻撃も単純そのものである。分かりやすく頭を狙うものだから、十六夜は首だけを横に避けて、それを躱す。
「兄上が喋りすぎなだけです」
 さすがに受けてばかりだと飽きがくる。だから今度は反撃に出ることにした。
「ひっでぇ! こんなに心配してるのに!」
 それが思わぬ攻撃だったらしく、焦りは声にも表れていた。反射的に受け止めるも、押し返せないままに木刀が交わる鈍い音が鳴った。
「余計なお世話です」
 冷たい声とは裏腹に、より力を込める。体格差も本来の膂力りょりょくの差もあったとしても、ここで押し負けるつもりは十六夜にはなかった。
「すっごく冷たい! っていうか、」
 けれどまだ喋る余裕があるようだ。これでしまいにしてしまおう。十六夜は一瞬だけ力を抜く。そうすれば後は勝手に体勢を崩すだけ、この人はいつだって考えて攻撃を繰り出

すということをしない人、これだけで片がつく。
 十六夜の思惑通りにそれはもう見事に尻餅をついた。おまけに木刀を手放したものだから、丸腰となる。
「わー! ちょっと待って、待って!」
「待ちません」
 十六夜は頭に一撃をお見舞いしてやった。
 十勝零敗。勿論、一度も負けてないのが十六夜だ。
「ちぇー。容赦ないの」
「兄上は真面目にやらないからです」
 兄の睦月はまだ尻を地に付けたまま、不満そうな表情をしているものの、これはいつものことであるから十六夜は真面目に取り合わなかった。否、真面目にやって欲しいのはこちらの方だ。
「つーめーたーいー」
 その作戦には乗らない。兄ではあっても稽古となれば真剣勝負をするのが必然、ただ睦月は負けたことよりも弟にちゃんと構ってもらえないことの方が不服のようだ。足をばたつかせて小童こどもみたいなことをされても煩わしいだけ、十六夜はふうと息を吐いてから視線を逸らせた。
「溜息つくことないじゃんか。っていうかさ」
 土だらけになった尻を払いながら睦月は身を起こした。応えてやらないともっと面倒になるから、十六夜は仕方なく訊き返すことにする。
「何ですか?」
 すると兄は急に真顔になった。
「お前、本気出してないだろ?」
 息が止まったのは、それが図星だったからだ。
 何らかの反応をしなければ悟られてしまう。十六夜は自然を装って、どうにか微笑みを作った。その十六夜には睦月は白い歯を見せる。
「ま、いいけどさ。一度だって、お前には勝てたことないんだし」
 どこまでが本気で、どこまでが冗談だったのだろう。
 それでもこの兄はそれ以上立ち入ってはこないのだ。声の調子が戻ったことに十六夜は内心ほっとしていた。
「あ、ここ怪我してる。いってぇ」
 睦月はこれ見よがしに狩衣《かりぎぬ》を捲る。その大げさな仕草に、十六夜は可笑しくなって見せかけだけじゃなくて、本当に笑った。
 確かに赤くはなっていても、それほどの怪我ではなかった。にもかかわらず、兄はちらちらと視線を送ってくるものだから十六夜は二度目の溜息を吐いた。
 緑色の淡い光が十六夜の掌から零れ落ちる。十六夜は睦月の肩から腕にかけて撫でるような仕草をする。その緑の光は動きに伴って睦月の身体へと入ってゆく。さすれば、すぐに患部の赤みは消えた。これが、呪術だ。
「いつ見ても不思議なものだなぁ」
 兄があまりにも嬉しそうに言うものだから、十六夜は意地悪をしたことを少しだけ反省した。呪術は無闇矢鱈と使うものではない。そう、父親には戒められているものの、このくらいならば咎められることもないと思う。
 十六夜が最初にその力を使ったのは睦月だった。
 この兄は小童の頃からこういった性質たちであるから、ある日父親が余所よその子を連れ帰り、そうしてもう一人息子を増やしたことに驚きもせず、ただ純真な気持ちだけで十六夜を受け入れた。単純に弟が出来たことが嬉しかったのだろう。
 広い庭園を駆け回り、ある時は木登りをし、睦月が仕掛けた悪戯に一番上の兄の卯月が引っ掛かった時には二人して怒られて、擦り傷や切り傷を作ることなどしょっちゅうだった。
 だが、それが大事となった日がある。
 木登りが得意な睦月が足を滑らせ頭から落ちた。舎人とねりは急いで医者を呼びに行き女房はおろおろとするだけ、普段はあまり動じない卯月は神妙な顔をしていたから、十六夜
こわくてくてたまらなくなった。父親が急遽帰ってきた時もまだ睦月の意識は戻らずに、医者の到着も遅れた中で十六夜はそれを使うことを躊躇わなかった。
 だから、忘れなさいと言った父親の言葉を、その時にはじめて破ったのだった。
 父親は別段十六夜を咎めるようなことをしなかったのは、十六夜の他にも卯月が呪術を扱えたからだ。けれども、卯月には十六夜ほどの力はなく、他者を癒すことなど到底出来なかった。即ち、それは十六夜の持つ力が異端であることを意味する。それ以降、十六夜は呪術を求められた時にだけにしか使わなかった。使ってしまってはならないと、そう思った。
 そんな十六夜の特殊な力を恐れることなく、また必要以上に頼りにすることもなかったが、睦月は時折こんな風に当てにする。それはそのままでいてもいいと、言いたかったのかもしれない。不器用な兄だけれどそのくらいは十六夜にだって分かるのだ。
「それでさ、仲良くやってるのか? 友達とは」
「友達?」
 唐突な話題に十六夜はやや首を傾げる。
「あー、えーと、あれだ。なんとかっていう、お前の付き人の」
「もしかして、志月のことですか?」
「そう! それだ」
 ご名答とばかりに睦月はぽんと拳を叩いた。十六夜は三度目の溜息を吐きかけて、しかし声をやや渋いものに変える。
「友達ではありませんよ。彼は付き人で」
「いいじゃん、別に。仲良くするのに理由なんて要らないだろ?」
「人の話を……」
「まぁ、あれだ。あんまり無理はするなよ」
「してません」
 けっきょく、言いたいのはそれのようだ。日頃から節介な性質の睦月でも、小童みたいな扱いをされればあまりいい気はしない。冷たくあしらう弟にも負けず、睦月は十六夜の肩を叩いた。力だけは無駄にある兄だから正直に痛い。
「あー、はいはい。お前の顔にしっかり書いてあるのに、期待され過ぎるのもしんどいって」
「書いてませんよ」
「いいからいいから。兄ちゃんの言うことは聞いとけって」
 肩に腕を回され、無理やり縁側に座らされた。
 汗まみれの男子が二人並んで座るのはなんとなく嫌だったので、一人分の間を空けて十六夜は座り直す。兄はというと、それには気付かずに用意してあった茶をすすって、次には茶菓子に手を伸ばした。あんぐりと大口を開けてそれを放り込むと、満足そうに顎を動かす。鼻歌を口ずさみながらそれをこっちに寄越してきたが、十六夜は茶だけを受け取った。あれだけ身体を動かした後に、いきなり甘いものを食べる気にはならなかったのだ。
「なんていうかさ、心配なんだよ。お前ってこう、不器用だからさ」
 物を口に入れたまま、睦月は喋る。これを何度も父親に叱られたのに未だに直らない悪い癖の一つだった。
 それにしても、今日はまた随分と同じことを繰り返すものだ。十六夜はもう成人した身である。仲の良い兄でもここまで過保護にされては自然と溜息が出てくるものだし煩わしい。だから十六夜は返事をしないまま、遠くを見つめることにした。けれど、兄は至って真面目に続ける。
「悩み事があるなら俺が聞いてやるから。な?」
 咀嚼を止めた兄の顔は思った以上に近く、十六夜はその視線から逃れられなかった。
 黒髪こそ同じでも、面貌は全くと言っていいほど似ていない。それこそ単衣や袿《うちき》に身を包めば女人と間違えられそうな面立ちの十六夜に対して睦月は整った顔をしておらず、可もなく不可もなくといったところだ。本当の兄弟でないから、それは当然でもある。ただ、睦月はそれを思わせないほどに、心から弟を心配しているのだ。
 邪険にしているわけではなかったが、十六夜は少しだけ後ろめたさを感じて頷くだけにとどめた。睦月はもう笑顔に戻っていた。
「昔っから、父上はお前には厳しかったからなぁ」
 何気なく零した兄の声に、思わず湯呑を持つ手が反応した。気を抜けば震えてしまいそうな手に、十六夜は力を込める。他から見ればそう見えるのだろうか。自分では反対のことを思っていたから、分からなくなる。
 十六夜はそれとなく兄の横顔を見つめる。 
 いつからだろう。こんな風になりたいと思ったのは。兄のようにおおらかでいて、自由に気のゆくままに生きたいと願ったのは。
 そうした背景には、矢張り十六夜が拾われ子だという負い目があるからで、いつもどこか人の目を気にしてしまっているからだ。人の顔色を伺ったり、疑い深くなっている。こんなにも思慮深い自分を、十六夜は好きではなかった。それでも、睦月はそのままでいいと言ってくれるのならば。
「兄上」
「んー?」
 睦月は返事だけするもこちらを見ずに、再び茶菓子に夢中のようだ。十六夜は微笑する。
「いえ。なんでもありません」
 感謝の言葉をいうならば、明日を終えてからだ。
 剣舞の会。それが終われば、月華門として本当の意味で認められる。きっと父親も、兄たちも喜んでくれる筈だ。
 
                              

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