六章 あるべき場所へ

仮面の騎士

「いったい何が起こっているのか。まずは貴公が説明されよ、トリスタン殿」
 入室の許しも待たずに部屋へと押し入り、そうして感情のままに捲し立てるのがこの男のやり方なのだろうか。騎士団長トリスタンは横目で主を見る。エレノアは針仕事の途中だった。
 叛乱軍討伐のために出陣した蒼天騎士団の消息が途絶えた。
 ルダとアストレアの公子が率いる連合軍を、ランドルフは叛乱軍と揶揄する。背後にいるのは白の王宮であり、元老院である。奴らはともかく叛逆者を一掃せよと、そう迫っている。
「アストレアの森は深い。見失ったとなれば戦闘がはじまっているのか、あるいはすでに終わってしまったのか。どちらかです」
「で、では……、蒼天騎士団が敗北したと」
「その可能性はあります」
 ランドルフが歯噛みする。王都からの要請を受け、エレノアはアストレアの騎士団を動かすしかなかった。戦う相手はこの国の公子だ。エレノアは実の息子を殺すために彼らに出撃の許可を出す。そのときの彼女の横顔を、トリスタンはけっして忘れない。
 いかなるときも冷静でありなさい。そう、エレノアは言う。トリスタンはたしかに蒼天騎士団の団長を務めているが、しかし同時にエレノアの騎士でもある。主の心中を思うとやりきれない気持ちでいっぱいになり、自分が騎士だということを忘れてしまいそうになる。それでは、いけない。トリスタンは自分を戒める。この男は危険だ。騎士団長として、トリスタンはうなずくしかなかった。
 先遣隊の数は二十、つづいた本隊を合わせておよそ百人の騎士たちとの連絡は途絶えている。これらはあくまですぐに動かせた騎士の数であり、ランドルフは援軍を送るつもりだった。時宜を狙っていたのにもかかわらず、しかしランドルフの麾下は蒼天騎士団の先発隊を見失ってしまった。
 これは、いったいどういうことなのか。気色ばむランドルフとは対照的にトリスタンは相好を崩さずに、エレノアの視線も針に注がれたままだ。そのうちにランドルフは部屋のなかを行ったり来たりを繰り返した。とにかく短気なこの男だが、自分の感情を抑えるときに出る癖らしい。もちろん、エレノアはランドルフの心を見抜いている。
「ここはやはり、即座に増援を送るしかあるまい」
 独り言にしては大きすぎる声だ。トリスタンはため息を吐きそうになる。
「お待ちください、ランドルフ卿。まずは戦況の確認を優先すべきかと」
「待ってはおれぬ。こうしているあいだにも、叛乱軍は王都に近づいているのだぞ!」
「でしたら、なおさらです」
 蒼天騎士団が戦った相手が公子ならばまだいい。最悪の事態は防げているはずと、トリスタンはそう思う。公子の傍にはジークがいる。たとえ戦闘が避けられなかったとしても、無駄な犠牲は絶対に出さない。
「連合軍にはオルグレム将軍ならびに、他の騎士団も味方しているときいております。我が騎士団には成人したばかりの者も多い。本当の戦い方を知っている彼らにとって、相手にはなりませぬ」
「では、貴公が行くしかなかろう。トリスタン殿」
 トリスタンの肩が震える。それだけは避けたかった。だが、この男は強要するだろう。
「落ち着いてくださいな、ランドルフ卿」
 トリスタンも。呼ばれて、二人は同時にエレノアを見た。
「し、しかしエレノア殿。これは由々しき事態ですぞ。蒼天騎士団が敗北したのではなく、寝返ったのだとしたら」
「それは絶対にあり得ませんわ」
 如才ない笑みでエレノアは言う。ランドルフは目を瞬かせた。
「この国には女神アストレイアがいます。アストレイアは正しき者を導く女神。敵など、アストレアに許すはずがないでしょう?」
「し、しかし……」
 エレノアはにっこりする。
「それに考えてごらんなさいな。いま、トリスタンをここから離せば一番危険なのは卿ではありませんか?」
「な、なに……?」
「先も申しあげたとおりですわ。聖騎士の元にはルダだけではなく、他のイレスダートの諸侯も集まりつつあるのです。いいえ、イレスダートに留まりません。おそらくはグランも」
 トリスタンは呼吸を殺す。まったくの想定外ではなかった。イレスダートから消えた聖騎士は西へと向かった。そして、その先。グランのレオンハルト王子と公子は親しい仲である。竜騎士の力を頼るのは自然と考えるべきだろう。
「そう。ですから、彼らはアストレアを取り戻すつもりなのでしょうね」
「くっ……、グランとは。これは侵略だ。看過するわけにはいかぬ」
 ふふっと、エレノアはすこし意地悪っぽい笑みをする。
「卿にはアストレアを守って頂かねばなりませんね。蒼天騎士団とておなじこと。それに、トリスタンがいなければあの子たちは何をするかわかりませんよ?」
 騎士団には若い者が多い。少年騎士らは軟禁されているエレノアの身を案じているし、怒ってもいる。ランドルフがこの国に来たせいだ。少年騎士たちは声をそろえる。
「ぐっ、では奴らの家族をここに」
「そんなことはおやめなさい。逆効果ですよ。皆は怒り、そうしてまずあなたを攻撃するでしょうね。たとえ武器や手段を奪われようとも。……アストレアの民を甘く見ないことです」
 ランドルフは絶句し、トリスタンもおなじ気持ちだった。これは忠告なんて生やさしい声じゃない。脅しだ。
「それに……」
 エレノアの目が剣呑な光を宿している。
「民に手を出せば、次はこの私が黙ってはいませんよ?」
 ごくりと、生唾を飲む音がきこえた。粗野で乱暴なこの男は冷静さを失うとますます短気を起こす。焦っているのだろう。そもそもランドルフは城塞都市を任されていた。それがサリタ攻略を命じられてあえなく失敗、そののち執政するためにアストレアに来たわけだが、白の王宮の期待を裏切りつづけてきた男だ。おそらく次は、ない。
 先ほどまで肩を怒らせていたランドルフも、すっかり大人しくなってしまった。
 零落の道をたどる一方でエレノアには勝てない。わかっていても矜持が邪魔するのだろう。こうして旗色が悪くなったときに、もう一人が現れる。仮面の男。卒然と姿と現して謹直らしい声をする。どちらの味方ともいえないような第三者の言葉を持って、その場を制するのがランドルフの麾下だ。外出中なのだろうか。仮面の騎士の姿はまだない。
「さて、すこし休みましょうか。トリスタン、お茶の用意を伝えてくださいな」
 トリスタンはうなずく。扉の向こうでは侍女がすでに待っていた。エレノアはやおら立ちあがり、ランドルフに向けて微笑んだ。男は戦慄く唇を閉じた。
「さあさ、ランドルフ卿もお掛けになってくださいな」
 そうして、美しい刺繍を男の前で広げる。ランドルフは子どものように大きくした。
「秋には間に合わせますわ。ご息女もきっと喜ばれることでしょう」
 辛抱強い女性だ。トリスタンはずっとエレノアを見てきた。まだ少年騎士の頃から彼女の家に仕えて、それから公爵家にエレノアが嫁いだあとも、トリスタンはずっとエレノアの騎士だった。もうすこしの我慢ですよ。エレノアの目がそう言う。トリスタンは騎士の挙止をした。










 翌日、レナードとデューイは城下街の外れへと移動した。
 城内へとつづく道はなにもひとつではない。街外れには古びた館があり、廃屋に近しいそこを管理している老爺はレナードの姿を認めると、ただ黙って鍵を渡してくれた。地下水路に行くためのものだ。
 ここに入るのは二回目だ。レナードは口のなかでつぶやく。でもきっと、三度目はない。そう思う。
 手燭に明かりを灯そうとしてもたもたしていると、横から奪われた。さすが手慣れている。
 やっとここまで来た。レナードは上着のポケットに手を突っ込む。掌に収まるくらいの硝子玉をレナードはいつも忍ばせている。一見、ただの硝子玉に見えるものの、これには魔力が込められている。どんなに遠くとも必ず知らせてくれる代物だ。レナードはムスタールの騎士に捕まったときも、神父と子どもに騙されたときも硝子玉を割らなかった。そうしなくてよかったと、いま心から思う。
「ちゃんと整備されているんだな。さっきのじいさんか?」
 それが皮肉だと、最初は気づかなかった。
「やっぱりさ、要人たちにはこういうとこ、必要なんだよな」
 汚水の流れる下水道とはちがう。においに悩まされることもなければ、足が濡れて悪態をつくこともない。ここは、そういう場所だ。
 暗がりで目が合った。デューイはにやにやしている。
「アストレア公爵家がここを使ったのはあの日がはじめてだ。ジークが、そう言ってたから」
「ふうん」
 そうだ。あのときは逃げるために通ったわけじゃない。ここに、帰ってくるためだ。
 きいているのかそうでないのか。デューイは勝手にどんどん進んで行く。道なんて知らないくせに。追っ手を惑わすためにここは入り組んでいる。城内への道のりを知っているのはいまレナードだけ、そもそもここの存在を知るのも限られた人間のみだ。
「ずっとききたかったんだけどさ」
「なんだよ」
「お前さ、なんだって騎士になんてなっちまったんだよ」
 デューイは国とか王とか戦争とか、そういったものには興味がない。西の国を旅して自由都市サリタへとたどり着いたのもサラザールがめちゃくちゃになったからだし、妹を探すためだ。そんな奴の口から出てくる言葉とは思えずに、レナードはまじまじとデューイの顔を見た。本気なのか冗談なのか。いつもみたいににやにやしているからわからない。
「それは……」
 正直に言うかどうか迷った。騎士の家に生まれたジークやルテキアがその道を行くのは自然だろう。でもレナードは農家の子だし、ノエルだってそうだ。
 だけどあいつは、騎士になるのが夢だって言ってたな。
 ここにはいない相棒の声を思い出す。俺にはそんな大層な夢はなかったし、志だってあったわけじゃない。
「あのままずっと家にいるのが嫌だったんだよ」
 リアの花はアストレア地方にだけ咲く花だ。
 栽培から加工まで主だって携わっているのが女たちで、男たちは重労働を手伝う傍らで鴨や鶏の世話をする。母親が帰ってくるといつもいいにおいがして、家にはいつもあの白い花があった。べつにあの花が嫌いなわけじゃないんだけど。たぶん、小麦農家に生まれていてもレナードはおなじ声をした。
「騎士に憧れてたわけでもないのに、騎士になったってわけだ」
「そうだよ。悪いか?」
「いいや、べつに」
 喧嘩を売っているときのデューイの声はもっと軽い。なんだか調子が狂う。レナードは前を行くデューイの背中を見つめる。二つしか歳が変わらないくせに、いつもあれやこれやと説教をする奴だ。でも、デューイはサラザールでずっと苦労してきたから、何か思うところでもあったのかもしれない。
「だからさ、俺がガレリア遠征に選ばれたとき、嘘かと思った」
「ああ、ノエルは留守番だったやつか」
「そうだよ。あいつけっこう負けず嫌いだから、帰ってきたときもうるさかった」
 デューイの笑う声がする。
「なんて言うのかな、自覚とかそういうの。芽生えたって言うのは大げさかもしれないけど、いつからだなんてわからなくて。でも……」
 呼吸のために間を空ける。こんなにべらべらと喋ってしまうのは、相手がデューイだったからかそれともここがアストレアだからか。
「何も見えていなかったし、子どものままで。はじめて戦場に出たときだってわけもわからずに。きっと、思いあがっていたんだろうな」
 他人事みたいだな。デューイがそうつぶやく。そうだよ。レナードもちょっと笑って応える。
「いまだって、そんなに変わってない気もする。別に特別なことをやってるわけじゃない。ただ、ガレリアを見てアストレアを追われて、オリシスやサリタにたどり着いて……ラ・ガーディアもグランも見てきた。成り行きでここまで来たんじゃない。そう思い込んでるのかな、俺」
「いいんじゃないか? お前は、それで」
「うん。そうだよな。きっとさ、俺は好きになったんだと思う。みんなのこと、公子のこと、姫さまもこと」 
「そこには俺も含まれてるわけだ?」
「ああ、うん……まあ、その」
「そこははっきりそうだって言うところだろ!」
 デューイに小突かれながらレナードは笑う。騎士の矜持もよくわからなければ、愛国心も忠誠心だって持っているかどうか問われたらあやしい。でも、戻ってきたんだ俺は。声にはせずに口のなかだけで言う。そうだ。自分だけじゃない。みんなだって、もうすぐアストレアに帰ってくる。
「ああ、そこを右だ」
 しかし、順調に進んでいたデューイの歩みが急に止まった。どうした? 問いかけようとしたレナードもすぐに気がついた。想定外だったというべきなのだろうか。ここを知っている者が《《あちら側》》にいるとは思えなかった。
「鼠が入り混んでいると思えば、こんなに早く見つかるとはな」
 デューイをさがらせて、レナードは剣へと手を伸ばす。洋燈の明かりに映し出された男は仮面をしていた。髪は黒髪。イレスダート人にめずらしくはない色だ。
「何者だ?」
 仮面の下からでも男が笑っているのがわかる。ごく自然な問いをしたつもりだった。そうだ。王都の人間がここを知るはずがない。だが、仮面の男が味方だとは思えない。
「侵入者が言う台詞にしては面白い」
 レナードは浅くなった呼吸を整える。拳のなかに汗が溜まっているのがわかる。明確な殺気が感じられないのに、たとえようもない違和感がレナードを鈍らせている。何かが、妙だ。
「だが、知る必要はない。なぜならお前は――」
 けっして油断をしていたわけではなかった。十分な間合いは取っていた。しかし、仮面の男の動きはレナードは反応するよりも早く、重いと感じたときにはレナードの剣ははじき返されていて、次の攻撃を受け止めきれずにレナードはそのまま吹っ飛んだ。
「レナード!」
 デューイの呼ぶ声がする。そこで、レナードの意識は途切れた。
「さて、どうする?」
 悪魔の誘いみたいに甘美な声だった。デューイは即座に両の手をあげる。頭を打ったのだろう。レナードはぴくりとも動かない。敵うような相手じゃない。そんなのは戦う前からわかっている。そもそもデューイは剣が得意ではないのだ。なら、相棒を守るための行動はひとつ。隠し持っていた短刀を投げ捨てると、仮面の騎士はやっと剣を収めた。殺される時間が延びただけなのか、それとも。仮面の騎士はレナードへと近づく。やめろ。デューイの声は届かない。
「やめてくれ、そいつは、」
 殺さないでくれ。懇願の声をつづけようとして、デューイは唇を閉じた。仮面の騎士はレナードが隠し持っていた硝子玉を取りあげる。砕け散る音がきこえたとき、仮面の騎士の唇はたしかに微笑みを描いていた。
  

 
 

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