うだるような暑さが今日も続く。
 朝の早い時間から鳴き続ける蝉の声は煩わしく、昼にはますます気温が上がって体力を奪われるだけ、夜になっても風一つ入ってこない部屋の中は蒸し暑くて堪らないから、なかなかに寝付けない。こうも続くとさすがに身体がまいってくる。否、眠りが浅いのはそれだけではなかった。
 考えないようにと、すればするほどに心に落とした黒い影は存在感を増してくるのだ。溜息が増えたなと、頼次は自覚をしていた。
 平穏を望むということは、変化を望まないということだ。
 流れゆくものに身を任せて、四季の美しさに感銘を受けて、そうしてまた一つ歳を重ねてゆく。ただそれだけのこと。だから、頼次は今ここにいる。
「ゆず?」
 声を掛けても反応はなかった
「何をしているの?」
 庭の隅っこの方で、しゃがみ込んでいる少女へともう少し近づいてから、頼次はもう一度問うた。
「くさむしり」
「草むしり?」
 太陽が傾きかけている時間でも、その強さは容赦がないもの、草を抜いては捨てての繰り返し、そんな簡単な作業でもこの暑さでは大仕事のはずだ。
 楪は何にでも一生懸命だ。
 徳之輔に教わっている勉強も覚えが早いし、食事の支度に畳の拭き掃除などの吉乃の手伝いも好きらしく、自ら進んで行っている。この草むしりにしても、徳之輔の手伝いの一つなのだろう。
 下女のような仕事をしなければ、ここには置いてもらえないとでも思っているのか。それは否定をしてやるべきなのだが、頼次はあえて口を出さずにいる。何の仕事もなく手持無沙汰でいる方がその倍は辛いのだ。領主であるからこそ、頼次はそれをよく知っている。
 もう半年になるのかと、頼次は思う。
 都に行った爽麻そうまがその後帰って来たのかどうかの連絡もなければ、楪の口から出てくることもなかった。カグヤという人の名もそれきりで、楪が捜しに行くという気配すらない。
 妙な話ではある。楪は頼次に縁のない人間だ。
 けれど、今更追い出せるわけでもないし、何より頼次にはその気がない。生憎、部屋ならば余るくらいだ。
 ただ、それが当たり前になっているだけだ。明確な理由など存在しないもので、千尋あたりに無遠慮に問われたところで頼次には応えられない。でも、それでもいい。
 最初こそは楪を不信に思っていた頼次だったが、今はこの少女に対して不快感を持つこともなかった。むしろその逆だった。上手くは説明出来ないけれど。
「手伝おうか?」
 驚くほどするりと出てきた。断られることも想定内、けれど楪はこくりと首を縦に動かした。そうして、真夏の日差しの下で汗を流しながらの、ただひたすらに雑草と格闘するのがはじまった。
 頼次はこうした体力を使う仕事が得意ではない、むしろその逆で苦手なのだ。それは色の白さが何よりものがたり、対して楪はこの夏の間に健康的な肌の色に変わっている。だから言い出したことに頼次は早くも後悔をしていた。それも根を上げる前に声は掛かる。
「千尋は、頼のおさななじみ?」
 改めて訊かれるようなことでもない。千尋はどういう説明をしたのか。
「そうだよ。千尋も、汐莉も」
 他に言いようがなかったので頼次はそのままを口にした。質問は続く。
「ちいさい頃からいっしょだった?」
「あぁ、うん。そうだよ。物心ついた時には二人とも一緒だった」
 楪が好奇心を持つのは珍しいことではなかった。知らないこと、分からないこと。こんな風に訊かれて、それを一つ一つ答えてやるのが頼次だ。
「なかよしって、こと?」
 けれど、答えたくないこともある。
 ぴたりと頼次の手が止まった。送られてくる視線から逃げるように頼次は天を仰ぐ。まぶしい。ただ、眩しかった。
 そうだよ、と。呟いたものは、はたして声になっていただろうか。息が苦しいのはこの暑さのせいだ。酷く喉が渇くのは夏の熱のせいだ。
「同じだよ、多分」
「おなじ?」
 声に戸惑いが見える。頼次は薄く笑った。
「うん、そう。吉乃も徳之輔も。千尋も汐莉も。それに楪も、おなじ……」
 その先は出てこなかった。額からはひっきりなしに汗が流れ落ちてくる。手拭いの一つでも持ってくるべきだったと、頼次は息をついた。
「より。かなしいの?」
 そういった顔をしたつもりはなかったので、頼次は目を瞠った。どう、見えているのだろう。楪の問いは続く。
「つらい、の?」
「分からないよ」
 頼次は草を抜いた。一つを捨てて、また抜いて。その繰り返しだ。
「ゆずには、そう見えたの?」
「うん、なんだか頼はくるしそうって。でも、ね」
「でも?」
「千尋が来た時も、汐莉が来た時も、頼は嬉しそうに見えた」
 見透かされているとするならば、今どういった顔をすればいいのか、頼次は迷っていた。
 草を抜いていた手を止めて、疲れてきた腰をまっすぐに伸ばす。拳を作って、肩と腰を叩く仕草は我ながら年寄染みていると感じても、自然な動作で出てしまっていた。見上げてくる少女の眸からは逃げられそうもない。頼次は観念する。
「そう、かな?」
 落とした笑みには影が残る。そんな頼次に楪は無垢な表情を見せた。
「あのね、吉乃がね、言ったの」
「……なんて?」
「心の中に、問いかけてみなさいって。見えなかったものが、見えてくるからって」
 さすがはおかあさんだと、頼次は口の中で揶揄をする。
 見えなかったものが見えてくるわけではない。見ようとしなかっただけ。面と向かって説教をされたわけではないのに、途端に居心地の悪さがやってきた。
「自分の心と向き合えって? そう言いたいの?」
 怒りの矛先を向ける相手を間違っている。楪は瞬きをし、頼次は険しくなった目をそこから逸らせた。そのすぐ後だった。
「なに? また喧嘩?」
 声はさぞ楽しそうに聞こえた。
「千尋……」
 眉間に刻んでしまった皺は隠しようもない。頼次はわざと大きな溜息をし、しかしその間に微笑みに変えた。
「ごめん、ゆず。草むしりはまた今度続きをしよう」
「……わかった」
 物言いたげな目はすぐに消えた。楪は頼次と千尋を交互に見て、それから背を向ける。何も考えていないように見えてそうではない。あの少女はなかなかに場を読める子なのだ。
「なーんで邪魔するかなぁ? 俺は、ゆずっこに用事があったんだけど」
「用事って、何?」
 頼次は声音を低くする。そこにはお得意の含み笑いが見えた。
鬼灯ほおずきのお祭り、あるんだって? 俺、行ってみたいんだよね。遠路はるばるここまで来たわけだし?」
「鬼灯? あぁ、」
「せっかくだからさ、あの子も一緒にどうかなって」
 他意を図ったところで読み取れないだろう。千尋はそういう人間だ。
「ね、いいよね? 別に」
「楪が、行きたいって言うのなら」
「じゃあ、決まり。あぁ、汐莉も一緒だから」
 だけど、頼次のことは誘わない。確かに祭りともなれば多くの人間が集まり、頼次の顔を知っている者が混じっていてもおかしくはない。領主が遠慮することはないにしても、厄介事が増えるだけ、何よりも行きたいとは思わなかった。
 頼次が千尋を嫌悪するのはそういうところだ。この琉翠りゅうすいで頼次が人々にとってどういった存在であるか。知らないはずがない。
「あぁ、別に礼なんていらない。仲直りのきっかけだし」
「仲直り、ね」
 それは当人同士の問題だろう。頼次も多少なりとも関わっている。少なくとも汐莉を泣かせてしまったのは頼次で、千尋と会うのも汐莉と会うのもあれきりだ。
「責めないんだな」
 これも千尋は知っているはずだ。妹にわざわざ問わなくとも、何があったのかくらいは推測出来そうなもの、千尋は口の端を上げた。
「なに? 責めてほしいの? 物好きだね。こうなることなんて、遅かれ早かれだったし。俺はね、得にならないことには、興味もなければ関心もないの」
 そういうところが相容れないのだ。
 幼なじみ。親友。空のような言葉に聞こえるのは、互いに言えない想いがあるからだ。
 
 
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