面倒なことにはなるべく関わりたくない性質タチではあるが、これが任務ならば致し方なく、その任務にしても、ただ月の宮殿の大扉の前に立っているだけのものよりも、多少なりとも危険が伴う月鬼退治とであれば、朔耶は迷わず後者の方を選ぶ。
 退屈よりかは余程その方がいいし、朔耶は自身の腕には自信を持っている。先の怪我にしてもあれは慢心ではないと朔耶は思っているからだ。
 とはいうものの、月草という下っ端の役職である朔耶には、それを選ぶ権利などない。上役である月琴ツキコト、朔耶の場合は残月によって、個々の能力に見合った任務を振り分けられているのだ。
 任務には二人、あるいは三人であたる。朔耶と望月は幼馴染であるために、ほとんどの任務はこの二人で組むことが多い。それだけの理由にはあらず、何かと直情的な朔耶に対し、常に冷静さを保つ望月、二人の性格を加味したところで、斬月は組ませているのだろう。
 三人の場合はここに皐月が加わる。女性が一人加わることは別段珍しくはないとはいえ、朔耶のあたる任務には月鬼退治などの危険が付き纏うものが多く、それであればまた話は別だ。だが、彼女は強い。拳に仕込んだ鉤爪による攻撃は刀に勝るとも劣らなければ、皐月自身の身体能力にしても、そこらの男人よりは上だ。
 さて、その三人が揃って呼び出されたこと、それも月華門ゲッカモン殿に直々にというわけで、朔耶は何かしらの嫌な予感がしていた。
 先日の月鬼の始末の件、これはその後に叱りを受けることもなければ、特に罰というものも与えられなかった。だから、日を置いた今更咎められるものではないだろう。では何か。答えは今、朔耶の目の前にいる人物だけが知っている。
「君たちに頼みたいことがある。いや、君たちでないと頼めないこと、かな」
 ああ、やっぱりだ。
 朔耶の勘は早くも当たっていた。
「おそらく、これには多少の危険が伴うはずだ。けれど、」
「構いません! 何でもお申し付けください、十六夜様。そのために、私はここにいるのです」
 遮ったのは皐月だ。普段から任務や掟には忠実ではあるが、一段と力が入っている。 
「ありがとう、皐月。だけど無理は禁物だよ。危なくなった時には、」
「いいえ! 私なら、大丈夫です。十六夜様はいつまでも私を小童コドモ扱いするけれど、私だって戦えますから!」
 息巻く皐月に十六夜は苦笑いする。
 いやいや、なんで二人で勝手に話を進めているんだ? 盛大に突っ込みたいところを朔耶はぐっと抑えていた。
 先の一件からも分かる通り、皐月と十六夜は古くからの知り合いらしい。信頼関係は今の会話からも十分に伝わってくる。それに従順よりは、また別の感情が勝っているようにも見えた。皐月の声音が上がっていることから、この手のことに余程鈍くなければすぐに察するだろう。とはいえ、他人の色恋沙汰に興味は全くないので、朔耶は素知らぬ顔をするだけだが。
「君たちも、反女帝派という言葉を耳にしたことはあると思う」
 朔耶が聞き流しているうちに本題へと入ったようだ。慌ててそちらへと顔を向ければ、蒼の眸とかち合った。にこりと、十六夜が微笑む。
「反女帝派、ですか?」
 答えを求められているような気がして、朔耶は思わず呟いていた。訊き返したのは、噂として聞いたことがある程度であり、その内情は知らないからだ。
「女帝の意に背く、あるいは何らかの反義を唱える者。表立っての行動はしていなくとも、確かに存在はする。……ということですね?」
 代わりに応えたのは望月だ。
「そう。望は相変わらず賢いね」
 模範解答をした望月に十六夜は兄が弟を褒めるみたいに言った。古い付き合いなのは皐月だけではなく、望月もそのようで、ただしいつまでもこのような小童扱されるのは、やはり好まないらしい。望月は無を保ったままの表情でいる。
「つまり、その反女帝派の動きを探れ、ということですね」
 幾分か声を潜めて皐月が言う。ここが十六夜の自室であったとしても、月の宮殿内であることには変わりない。
「事が起きてからでは遅いからね」
 含みを持たせた言い方だった。
 確かに、十六夜でなくとも警戒はするだろう。月の都を治めるのは女帝。その力なくして安定は保たれない。保障された平和が壊されることなど誰が望むだろうか。自らの権力、威光、それらを誇示したいがために、女帝に背くというのならばあまりに馬鹿げている。それとも、自身ならばもっと上手く、これを治められるとでも思っているのだろうか。
 権力者でもなければ、身分も高い身ではない。だから朔耶には分からない。例えそれらを持っていたとしても、悪戯に和を乱すことなど、何の意味も持たないことくらいは分かるけれど。
「それでなくても、女帝はもう長いこと姿を見せていない。身の危険を感じてのことか、もしくは病であるか。様々な憶測が飛び交うのも仕方のないことだ」
 朔耶の心中を読み取ったように、絶妙な間で十六夜は紡いだ。
 摘む芽は早いにこしたことはない。そう言いたいのだろう。
「しかし、私達は西殿はおろか、北殿に入ることなど許されません。動くにしても限界があります」
 反論でも抗議でもない。望月の声は至極真っ当なものだ。それにも十六夜は笑みを変えない。
「そうだね。君たちは月草だ。それについてはいずれ……、いや、この話はまたにしよう。実を言えば、だいたいの目星はついている」
 朔耶は息を呑んだ。
 すうっと、十六夜の蒼の眸の色が冷たくなったように見えた。穏やかな物言いにしても、優しげな表情にしても、何ら変わりがないもの。けれど、明らかに雰囲気は変わっている。皐月も望月も声を続けない。まるで気圧されているようだ。
「行ってもらいたいのは、ここだ」
 朔耶は手渡された巻物をうっかり落としそうになる。横から望月がそれを取り上げて、すぐさま紐解いた。記されているのは月の都の西であり、名のある貴人達が住居を置く場所だ。朔耶も何度かそこには行ったことがある。無論、任務であり、金で物をいわせたりなどの目に余る行動を罰するのも月草ツキクサの仕事だ。貴人が権力者に賄賂を贈るなど、稀有なものでもない。勿論褒められたことではないが。
 しかし、それならば特別なことはない。朔耶達でなくてもいいはずだ。
「そこの主人はね、変わった趣味を持った御仁らしい」
「か、変わった……?」
 婉曲な言い方に、朔耶の唇は引き攣った。
「そう。昔から刃物を集めるのが趣味であったらしい。けれど、ここ最近は刀や薙刀、あらゆる武器を集めることに凝っているそうだ」
 あっ、そっちですか。
 朔耶は脱力する。皐月の冷ややかな視線を感じたような気がしたが、それも見ない振りをした。
「武器の買い占めということですか」
 至って冷淡に望月は言う。
「そういうことになるね。個人の趣向をとやかく言うつもりはなくても、流石にそうとは言い切れない。これだけの量を集めて出来ることといえば一つしかないからね」
「謀反、ですか……?」
 眉を寄せた皐月に十六夜は頷く。そして、二拍空けて続けた。
「それもどういうことか、屋敷に衛兵を増やしているらしい。余程やましいことがなければ、そうはしないだろうね」
 言い切ったのは確信があるからであり、また先に言った危険というのはこのことだ。あちらがどれほどの数であるかは定かでなく、それに対してこちらは三人であたるということ。戦闘の可能性は大いに考えられる。
 朔耶が横目で望月を見てみても、彼の表情に変化はない。皐月にしても多少の緊張の色は見られるが、それでも二人ともこれを断るという選択肢はないようだ。何よりも断れない。この人には借りがある。
 そういうことか。朔耶は理解した。この十六夜という人は随分と頭が切れる人物のようだ。それも望月以上とみた。危険を承知で、更にそれを断れないことを知っていて、敢えて選ばせている。仮に朔耶達が失敗したとしても、これは正式な任務とは別に処理されるだろう。だから十六夜には火の粉は掛からない。否、失敗はしないと思っている。過大評価だ。良く知りもしないくせに。
「なるほど。なかなかいい性格をしてますね」
 とびきりの皮肉を込める。上役であろうと関係なかった。十六夜は笑う。綺麗な顔で、綺麗な笑みを見せて、そして返した。
「それは褒め言葉だと受け取っておくよ」










 月の世界は常に暗闇に閉ざされている。
 それでも女帝の加護を受けたこの月の都は恵まれていた。一定の間隔で置かれている篝火が消えることはない。これもまた呪術によるものだという。豊かに育った木々にしても花にしても、特別な手を加えることなく育つ。都の中心部に流れている川の流れがどこから来たものか誰も知らない。飲み水として使われている井戸にしても、地下から自然と湧き出てくるものだ。そこに光がなくても作物は育つために飢えることもない。
 けれど、これらは一歩月の都から出れば違う世界に変わる。常闇の世界が待ち受けているのだ。月の都の他にも集落は存在するらしいが、そこでは女帝の加護を受けることが出来ない。それが何を意味するのか、考えなくとも小童でも分かることだ。
 邸の大きさはまさに豊かさを象徴する。
 朔耶はしばらくそれを物珍しそうに眺め、ふと隣の男へと目を向けた。
 こいつの邸も相当な広さだったな。少し昔を思い出してみる。望月の父親は月卿雲客ゲッケイウンカクであった。
 人当たりの良い穏やかな性格であり、孤児となった朔耶を引き取ってくれた恩のある人だ。身分や権力など、そういうものとは無縁のようにも思えた。
 そして、また視線を前へと戻す。
 ぐるりと高い塀に囲まれている邸は貴人の邸にはありがちで、なんとも物々しい。同じ高さで茂った木々もまるで侵入者を警戒しているようだ。門扉の前にはご丁寧に衛兵が二人並んでいる。望月が話をし、意外にも事はすんなりと進んだ。
「やけにあっさりじゃないか。何を言ったんだ?」
「特に、何も」
 朔耶の問いに、見もせずに返す。
 けして雄弁ではない望月だ。偽りはない。ということは、
「何かの罠じゃないのか?」
「かもしれんな」
「なんで、そんなに余裕なんだよ」
 朔耶は溜息をつきたくなった。付き合いは長いといえど、この男の考えていることがさっぱり分からん時がある。
「その時は、拳で解決するしかないわね」
 後ろから皐月が言った。だからなんで力で解決する前提なんだ。
 こうしたやり取りをしながら、庭を歩いていく。見事な庭園ではあるもの、けして趣味がいいとはいえない。金持ちの考えることの一つも朔耶は理解が出来なかった。それは中に入ってからも同じで、紅と金で彩られた内装に目が眩んだ。無駄に長い渡廊ワタロウも疲れるだけである。
「これは、わざわざお越し頂き、ご苦労なことです」
 円座ワロウダの上には腰を下ろすが出された白湯には当然の如く手を付けない。
 絵に描いたような奴だな。朔耶は貴人を一目見るなりそう思った。なるべく顔には出さないようにしても、これは無理がある。
 着ている装束ショウゾクの色は似合っていない上に、まずその体型に目がいく。良く言えば大柄であり、さぞかし良い食を召しているに違いない。カンムリにしても、持ったシャクにしてもどこか不自然だ。どうみても三下じゃないか。朔耶は心中で盛大に毒を吐いた。
 望月が事を説明し貴人は別段驚いた様子もなければ、否定する素振りも見せなかった。望月も包み隠すことをしなければ、率直な質問を続けていくだけ。ただし、貴人はこれが誰の指示であるか、その質問には答えずのらりくらりと交わし続けている。
 これに次第に苛々し始めたのは朔耶だ。ところが、貴人は突然身を乗り出してきた。朔耶は腰に携えた刀に手を伸ばし掛けて止まる。話を最後まで聞く価値があるかどうか、目で会話をしてからでも遅くはない。望月は僅かに目を動かして、それから会話を再開させた。待て、ということだ。
「これは我々の独断ではない。月華門殿の意向によるものであり、応えないという選択肢はないのだが?」
 ここまで丁寧な言葉使いを選んできた望月が口調を変えた。貴人は身を竦ませるようにしていたが、やがて大袈裟に息をついた。
「そう……、その十六夜殿にも、ぜひご協力頂ければ、と……」
「なに?」
 急にたどたどしくなった貴人に望月は眉をひそめる。無論、ここで十六夜の名は一切出してはいない。はじめから筒抜けということ。朔耶はもう少し呼吸を深くして、肩と腕を楽にさせる。
「ええ。言葉通りでございます。これは、けして私利私欲のためではなく、月の都の安定を願ってのこと」
 貴人は笏で口元を隠す。
「つまり、あんたはそれでたんまり儲けているってわけね!」
 苛立っていたのは朔耶だけではなかったようだ。皐月に言い当てられて貴人は「滅相もない」と縮こまった。
「黙ってないで言いなさい! 月卿雲客ゲッケイウンカク様の誰なの? 霜月シモツキ様? 長月ナガツキ様? 卯月ウヅキ様……は当然違うとして、他には、誰なの?」
「待て、皐月」
 掴みかかる勢いで尋問をはじめた皐月を望月が止める。おそらく声は渡廊の奥まで響いているだろう。折角、望月が事を円滑に、更に小さく纏めようとしていたのに台無しだ。けれど、それも最初からこうなるのは分かっていたはずだ。貴人の口元に嫌らしい笑みが浮かんでいる。
 それは、朔耶が立ち上がったとほぼ同時だった。
 刀を構えた衛兵がこちらを取り囲んでいた。ざっと見る限りでは二十人を超えている。
「なあ、平和的解決にしようぜ」
 朔耶は両手を上げる。
「ご協力頂けないのであれば、残念です」
 貴人はそれらしい表情を作ってはいるが、残念ながら何一つ伝わってこない。
「答えは、否だ」
 望月の声が終われば、一斉攻撃がはじまった。
 朔耶は三人くらいをまとめて相手にしながらも、苦戦する様子はなかった。月鬼の動きに目が慣れているせいか、十分に躱せるほどの速さだ。つまりは雑魚だ。言うまでもない。
 望月は朔耶ほど素早くはなくとも、よけずとも受け止めれば事が済む。長身の望月が繰り出す攻撃には重さも入り、喰らった相手だけではなく、数人がそれに巻き込まれる。皐月は二人とはまた違った攻撃をしていた。力は男人には及ばないものの、女人ならではのしなやかな動きで相手を翻弄する。
 上質な畳が鮮血に染まっていく。あちらが殺す気できてはいても、何も命まで取ることはない。気を失った者もいれば、斬られた者は痛みにのた打ち回り、勝ち目がないと悟った者は早々と逃げ出していた。全てが終わるまでに時間は掛からなかった。
 残された貴人は目を剥いたまま暫く固まっていものの、やがて現実を受け止めたのか、慌てふためきながら逃げ出そうとした。朔耶がその首根っこを捕まえて、まずは畳の上に正座させた。それから肩を二度叩いてから耳打ちをする。
「だから、平和的に解決しようぜ」
 貴人は物分りの良い小童のように首をひたすらに縦に動かした。
「いや、質問は必要ない」
 尋問とも拷問とも言わない辺りが望月らしい。朔耶は少し気の毒になりながらも貴人から身を離した。
「分かったの?」
「ああ。後ろにいるのは月卿雲客の長月殿だろう」
 皐月の問いに望月は平然と言う。貴人はひいと、小さな悲鳴を上げ、どうやら当たりのようだ。
「待って、でも、長月様は女帝に近しい方よ? それに穏健派とも言われているのに」
「だからこそだ」
 すげない声に押し黙った皐月に代わって、次は朔耶が口を開く。
「望。お前、最初から分かっていたな?」
 望月だけではない。十六夜もそれを確信に変えるための証拠が欲しかったに違いない。望月は含み笑いをする。
「で? あとは、どうするんだ? 武器の買い占めを止めさせればいいのか?」
「いや、それも好きにさせておけばいい」
「は?」
 間の抜けた声を出したのは朔耶と、その横で震えていた貴人だ。
「十六夜様にも協力を、というのはおそらくこの男が勝手に言い出したことだろう。確かな確執が存在する中で、長月殿がそれを望むはずがないからな」
 欲がほどを過ぎたということか。朔耶は納得する。
「へぇ。ところが、やらかしてしまったこいつは、後で長月ってやつに始末されるわけだ」
「それはない」
「どういうことだ?」
 望月は震え上がっている貴人を見ている。だが、擁護するわけではなさそうだ。
「長月殿にしても、事を大きくする気はないだろう。これは牽制だ」
 そういうことか。
 朔耶は舌打ちをする。なんとなく面白くはなかった。
 十六夜は朔耶達を使って、そしてこの貴人を介して、長月に警告をしているのだ。十六夜にしても、ただの月華門がここまで出来るものではない。誰かが彼の背後にいる。そこまで考えたところで朔耶は首を鳴らした。ちょっとした運動になっただけ。騒ぐほどのことではない。政治的な背景も朔耶の知ったことではなかった。
「帰るぞ」
 言って、望月はそこから出ようとした。
「おい、こいつはいいのか?」
「知らん」
 放っておいても最早害はないと言いたいのか。望月はさっさと帰ってしまった。朔耶もそれに続いて、部屋を出る前に憐れな貴人を一度だけ見た。皐月が貴人に向かって一言、二言声を掛けてはいたが、その声は小さかったので朔耶には聞こえなかった。


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月に叢雲、花に

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