六章 あるべき場所へ

雷光

 掲げた右の手をおろすと同時に、レオナはひとつ息を吐いた。
 雷を撃ち落とすのは造作もないことではあるもの、さすがに広範囲となれば話は別で、ルダの魔導士たちが作り出した雪を降らす分厚い雲があってからこそだ。
 けれど、と。レオナは思う。
 たしかに半年ほど前のレオナならばそれが不可能であっても、いまならば己の魔力のみで、できたのではないか。竜の血はレオナに力を与えてくれる。その気になれば国ひとつ簡単に壊してしまえるほどの力。幼なじみが最後までレオナが戦列に加わることを許さなかったのはこのためだろう。彼は、レオナをそこから引き離そうとする。戻れなくなってしまう、その前に。
「なんて顔、してんのよ」
 守備はうまくいったはずだ。それなのに、アイリスの声色は冷えている。
「ちゃんと狙ってほしいところよね。将軍に当たれば御の字よ」
 アイリスはずっと先を見る。レオナが落とした雷光は敵の足を止めるために放ったものだ。味方が巻き込まれないようにと、あらかじめ時間や距離は計算し尽くされていたが、敵を撃ち抜いたかどうかまではわからない。
「アイリス」
「……冗談よ」
 そうはきこえない。しかし、アイリスがレオナの覚悟の足りなさを見抜いているのならば非難の声は筋違いだ。
 レオナがいるのは本隊の最後尾にほど近く、そこには当然ルダの公女アイリスもいる。すなわちここが最後の砦というわけだ。前方ほど熾烈な攻防とならなくとも敵の勢い次第では激戦はさけられない。ルダの主力は魔道士たちの部隊だ。この雷《いかずち》は敵を威嚇するためのものであり、そしてここにマイアの王女がいるという知らしめるためだとしても、アイリスの言うとおり味方の軍を有利に導くのなら敵を全滅させる必要があった。レオナは呼吸を整える。魔力を調節するのは可能だ。あとは位置がわかりさえすれば――。そこまでたどりついて、レオナはちいさくかぶりを振る。
「ブレイヴはまだ、あきらめていないわ」
 かのオルグレム将軍と相見えたとき、幼なじみはきっと刃を交えるよりも前に言葉を交わす。王家に衷心の厚い将軍の心を動かせなかったとしても、最後まで声を届ける。それが、レオナの知っているブレイヴだ。
「私たちは、私たちにできることだけをするの。それだけよ」
 まるで自分に言いきかせているみたいだと、レオナは思う。すくなくともアイリスが自棄になっているようには見えない。本当は、自ら前線に出てその魔力を惜しまずに使う。そうしたいはずなのに、いまのアイリスはレオナよりもずっと冷静だ。背負っているものが軽くなったのかもしれない。彼女は長い間ひとりでルダのために戦ってきたのだ。
「大丈夫ですよ。きっと、うまくいきます」
 青髪の魔導士の少年はいつだって前向きで明るい声をする。レオナは応えるかわりにうなずいた。
「それに、レオナは僕が守ります。もちろん、アイリスさんも」
 騎士みたいに頼もしいことを言うものだから、レオナはアイリスと目を見合わせてちょっと笑った。
「だいじょうぶ。アステアも、わたしがまもります」
 アステアはきょとんとして、アイリスは意地悪っぽい笑みを唇に乗せる。
「王女サマはお強いのよ。だから、ルダが負けるはずがないわ」










 空が白く光ったと思えば、瞬きをする間に稲光がした。
 老将軍はざわめく騎士たちをまず制したが、その動揺はすぐには消えるものではなかった。
「オルグレム将軍。しかし、あれは王家の」
「おそらくはレオナ殿下であろうな」
 そして、再び騎士たちは騒ぎ出す。オルグレムは憶測で物を言わない。ルダで雷が起こるのは稀ではなくとも、しかもあれは確実にこちらを狙ったものだった。
 高位の魔導士がそろったルダの地ならばあるいは雷を扱える者がいてもおかしくはない。祈りの塔にて魔力を高め、己の精神を限界まで集中させ、そうして幾人もの力が合わされば聖なるいかづちにて敵を一網打尽とする。だが、ルダはそこまで愚かではないとオルグレムは考えている。
 なによりもおなじ光をオルグレムは見たことがあったのだ。
 あれは先代の王だった。マイア王家の子は竜の血と力を受け継いでいるためにその身に宿る魔力はふつうの人間とは比較にならず、あのような雷光を放つのは容易いことである。ゆえに竜の証を持つ者は己が先頭に立ち、光と剣を掲げて、そうやっていつの時代も人々を導いてきたのだ。
 しかしながら、王家の第二子ソニア王女につづいて第三子のレオナ王女もまた長く行方が分からぬ状態である。まさかこの辺境のルダに現れようとは誰も思うまい。とはいえ、白の王宮では密かな噂が広まっている。ムスタールで王女を目撃したという者もいれば南のオリシスでも同様に、いやいやかの王女は聖騎士とともにいるのだと、誰の声も裏付けが取れたわけではなかった。ただし、最後のがもっとも信憑性が高いとされているようで、己が野心のために幼なじみであるレオナ王女を連れ去ったのだと、声高に訴える者ばかりである。
 オルグレムは錯綜した情報に心を動かされたりはしない。それは長年の経験というよりも本人の気質なのだろう。そして、老将軍を突き動かすのはただひとつの勅命だ。ゆえに王の声は絶対である。
「将軍。ならば私たちはこのまま進んでもよろしいのですか?」
「これでは、レオナ殿下に剣を向けてしまうことになります」
 長くオルグレムと苦楽を共にしてきた部下たちだからこそ、あれが誰が放った力であるか、悟っているのだろう。
「さすれば、ルダにはアストレアの聖騎士もいる。彼は大罪人であり、これは好機と考えるべきなのでは」
「馬鹿な! それでは王女にも危険が伴う。我々の使命をお忘れか!」
 また別のところでは口論がはじまった。オルグレムの唇が固く閉じられたままであるからか、騎士たちは次から次へと疑心と不安を口に出してゆく。
 オルグレムは皆の顔をぐるりと見回した。皺深い老齢の騎士はずっと戦場を駆け抜けてきた盟友であった。その横の白髯と禿頭は若者たちを静めつつも、やがて老人たち同士で喧嘩をはじめた。やや離れた場所に老騎士がもうひとり、眇《すがめ》であるから前線よりも後ろに配置され、けれどもこの騒ぎに慌てて駆け付けたようだ。
 若者たちも老人たちには負けてはいない。血気にはやる者も毅然として落ち着かせようとする者もいる。成人したばかりの青年から往年の騎士まで様々だ。
 オルグレムは彼らを見ると家族のことを思い出す。妻を病気で亡くして三人いた息子たちも親より先に逝ってしまった。息子によく似た面立ちの孫もまた騎士として生き抜いたし、孫娘は嫁いでいったのでイレスダートにはいない。オルグレムに代わって家を守ってくれていたのは孫の嫁であったが、まだ若くあまりに不憫なために実家に帰してやった。他に兄弟もとうにおらず、あとに残された家族といえば王家に入った姪だけだ。それがよもや、マイアとルダを争わせる引き金となろうとは。
「皆の者、きけ」
 老将軍はやっと重い唇を動かした。ほどなくして、沈黙が訪れて皆は一身に彼の次の声を待つ。
「我らに下された命令を忘れたわけではあるまい。ここで退いてはならぬ」
 騎士たちにもうざわめきは起こらなかった。老将軍はにこりとする。ここだけ見れば気の良い好々爺のようにも見えるがそうではない。イレスダートで有数の老騎士といえばガレリアより東にイドニアの公爵がいるが、かの百戦錬磨と名高い公爵にも劣らぬほどの武勇の数々を誇る裏にはそういった別の顔があるのだ。
 オルグレムは馬を進ませる。他の騎士たちは黙って後につづくだけだ。
 国王アナクレオンはこう言った。ルダに迎えと、その一声だけであった。老将軍もまた声を返す。御意と、それだけだった。
 つまり、アナクレオンはルダを討てと命じたわけではない。だが、騎士ならば他の道を選ばないだろう。ルダには王妃マリアベルならびに嫡子である王子が身を寄せているのはたしかな事実であり、すでにルダは叛逆としてみなされている。彼女たちを保護することこそが、オルグレムの使命だ。
 

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