六章 あるべき場所へ

思惑と選択

 声を発する前からその目は騎士を敵だと認めていたのだろう。
 老将軍は苦笑をし、麾下きかの騎士を部屋から追い出した。白髯はくぜん禿頭とくとうは老騎士が若い頃から苦楽をともにしてきた重臣、いや同志である。二人きりにするわけにはいかない。そういう目顔をするものの、しかし言葉はなく老将軍に従った。
 さて、どんな声が返ってくるのだろう。
 したたかな老人だということは知っている。だが、相手が悪い。セルジュが論破されることなどまずなかったし、はぐらかされようとも追及するつもりだ。セルジュがただ一人でここへと来た理由は一つだけ、はっきりさせる必要があると思ったからだ。主君へと告げるのはそのあとでいい。そこに、どんな言葉が用意されていたとしても。
「貴公は良い軍師ではあるな。しかし、良い軍師がいれば必ずしも良い結果を生むとは限らぬ」
 挑発に乗るとでも思っているのだろうか。老将軍はそんな物言いをする。それから、わざと過去に触れることをする。そのような安っぽい感情がいまもセルジュに残っているのなら、立場もわきまえずに歯を剥き出しにしていただろう。不快も嫌悪もなくとも、その意図は知りたい。そういう視線を、セルジュはオルグレムに向けている。
「ふむ。たとえば、貴公の考えが当たっているとして、その先はどうするつもりだ?」
「あなたは認めるというのですね?」
 質問を質問で返すのはただしいやり方ではなかったが、その口から言わせなければ意味がない。オルグレムは微笑した。
「ならば、儂が答えてやろう。貴公にその判断は下せまい。聖騎士殿を伴わなかったのも、まだ迷いがあるからだろう」
 正解だ。だとしても、セルジュはそれを確信に変えていなかったし、そうであってほしくないとも思っている。舌戦をしたところでこちらの満足のいく答えがきけるとは思わなければ、老将軍は役者を降りるつもりもないのだろう。
 最初に違和を持ったのはいつだったのか、セルジュは正確に覚えてはいなかった。けれどもセルジュが老将軍を警戒しはじめたのは、ムスタールの黒騎士団が動き出す前、公子がアストレアを捨てると言ったそのあとだ。
 長机には要人たちがずらりと並んでいたものの、長い軍議のあいだに老将軍が発言したのはほんのわずかだった。アストレアの公子はもとより人を疑うことを知らない人間であるから、老将軍の声をまず受け入れる。そうして、叛乱軍の軍師を捕虜にしたオルグレムはムスタールの侯爵の元へ行く。セルジュという手土産と老将軍の巧みな話術によって侯爵はまんまと騙され、しかし叛乱軍に与したりはせずに、騎士の生き方を全うする。これによって、我らが軍はムスタールの戦力を分断させることに成功し、女神はこちらへと微笑んだのだった。
 そう。ここまではいい。重要なのはそこから先だ。
 一人の若き将軍をセルジュは失念してはいなかった。とはいえ、公子の交友関係をすべて把握しているわけでもなく、だからこそベルク将軍の存在はセルジュにとっては誤算とも言えたわけで、それをオルグレムという人間はどこまで読んでいたというのか。なにより妙なのは、解放されたセルジュよりも先にそこへとたどり着いたことだ。それこそ、瞬間移動ワープの魔法でも発動させなければそうならない。老将軍に近しい者のなかには高位の魔道士は居なかったはずと、セルジュは記憶している。
「いったい、どんな魔法を使ったのか。是非とも問いたいところですね」
 幼い頃より他の子どもよりも探究心があった。
 軍師の家系に生まれたセルジュはごく自然に英才教育を受けた。魔法の才能を見出されたときには王都マイアより魔道士が派遣された。七つ離れた弟の方が魔力に恵まれているとわかったときでも意欲を失うどころか、よりセルジュの知識欲は深まるばかりだった。さすがに禁術までには手を伸ばさなかったが、魔力のにおいは見逃さない。つまり、セルジュはオルグレムを疑っているのだ。
「まったく、良い目をする」
 オルグレムは慮外りょがいを咎めもせず、相好も崩さずにいる。その笑みが信用ならないのだ。セルジュは歯噛みする。たいした役者だ。他の者には気付かれないまま、しかしセルジュをここまで用心深くさせる。この老人はこれからもまだ芝居をつづけるつもりなのだろうか。
「とはいえ、まったくの想定外というわけではあるまい? これも運命の導きというものだ」
「ずいぶんと夢想的な言葉を使われますね。いい加減、はぐらかすのはやめて頂きたい。交渉には私が邪魔になりましたか? 公子よりもあなたの方がずっと計算高い」
 これにはさすがのオルグレムも瞠目する。そのまま激昂するかと思いきや、老将軍は声をあげて笑った。見縊られているのだろうか。ここまできたらそう考えるのが自然だ。
「軍師殿は正直すぎるな。主に似たのか、それとも似たもの同士の主従だからこそ、ここまで来れたのか」
「あなたは、すべてが偶然だとでもおっしゃりたいのでしょう? 公子は肯定するかもしれませんが、私は認めない」
「ああ、それでいい。だが、軍師は常に流れを読まなければならない。儂には大きなうねりが見える。我らがしている戦争がまさにそうだ。されども、人の意思ひとつで大局は変わる」
 言われるまでもない。セルジュは歯噛みする。
 ブレイヴとロベルトの邂逅、氷狼騎士団を襲撃した竜族、クレイン家の介入。人の心、その動きのすべてを把握するなど、どんな名軍師でも不可能だ。しかし、オルグレムの言っているのはそうではない。忠告、いや警告だとセルジュは身構えている。
「この軍はまだ若い。集まる光は小さかったものの、次第に大きくなる。いまがまさにそうだ。はじめは良かったのだろう。小さくとも強い光は消えはしなかった。公子の元に集まる者たちの意思はおなじく、しかしそうではなくなる」
「承知の上です。新兵の指導はクライドに任せております。彼はイレスダートの人間ではありませんが、傭兵の経験もあります。クレイン家に賛同する者も増えるでしょう。内通者の可能性ももちろん捨てておりません。……それで? 他にはございますか?」
 この戦いは、一度負ける。
 揶揄などではなく、老将軍はたしかにセルジュに告げたのだ。
 若く未熟な、けれども光と希望を携えた未来を進むものたちは、この先もまた幾多の困難が待ち受けているのかもしれない。そうしたときに、老獪な者がひとりはいなければならないのだと、オルグレムはそう言っている。そして、それができるのはセルジュだということも。
「正直だな、貴公は」
 オルグレムは笑っていた。仮面などではなく、本当に心から笑んでいた。
 騎士の老獪なやり口に騙されたりはしない。この老人はセルジュを欺こうとしている。仕向けようとしている。己が悪人となりて、どれだけ忌み嫌われようとも、疑われようとも、裏切りをつづけるそのつもりでいる。軍師は、それを見逃したりはしない。
「そこまでわかっているのならいい。軍師は兵を上手く使うだけでいい。無論、我らが騎士団も力となろう」
 やはり、そうか。
 セルジュは心中でため息を吐く。大陸最強と謳われる黒騎士団を撃破したとして、まだ王都には白騎士団がいる。この戦いが熾烈しれつを極めるのはここからだ。はたして、必要な犠牲など許されるだろうか。
「私は……、もう何度も失敗しております。次はありません」
 先に目を逸らしたのはセルジュだった。
 青碧の双眸には過去が映っている。セルジュは二度も過ちを犯している。オリシスのアルウェンは死線をさまよう重傷を負っただけではなく、のちに王都から引き離された。セルジュの居場所はオリシスにはなくなり、しかしアストレアにも戻れず放浪の末にたどり着いたのが西のラ・ガーディアだ。イスカの国で王の連れ合いに拾われ、そこでもセルジュは軍師だった。それなのにまたも敗北をした。かの戦士の魂がイスカの大地に還らなかったのはセルジュのせいだ。それが、結果論だったとしても、誰もセルジュを責めることしなくとも、セルジュ自身は己をいまも呪いつづけている。生きることすらやめていたセルジュだった。赦すと。ただひとり、セルジュに告げたそのひとがいなければ、いまのセルジュはない。
「公子は、どうしようもないくらいに理想家です。勝つための犠牲など割り切ることのできない人間です」
「それを導くのが軍師の役目だ」
「私一人が汚れ役を買うのは構いません。……ですが、口で言うほど簡単ではありません」
「気に病むことはない。恥じることもない。それが、戦争だ」
 選ばなければならないときが来るのだ。老将軍はそう言っている。セルジュは拳を固く作った。









 レナードの視線は山盛りサラダに注がれていたが、その手はしばらく止まっていた。色取り取りの野菜は新鮮そのもので、白身魚のソテーもよく身が締まっていて美味しい。根菜のスープにしてもせっかくの熱々の料理なのに、このままでは冷めてしまう。レナードは思い出したように時々手を動かすが、咀嚼するまでに時間がかかっている。普段のレナードならとっくに食べ終えている頃だ。
「レナード、早く食べなさい!」
 ルテキアの声も三度目だ。しかしレナードは生返事をしたまま、フォークを持った右手は一向に動かないし反対の手はというと頬杖を付いている。ついさっき行儀の悪さを怒られたばかりなのに、本人の耳を見事にすり抜けていた。
「ルテキアさあ、言うだけ無駄だって。こういうときはさ、放っておくのが一番だよ」
「なにも食事中に、考えごとをしなくてもいいでしょう?」
「それ、ちょっとちがうかな。さっきクライドさんにこっぴどく怒られたばかり。でも、レナードはぜんぜん堪えてないみたいだし」
 ノエルはフォークをくるくる回しながら笑う。異国の剣士に剣の教えを請うたのは他でもないレナード自身で、それはオリシスにいた頃から数えて一年が過ぎたいまもつづいている。辛抱強い性格なのはレナードもクライドもおなじだったらしい。とはいえ、今日の出来はあまりにひどく、身の入りなさにクライドという人を怒らせてしまった。
「もう、いいわ。私は先に行く」
 席を立ったルテキアにレナードはやはり適当な相槌を打つ。レナードの隣でノエルがため息を吐いたのは、彼女が苛立っている理由を知っているし、自分に一因があったからだ。
「まだ怒ってるのかなあ、ルテキアは。姫さまの傍付きだからって、そんなに自分を責めなくてもいいのにね」
「……え? ルテキア、怒っていたのか?」
「ぜんぜん、人のはなしきいてなかったよね」
 ノエルのため息なんかまったく気にせずに、レナードはやっと野菜サラダに手を付けた。その日一番に届けられた野菜は瑞々しくてとても美味しい。そういえばと、レナードはふいに思い出す。この軍はどんどん大きくなっているし、人もルダにいたときよりももっと増えている。兵を動かすにはとにかく金が要ることくらいレナードだって知っている。公子と軍師はどんな魔法を使ったのだろう。そうでなければ、こんな新鮮で美味しい食事なんかできない。
「いいからそれ、早く食べたら?」
 ノエルにせつかれて、そこで小一時間も自分がぼうっとしていたことに気がついた。相棒はとっくに食べ終えているし、ルテキアも行ってしまった。隣の長机にはルダの魔道士たちがいて、その向かいにはグランの竜騎士たちが、他にもオルグレム将軍の騎士たちもこの食堂を使う。我が物顔でここを占領しているのに、氷狼騎士団の人たちはなにも言わない。敵でも味方でもない氷狼騎士団に適切な言葉を使うなら同盟軍がただしい。彼らは明日、レナードたちと戦う相手とはならないからだ。
「あのさあ、レナードがそうやって考えこんでも何にもならないよ?」
「なんだよ、それ。お前にそんなこと言われたくない、俺は」
「俺はレナードよりはずっと考えてるつもりだよ」
 きっと、ノエルはレナードの心のなかを読んでいるからこういう言い方をする。
「そういうむずかしいことは、俺たちが考えなくてもいいんだよ」
「わかってるよ、それくらい。でも、俺は……やっぱり戦えないよ」
 固くなったバケットをスープに浸して、咀嚼をするより前に声を返す。食べながら物を言うなんて、それこそルテキアに叱られるだろう。ナイフとフォークの使い方、スープは音を立てて飲まない。レナードが貴族の家の子になってからの決まりごとだ。他にも騎士にはたくさん守らなければならないことがある。けれど、それだって誰が最初に決めたのだろうと、レナードは思う。
「だけど、そうしなくっちゃあいけない。オリシスも動き出したっていうし、アストレアもじきに……」 
 ムスタールとの戦いがはじまる前に公子は、アストレアを諦めると言った。
 軍議室にレナードもノエルもいて、きっとおなじ顔をしていたはずだ。失望はしなかった。アストレアは強い国だ。マイアの支配を受けようともレナードの祖国はぜったいに矜持を失わない。耐え忍んで、その人の帰りを待つのをアストレアの民は苦にしないのなら、レナードを悩ませているそれも杞憂に過ぎないだろう。
 でも、と。レナードは口のなかで落とす。
 あの男がアストレアにいるのならば話は別だ。粗野で凶暴で悪虐な行いをレナードはその目で見てきた。あの男を騎士だなんてレナードは絶対に認めない。
「レナードはさ、単純なんだよ」
 これで喧嘩を売っているつもりでないのなら尊敬する。言い返すのも面倒になってきたレナードとは対照的に、ノエルの表情はずっとそのままだ。
「だけど、気持ちは一緒だ。俺も、あいつだけはゆるさない」
 ノエルの弓は必ずあの男の胸を貫く。レナードは自分が射殺されたような錯覚に陥った。おなじ歳、それから同期のノエルはレナードよりもずっと冷静だ。いつだってそうしてレナードを諫めてきたというのに、いまのノエルは抑えきれない怒りで震えているみたいだ。わかってる。俺だって、おなじだ。
「要するに、そのエレノアってひとを助け出せばいいんだろ?」
 レナードとノエルの視線が同時に向かう。いつのまにいたのだろう。ふたつ空いた席にはデューイがいた。
「あのね、そんなに単純な話じゃあないの」
「ま、いいから最後まできけって。つまりさ、そのひとの無事を確認すればいいってわけだ」
 話が噛み合わないとばかりにノエルはため息を吐く。レナードもつづける。
「それだけじゃない。蒼天騎士団にも会って伝えなければいけない」
 アストレアの蒼天騎士団を束ねているのは団長のトリスタンだ。トリスタンは亡きアストレア公爵の妻エレノアの騎士であるから、その人の意思なくして騎士団を動かしたりはしない。けれども、いまは状況がちがう。軟禁状態のエレノアの命を盾に、あの男はトリスタンを恐嚇きょうかくする。そうなれば、公子は自分の国の騎士たちと戦わなければならなくなる。そんなのは絶対に嫌だ。
「とにかくだ。誰かがうまくアストレアの城内に忍び込んで、蒼天騎士団に近づく。まずはこっちの意思を伝えて、もうちょっと我慢してくれってお願いするだろ? それからあわよくば公子の母さんを助ける」
「簡単に言うなよ。それに、誰かがって誰だよ」
「そりゃあ決まってる。俺と、お前とノエルの三人いれば、」
「ちょっと待った。俺は何もきいてないからな。いまの話」
 そこでノエルは席を立ってしまった。相棒があきれるのも当然かもしれない。いつものレナードなら相手にしないような話だ。
「そもそも、これ以上アストレアの領域には近づけないし、うまく入れたとしてもマイアの騎士たちでいっぱいだ」
「あれえ? サリタでレオナを助けたのは誰だったっけ?」
 反論をつづけようとしたレナードの肩をデューイは旧友みたいにたたく。話が話なのでさすがのデューイも小声で、さっきまでノエルがいた席に収まっている。たしかに、そういう生業をしてきたデューイならば簡単にアストレアの城に忍び込めるのかもしれない。ちょっとだけ話が現実味を帯びてきたような気がしたレナードに、デューイは人好きのする笑みを見せた。 


Copyright(C)2014 asakura All rights reserved.designed by flower&clover
inserted by FC2 system