五章 蒼空を翔ける

故郷を捨てたものには呪いという罰を

  竜の谷の底、洞窟がつづいているその奥には楽園がある。
 光の届かないはずのそこには年老いた一匹の竜が棲んでいる。敷き詰められた緑の絨毯、聖なる泉、そして陽光。長いときをたった《《ひとり》》で生きている竜に、神々が授けた場所。竜は不老であるものの不死に非ず。ゆるやかに訪れる死を待つ竜の元に、ときどき竜人ドラグナーの青年がやって来る。彼が話してくれる人間の世界の話、それが竜のたのしみだった。
 聖なる泉を囲むようにして、銘々が腰をおろしている。
 見あげる先には一匹の竜が、要所要所で竜人の青年が補足してくれる。まるで幻想の世界にでも足を踏み入れたみたいだ。そうしてきかされる話にしてもおとぎ話のようで、まだ子どもの時分だったならばきっとわくわくしながらきいていただろう。
 最初に、竜は海の向こうからやってきたのだと、そう言った。
 もともとマウロス大陸に竜はいなかった。海を渡った向こう側の大陸から竜が来たとすれば、先住者は人間だったというわけだ。
《わたしたちは疲れていたのだよ。己とは異なる存在を認めずとにかく嫌い、そうして争う。人と竜だけではないよ。《《あちら》》にはもっとたくさんの種族がいるんだ》
 ブレイヴもレオナもまじろいで、アステアとセシリアは顔を見合わせた。
《人間の次に数が多いのが魔族 ダイモンだ。人間の姿と似た妖魔、獣とおなじ魔獣なども一括りにされていたね。それから獣人ウェアウルフも兇暴な奴らだった。大人しいのは妖精族エルフ精霊族エレメントくらいかな。ああ、忘れていた。変わり者といえば矮人ドワーフがいたね。彼らはちいさいけれど力持ち、そしてやさしい奴らだったよ》
 ここに絵本があったならば皆でのぞきこんでいたかもしれない。
 竜が語る言葉、その単語はどれもおとぎ話のなかだけの存在で、母親が寝物語として語ってくれる話のようだった。
《どこの国も争いばかりさ。共存、だなんて言葉を知らない奴らばかり。人間だって負けちゃいない。彼らには武力があるからね。わたしたち竜族は傍観者というわけにはいかなかった。なまじ強い力を持っていると、やれこっちに味方しろ、あっちに味方しろだなんて言ってくるからね。そう、だから皆疲れてしまったんだ》
 それが、はじまりだったのだろう。
 けれどもこのマウロス大陸へと流れ着いた竜族に、安息の日は遠かった。先住民としてすでに数を増やしていた人間たち、やがて竜の領域を侵したがために怒りを買い、竜族が求めた共存という夢はここでも実現しなかった。
「そして、マウロス大陸では人間と竜との争いがはじまった」
 幼なじみがそうつぶやく。 
「白き竜が人間に味方したのは、力なき人を憐れに思ったから。……けれど、黒き竜はそれを許さなかった。二匹の竜は竜王に次ぐ力を持っていて、兄弟さながらの関係だった。裏切りは、許されない。人間への憎しみをより大きくした黒き竜は、白き竜とも戦った。長い長いたたかいに終止符を打ったのは竜族の王」
 マイア王家に伝わる伝承と、古き竜の語りを繋ぎ合わせるように、レオナはゆっくりと声をつづけていく。
「二匹の竜は死を、迎えていた。他の竜族も人間たちだって、ぼろぼろだった。竜の王が彼らに遺したのは、戒め……。人間の子どもに竜の血と力、それから魂を封じ込めたのは、二度とおなじ過ちを繰り返さないように、と。そして、その子らは」
《そう。そのひとりが南の聖王国を統べる者。レオナ、お前だよ》
 声が途切れて沈黙が降りる。ブレイヴはさりげなくアステアとセシリアを見た。博識な魔道士の少年と、飛竜とともに生活する竜騎士。二人ならばこの伝承を知っていたはずで、けれども目の前にいる竜と幼なじみが同一の種族かどうか、認めるのはむずかしい。
「でも、わたしだけじゃなかった」
 皆の視線が、竜人の青年へと向かう。
「わたし、自分以外にドラグナーがいるとは思わなかった。竜は、イレスダートからいなくなったのだと、そう教えられていたから。飛竜たちだって、このグランではじめて見たわ」
 水を向けられたのに竜人の青年は、自分は無関係みたいな顔でいる。それとも、すべてを忘れてしまった同族の彼女に失望しているのか。
「あのう、そもそも竜人とはなんなのでしょう?」
 魔道士の少年らしい素直な疑問だ。竜の眸が細くなる。
《良い質問だ。竜人は竜族。竜の王が遺した呪いから竜は逃げられなかったんだよ。竜は子を遺せなくなってしまったんだ。でも、選ばせてくれた。血脈を遺すためには人の子へと姿を変えて、人のように生きること。そうすれば親から子へ、子から孫へと血と力が受け継がれる》
 人間のように。ブレイヴは口のなかで繰り返す。そう、それこそが竜人のはじまり。
《でもね、竜は自分たちがどの種族よりも優れていると、そう思っている。強靱な躯、宿した魔力は魔族や妖精族や精霊族にも引けを取らないし、知力だって彼らの上だ。だから見下してきた人間になんてなれっこない》
「あなたも、そうだったの?」
 幼なじみの問いに、竜はちょっと間を空けた。
《そうだね。若い時分はいまよりもっと頑固だったし、誰の声もきかなかったからね》
 頭のなかで響いてくる声が笑っているようにもきこえる。
《だからこその、呪いだよ。わたしに子は遺せない。こうして長いときをただ生きるだけ、いわば死を待つだけの人生だ》
「そんなの……」
《いいんだよ、レオナ。お前はやさしい子だね。それから飛竜たち。あの子たちはもっと頑固だからね。知性も理性もなくして野生のままに生きる。もしくは人間たちと共存することで難を逃れたようだけど》
「でも、竜人たちは人間の世界に紛れて、そうして生きているのね」
 幼なじみの声に竜人の青年は失笑した。
「他人事みたいだな。《《貴女》》は、私たちとはちがう」
「ちがう? でも、わたしも竜人、なのに?」
《ほら、また。そうやって意地悪をするんじゃないよ》
 竜があいだに入らなければ竜人の青年は、もっと酷い言葉を幼なじみに向かって吐いていたかもしれない。彼の目は冷たく、同族にする目をしていなかった。
「呪いはたしかに王家の人間にも残っているだろう。だが、貴女は人間に近い。もともとの器が人間だったから、私たちのように竜にもなれない」
 面と向かって否定をされたと感じたようで幼なじみは悄気ているものの、ブレイヴの心は安堵する。レオナが竜になるなんて考えられない。もしそうなったとしたら、なにかの悪い夢だ。
「もう一人、いる」
 幼なじみはぽつりと零す。ブレイヴは息を止めた。そうだ。忘れてはならない。レオナの他にも、グランへとたどり着くより前に、イレスダートで竜人には会っている。
「白の少年。雪花石膏の肌と、白い髪をした少年は、」
「ユノ・ジュールか。いまは少年の姿をしているのだな」
「知っているのか……?」
 ブレイヴの問いに竜人の青年はうなずいた。
「ああ。彼は彼女とおなじ力を持っている」
 つまり白き竜と相対するもの、あの白の少年は黒き竜の末裔なのだろう。人間を殲滅すべく戦った竜、その人間を守ろうとした竜。ユノ・ジュールとレオナ。白の少年はまた幼なじみの前に現れるかもしれない。
「あの人は、人間を憎んでいる。オリシスでもウルーグでも、人をたくさん殺した。……なにが、目的なの? 取り戻そうとしているの? このマウロスを、人間ではなく……、竜族のものへと」
「南の聖王国を統べる王家の一員である貴女の言葉とは思えないな。竜人は人間の世界で生きる。しかし、人の世には関わらないのが掟。もっとも、監視者として選ばれたのは貴女の始祖だから、それも呪いのひとつかもしれないが」
「監視者、それは?」
 話の腰を折るなとばかりに、竜人の青年はブレイヴを睨む。
「ちがうのか? マイア王家は人間たちを統べる王に非《あら》ず。聖痕が宿りし竜人は監視者となりて、人間と竜族の両方を裁く」
 二度と、争いを繰り返さないように竜の王が遺した呪い。戒め。しかし、それにしては妙だ。竜がいなくなったあと、イレスダートでは争いばかりがつづいている。北のルドラスと南のイレスダートがそうであるように。
「歴代の竜人が力に目覚めなかっただけだ。実際に、初代の王は何度もマイアを滅ぼしている」
 ブレイヴの心を読んだかのように彼は言う。
「怠慢だ。だとしても、私たち竜人は人間の世界に必要以上に干渉しないのが掟。だが、そうでない者もいる。人間のなかに紛れて生きているうちに感情までも人間のようになってしまったのだろう。だから、彼らはユノ・ジュールを王に望んでいる」
《あの子もまたやさしい子だよ。他の子たちを放っては置けなかったのだろう。ユノは自分を王だなんて思っちゃいない。彼はずっと独りで生きていたんだ。それを孤独などと感じてもいない強い子だったんだよ。それを、」
「長。しかし、彼はすでに動き出しているのです。理を乱したのは彼自身だ。人間に関わりすぎている」
「でも、それならわたしだっておなじだわ。マイア王家は聖王国を統べる者。そうやって何世代もつづいてきたのです。人の世を和に導き、安寧を求めるのが使命。……兄は、アナクレオンはそう信じています。それに、」
 幼なじみはそこで声を止め、竜人の青年を見る。
「あなたも、わたしを憎んでいるのでしょう?」
 彼は何かを言いかけて、しかしすぐに唇を閉じてしまった。答えは肯だ。
「そういう時分もあった。だが、いまはちがう。これ以上、竜族が人間たちに関わってほしくない。私たちはただ静かに生きていたい、それだけだ」
「わたしに、ユノ・ジュールを止めろと。そう、言いたいのね?」
 ブレイヴは彼らを見つめているのがつらかった。なぜ、それが幼なじみでなければならなかったのだろう。求めすぎではないのかと、そう思ってしまう。だとしても、レオナはすべてを受け入れるだろう。それが、己の使命だと信じ込んでいる。
 救いを求めるように、ブレイヴは竜を見た。竜の眸は母のようにやさしかったものの、それ以上の《《声》》を落とさなかった。これでもう幼なじみを止められなくなった。ブレイヴにできるのはレオナを守ることだけなのに、たったひとつのそれだけが遠い。歯痒くてならない。聖騎士とは名ばかりで、なんて無力なのだろう。

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