六章 あるべき場所へ

在りし日の

「それで? 後始末もすべて、私に押し付つけるわけですね?」
 叱責も詰問も説教も、軍師の声はすべてきくつもりでいたものの、こうも無遠慮に吐き出されてしまっては反論したくもなる。
「それをどうにかするのが、お前の仕事だろう?」
「ええ、まったくです。しかし、あなたは軍師を便利屋かなにかと誤解なさっているのでは?」
 ブレイヴは苦笑する。それならば騎士だっておなじだ。本来は戦場に立つことが仕事の騎士も、貴人や要人の護衛に努めることもある。なぜそれをいま思い出したのか。きっと、ロベルトに会ったからだ。
 セルジュと合流できたのは日が完全に落ちてからだった。
 主力部隊を率いていた聖騎士がいつになっても戻らない。治療部隊とともにいた王女が突然に消えた。これらふたつを氷狼騎士団に結びつけるのは容易ではなかったはずで、それでも軍師はここを捜し当てた。
「すまない、苦労をかける」
「そう仰るのであれば、もうすこし自重して頂きたいですね」
 もう怒る気にもなれないのか、軍師の毒舌にも覇気がなかった。相当に疲れているのだろう。すこし気の毒になってきた。
「過ぎたことを言っても何にもなりませんが、……ジークでしたらなんて言ったでしょうね」
 ブレイヴは笑みを消さない。いまいない者のことを考えても仕方ないからだ。
「しかし、これもあなたの計算のうちに入っていたのですか?」
 ずいぶんと悪い言葉を吐くものだ。それに、どのことを言っているのだろう。ブレイヴは視線を彷徨わせる。氷狼騎士団の砦で起こった火災は収まっていたが、まだ火事のにおいは残っているし、騎士たちは慌ただしくしている。氷狼騎士団を率いている将軍がロベルト・ベルクと知っていたのだろう。ブレイヴとロベルト。王都マイアの士官学校にいた二人の関係にしても、想像に難くない。
 それから、もうひとつ。
 軍師はこれがただの火事ではなかったと見抜いている。魔力のにおいでも残っているのかもしれない。竜人ドラグナーたちは人間の国に干渉してくるし、ブレイヴの前にも現れる。いや、これはただの偶然だ。ブレイヴはそう思う。
 どちらにしても想定外だった。ロベルトはまだブレイヴの味方じゃない。彼はオルグレムの声に肯定の意を示していなかったし、これからどういう答えを出すかどうかもわからない。それなのに、オルグレムの騎士団はもうここへと来てしまっていて、ルダの部隊もまもなく合流する。竜騎士を見たと言う者もいるから、グランの王女セシリアもここに加わる。これでは本当に侵略者みたいだ。
 質問に声が返ってこないことを首肯ととらえたようで、軍師はずっとブレイヴを見つめていた。
「ともかく、まずは身体を休めてください。また傷を負ったのでしょう?」
 ここは素直に従った方が良さそうだ。セルジュの本職はあくまで軍師であるし、何より治癒魔法がさして得意ではなかった。彼女にちゃんと直してもらえと、そう言っている。しかし、ブレイヴは幼なじみのところへ行く前に、捜すべき人がいる。
 別塔から居館へと進むあいだに氷狼騎士団の者たちとすれ違った。
 招かれざる客の聖騎士の顔を見て、少年騎士たちはどういう顔をするべきかわからずに、けれども好奇心が勝るのか視線だけを寄越してくる。すこし年長の青年騎士が少年らを小突いて、しっかり騎士の挙止をさせる。本当に良い騎士団だ。彼らはロベルトを信頼しているから感情を胸へと閉じ込めているし、勝手な行いもしない。呼び止めたところで声が返ってくるとは期待できそうもなかったので、ブレイヴは自分の足で彼を捜す。回廊のずっと先からは歌声がきこえてくる。聖堂とは反対の、この先には兵舎しかない。すると歌っているのはここの騎士たちなのだろう。その旋律にブレイヴはきき覚えがあった。あれは、まだブレイヴが士官生だった頃にきいた歌と、おなじだった。
「あのうたをさいしょに歌ったのは、パウルだった」
 足は勝手に止まっていたようだ。そうして、ブレイヴはゆっくりと振り返る。そこには彼がいて、過去をなつかしむような顔をしていた。
「うたうたいのパウル」
「そうだ。やつはいま、ムスタールにいる」
 途端にブレイヴの息が止まった。ロベルトは北に視線をやる。
「騎士はとっくに辞めてる。神の申し子エリックがパウルを誘ったんだ。だからいま、パウルは大聖堂にいるし、エリックは大司教のひとりだ」
 懐かしい名前が並ぶ。王都マイアの士官学校でともに学び、ともに歩んできた仲間たち、いや友人と呼ぶべきだ。
「小肥りのニコラは流行病に罹って騎士にはならなかった。すっかり痩せちまって、でもいまは子どもが四人いる。もう貴族ではないから、なかなか苦労しているみたいだけど、それでも……しあわせそうだったよ」
 ときどき、会いに行っているみたいに、そんな言い方をする。もしかしたらニコラはこの近くにいるのかもしれない。病に倒れたときに看病してくれた女性を好きになって、それから愛を告げた。ニコラの父親はひどく怒って結婚を許さなかったという。息子は病で死んだ。その話はしばらく士官学校で噂されていた。
「そうだな、おれが名前を覚えている奴といえば、あとはのっぽのマルクスくらいか。おれと、おまえと、マルクス。騎士で残ってるのは三人だけだ」
「マルクスは……」
「白騎士団だ」
 ロベルトはひとつため息をする。
「上流貴族の坊ちゃんだったからな。それに父親は元老院だ。そのうちに勝手に出世はするだろ」
 妬心としん怨嗟えんさとはちがう。ロベルトは昔からそういう感情をしないひとだった。ただ、面白くなさそうに吐き捨ててこちらの反応を追っているだけ、どういう声で返すべきかをブレイヴは迷う。
「おまえは、やっぱり嫌なやつだ。ぜんぶ自分ひとりが背負ってるような顔しているくせに、自分で思っているよりもずっと覚悟ができてない」
 無理に笑顔を作ろうとして失敗した。否定はしない。そのとおりだと思った。
「このまま南へと向かうことを白騎士団は許さない。おまえはのっぽのマルクスとも戦う。ムスタールで教官を斬ったときみたいに」
「ロベルト」
「事実だろ。なんで怒る必要がある?」
 挑発には乗らない。喧嘩をするために彼を捜していたわけじゃない。ロベルトは失望している。それに、怒ってもいる。真実とは異なることを言われても腹は立たなかったが空しくはなった。ムスタール公爵の安否は不明だが、もしも相対したならばブレイヴは剣を交えるのを躊躇わなかった。それから、このまま歩みを止めるつもりもない。そうなれば白騎士団とは必然的に戦う。そこにはマルクスもいる。
「おまえの敵は何だ? 北のルドラスか? マイアか? それとも、あの異形のものたちか?」
「わからない」
 沈黙をすることは簡単で、けれども嘘を吐いてしまうのはもっと彼の信頼を失ってしまう。たとえそれが、ロベルトの望んではいない声だったとしても。
「でも、それでも俺は、行かなくてはならない。王都に帰ると約束したんだ。だから、裏切らない。絶対に」
 途中からきいていなかったみたいに、ロベルトは腕組みをする。
「理想だな」
 前にも二度おなじことを言われた。軍師以外にもそれを言われるとは思わなかった。非難する口吻こうふんはなくなり、どこか同情的に感じ取れるのだから、彼は本当に正直な人なのだろう。そして、本当にやさしい。
 いつの間にか歌声も届かなくなっていた。話したかったことはなんだっただろうと、思い出すのをブレイヴはやめる。本音でちゃんと話せるのはきっといまだけだ。ロベルトはずっとブレイヴの横顔を見つめている。嘘でも言いわけでも、何でもいいから言ってみろと、無言の圧力を掛けているみたいだ。ブレイヴはそれを微笑みで返す。二度目のため息は明らかに苛立ちが見えて、けれどもそれは彼自身に向けているみたいだった。
「あの異形のものたちは、何を目的としてる?」
「それも、わからない」
 ロベルトは舌打ちをする。
「やつらがおれの部隊を、再び襲わないという保証は?」
「ない」
 次は、はっきりと応えた。するとロベルトは黙り込んでしまった。死んだ少年騎士たちのことを思っているのかもしれない。
「けれど、その可能性は低いと思う。あの者たちの狙いはおそらく叛乱軍にある」
「どうして、そう考える?」
 それは、と。ブレイヴが唇を動かそうとしたそれと同時だった。名を呼ばれるまで彼女に気がつかなかったのは、ブレイヴが考えながら物を言っていたからで、声に反応したときには幼なじみは腕のなかにいた。
「っ……、レオナ?」
「……ならないで、」
 怯えているのか泣いているのか、最初の声はほとんど声はきこえなかった。
「いなく、ならないで。おねがいだから……」
 抱きとめた細い肩が震えていることに気がついてから、ようやくブレイヴは己の行いを恥じた。ロベルトの言うとおりだ。指揮官として失格だと認めるべきだろう。どのような状況下に置かれても他者を庇ってはならない。ブレイヴは死んではならない。
「だいじょうぶだよ、レオナ。俺はいなくならない。どこにも行ったりなんかしない」
 幼なじみはいまにも泣き出しそうな目で見あげている。どれほど心配を掛けただろう。どれだけ不安にさせただろう。セルジュやロベルトが怒るのも当然だ。たとえそれが、無意識の行動だったとしても。
「ほんとうに……?」
 切なそうに響く声音にブレイヴはただうなずく。うしろから咳払いがきこえたのはそのあとだ。居心地悪そうにする彼がさっきまでのロベルトとは別人に見えて、ブレイヴは幼なじみとの距離をほんのすこしだけ開けた。
「あの、ごめんなさい。おはなしの邪魔をしてしまって」
「いいえ……」
 ロベルトは思っていることの反対を言い、それに幼なじみは羞恥心と罪悪感の両方からうつむいた。ブレイヴはちいさく彼女の名を呼ぶ。気にしなくてもいいよ。あのまま噛み合わない会話をしていたら、きっと最後には殴り合っていた。
「あの、でも……、あなたはわたしのこと、覚えていらしたのね?」
「ええ。もちろんです。王女の顔を忘れたりしません」
 二人がどこかで会っただろうか。覚えがなくてまじろいだブレイヴに、レオナはちょっと恥ずかしそうに微笑む。
「白の王宮で……、あの日は慰霊祭だったでしょう? わたし、修道院から呼び出されて、でもブレイヴは会いにきてくれた」
「あれは……、士官生の……?」
 そうだ。やっと思い出した。もう何年も前の話で、ルドラス侵攻の際に犠牲となった士官生のための慰霊祭だった。またため息がきこえた気がする。忘れていたのはおまえだけだ。ロベルトはそういう目顔をしている。
「わたし、名前は知らなかったけれど、会ったときにそうじゃないかって。ふつうなら、話なんてしないまま追い返すでしょう?」 
「あなたは、怒っているのだと思っていました」
「いいえ。だって、あれはあなたのほんとうの声ではなかった」
 それらしい表情を作ろうとして失敗した彼を見て、なんだかすこしだけ昔に戻ったみたいだと思った。ロベルトは会話を終わらせたいのか彼女から目を逸らし、そしてブレイヴと今度は目が合う。すぐに逃げられた。
「人を疑うことを知らない方ですね。おれはいまでもそう思っていますよ。聖騎士を犠牲にすれば、この戦いが早く終わると」
「でも、あなたはそうなさらないでしょう?」
 これでは完敗だろう。失笑しそうになるのをブレイヴは堪える。
「あいにく、おれは気まぐれなんですよ。あなたたちをすぐにここから追い出すかもしれないし、次に会うときには敵同士かもしれない」
 いいや、気まぐれなんかじゃない。彼の気も変わらない。けれどロベルトはそう言い残して、そのまま行ってしまった。ブレイヴは幼なじみが安心できるように彼女の手を強く握ったままだ。遠くなってゆく友の背中を見つめながら、これから先のことを考える。なつかしい友と再会をしてブレイヴの心は過去へと帰ろうとする。けれど、ブレイヴはあるべきなのは現在いまだ。だからちゃんと進まなければならない。 
「ほんとうに、だいじょうぶなのね?」
 なにかこわい夢でもみたときのように、幼なじみはそういう目をしている。一緒にノエルがいないから、またこっそりと抜け出してきたのかもしれない。ブレイヴはレオナに本当のことをひとつ、それから嘘もひとつだけ吐く。
「ごめん、追いつけなかった。だから、手掛かりもなにも、」
「ううん、いいの。あなたが、無事ならいい」
 隠しごとはちゃんと見抜かれているのに、それでも幼なじみは笑おうとした。うまく作れなかったのは途中でブレイヴが遮ったからだ。指を絡め取り、反対の手で肩を抱き寄せる。声を奪ってしまえばもう彼女は逃げられなくなる。そのうちに呼吸がつづかなくなって、幼なじみの瞳が潤んでゆく。泣かせたいわけではなくとも離したくはない。それなのに、彼女はまだ抵抗しようとする。
「……っ、だめ。こんな、とこで」
「誰もいないところでならいいの?」
「やっ、ちが……っ!」
 レオナはどうにか抜け出そうと必死だ。ちょっとした意地悪ならばどこまで許してくれるだろう。唇から耳へと、髪に瞼に、首筋へと口づけを落として、自分がここにいるのだと彼女へと教える。清冽な花のにおいがする。ブレイヴは深く息を吸い込んで、それからそっと囁いた。
「もういちど、だけ」








 今日からは朝寝坊は絶対にできないと、心に決めていたのにいきなり失敗をした。
 厩舎にはもう先客がいて、レオナの顔を見るなりちょっと笑っていた。これはもしかしたら騎士なりの気遣いなのかもしれない。ごめんなさいを繰り返すレオナに、ノエルはいつもの笑みを見せてくれる。
 手伝いを申し出たのは自分の意思だった。いや、これはちがう。懲罰だ。
 扈従こじゅう馬丁ばていが控えている騎士ならばそれに任せるが、いまはとにかく人手を要する。勝手に抜け出した王女と、それを止めなかった騎士と。罰を受けるならば自分なのに、ノエルは主君に何ひとつ弁解をせず、幼なじみは苦笑していた。けれど、何らかの仕置きがなければ他へと示しがつかなかったのかもしれない。ここに集まっているのは以前のようにアストレアの仲間たちだけではなく、ルダやオルグレム将軍の騎士だっている。だからこそ、ノエル一人が負うのはおかしい。訴えるレオナに幼なじみはやっぱりすこし笑っていた。きっと、想定内だったのだろう。
 桶を抱えるようにして水汲み場に行き、戻って丁寧に馬の背に刷子ブラシを当ててゆく。一頭が終わればまた水を汲んで、レオナが終わる頃にはノエルはその三倍は進んでいた。ずいぶんと手慣れている。そういえば、騎士は動物が好きだと以前言っていたのを思い出した。
 大人しい馬もいれば気性の荒い馬もいて、そういうときにどうすればいいのかをレオナは知っていた。名前がわかる子ならば呼んであげるのもいい。何度もおなじ場所を梳いているうちに馬はすこしだけレオナに心を開いてくれるのだ。教えてくれたのは遠い西の友人たちで、レオナは彼女たちを懐かしく思う。ウルーグの姉弟と、イスカのシオン。耳元がなんだかくすぐったくなって、見上げてみれば白馬がレオナを催促していた。いつの間にか手が止まっていたようだ。
 朝食の時間に間に合ったのはよかったとはいえ、けっきょくほとんどノエル一人でこの仕事を終えてしまった。明日はもうちょっと早起きしなくてはと、レオナがため息を落としかけたそのときに、視界の隅に一人の男の姿を認めた。 
「もし……、貴女方は氷狼騎士団の方ですかな?」
 はじめはここの関係者だと思ったが、そうではなさそうだ。騎士と貴人に見える娘の二人組。厩舎に似合わない組み合わせに男は戸惑っているらしい。
「いいえ、わたしたちは……、」
 応えようとしたレオナをノエルは遮る。警戒するのも無理はない。旅行者か巡礼者か。どちらにしても厩舎に迷い込むのは不自然だ。それも、こんな早朝に。
 男の髪の毛や頬は年相応の老いが見られるが老爺と呼ぶのは早すぎる。しゃんと背筋も伸びているし男の装いは貴人のそれだ。
「ああ……、では叛乱軍の方たちですね」
「答える義務はない」
 ノエルの背に庇われているレオナに男の顔は見えなかったが、しかし男の声色は落ち着いているようにもきこえる。否定とも肯定とも取れない騎士の言葉にも気色ばむことなく、それで充分だという挙措きょそをする。
「やはり、聖騎士殿はイレスダートに戻られていた。……いや、失礼をした。我々は彼に、聖騎士殿に会いに来たのです。どうかお取り次ぎください」
 いったい何者なのだろう。イレスダートの聖騎士は三人、そのなかで男はレオナの幼なじみを指している。詮索するレオナに前で男は言った。
「私は、クレイン家の者です」  
 

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