六章 あるべき場所へ

喧嘩の仲裁役

「似合わないことしてるなぁ」
 最初の声がそれであったので、レオナはぷいと顔を背けた。けれども次にはため息が落ちて、それから両手に抱えていた木箱は奪われてしまう。
「まって、わたし」
「いいから。こういったことは、男連中に任せとけって」
 全身に力を入れて落とさないようにと、そろりそろり運んでいたところを、デューイは有無を言わさずそのまますたすたと行くものだから、レオナも慌てて後を追った。
「なれているみたい」
「そりゃあ、男の子ですから」
 その言い方はちょっと面白くない。体格にしても筋肉にしても、たしかに男の人には劣るのは認めても、これではまるで足手纏いみたいだと、レオナはむっとした。
「これはわたしの仕事なの。それに、体力には自信があるんだから」
「そんな細っこい腕して説得力ないっての! とにかく、こっちの進みが遅れているから俺が来たんだ。人手は多い方がいいだろ?」
 正論を言われてしまえばレオナも押し黙るしかなくなった。落胆しているわけではなくとも、面と向かって役立たずの印を押されてしまっては自然と顔にも出てしまう。ただ、邪魔にはならないようにとレオナは隅っこの方に移動する。雪は今朝方にようやく止んで午後には久しぶりの太陽がルダの空に現れた。だから、これはまもなく戦闘がはじまるという合図だ。
 ここでは荷車は使えないので鹿や犬に橇《そり》で運ばせるしかない。イレスダートの他の国ではまず見ないような大きな犬は、レオナがこれまで見てきた犬の二倍も大きくまた鹿にしても強いもので、馬は戦場で使うために貴重とされている。その馬にしても、もう少し雪が解けてからでなければ進めず、しかしルダに残された時間はけっして多くはなかった。
 レオナは詰み込まれてゆく木箱をぼんやりと眺めていた。剣や槍などの武器の類は別の場所にて、レオナが運んでいたのは保存食や防寒着などであったものの、それでもけっこうな重さだ。意地を張っていたのはすぐに気づかれたにちがいない。
 積み荷を終えたデューイが戻って来た。お礼を伝えないといけないのに、すんなりと声に出なかったのは、やっぱりまだ意地が残っているからだ。そんなレオナにデューイはにやっとする。
「あんた、あっちには行きづらいんだろ? ルダのお偉いさんと派手にやり合ったっていうから」
 恍《とぼ》けてしまおうかと、レオナは考えたものの、もう表情には出てしまっていた。デューイは小声で笑っている。
「……誰にきいたの?」
「ルテキア」
 それにはすぐに返事が聞こえた。お喋りなんだから、と。レオナはちょっと頬を膨らませる。事のあらましはあまり広がってほしくはないのに、この様子では城内のみんなが知っているだろう。
「あのなぁ。彼女、けっこう心配してたぞ」
 デューイはそこらに積もった雪を丸めて玉にする。適度な固さにしてから針葉樹の枝へと投げつければ、重く積もった雪がどさどさっという音を立てて落ちた。命中率はなかなか良いようだ。
「うん……。わかっては、いるの」
 両の頬を赤く腫らして涙目をしていたレオナを見るなり、ルテキアは悲鳴のような声を上げた。滅多なことでは感情を面に出さない、それも声にしないあのルテキアが動じていたのだ。なにがあったのかを隠し通せるわけでもなく、レオナは従者に仔細をみなまで話すしかなかった。相槌を打つルテキアの声色は段々と低くなり、その最後には溜息を吐かれてしまった。大きなこども同士の喧嘩の末にこうなったのだ。あきれられても当然だろう。
「ロッテも心配してたぞ」
「うん……」
「あのな、俺だって心配した。……いや、びっくりしたっていうか」
 デューイは雪玉を作っては投げるのを繰り返していたが、やがて飽きたのかその途中で止めた。
「なぁ、落ち込んでるの?」
「そんなこと、ないけど」
「じゃあさ、慰めてもらえばいいじゃん」
「だ、誰に……?」
「誰って、そりゃあ……、」
「いい! やっぱり、言わなくてもいいから!」
 急に恥ずかしくなってレオナはかぶりを振った。デューイはまだにやにやしている。幼なじみも忙しい身だから邪魔はできないし、彼の側には渦中の人がいる。軍事に関することの全部をレオナは知らなくとも、問題が山積みであることくらいは分かっているつもりだ。その人とはまだ仲直りはしていない。なにかのきっかけがあればと思う反面で、やはり意固地になっているがためになるべくなら会いたくはないのだ。関わらないにしても、どういう顔をしていればいいのか分からないし、なによりその場が再び険悪になりそうで嫌だった。
 自分から振ってきた話題なのにもう飽きたのかデューイは口笛を吹いていた。ルダとマイアの軍が戦闘になった時に非戦闘員であるデューイは戦場には立たない。せいぜい裏方に回るくらいで、他人事のように思っているのだろうか。横目でそれを見ていたレオナは、ふいに視線が合った。
「俺さ、あんたの良いところは本音でぶつかるところだと思ってるんだよ」
 レオナは目を瞬く。デューイは人を良く見ている。観察されているのはあまりいい気分ではないけれど、良い意味だとすれば素直に受け取るべきか。
「なかなおり、しろって言いたいのね?」
「っていうか、めそめそされるのは辛気臭い」
「しんきくさい……」
 デューイのこういった明け透けのない物言いに不快はなくても、気分が下がっている時に追い打ちを掛けられては苦笑するしかなくなる。今さら抗議したとしても口達者なデューイにはレオナはとても勝てないだろう。でも、デューイの言うとおりだ。レオナはぐっと拳を作る。
「ありがとう。デューイのそういうところ、わたしはすきよ」
 だからレオナはそのお節介にも従うことにした。そうと決まれば行動は早いもので、レオナは足をそこへと向かわせる。一方で、残されたデューイはしばらくレオナの背中を見つめていたが、また一つ雪玉を作った。
「あれは友達としてって意味なんだろうなぁ」
 ぽいっと投げ捨てられた雪玉はすぐに壊れてしまった。










 外で冷えた身体を暖めるより前に、レオナは回廊を急ぎ足で進んでいた。
 もう小一時間ほどすれば日没で、しかしルダの要人たちは今日も軍議室にて篭りきりだろう。それもそろそろお開きになるかもしれないと、レオナはとにかく彼女に会うことだけを考える。きっと、用意した声よりも、思いのままを伝えるべきだと、そう思ったのだ。
 その足は途中で止まる。階段へと続くところで聞き覚えのある声が届いた時に、レオナは自然と足を止めてしまっていた。
 どこか怒ったような、詰問する物言いは軍師の特徴で、けれどもそれに応える幼なじみの声も、またいつもよりはもう少し低い。
「そろそろ、私に分かるように教えて頂きたいのですが」
 低姿勢なようでいて、実際はそうではなかった。間が空いたのは幼なじみがため息をついたからだろう。二人の会話は遠くとも、聞き取れてしまうくらいの大きさで、それは互いに気が高ぶっているせいだ。
「ここにきた以上は最後まで戦う。お前の力も、もちろん当てにしている」
「買い被りです。あなたは軍師を神か何かと思い違いしておられるようだ」
「まさか、ちゃんと分かっているつもりだ。それでもお前は最善の策を選ぶと」
「ならば言わせて頂きますが、軍師は勝てない戦いはしません」
 他人に聞かれていい話ではないというのに、それもルダの人間の耳に届けば一気に信頼を失いかねないような話をこんなところで堂々としていていいものかと、レオナの心臓の動きは速くなっていた。立ち聞きするつもりはなくとも、レオナの足はもう動かない。その話題が自身へと向かっていたからだ。
「ですが、まったく見込みがないわけでもありません。かねてから申し上げているとおり、まずは王女を旗頭にするべきです。公にほとんど姿を見せなかったレオナ王女であっても、まさかその声を無視するとは思えません。マイアの軍に降伏を勧める……とまではいかなくとも、その動きは一時的でも止まります」
「認めないと、俺は言ったはずだ」
 無遠慮に話を進める軍師に幼なじみも同様の声をする。レオナはじっと耳をそこへと欹《そばだ》てていた。
「たしかに懸念すべきところではあります。あちらを率いているのがかのオルグレム将軍なのですから」
 幼なじみの反論に被せるように軍師は言う。そして、レオナはその人の名を、必死に思い出そうとした。彼らの話は続く。
「次はマリアベル殿下を関わらせる気か」
「当然です。元はと言えば、かの要人がルダに身を寄せたことからはじまったのですから」
 そうだ。オルグレムという人は、たしか王妃の親類に当たる人だったと、レオナは記憶を結びつける。つまり、幼なじみの軍師はレオナの義理姉を戦場へと引き込もうとしているのだ。
 マイアの騎士、それも精鋭部隊となれば王家への忠誠心は厚く揺るぎないものだろう。それが歳を重ねた往年《おうねん》の騎士であり、若兵たちを導く将軍の地位にある者ならばなおのこと、ルダの訴えなどとても届かず、たとえ聖騎士である幼なじみでも同じなのかもしれない。けれども、かの将軍の身内の声ともなれば、あるいは耳を傾けることもあるだろうと、それは賭けにも近いやり方だ。
「……ともかく、まずはオルグレム将軍をこちら側へと引き込むことから、でなければ話ははじまりません」
 レオナは顔を上げる。幼なじみと軍師の会話はまた終わってはいなかった。
「公子。本当に分かっているのですか?  あなたの理想だけではこの先の戦いにはとても勝てません。ラ・ガーディア、それからグラン。何のために戦い続けてきたのでしょう?  すべてを無駄にするおつもりですか。あなたの覚悟がそれだけのものとは私には思えませんが」
 飛び出していきたい。衝動的になるのをレオナは必死にこらえていた。覚悟が足りないわけではない。幼なじみが何を躊躇い、頑なに首を縦に振らないの理由を、レオナは分かっている。痛いくらいに。彼が、何に苦しんでいるのかを。
「そのわずかな可能性に、縋れと言いたいのか」
「今さら、何をおっしゃるのです?  この際はっきりと申し上げましょう。公子、あなたはこれでは本当に逆賊となるだけです。それでもまだ使えるべき力を使わないというのならば、それはもう理想ではない。あなたは狂言者だ」
 それを最後に声は途切れたものだから、レオナは慌てた。今になって引き返そうとしても遅かったようだ。はじめにこちらへと向かってきたのは軍師で、レオナの姿を認めるなりあからさまに目が細くなった。
「どうにも姫君は盗み聞きの趣味をお持ちでいらっしゃる」
 今度ばかりは言い訳はできなかった。だから、レオナはちゃんとセルジュに向き合う。幼なじみの姿がないのは、彼は軍師とは別の方へと行ってしまったのだろう。でも、それでいいかもしれない。これからレオナが口にするのは、彼をもっと悲しませてしまう。
「気にしなくても、いいの」
 一瞬、レオナが何を言ったのか、セルジュは聞き取れなかったようで、より眼差しがきつくなった。けれども、軍師はレオナが何を言いたいのかを、声にするより早くに理解しているはずだ。レオナはもう少し笑みをやわらげた。
「あなたの言っていることは正しい。ブレイヴも、ほんとうはわかっているの」
「ええ。そうでしょうね。あの方は、それでも最後には決めてくださるはずですから」
「ちょっとだけ、頑固なの。知っているでしょう?」
「……嫌というほどに。しかし、それはあなたも同じだと思いますが?」
 ため息まじりに返されたものだから、レオナは正直に驚いた。軍師が面と向かってこんな物言いをするのはめずらしいもので、そもそもここまで長く話をしたのもはじめてかもしれない。
「だいじょうぶ。わたし、だいじょうぶだから。ちゃんと戦える。そう決めたの。それに、説得もする。ブレイヴも、マリアベル王妃にも、話をするから」
 作った笑顔にならないようにと、レオナは気をつけていたものの、セルジュはにこりとも返さない。もともとがこういう人だ。分かってはいても、少しだけ物足りなくなる。
「だから、あなたも、そんな風に傷つかなくてもいいの」
 伝わればいいと、思う。こうして幼なじみと従者が、主君と軍師が仲違いをしていては、それだけ軍の雰囲気も悪くなる。ともすれば士気が下がりかねないし、何よりレオナは二人がすれ違ったままでいるのがつらいのだ。セルジュはしばらく無言でいたが、レオナがいつまでも視線をそこから外さないのでやっと息を吐いた。
「何の話でしょう?  思い違いをしておられるのでは?」
「いいえ、わかるわ。だって、あなたはアステアの兄さまだもの」
 やさしすぎるからだ。ブレイヴもセルジュも。本音で話しているはずなのに、必要以上に感情を押し込めているのは、二人が信頼し合っているからこそ。
「でもね。ちょっとだけ、うらやましいの」
 悪戯っぽい笑みにはさすがに不審に思ったようで、セルジュの双眸には再び冷たい光が宿る。でも、これはいい機会であるからぜんぶを話してしまおう。レオナは続ける。
「だって、ブレイヴがあんな風に怒るところ、わたしあんまり見たことないから」
 それには嫌味なほどはっきりとため息が返ってきた。
 

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