六章 あるべき場所へ

マイアの敵

 軍議を行うために造られたこの部屋は、何十人と入れるだけあって広い。
 ルダの建物は吹雪や寒さに耐えられるほど強い造りとなっているものの、大きな暖炉一つでは間に合わないほど外は大雪で、身体が冷えてしまっても耐える他はないのだが、これでは敵が来る前に体調を崩す者の方が多くなるだろう。聖堂では今も名立たる魔道士たちが、己の限界の時が来るまで魔力を使い続けている。そうしなければ、もうとっくにルダは雪の季節を終えているはずだ。
 長机に並んでいるのは二十人ほど、ルダの閣僚たちはそろって大人しい性格をしているためか政治には積極的な姿勢を見せても軍事にはそれほど関わろうとしない者ばかり、軍を指揮していた軍師にしても半年前に逝去せいきょしてからその席は空いたままで、次に権限を持つ将軍にしても騎士たちにしても右往左往するだけ、上の指示をただひたすらと待っている。この中にルダの要人は三人いるものの一人は他国へ嫁いだ公女であり、本来彼らを導くべき立場の末子は成人にもならぬ少年、だからアイリスが動かざるを得なかったのかもしれない。
 ブレイヴは彼らを順番に見る。
 いずれも濃い髪の色を宿しているのは、ルダはやはり生まれ持った魔力が他の国の人間とは違う何よりも証、力強さを感じさせる赤褐色に夜の色と同じ藍、とりわけ目立つのが神秘的な紫でそれは数えるほどしかいない。同様に銀髪の人間もそこそこいるが、彼らは魔の力に恵まれなかったために剣や槍を手にして戦うしかない者たちだ。そして、上座へと座る少年もまた。
「ともかく、状況の確認をしたい」
 ルダには昨夜の遅くにやっと着いたばかりであり、ブレイヴはまだ仔細を受け取ってはいなかった。説明を求めるべく、ブレイヴの視線はかの公女へと向けられていたがアイリスは肘を付いたまま、しばらく待ってみても唇は動きそうになかったので、ブレイヴは仕方なく弟の方へと目を向ける。
「は、はい。では、僕が……いえ、私が、」
 勢いよく席を立ったものだからアロイスが持っていた羊皮紙は床へと散らばってしまった。慌てながらそれを拾う少年を従者たちが手伝い、どこからか溜息が落ちる。それも複数だった。
 気持ちは分からなくはない。ブレイヴは苦笑しそうになった唇を元に戻す。アロイスはこの春に十五になったばかり、こんな大人たちを、それもそこそこに殺気立っている中で平常心を保てという方が難しいだろう。
「アロイス」
「は、はいっ」
「ゆっくりでいいから、聞かせてもらえるかな?」
 ブレイヴはもう少しだけ声をやさしくした。ここには先にルダへと着いた仲間たちもいるが、ブレイヴと共に昨晩着いたばかりの者もいて当然疲れは残っている。ブレイヴの隣に座る軍師はもうすでに苛立っているらしく、けれどただでさえ緊張している少年に圧を与えても何にもならない。たしかに他の者に問えば話はもっと進むかもしれなくともそれでは意味がなくなるし、何よりアロイスがルダの者たちの信頼を失うことになりかねない。ここは慎重に発言するべきだ。
 アロイスは大きく深呼吸をした。二度繰り返したところでやっと声は下りる。
「王都マイアからの書状が最初に届いたのは、八カ月ほど前のことです。アナクレオン陛下の署名がありましたが、しかし私たちはそうではないと判断しました。なぜなら、書面ではマリアベル王妃殿下の安否を問う内容だったからです」
 ブレイヴは目を細める。冬がはじまる前となればマリアベルはまだ身重の身だったはず、もともと身体の弱い王妃を気遣う文を送るのは一見なんら問題もないように見えてもそうではない。事が進んだ今となっては隠しようがなかったとしても、その当時に王妃がこのルダへと身を移されたことを知っているのは限られた者だけ、それをわざわざ問うような真似をアナクレオンはしない。
「ルダとしては返答に窮しました。どちらで応えたとしても虚偽に聞こえてしまうからです」
 つまりは、《はい》か《いいえ》の二つしか存在しなかったということで、王妃マリアベルがこのルダに身を寄せているのを知った前提で聞いているのだ。
「それから再三にわたってマイアからの書状は届きましたが、いずれも文面は違っていてもマリアベル様に関することばかりで……」
 うつむきかけたアロイスにブレイヴは目顔で続きを促す。
「ルダとしては、何も知らないふりを突き通しました。ですが、このひと月前に届いた書状には……」
 そこで言葉は終わる。ブレイヴはもう少し呼吸を深くした。みなまで聞かなくともその先は容易に想像ができるもので、けっきょくルダは虚偽を重ねているとみなされたようだ。王家への、マイアへの疑惑が膨らめば、それはもう反逆の証と取られてしまう。ブレイヴの祖国アストレアのように。
「マリアベル殿下を引き渡さなければルダに明日はない。そういう脅しよ、これは」
 冷え切った声音はアイリスのものだ。半分は当たっているが、そうではない。引き渡したところでルダはもう疑われているのだから逃れようがないのだ。アイリスが狷介けんかいたちであったとしても、それとはまた話は別であり、ルダとしては戦うか屈するか。道はどちらかしかない。
「そこから先はご想像どおりよ。マイアは突然、大軍を持って押し寄せてきた。王妃サマは産後でやっと落ち着いたところ、王子は首が座って間もない頃にね」
 この機を狙っていたと言いたいのだろう。ただでさえ虚弱な体質のマリアベルには、ルダという過酷な地はそれだけで負荷になる。世継ぎとなる子を失いかねないような真似まではさすがにしなかったようだが、無事に生まれてしまえば話は別だ。奴らはそこまで計算に入れた上でルダを手に入れようとしている。
 しかし、かの元老院が使嗾しそうしていたとしても、ここまでの動きができるかどうか。ブレイヴはアナクレオンのことを思う。王都は今、どうなっているのだろう。ブレイヴがイレスダートを離れている間にいくつかの混乱が起きていたはず、アナクレオンは再び公務に就いているとは聞いたもの、離れていた時分に綻びは生じるもので、その隙を突かれたとなれば――。
「そもそも、聞きたいのはこちらの方なのよね。国王陛下はどういうおつもりなのかしら? マリアベル殿下を預かれと言ったかと思えば今度は返せですって? 勝手な言い分よね」
 さすがにこの発言は過激だと思ったのか、従者たちが諌めるような声をする。けれど、これに同調する者も少なくはない。アイリスほどではなくとも同じような目をしている者がいる。
「ルダはマイアから預かっている国だということは、分かっているわ。公爵家として、それは今さら言ってもどうにもならなこともよね。けれどルダは、マイアの属国であっても、そのすべてを支配されているわけではないわ。ある程度は対等である、そうでしょう?」
 アイリスは力任せに机上をたたく。ルダはマイアにまつろわぬというわけではない。しかし、その言い分がもっともだとしても、ブレイヴはアイリスの全部を肯定するつもりはなかった。ただ、自らも同じ状況であるから、ルダの怒りは痛いほどに分かる。忠誠心や信頼、そこに私的な感情が入っているのは否定しない。ブレイヴは主君であるアナクレオンをいつだって信じてきた。だから、アイリスの次の言葉には驚いた。
「つまるところ、アナクレオン陛下はそれすら分からないほどの男ってことよね。臆病者って揶揄されていた前の王サマの方がまだ物分りはいいわ。ルダを平等に扱ってくれたもの」
 それには誰もが絶句した。姉のアイリオーネは気の毒そうな目をし、弟のアロイスの頬は青ざめている。他のルダの者たちはどう言った顔をするのが正解か分からないようで、ブレイヴの隣の軍師は無表情、いやこれは幾分かのあきれを含んでいるのだろう。
「取り消してください」
 静かに、けれどはっきりとした物言いは、たしかに聞こえた。
 ブレイヴは彼女を見る。意外だとは思わなかった。数々の愚弄とも取れる発言はすべて幼なじみの兄に対するもので、ここで聞き捨てるわけにはいかなかったのかもしれない。
「あら、はじめまして。オヒメサマ。言っておくけれど、相手が誰であろうと取り消すつもりはないわよ」
 アイリスは遠慮をしなければ敬意をそこには示さない。最初からそう言う人だと知っているブレイヴならば、いや幼なじみもそんなことは気にしない人だ。けれど、ここで退くつもりもないらしい。
「その呼び方はやめて。わたしは、レオナよ」
 語調の強さは意外だったようだ。アイリスは一拍を空ける。
「そ。じゃあレオナサマは何もご存じないのね」
「さまも要らない。レオナでいいわ」
「レオナ、は知っているのかしら?」
 刺のあるやり取りでも幼なじみも負けてはいない。ただ、アイリスの意図するものを汲むための時間は必要だったのか、レオナは机上で作っていた手を組み替えた。
「いいえ。わたしは兄上ではないのだから、そのすべてを理解しているわけではないわ。でも、兄は間違ったりはしない。いつだってマイアの、イレスダートのためを思って動いてきた。兄上が今のルダに、この件をまったく知らないとは思えないけれど、でもこれは、」
「どっちだっていいわよ。そんなもの」
 アイリスは片手を上げて、レオナの声を遮る。
「これに、国王陛下が関わっていようがいまいが、元老院が下した命令であろうがなかろうが、今さらそんなこと関係ないのよ。でもね、これだけは言える。マイアはルダの敵。そうでしょう?」
 アイリスはルダの衆に視線で同意を求める。それぞれが目を合わせないようにしているのは、ここにマイアの姫君がいるためか。
「いいえ、逆ね。ルダを敵とみなしたのはマイアよ。それも一方的にね」
 微笑するアイリスだが、そこには自嘲と愁傷が同じくらいに見える。そこではっきりと分かった。アイリスの怒りは悲しみだ。裏切られたのだという事実が苦しめているがゆえの。
「だから、戦うというのか?」
 ルダはもう退けない。ただ、降伏するという意思はないだけだ。
「アストレアとは違う。ルダは最後まで戦うわ」
 当てつけに腹は立たないにしてもブレイヴは溜息を吐きたくなった。だが無遠慮に嘆息したのはセルジュの方だった。
「それは勇敢だとは言えませんね。無謀でしかない」
「好きに言いなさいよ。私はね、王が誰であろうと別にいいの。アナクレオン陛下のことを信じているわけでもない、現に裏切られたことだしね。でも、これだけは言える。そのやり方は間違っている」
「だから、それは兄上の意思ではないわ!」
 椅子が派手な音を立てる。両者の勢いはそのままで、誰も割って入れないほどになっていた。
「だとしても、そうやって好き勝手に動き回る奴らを、野放しにしておくくらい愚鈍な王に変わりないのよっ!」
 感情が爆発したのはそのどちらもだ。しかし、レオナの方が行動は早かった。周りが止める間もなくアイリスの元へと詰め寄ると同時に右の手が上がる。乾いた音が響き渡れば、その瞬間に何が起こったのか分からなかったのはたたかれたアイリスだけではなかったようだ。誰もが呆然としている中で、レオナは叫ぶように言った。
「黙りなさい! 兄を侮辱するのはこのわたしが許しません!」
 そこでやっと我に返ったのだろう。アイリスは衝動に任せて手を振り上げる。二度目の音が鳴った。
「黙らないわよ! 間違っているのはマイアの奴らじゃない! ルダは決して屈しない!」
「兄は、間違ったりしない!」
「なにも知らないオヒメサマのくせに、知ったような口聞かないで!」
「あなたこそ、勝手なことばかり言わないでっ!」
 こうなればもう二人の意地のぶつかり合いだ。頬を張る音は繰り返し、周囲が慌てて二人を引き離そうとするものの、その興奮が静まるどころか逆効果となる。
「あ、あああ姉上っ! や、やめて。おちついてください!」
「うるさいわね! 離しなさいよっ!」
 アロイスだけの力では抑えきれず、従者が三人がかりでアイリスを羽交い絞めにするが、それも振り解かんばかりの勢いだ。
「……っ! は、はなしてっ!」
「だめだよ、レオナ。落ち着いて」
「だって、あのひと……っ!」
 レオナもまたブレイヴの腕から逃れようとする。ここで離してしまったら二人は拳で殴り合ってしまいかねないので、絶対に離すわけにはいかない。意外なほどにブレイヴが冷静だったのは、普段は大人しい幼なじみがここまで取り乱したところを見るのははじめてだったからだ。ブレイヴはレオナが作った拳を解こうとする。勢い余って殴られたとしてもその時はその時だ。しかし――。
「二人とも、口を慎みなさい!」
 すっかり混乱した軍議室が一気に静まり返った。それはかの人の声があまりに大きかったからと、まさかこのような声をするとは誰も予想していなかったためだ。
「だって、アイリ姉さま!」
「でも、アイリ!」
 まだ収まらないのか二人は同時に言う。けれど、二人ともが次を紡げなかった。姉を羽交い絞めしたアロイスは今にも泣き出しそうになり、幼なじみを抱くブレイヴもちょっと顔が引き攣った。それほどに、アイリオーネは見たこともないようなこわい顔をしていた。
「ここは、軍議をする場所です。子どもが喧嘩をする場所ではないでしょう。ふたりとも、なんて見苦しい。少し頭を冷やしてきなさい。けれど、もうここには戻って来なくてよろしい」
 もっともな声を年長者からごく当たり前のように言われてしまえば、大きな子どもの二人はそこでようやく大人しくなった。アイリオーネはその大きな子どもを止められなかった大人たちに向かって続ける。
「一時間後、軍議を再開します」
 熱が籠った室内とは反対に、外ではまだ雪が降り続いていた。


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