刺々しい沈黙が続き、しかし誰一人として口を開こうとはしなかった。
 招かれた場所は、建物というのも誤りであるほどに相当に古びている。外もそうだったが中も酷いもので、一歩踏み出す度に床板が鳴り、ところどころ穴の開いた天井に、腐りかけた柱にしても、ここに人が住んでいるなど思えないくらいだ。廃屋であってもおかしくはないだろう。
 埃っぽく、薄暗い室内で座るようにと促されて、朔耶と皐月はしばし躊躇った後に従った。当然、円座ワロウダなどはない。男が燭台に油を差して、ようやく室内が明るくなる。頼りない灯りではあったが、見回すには十分だった。
 生活に必要最低限の物しかないようにも見え、そこここに重ねられた書籍があり、端っこには乾燥させた植物が束になって置かれている。薬草だろうか? この場に足を踏み入れてから、ずっと独特のにおいが漂ってきていた。
「悪いが、客人なんてものははじめてだ」
 一言断りを入れるだけはある。男が手渡した器にはひびが入っていたり、欠けていた。せっかく出してくれたのだから手を付けるべきだと思ったのだろう。しかし一口それを飲んでみて、皐月はなんとも言えないような顔をしていた。
「変わった味がする……」
 咄嗟に差支えのない言葉が出てこなかったのか、皐月は素直な感想を述べる。男は気を悪くする素振りを見せない。
「ああ。いくつか薬草を煎じて入れてある。疲労には効く。ゆっくり飲め」
 やはり薬草の類には詳しいようだ。だがそれよりも、朔耶には気になることが幾つもあった。
「何から訊いたらいいのか分からないようだな」
 朔耶の前にはどっしりと胡坐を組んだ男がいる。
 男は自らを大簇タイソウだと名乗り、それから父の友人だといった。捜していたその人であった。それなのに朔耶の唇は動かずにいる。
 この男は知っているのだ。父のことを。そして、その死の真相を。
 あれは、事故なんかじゃなかった。朔耶はあの時の炎の熱さを良く覚えている。その日から全てを失い、それを忘れたことなどなかった。
 心臓の音が耳の中で聞こえる。呼吸が乱れるのを朔耶はなんとか抑えていた。ただ目の力だけは抜かない。返答次第では、この男がそうだという可能性もあるのだ。
エニシってのを信じるか?」
 唐突な言葉であった。
「へっ? は、はぁ……」
 話を振られた皐月の声は裏返っていた。男は、大簇は薄く笑う。
「私は以前から都へと文を出していた。ご丁寧に返事は届くのだが私はその内容には納得してはいない。それでお前達がここに来た」
「そのとおりですけど……」
「私はな、その宛名の人に用があるのだ。だが来たのは芳春ホウシュンの息子だった。これには驚いたが、なるほど、全ては一つに繋がっているということだ」
 勝手に喋って、勝手に答え合わせをしているのか。
 大簇は満足そうに笑う。朔耶の苛立ちは今にも爆発しそうだった。どうにか抑えて、出来る限りの冷静を装う。
「そんなことはどうだっていい。あんたは、何を知っている?」
 知りたいのはそれだ。他にはない。
「では、お前は芳春の何を知っている?」
 逆に問いかけられて、朔耶は声に詰まった。
 知っていることを挙げたとしても、それは小童の時の記憶そのものだ。だが大簇が言っているのはその意味合いではない。だから朔耶は押し黙っている。
「そうだな。少し昔話をしてやろう」
「昔話だと?」
「ああ。お前が知らない事実だ」
 大簇の声に情の色はない。
「私は昔、月卿雲客だった。いや、私のことはいい」
 首を二度横に振り、大簇は口の中で話の順番を決めるように少しの空白を作った。朔耶にはそれがもどかしい。そして大簇は朔耶の顔をじっと見つめた。
「お前は芳春に良く似ている。その髪の色も、眸も、鼻筋も。ああ、短気なところまでそっくりだ」
 苦々しいものが朔耶の中で広がっていく。そんなくだらない昔話を聞く気はないが、辛抱強く待つしかない。
「芳春は優秀な男だった。武に優れ、人望があり、判断力に長け、行動力もあった。武人として幾多の争いを静めてきた。だが、あれほど豪快で荒くれた男を私は他には知らない。何度騙されても人を信じる愚か者でもあった。余計な世話を焼いては要らぬことに巻き込まれる。それも、あの男の魅力であったのだろうな。だから多くの者が芳春を慕っていた」
 無精髭を擦りながら大簇は微笑む。せせら笑いのようでいて、懐かしむような声だった。
 しんとした一つの間が空く。この間に大簇の顔つきがまた変わっていた。今度はもう少し、冷たさを含んだ厳しい表情だった。
「しかし、芳春には闇があった」
 誰しも心の中には闇を持つ。けれど、それは許されるものではなかった、と。大簇は続ける。
 この男は一体、何が言いたいのか? 朔耶の我慢の限界はすぐそこまで来ていた。思い出話に花を咲かせたいわけではない。過去を掘っても、今更どうにもならないこともある。知りたいのは一つだ。朔耶が求めるものは、一つしかない。
「お前達は、あの青い星の話は知っているな?」
 ここへきてまた逸れる。周り道が好きな男だ。
「お伽話ではないんだな?」
 朔耶は不本意ではあるが問いには答えた。大簇はにやりとする。
「そうだ。あの青い星と月との交流は実際にあったことであり、後に起こった争いも事実だ。そうして取り残されていった者も、やがて生まれた混血子たちも。全ては過去だ」
 朔耶は特には驚かなかった。
 書物庫にて目的のものを捜している途中に、偶然にそれを見つけたのだ。その時もただのお伽話だと思ったのだが、こうして目の前の男が言う言葉は偽りのようには聞こえない。
「あの……、混血子って?」
 皐月はみなまでは知らないのだろう。好奇心ではなくとも、疑惑ともいえない色が皐月の眸に宿っている。
「取り残された青い星の者と月人との間で生まれた子らのことだ。残っていた青い星の者達の寿命は短いもので、百年も生きなかった。だが、混血子達は長く生きた。それが不幸であったのだろうな。そして、彼らの持つ呪力は月人のそれを上回っていた。だから月人達はそれを怖れた。強すぎる力はおそれでしかない。争いの種など、どうとでも理由付ければいい」
 けれど、それこそ過去の話であり、いわば関係のない話だ。朔耶の言いたいことはしかと伝わっているらしい。大簇は諭すような笑みを浮かべていた。
「やがて、彼らは皆いなくなった。滅ぼされたと言い換えるべきか」
「なら、なんでわざわざ持ち出す?」
 もっともな事を朔耶は言った。一瞬だけ大簇は驚きを描いたが、次にはどこか寂しそうな表情に変わっていた。朔耶にはその実感がない。悲しいとか可哀想だとかの感情が出てこないのだ。かけ離れている話だとしか聞こえなかった。視線がかち合う。
「彼らは処刑された。だからいない。実行したのは芳春だった」
「なん、だって……?」
 声が震える。受け止めるまでに時を要する。朔耶の心臓の動きは変わらずに早まったままで、これは明らかに動揺していた。
「上が下した判断だ。それに、全てを芳春が担ったわけではない」
 庇うように言った大簇の声は、朔耶の耳の中に入ってはこなかった。朔耶はこれをどこか他人事のようにとらえていた自身を恥じる。
「それでいえば私も同じだ。月卿雲客として決断をした責はある。それで守れた安寧もまたあるのも事実」
 そして朔耶は頭の中にある父親の姿を目の前に描く。強くて優しい人だった。それが朔耶の父親だった。自らの闇を子には見せたくなかったのか、あるいは忘れてしまいたかったのか。どの記憶にも父親の影は見えなかった。
「芳春には才があった。功績を称えられて、月卿雲客に推薦されるも、首を縦には振らなかった。それどころか教え子に譲った。確かに爽麻ソウマは相応しいだろう。芳春の目に狂いはなかったようだが」
「爽麻、だって?」
「そうだな。知っているなら話が早い。真面目で多少融通が利かないところはあったが、穏やかで優しい若者だった」
 それも過去の話だろうか? どうにも結びつかないような違和が残るのは、そもそも朔耶と爽麻が会ったのが、あの一度きりだったからかもしれない。
 しかし、それでもあの眸は印象に残る色をしていた。そこに感情が宿っているとは思えぬほどに冷たい蒼の眸であった。
「話を戻そう。芳春が彼女と出会ったのはその後のことだ」
「彼女って?」
「ああ。母親だ」
 訊いた皐月に短く応えて、大簇は深く息をつく。
「彼女には特殊な力があった。呪術とはまた違うのか。ともかく、彼女の言うことは良く当たった。夢見、というらしいな」
 朔耶には母親の思い出がほとんどない。夢見というのも、大簇が言ってはじめて知ったことだ。否、覚えがあるのはもう一人いたからだ。
「彼女は強く聡明な人だった。だが、彼女は常に怖れていた。やがて自身の意思が無くなってしまうことを」
「それは、月鬼に……?」
「そうではない。もっと大きな存在だ。先も言ったが彼女は強い人だった。健常な精神を保ちさえすれば自身を失くすことはない。それでも、二度目の出産は彼女を変えてしまったのだ」
 皐月は朔耶に目を向けて、しかし朔耶が彼女に目を合わすことはなかった。膝の上で作った拳を固めて、じっと耳を傾けるだけだ。大簇は続ける。
「そこから彼女はおかしくなった。言動も理解不能になり、芳春も私も、手に負えなくなっていた。だから芳春は月の都から離れることを決意した。まず、子どもらを連れて来るから先に言ってほしいと私に協力を仰ぎ、私はそれを承諾した。だが、いつまで待っても芳春は来なかった。そして、事故が、」
「違う。あれは事故なんかじゃない」
 途中でそれを遮る。朔耶は否定をさせないように、もう一度言う。
「殺されたんだ。誰かに。間違いなんかじゃない」
 あの時の炎は作られたものだ。誰かが故意に起こしたことで、それが命を奪った仇でもある。
 大簇は深く嘆息をする。目に鋭さを増した朔耶を制することはせず、ただし否定をすることもなく、声を紡ぐ。
「そうだな。芳春は死んだ。それが事実だ。私は、それ以上を知ることが出来なかったが、芳春が気に掛けていたのは他にもある。彼らに生き残りがいたということだ。だが、今更それを言ったところで何にもならない」
 諦めにも似た声でも、朔耶はそれを無駄だとは思わない。大簇の言う『彼ら』というのが関わりを持っているということ。つまりは――。
「私が芳春について知っているのはここまでだ。だが、お前には訊きたいことがある」
 ここまで一方的に話を進めておいて、まだ話し足りないらしい。
 朔耶は思い切り大簇を睨み付ける。意にも介さず先と同じ口調で大簇は問うた。
「母親と弟はどうした?」
 耳を疑った。それでも、揺らぎを悟られないようにすぐに朔耶は応える。
「死んだよ。知ってんだろ」
「そんな筈はない」
 吐き捨てたような朔耶の声は遮られた。大簇はもう一度言う。
「そんな筈はない。芳春は確かに死んだ。だが、弥生ともう一人の子は生きている。何故、お前がそんなことを言う?」
 さも当たり前のように言われて、朔耶は逃げるように大簇から目を外した。
 有り得ない。朔耶はそう思った。あの時の炎は、父も母も、弟も奪った。今更、生きているはずがない。
 息苦しい沈黙の中で、朔耶はそれを繰り返していた。もう反論をする気にもなれなかった。
「一つ、お節介を言ってやる」
 これまでよりも威圧的な言い方だった。
「過去に囚われるのはもうやめろ。そんなことをしても何の意味もない。それよりも、早く母親と弟を捜してやれ。二人は宮殿内にいる筈だ。芳春もそれを望んでいる」
「あんたに、何が分かるんだ?」
「分かるさ。私も、お前と同じだった」
 他人は好き勝手に物を言う。だが、大簇はそうではないと首を横に振る。
「芳春の死に納得が出来なかった。だから、あらゆる綻びを捜した。残念な事に、見つける前に月の都を追放されてしまったのだがな」
 自嘲気味に大簇は笑うが、それは朔耶には関係がなかった。あるとすれば、やはりこれは事故ではなく、何者かの意図が絡んでいるということ。そしてそれを隠している者がいる。
「仮に見つけたとして、お前はどうするつもりだ? 同じように殺すというのか? 彼らから奪ったのが、芳春だとしても、」
「なにを、言っている?」
「可能性を言っているだけだ。確信はない。芳春は恨みを持たれてもおかしくはなかった。彼らが生きていたのだから尚更だ」
 心の中を全部読まれている気分だ。これほどに不快なことは他にはない。
 限界だった。怒りとも悲しみともつかない感情がそこにはある。それは朔耶をずっと苦しめているものだ。
 目が乾いて、喉の奥が痛む。身体が熱くて言うことをきかない。掴み掛かりたくなったのを、どうにか堪えた。朔耶を見る大簇の目が哀れみを含んでいるようだったからだ。
「あんたに何が分かる。決めるのは俺だ。必ず、見つけ出す。俺は、そのために、」
 気が付けば朔耶はその場を飛び出していた。
 逃げたかったのだ。知りたいと願いつつも、求めつつも、本心ではそれが恐ろしかった。認めたくはなくて、ここから逃げ出した。
 後ろで皐月の声を聞いた気がしたが、朔耶は振り返らなかった。


戻る  最初  

月に叢雲、花に

Design from DREW / Witten by 泡沫。 / 2015.11

inserted by FC2 system