六章 あるべき場所へ

役者と種明かし

 先ほどからずっと医務室が騒がしい。
 場所を考えればそろそろ誰かが止めるべきかもしれない。しかし、ここにいるのはなじみの顔ばかり、口論する二人にしても喧嘩というよりはただのじゃれ合いみたいに皆は思っている。
「だーかーら! 大丈夫だってば!」
「いいから、きちんと診てもらいなさい!」
 成人した息子にいつまでもあれこれ口煩い母親みたいだ。声にすればもっと怒らせてしまうので、レオナはただ二人を黙って見守っている。
「ルテキアは大袈裟だなあ。もうちっとも痛くないし、このとおりちゃんと動けているし」
「頭を打って失神したのでしょう? よくそんな呑気なことが言えるわね」
「それはそうだけど、だからって別に……」
 これ以上、何か言おうものならば説教が長くなるだけと、さすがにレナードも察したらしい。その隣でおなじく座らされているデューイは大欠伸して、自分には関係ありませんみたいな顔でいる。シャルロットはずっと黙ったままで、もしかしたら少女も怒っているのかもしれない。
 無理もないと、そう思うけれど。
 レオナだって幼なじみとこんなに長く離れていたらおなじ声をする。怪我としたときけば、きっといてもたってもいられなくなる。癒しの力で傷は治せても、治療までに時間が空けば後遺症の心配もあるだろう。だからこそルテキアは二人をここに連れてきた。二人とも、ちょっと目を離すとすぐ怪我をする。それなのに、レナードもデューイも大丈夫だと繰り返すばかりで、ちっとも言うことをきいてくれないのだから、彼女たちが怒るのも当然だ。
「レナード。終わったら、お医者さまにきちんと診てもらいましょう? 元気そうに見えるけれど、みんな心配していたの」
「姫様が、そういうのなら……」
 レナードはきまりが悪そうに頭を掻いている。元気そうには見えても念のためだ。
 昨日まではこの医務室も人でいっぱいだった。アストレアで治癒魔法の使い手はそう多くはないので、重傷者以外は医師や助手にまずお世話になる。城下街から女たちも駆けつけて、ここはすぐに消毒液のにおいで充満した。
 こういうときのために、自分の力はある。レオナとシャルロットは重傷者に力を使いつづけて、気がつけばもう朝になっていた。遅れてきてくれたのはクリスで、彼は城下街で自分の仕事を終えたあとだった。やっといま、ゆっくりと休めているだろう。
「まったく、あの人は手加減というものを知らない」
「いいや、あれでよかったんだよ」
 ルテキアが怒っている理由は他にもあるようで、しかしレナードはぜんぶ自分のせいみたいに言う。
「だけど……!」
「いいんだ、本当に」
 作り笑顔ではない表情は、ただ意地を張っているようには見えなかった。
「俺が騒いだりすると、せっかく色々考えていたのがぜんぶ台無しになるところだった」
「そうそう。大人しくしてて、正解だったろ?」
「お前はなにもしていなかっただろう!」
「いや、でもさ。こいつの言うとおりだよ。デューイが抵抗していたら、どうなっていたかなんてわからないし」
「狭い納屋に閉じ込められたけどな。丸一日放置されていたときは、このまま餓死させるつもりじゃないかった、焦ったけど」
「ああ、それ。あいつ、そういうとこあるよなあ」
 レナードとデューイが笑い合う。すっかり怒る気をなくしたのかルテキアはため息だけで返した。
「でも、ほんとうによかった」
 つぶやいた少女に皆の視線が集まる。
「そうね……。ロッテの言うとおりだわ」
 レナードは内乱の最中に軍を離れて単独行動を取った。アストレアのためにも、これからのためにも必要だったと思う。それなのに、レナードは自分の為し得たことがなにもなかったみたいに思い込んでいる。それはちがうと、そう言ってあげたら騎士の心は軽くなるだろうか。きっと、その逆だ。
「モッペルさんね、すごく感謝していたわ。それにね、喜んでいたの」
 ふとっちょの料理長にはちょうどシャルロットくらいの歳の娘がいるから、たまたま大台所を通りかかった少女は焼き菓子をたくさんわけてもらったとか。
「あの人、ほんとやさしいよな。怒ると熊みたいにこわいけど」
 アストレア城内が混乱していたとき、レナードとノエルに大台所の人たちが守られたのは事実で、すべてが終わったそのときに疲れて帰ってきた騎士たちがあったかいスープを飲むことができた。
 もっと誇ってもいいと、レオナはそう思う。騎士の仕事は戦場で戦うことだけじゃない。 
「あれっ? まだここで騒いでたの?」
 ノックもなしに入ってきたのはノエルだ。レナードとルテキアのやりとりは外にもしっかり届いていたらしく、ノエルの声は呆れているしちょっと面白がっているようにもきこえる。
「レナード。セルジュが呼んでる。早く行かないと、怒られるんじゃない?」
 そういうノエルは先に呼ばれていたようで、けれども叱責されたあとには見えなかった。主君と軍師の声に逆らったノエルはそれなりの処罰が下されている。それなのに、ノエルはどこかすっきりした表情だ。これからレナードも事情聴取を受けるところ、彼は先の内乱で脱走兵として見做されているから長くかかりそうだ。
「あれえ? 俺、は?」
「デューイは蒼天騎士団じゃあないからね」
「さいですか」
 自分を指さすデューイにノエルはちょっと冷たい。
「ああ、でもあとで多分呼ばれるんじゃないかな? ……別件で」
「ばれてましたか」
 ぺろっと舌を出すデューイにはどうやら前科があるようだ。ぶつぶつと言いわけを考えるデューイを無視して、ルテキアがレオナへと向き直る。
「私たちもまいりましょう。エレノア様がロッテに会いたがっています」
「エレノアさまって、ブレイヴのおかあさま?」
 ルテキアがうなずき、レオナがにっこりする。
「そうよ。とってもやさしい方なの。ロッテもきっと、すぐ好きになるわ」
 エレノアが香茶の用意をして待ってくれている。円卓にはふとっちょの料理長が作った新作のお菓子がたくさん並べられているだろう。










「甘すぎませんか?」
 赤髪の騎士が退出し、扉が閉まってすぐだった。軍師のため息には呆れと非難の両方が含まれている、ブレイヴは苦笑した。
「あんなに正直に物を言うのは、彼くらいしかいないだろうな」
 虚偽を重ねるとまではいかなくとも、人は多少なりとも話を誇張するものだ。騎士にも矜持があるのは当然で、自分を守るためには必要な嘘だって吐く。彼はもとより言い逃れをするような人間ではなかったが、申し開きがあるのなら皆まできくつもりだった。もちろん、ブレイヴの軍師はそんなにやさしくはないので途中で論破するだろう。そうなったらさすがに気の毒だから、助け舟のひとつくらいはと思っていた。けっきょく、その必要もなかったというわけだ。
 しかし、セルジュの指摘はそうじゃない。
 ノエルには厩舎の掃除と馬の世話を、レナードには大台所の掃除と調理人たちの手伝いを、それぞれ七日間命じた。平民出身の二人ならこうした雑用なんて苦にしない、だからそれでは罰にならないと言いたいのだろう。とはいえ、この七日間というのが重要で、騎士たちにはもちろん通常の訓練もある上に他の仕事も忘れてはならない。それとは別に、ブレイヴは二人に下命する。
「彼らに務まるとは思いませんが」
 いつから軍師は完璧主義になったのだろうか。ブレイヴはちょっと笑う。
「これまでとそう変わらない。二人が困るとは思わないし、俺は何も心配していないよ」
 国境までとはいえ、ノエルはきっと良い馬を用意してくれる。西のラ・ガーディア、山岳地帯のグラン、それに北方のルダ。他国の厳しい自然を知っている彼らは準備を決して怠らないし、手渡された金貨が少なくとも期日内にはきちんと支度を調えてくれる。
「経路はお前がよく確認するだろう?」
「当たり前です。そういうことを言っているわけではありません」 
「砂漠の旅は楽なものじゃない。むしろこれまでで一番過酷かもしれない」
「そうだとしても、あの二人は喜んでいるでしょうね」
 物好きな騎士たちだ。けれども、これでは懲罰にも仕置きにもならない。二度目のため息は諦めの意味だ。
「わかりました。この件に関しては、これ以上の口出しは致しません」
「ああ。これでお前も安心してエーベル家に帰れるな」
「そう言って頂けるのなら、ありがたいですね」
 休むように申しつけたところで私室で事務処理をするような軍師だが、めずらしく素直になった。七日間という期日に間に合いそうにないのは、セルジュの方かもしれない。軍師の横で黒髪の騎士が含み笑いをしている。軍師は黒髪の騎士をじろっと睨みながら出て行った。その入れちがいに来たのはダミアンだ。
「あれえ? いまのは公子の軍師だよね?」
「ああ。セルジュには休暇を与えたんだ。しばらくエーベル家に戻るそうだ」
「ふうん、そう。あの放蕩息子がねえ。いいことだね」
 それはさすがに言葉が悪い。とはいえ、長く家を空けていた息子に対してはそういう扱いになるのだろうか。エーベル家の家長は厳格な性格で有名だし、妻女は神経質だそうだ。
 ブレイヴはふと自分の母親を考える。エレノアは相変わらずで、一年ぶりに帰ってきた息子との再会もそこそこに、すぐに城主の顔に戻った。老騎士二人や侍女たちに迎えられて、凛とした佇まいをする母親のなんとたくましいこと、つい先ほどまで人質とされていたのにもかかわらず、その胆力には感服する。しかし、あれではトリスタンも苦労しているだろう。
「ところで、きみは何をはじめるつもりなんだ?」
 ダミアンの扈従が勝手に円卓に何かの器具を並べはじめた。車輪付きの木箱に丸型の硝子器具、麻袋のなかから取り出されたのは焦げ茶色の粒だ。
「また、あれですか?」
 ともすれば、ため息がきこえそうなくらいうんざりとした顔で、黒髪の騎士が言う。ダミアンはにやにやしている。
「君はあれが嫌いなんだねえ」
「嫌いではありませんが、別段好きというわけでは」
 そこで扈従をさがらせて、ダミアンが作業を引き継ぐ。ガリガリという音がきこえたと思えば、次には何か香ばしいようなにおいがしてきた。なるほど、新しい玩具おもちゃを見つけたらしい。
 幼少の頃に年に二回だけ、ダミアンはアストレアの城に来ていた。といっても、父親も母親の姿も見えずに、彼を連れてくるのはいつも従者たちだった。
 ダミアンが寂しがらないようにと、両親が買い与えていたのかもしれない。彼はここに来るたびに玩具を見せてくれた。木彫りの飾り人形や積み木、ふしぎな音のする太鼓に笛に、そのどれもがめずらしかった。ブレイヴと従兄弟はおなじ歳で、けれども彼は独り占めすることも自慢することもせずに、すべてブレイヴにも貸してくれた。やさしさもあったように思う。でも、いま思い返せばあれは子どもなりの驕心きょうしんだったのだ。僕の父上は公子じゃないけれど、こんな特別なものを手に入れられるんだ。
 ダミアンがゆっくりと丸型の硝子器具に湯を注いでいく。ぽたりぽたりと黒い液体が落ちてきて、香りも部屋中に充満する。黒髪の騎士はずっと嫌そうな顔をしていたが、このにおいは別に嫌じゃないとブレイヴは思う。しかし、このインクのような液体をカップに移して目の前に出されては、ブレイヴもちょっと固まった。ダミアンは目顔で飲めと言っている。
「あれえ? 公子はいつからこんな臆病になったのかな? 姫君はちゃんと飲んでくれたのに」
 そう言われてしまえば飲むしかなくなる。観念して黒い液体をすすってみれば、苦いという感想が最初に出てくる。ダミアンがくすくす笑っているから、きっとブレイヴのいましている顔は想定内だったというわけだ。
 なんだか面白くないので、次は薬でも飲むみたいに舌先で舐めるように時間をかけてみる。たしかに苦いが、この苦味も濃さも香茶では味わえない良さがあると思う。
「気に入っていただけたのなら、なによりです」
 老齢の執事がする挙措でダミアンは言う。きっと、幼なじみにもおなじ声をしたのだろう。
「そうそう、なかなか面白い方だね。君の姫君は。ぜんぜん怯えていなかったし、実に堂々としていたよ」
「きみに意地悪をされたんじゃないかって、ちょっと心配していたんだけれど」
「人聞きが悪いね。そんなことしなくても、彼女はしっかりしてる。エレノア様を案じた住民たちが勝手な動きをしないように、ちゃんと落ち着かせていたあの姿は、そう……まさしく聖女だった」
 いや、聖母かな。言い直すダミアンにブレイヴは苦笑する。レオナがきいたらびっくりして、それから首を横に振って否定する。
「公子が姫君に夢中になる理由が、やっとわかったよ」
 まったく言葉が悪い。ブレイヴの代わりに咳払いで話を遮ったのは黒髪の騎士だ。
「ダミアン様は公子にお話があったのでは? まさかその珈琲コーヒーを広めに来ただけではないでしょう?」
「ああ、そうそう」
 ダミアンがカップを置く。
「やはり父上はここに来ないよ。いまが一番忙しい時期だからね。まあ、エレノア様も知っていると思うし、ちゃんと手紙は預かってきたからこれから渡しに行くよ」
「伯父上から?」
 昔から大事な要件でも手紙ひとつで済ませるような人だった。さすがに兄弟の葬儀には顔を出したものの、ブレイヴがバルタザール伯を見たのはそれきりだ。
「そんな顔をしなくても、なにも企んでなんかいないのに」
「きみたちには上手く騙された」
「またまた、人聞きの悪い。公子の軍師は気づいていたはずでしょ?」
「いや、セルジュは」
 たぶん、知らなかった。疑っていただけで確証はなかったはずだ。
「役者は少ない方が動きやすいからねえ。だからあの堅物の騎士団長には教えていなかったんだ」
 トリスタンほど実直な騎士が他にいただろうか。お世辞でも良い演技ができるとは思わないので、その辺りは同意だ。
「そう、だからね。これを知っていたのは三人。公子の推測は正しいよ。私とエレノア様……、そこにいるジークだけの秘密だったんだ」
 二人の視線を同時に受けても騎士は真顔でいる。ブレイヴの知っているジークよりもすこし痩せていて、髪は伸びていて、それから顔に傷が残っている。
 ブレイヴの傍を離れていた一年のあいだになにがあったのか、騎士が話すつもりがないというなら無理にきくつもりもない。ダミアンがサリタを訪れていたのだって、それが偶然だったかどうかなんて、どうだっていい。ともかく、アストレアの鴉を仮面の騎士としてランドルフの元に送り込んだのはダミアンで、エレノアはすぐに気がついただろう。彼らはいつからこの脚本を描いていたのか。
「当ててごらんよ。ちゃんと正解を教えてあげるから」
「いや……、べつに怒っているわけじゃない」
 叛逆者として戻ってきた聖騎士をあの男が見過ごすわけもなく、蒼天騎士団は動かざるを得なくなる。あのとき、騎士たちを眠らせたのは仮面の騎士で、薬をサリタで手に入れていたのがダミアンだ。
 目が合った。ブレイヴの従兄弟はにっこりと笑った。味方ならばこれほど頼もしい相手がいないが、敵に回っていたらと思うとぞっとする。もしかしたら、父と伯父の関係もこういうものだったのかもしれない。亡きアストレア公爵は弟の話をあまりしたがらなかった。
「ダミアン。きみに頼みたいことがある」
「いいよ、別に。これでまた、私に貸しがひとつ増えたね」
 さて、どうやって作った借りを返そうか。セルジュが戻ってきたらまた頭を抱えそうな気がする。


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