四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

魔女と少年2

「それで? あなたたちは雁首揃えてここにやってきたわけですか」
 皆まで話をきいただけでも、軍師のやさしさというところだろうか。ブレイヴは内心でため息を落とす。目の前で悄気ている三人に対してではなく、軍師の辛辣な声に対してだったが、ここは真顔で黙っているのが正しい。終わるまで口を挟もうものならば矛先がこっちに向きかねないからだ。
 レナード、ノエル、アステアの三人はサラザール王国軍へと物資を届けた。
 馬に引かせたとはいえ三人だけで運ぶにはそこそこに大変だったと思うので、そこは彼らの活躍を多いに評価するべきだろう。ただし問題はそのあとだ。
 イスカのシオンから届いた手紙には、オリシスの少女も彼らに同行しているとあった。少女を追って幼なじみと傍付きがすぐ合流しただろう、とも。しかし、レオナを含めた女性たち三人の姿はここにはない。もとよりブレイヴは幼なじみたちをこの貧困窟には近づけさせないつもりだったのだが、これはそういった話でもなくなってしまった。今頃はイスカへと帰還するはずだったレオナたちはいま、サラザールの王宮に囚われている。
 ガゼル率いる解放軍の家城のひとつが大衆食堂だ。
 いつもは狭い地下に引き籠もっているガゼルも午餐の時間だからか顔を出している。集まっている面子が面子なので、食堂の店主も昼は急遽貸し切りにしてくれた。
 ブレイヴとディアスとセルジュ、クライドとエディは途中で出ていったので、あと残っているのはデューイとガゼル、そしてその麾下たちだ。もっとも、ガゼルたちにはこちらの事情を漏れなく話したわけではなかったので、軍師の怒りがいまいち伝わっていないのだろう。ここで一番年少の少年は話に構わず山羊のミルクで煮込んだニョッキを頬張っているし、痩躯の男は眼鏡を念入りに拭いている。顔に傷のある男は目顔でガゼルに説明を求めている。ガゼルの視線がブレイヴに向いた。どうしたものかと、ブレイヴは逡巡する。
「とにかく、目的は果たせたんだ。これからのことは皆で考えよう」
 レナードたちを庇う発言は逆効果だとしても、しょぼくれている三人を見てあまりに気の毒になってきた。
「なんだ、聖騎士殿が一番落ち着いてるじゃないか。リンデルに連れて行かれたのはあんたの恋人もいるだろうに」
 ガゼルの揶揄にもブレイヴは笑みで応える。たぶん、自分がいま冷静でいられるのは、必要以上にセルジュが怒っているからだ。ブレイヴの隣でディアスも怒りを抑えているのがわかる。軍師も幼なじみもブレイヴの性格をよく知っているから敢えて感情を剥き出しにしている。そうでなければ、ここを飛び出して行ったのはブレイヴだ。
「それに、わかったこともある。レナードたちは見たのだろう? その処刑人たちを」
「あ、はい……。三人、いました」
「全員フード付きの長衣を着ていたので顔は見えませんでしたが、しかしその一人は女でした」
 レナードが応えて、ノエルがつづける。
「顔が見えなかったのに、なぜ女だとわかる?」
「教徒たちが言っていました。あれは、魔女だと」
 ディアスに問われたノエルは自らの記憶を手繰るように言う。魔女。ブレイヴもつぶやく。
「ミハイルの傍には老王の愛妾がいる。女神の名を語った魔女だ」
 以前もガゼルは魔女の存在を口にしていた。彼の麾下たちも知っているのだろう。年少の少年は食べるのを止めているし、眼鏡の細男も真剣な顔でこっちを見ている。
「少なくとも、王国軍には手練れの魔道士が三人いるというわけですね」
 セルジュの視線が弟のアステアに向いている。魔道士の少年はレナードやノエルよりも魔力を感知できるし、だからこそその恐ろしさを実感したはずだ。いつもなら自分から喋り出すアステアがずっと黙りこくっている。叱責されているからという理由だけではなさそうだ。
「そいつらが全員イレスダート人かどうかは知らないが、ともかく面倒な奴らがミハイルに付いてるってわけだ」
 精鋭の魔道士が少なくとも三人、それだけでも厄介なのにそこに白の少年が加わる。まともに相手をしても到底勝ち目のない相手にどう立ち向かえばいいのだろうか。
「だめです、戦っては」
 魔道士の少年がつぶやいた。
「戦ってはいけません。みんな、殺されてしまう」
 思った以上に元気がないし、アステアの声は震えている。間近で煉獄の炎を見てしまった魔道士の少年は、あれは《《人間の所業》》ではなかったのだと、そう言っているのかもしれない。
「ともかくだ。お嬢ちゃんたちは、そいつらに見つからなかったというわけだ。教会はあのまま封鎖されてるし、リンデルに保護されたと考えればそっちのがずっと安全だ」
「よくもそんな悠長なことが言えますね」
 セルジュはレオナの力もこちらの戦力と考えているから余計に怒っている。ブレイヴは軍師に気づかれないようそっとため息をする。しかし難しい状況にあるのはたしか、このまま叛乱軍が蜂起すれば幼なじみたちにそれだけ危険が迫ってしまう。
「だいじょうぶだよ」
 皆の視線が大衆食堂の奥へと向いた。ずっとだんまりを決め込んでいた赤髪の青年がにやっとした。
「なぜ言い切れる?」
「ガゼルの言うとおりだよ。リンデル将軍のところにいた方がレオナたちは却って安全だし、事が起きたらすぐに彼女たちを逃がしてくれる」
 最初からデューイを信用していなかったディアスの声は強い。対するデューイはなんでもないように言う。
「ロッテも一緒なら尚更だ。リンデル将軍はあの子を知ってる」
「どういう意味だ?」
 問い返したブレイヴにデューイは笑みを消した。いつだって掴みどころのなかった赤髪の青年がこんな顔をするのはめずらしいと、ブレイヴはそう思った。そしてデューイはつづける。
「あの子は、王の落胤だ」











 ミハイルがサラザールの離宮に訪れるときは決まっている。
 議会で討論を繰り返す官吏たちに割って入ろうとしてぞんざいな対応をされた。上流貴族たちが伺候と称して金をせびりに来る、あるいは租税をあげるようにうるさく言う。十四歳で玉座に着いたミハイルを案じた他の王族たちが訪ねてくる。まだ成人には六年もあるのに、正室を迎えるように推し薦めているのだろう。
 ひとしきり癇癪を起こしたあと、ミハイルはイシュタリカのところにやってくる。孤独な少年王がイシュタリカに求めているのは愛情だ。とはいえ、男女の性愛を知らないミハイルがイシュタリカを見つめる瞳は純真そのもので、これは母を知らない子が身近な女に母を見ているのとおなじ感情なのだろう。自分の前で癇癪を起こさないのも少年王の矜持と意地かもしれない。思えば老王もそういうところはミハイルによく似ていた。
「あれはやり過ぎじゃないのか?」
 イシュタリカは目を瞬かせる。なるほど。ミハイルの機嫌が悪いのは自分のせいだったようだ。惚けたふりをして、イシュタリカはミハイルの用意した白いダリアに触れる。
「火刑を見世物にしてはならない。聖職者たちの訴えはもっともだ」
「あら? ずいぶんと偽善的な声をなさるのね」
 くすくすと、わざとらしく笑ってみせればさすがに不快だったのだろう。ミハイルは灰青の瞳が鋭くなった。
「取り締まりを厳しくしたのは間違っていない。けれど、見せしめにしては度が過ぎている。あれでは逆効果だ」
「でも、これでしばらくは大人しくするでしょう? 暴動だっていまは起きていませんわ」
「声をあげただけで殺されるからな」
 皮肉めいた声にイシュタリカはにっこりとする。罪人たちの罪状は何のことはない。彼らはただの一般市民であり別に叛乱軍に与する集団ともちがった。ただし、民の声は広がりはじめたらすぐに大きくなる。上昇しつづける物価に対して税収をさげろと声高に訴えた最初の者たちを捕縛した。 
 たったそれだけの理由で火刑にされるとわかれば、王国軍が目を光らせなくとも人々の行動は勝手に制限される。そう、いまは耐えるときだ。ミハイルの王政を否定する輩を出すわけにはいかないのだ。
「イスカにもウルーグにも掛け合っている。初代王サラザルのときに生まれた溝なんて僕が知るか。……とにかく、物資の支援には応えてくれたし、政策にも手を貸してくれるそうだ」
「それなら、なにを不安に思うことがありますの?」
「兄弟国を当てにするのはいまだけだ。この国は、自分の足で歩き出さなければならない」
「沃土に乏しい北のサラザールには長い道程となりますわね」
 ミハイルはとにかくサラザールの国力をあげることに専念している。林業や農業、畜産業に力を入れてまずは食糧の確保、来期の足りない分まで兄弟国に確約を取り付けたのも少年王の手腕である。しかし、イシュタリカに言わせてみればそれは理想だ。ミハイルの掲げる理念では少なくとも五年、いや十年は先の話となる。
 それまでとてもサラザールは持たないだろう。だからこそ叛乱軍がまもなく蜂起する。
「僕は、お祖父さまとはちがう」
 円卓の上で作ったミハイルの拳が震えている。この少年の純粋な心は嫌いではなかったが、少年王の言うことは理想ばかりで不快でしかない。文官たちも武官たちもミハイルの味方と言える者がどれだけいるだろうか。近しい親族もおらずに、残った王族たちもミハイルを子ども扱いする大人だけだ。ああ、これは私のあるはずだった未来だ。イシュタリカはそう思う。敵国へと嫁がされて年下の夫を慰めるだけの存在、もっともそれを受け入れたのも彼女自身であったのだが。
「知っているか? お祖父さまの血を受け継ぐ者が僕以外にもいる。この王城に残っているやつらじゃない。庶子なんていくらでもいる」
「お祖父さまの落胤を、お探しにならないので?」
 ミハイルの父親は身体が弱かったために実子はミハイル一人だけだ。しかし年の近しい伯父や伯母でもいれば、少年王にとって使える駒であったかもしれない。
「そいつらは金貨と引き換えに王家を名乗る権利を失った。探すだけ無駄だ」
 王位継承を巡って不必要な争いを生むだけ、たしかにそれは正しい判断といえる。
「ああ、でも一人いたな。リンデルが取り逃がしたと言っていた」
「まあ。将軍はわざと見逃したのではありませんか?」
「かもしれない。だとしても、サラザールから消えた者まで追っても仕方ないだろう。どうせ会うこともない」
「陛下はお祖父さまのように愛妾を持たないと、そう言っているようにもきこえますわ」
 ミハイルは香茶を飲んで応えをはぐらかせた。少年王にとっていま大事なのは情欲を満たす女ではなく、国と民だ。でなければとっくに自分に触れているはずで、あるいは老王のように触れる勇気がないだけかのどちらかだ。
「もう行く。しばらくは来られないが、魔法師団はお前に任せる」
「かしこまりました」
 少年王の背中を見つめながらイシュタリカは思う。絵に描いたような理想主義者だがミハイルもまた王たる者である。ミハイルが生まれたのがサラザールでなく別の国だったならば、賢王として歴史に名を馳せたかもしれない。いや、少年王にしても老王にしても、初代王サラザルの呪縛から逃れられないのだろう。優秀だった兄たちの劣等感にサラザルはずっと苦しめられてきたという。そしてそれはサラザルの子らへとも受け継がれているがゆえに、歴代の王たちは自己評価がとにかく低く常に諦念を抱いている。
「いつまで遊んでいるつもりだ?」
 ミハイルの去ったガゼボにはイシュタリカ一人しかいなかった。老王の愛妾たちは追放されて、身の回りを世話する侍女たちもガゼボには用がなければ立ち入らない。イシュタリカはやおら振り返った。
「まあ。ずっと見ていらしたのね?」
 少年王ミハイルも白皙だが、あとから現れたこの少年の方がもっと色白だ。白髪に雪花石膏の肌、冷えきった青玉石色の瞳は見慣れた色で、しかしウルーグにて別れたときよりも少年は大人に近づいた姿をしている。わずか数ヶ月で男子が急成長するにはあまりに早く、おそらくは魔力を抑えるのが面倒になったのだろう。十歳前後の少年から十七歳くらいに見えても、特にイシュタリカは驚いたりはしなかった。彼らはそういう種族なのだ。
「くだらない泣き言をきいてやっているのか? お前は人が良いな」
「いやだわ、妬いていらっしゃるのね?」
 イシュタリカがくすくす笑えば、白の少年は目を逸らした。図星だったのかもしれない。
「でも、ままごとももうおしまい。じきに叛乱軍が動き出しますわ」
「ああ、この国ももう終わる。私は先にグランに行く。お前はどうする?」
「もちろん最後まで見届けていきますわ」
 その答えは彼にとって面白くないものだったのだろう。顎を持ちあげられたかと思えば一気に唇が近づいてきた。
 椅子が倒れるのも構わずにイシュタリカは組み敷かれていた。唇を割って入ってくる舌の熱さに身体が震えるのがわかる。白の少年の手が乳房を玩んでいたかと思えば、太腿へと伸びていく。唇はまだ解放されない。イシュタリカは身をよじって彼から離れようとしたものの、少年の力には勝てなかった。
「逃がさない」
「人が、きますわ」
「誰も来ない」
 息も絶え絶えに訴えたところで逃げられなかった。唇が解放されたその次には、白の少年の舌が首筋から乳房へとたどり着いていた。快楽を抑えきれずにイシュタリカは声を殺すのを諦めた。少年の姿のときの方が征服欲が強くなるのは《《彼のなかにいる》》存在のせいなのだろうか。そんなことを考える余裕も次第になくなっていく。
「ユノ……っ!」
 彼の名を呼ぼうものならばまた唇を塞がれた。それでもイシュタリカは彼の名を呼びつづける。ユノ・ジュール。白の少年はイシュタリカの声に応えて彼女のほしいものをちゃんと与えてくれる。
 そう、孤独だ。人の心の奥底に棲まうその感情は自分だけでは処理できない。イシュタリカの心を埋めてくれるのは他の誰でもないこのひとだけだ。
 私は、ミハイルの母にもなれなければ妻にもなれない。
 少年王がイシュタリカのために用意した白いダリアが見える。たぶん、あの少年に対するこの感情は同情だ。


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