「望月殿、お待たせ致しました」
 部屋に入って来たのは望月の部下にあたる月草だ。成人したばかりであり、色鮮やかな緑色の狩衣が良く似合っている。
「ああ。そこに置いてくれ」
 味のない声にも気を悪くすることなく、彼は素直にそれに従って、持ってきた書物を畳の上に積み重ねる。その後は望月の筆が止まるまで黙って待つつもりだろう。
 どうにも慣れない。望月は心中で嘆息する。
 月華門ゲッカモンとなったその日から多忙は続いた。ある程度は覚悟していたので、それは苦にはならなかったが、問題はそこではない。望月に付き従う月草は彼の他にもまだたくさんいるのだ。
 まずは顔と名を一致させ、そして特徴を見分けなければならない。それぞれに適した任務を与え、ある時は指導する。彼らはいずれも若い。小童コドモの時から教わってきた掟も、取り違えて理解している者もいたために、一から教え直すことからはじめる。教えるべきことは他にもある。だが、今優先されるべきなのは、とにかく力を付けさせ、腕を磨くことにあった。
「おっしゃっていた通り、明らかに月鬼の数は増えております」
 望月の仕事が一段落ついたのを見計らって、彼は切り出した。こうした報告は常である。
「それと、少し気になったことがあるのですが、どうも以前の月鬼とは違うような気がします」
「と、いうと?」
 望月は問う。縷言ルゲンを要しない。事実だけを述べればいいのだ。彼はもう少し背を正した。
「は、はい。これまでは単体で出ることが多かったのですが、いえ、それは今もそうなのですが、なんというか、複数による行動もするようになったといいますか……」
 とはいえ、すぐには上手く出来ないのだろう。考えながらどうにか物を言っている。責める気にはなれなかったので、望月は声をもう少し引き出してやる。
「統率力が取れているということか」
「そ、そうです。そのように見えました」
 そこでしばし望月は考える。
 確かに月鬼の動きには意志があるようには思えなかった。現れては無差別に月人を襲っては憑りつくのを繰り返すだけ。それも神出鬼没だ。
 逃げ込む場所は暗くて光の指さない場所が多いので、そこに追い詰めるだけの対策は取れる。この月草が言うには、どうもこのところ誘い込まれているような動きがあるらしい。
 望月に覚えがあるのは一度だけ。ただしそれは幼馴染が単に迂闊であったために招いたものだ。他の事例は聞いたことがない。
「あの、望月殿……?」
「いや、なんでもない。各自細心の注意を持って動いてくれ。以上だ」
 このほかに有益となる情報は出てきそうもないので終わらせる。ところが彼は席を立とうとはしなかった。
「なんだ?」
 訝しげに問えば、彼は身を強張らせる。そこまで威嚇したつもりではないが、別段変える必要もないので、望月は表情を改めない。
「す、すみません。その、もう一つお伝えすべきことがあります。月卿雲客ゲッケイウンカク殿がお呼びでして、」
「月卿雲客だと?」
 望月は眉をひそめた。
 相手が十六夜であればその名を出すはずで、わざわざ月卿雲客と称することはないだろう。他にそれらしき心当たりは望月にはない。
「は、はい。ですが、その、名をおっしゃられなかったので……、ともかく、来いとの御命令で……」
 余程怖い思いでもしたのか、彼の唇の端が震えている。
 まあ、無理もない。宮仕えをはじめて間もないのだ。名を聞き返すなど出来るものでもないし、そんなことをすれば叱りを受けるどころか、相手によってはそれなりの処分を申し付ける可能性もある。月卿雲客とは武と知を兼ね備えた者ばかりではない。そういう奴らも中には存在する。
「分かった。すぐに向かう」
 言うなり望月は彼に背を向けた。後を追うような声が続く。
「わ、私は、長月ナガツキ様のところへ行って参ります。武器の手配がまだでしたので」
 根は真面目だが、どうにも要領が悪いところが目立つ。こうしたところも直していくべきであると、去った彼の後姿を見ながら望月は面倒だと零した。
 ともあれ、その相手は長月ではないということだ。
 未だ女帝派、反女帝派という派閥が宮殿内ではあるが、そのような仔細シサイなど望月の知ったことではない。それ以来、十六夜も内密の申し付けをすることもなかった。
 ただし、それは流せという意味ではないのを望月は知っている。機があれば動く。けれど、望月は弁の立つ方ではないので、考えただけで億劫でもあった。こういったものは口達者な奴にやらせるに限る。
「やあ、来てくれて嬉しいよ」
 南殿へと訪れてすぐに聞こえてきた。敢えてこの場所を選んだだけはある。周りに人気はない。
「何用でしょうか?」
 愛想笑いもないまま、望月はそれだけを問うた。相手は少しばかり驚いた顔を作ったもの、それもすぐに消えて、また耳に触る高い声で続ける。
「月華門の望月というのは、君のことかな?」
「そうですが」
「ふうん。君が、ねぇ?」
 上から下までを舐めるような視線を感じた。まとわりつくような言い方も不快であり、呼び出しておいてわざと聞く辺りが何とも煩わしい。勿論、こうして話をすることなどはじめてだ。
 しかし、相手が名乗らずとも、望月は知っている。月卿雲客の霜月。良い噂はあまり耳にしないが、かといって悪事を働いたということもない。よくある三下だ。おそらく、朔耶ならばこう称するだろう。
 小柄ではあるもの、目鼻立ちはくっきりしていて美形の部類には入る。良く手入れをしているのであろう長い黒髪は、女人のように艶があり美しい。装束の色合いにしても見た目良く、それも名の通った貴人であれば、女人達が放ってはおかないだろう。
 だが、望月にしてみれば、そのどれをとっても好ましいとはいえなかった。何もかもが生理的に受け付けないのだ。要件さえなければ早々に立ち去りたいとも思うのである。
「こちら側に付かないかい?」
 唐突な言葉にも望月は動じなかった。
「何のお話しでしょう?」
「こんなところで教鞭を執るだけでは惜しい人物であると、そう評しているんだよ。私達はね」
 感情の入っていない返しにも、霜月は薄笑いを浮かべる。
「けして悪いようにはしない。これは、なかなかの良い話であると、思うけれど?」
 望月は本来、そう喜怒哀楽を動かさないが、この周りくどい言い方を厭わしいと感じていた。余程自信があるのか、霜月は笑みを絶やさない。
「せっかくのお話ですが、遠慮致します」
 障りがなく返そうと思っていても、もう口からは出てきてしまっていた。霜月のしたり顔が僅かに揺らぐ。
「なるほど。置かれた状況をよく理解していないようだね」
 冷静を保とうとしているようでも残念ながら言い方は変わっていた。その捲し立てるような口調は更に激しくなる。
「君達のことをよく思っていない者もいるんだよ。あの新参者も含めてね。派手な演出ばかりが好まれるとは限らない。少しは大人しくして置いた方が身のためだよ。けれど、君はそう愚かではないだろう? そこまでの小人ショウジンだとも思わない。だから、」
「断る」
 見事に霜月の顔が止まった。額には青筋が入り、目は吊り上がれば、舌打ちまで聞こえた。これが下っ端の月草などであれば気圧されるだろう勢いだ。
 単純な男だ。望月は口の中で罵った。
「後悔することになるよ」
 捨て台詞まで残すとは三下丸出しである。
 望月はそれを見送るまでもなく、踵を返した。全く、時間の無駄であった。だがこうも考える。あれに上手く取り入っていれば、内情を探るいい機会であったのではないかと。
 まあ、それもすぐに破られるだろう。生まれてこの方演じたこともないのだから。











 
「なんだって俺がこんなことを……」
 朔耶は書物庫にて一人ごちていた。そも似合わない場所であるために、早々に退出したいのだがそうもいかない。
 本棚と呼ばれるものは一応設置されてあるとはいえ、規則正しく並べられているどころか、そもそも順番性があるのかも不明なほどに散らかっている。
 横に重ねられていたり、あるいは無理に押し込まれていたりで、朔耶がちょっと触ってみただけで崩れ落ちてしまった。流石にそのままにするわけにもいかずに、どういうわけか片づけをする羽目になったのである。
 そもそも事の発端は些細な事であった。
 望月共々に、月華門となった朔耶にも当然部下がつく。朔耶の仕事は主に彼らを鍛えること。刀の扱いを教えることも、打ち合いをしたりの稽古を付けることも嫌ではなかったけれど、仕事というのは何もそればかりではない。
 とはいうものの、何かを教えたり、時に勉学に関することは言うまでもなく苦手である。そういったことは望月に任せて、その代わりに、武に関するものは朔耶が受け持つ。これで事は通りやすくなった。
 他にもある。月の都の治安を守るべく、または宮殿内の警護に就く月草の人選もしなければならない。彼らに指示を与えて行動させるのだから、その責任は常に朔耶に付き纏う。重荷に感じることはなくとも、いざ自分がその立場になって見て分かることはたくさんあった。残月の元で月草として働いていた時が、もう随分と昔のことのように思える。
 月華門となれば、色々と知識を身に着ける必要もあるだろうと、卯月が渡してくれたのは書物であった。それも数十冊と借りて来たようで、正直にいえば有難迷惑であり、こうして朔耶が書物庫へと返しに来たのはいいものの、その中の一冊も読んではいないのはここだけの話である。
 それ以外にも何かと要る書物は朔耶の部屋の半分を占領してきたので、仕方なくまとめて返すことにした。部下に頼もうかとも思ったところ、折り良く朔耶の手が空いたために、この好きでもない空間に足を運ぶことになった次第であった。
 ここの散らかりようときたら、ものぐさな朔耶でさえも呆れたものだ。
 その昔にここを管理していた月卿雲客が職を辞めてからというもの、徐々にこうなってしまったらしいが、それにしてもだ。
 やるからには気が済むまでとことんやらねばならない性質タチである。胸を張って自慢出来るくらいに綺麗に片付いた。と、ここで朔耶はあることを思い出す。以前、睦月が口にしていた言葉だ。
 それらしき書物を朔耶は探しはじめる。
 捲ってみては閉じると繰り返し、その何冊目かで古めかしい書物を見つけた。触ってみれば埃が舞って朔耶は咳をする。隅っこに忘れられていたかのように置かれていたので、随分と年季が入っているようだ。
「月鬼、月草、月人……、違う。月読、あった」
 朔耶はその場に座り込む。
「ええと? 彼らの持つ力は他の月人をはるかに超える。呪術を得意とし、それらは争いに利用されたが、その存在は千年に一人とされ、今はどこにもいないだろう。彼らに与えられた使命は月の都の安寧秩序を保つこと。だが、それは表のものであり、実際には異なるのではないかと私は危惧する」
 なるほど。さっぱり分からん。
 朔耶はうーんと唸った。最後の方は感想かよと突っ込みたくもなったので、筆者の名を見てみるが、
大簇タイ……、たい……? 何て読むんだ?」
 分からなかったので余計に嫌な気分になった。
 なんというか無駄な時であったと、朔耶はそれを戻して帰ることにする。これ以上長居する理由もないのだ。
「おや、先客がいたか」
 聞き覚えのない声に朔耶の動きかけた足は止まった。この老人の顔には見覚えはある。確か、あの剣舞の会で一度だけ見た顔だ。と、いうことは――。
 朔耶は少なからず驚いていた。共も付けずに、それもこんなところに来るとは思えなかったからだ。月影。間違いなく、その人だった。
「確かに、良く似ておるな」
 互いに観察しあっていたが、先に声を出したのは月影だった。朔耶は柳眉を険しくする。
「そなた、父の名は?」
 答えるべきか。朔耶はしばし沈黙する。たぶん、確信づけるために聞いているのだろう。応じない朔耶に月影はもう少し近づいた。
「ああ、いい。あれは死んだ。今更言っても仕方あるまい。皆が死んでしまったのだからな」
 妙なひっかかりを覚えて、朔耶は黙ったままでいる。相手は女帝に次ぐ権力者だ。しかるべき態度を取るのが正しいとしても、咄嗟には繕えなかった。懐かしむように月影は更に紡ぐ。
「あの事故は残念ではあったが、しかし言ったところで戻るわけでもない」
「あれは事故なんかじゃない」
 はじめて反論した。
 勝手に判断して、勝手に納得して、そうしてなかったかのように言われるのは癪だった。朔耶はねめつける。知っているのならば、そこから引き出してやりたいとおもった。
 月影は朔耶をじっと見据えていた。一挙一句見逃さないようにと、その視線が刺さる。それは朔耶も同じだ。相手が誰であろうと関係がなかった。朔耶は問う。
「あんた達が揉み消したんだ。違う。今も隠してる。よっぽど都合の悪い事でもあったのか? 俺は、騙されない」
 何故ならば、朔耶は生きているからだ。
「ではどうするというのだ?」
 決まっている。一つしかない。
「必ず、見つけ出す。それから、」
「ほう。仇でも討つつもりか。殊勝なことだな」
 月影は声を上げて笑い出した。
 朔耶は震える手をどうにか拳に作り変えていた。少しでも気を抜けば殴りかかってしまいそうなところを、鼻で呼吸を整えて抑えている。やがて月影は笑うことを止めて、真顔になった。
「そなたの中には炎が見える。それは怒りだ」
 言われるまでもない。そのために生きているのだから。隠し続けるつもりもなかった。だから朔耶はここにいる。
「その炎はやがて全てを燃やし尽くすであろう。怒りを忘れろ。大事なものを失うことになるぞ」
「そんなもの……」
 もうどこにもなかった。失ってしまったのだから。これ以上失くすものなど何もない。
 話はそこで止まった。月影は急に朔耶に興味を失ったように、本棚に手を伸ばす。
「待て、あんたにまだ聞きたいことがある」
 老人の肩に掴みかかろうとして、朔耶の腕は固まった。自分の意志で動かせなくなっている。月影は目だけをこちらに向け、しかし声に圧を掛けた。
「話すことはない。さぁ、ここから出て行け。これは月影の命令だ」
 従わなければならない。朔耶は身を引いた。ここで騒ぎを起こせば処罰は免れないだろう。何しろ相手が悪い。
 だが、ここへ来て、やっと掴んだ手掛かりだった。朔耶は深く息を吐く。落ち着けと自身に言い聞かせる。
 あの炎の熱さを覚えている。記憶から消せない限りは、この怒りも消えることはないのだ。


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月に叢雲、花に

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