四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

フォルネの要人とイレスダートの聖騎士2

 薄暗い店内の隅で一人の男が蒸留酒ウイスキーを味わっている。
 忙しそうにあちこち動き回っている給仕娘を呼び止めて、二人分の麦酒エールを追加する。給仕娘は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、無言で手渡された銀貨を認めるなりにっこりとした。そうして男はブレイヴに目顔で伝える。ここに座れ、と。
 この酒場の他にも大衆食堂や酒場の類いは見つけた。しかし席はほぼ満席、長居するには居心地の良い店なのか、それとも名物娘でもいるのか。一番奥のテーブルにブレイヴとクライドが相席する。給仕娘が戻ってきて、麦酒をふたつと乾酪チーズとナッツの盛り合わせを置いて行った。たぶん、給仕娘はグラスが空になってもここにはもう近づかないだろう。
「あんたが聖騎士か? 意外と若いんだな」
 男はブレイヴを値踏みするような目で見ている。身元が知られているのなら取り繕う必要はないが、わざわざ肯定の声をすることもないだろう。ブレイヴは沈黙で返す。
 クライドの方をちらを見たものの、彼の視線はブレイヴではなく麦酒だった。聖騎士を探す男がいる。先に接触したのはクライドでも、そのあとの交渉はブレイヴに任せるらしい。
 さて、どうしたものか。
 ブレイヴは向かいに座る男をまじまじと見る。さして手入れのされていない金髪の他に特徴といえば、灰褐色の瞳か。それも別にめずらしい色でないことはたしか、取り立てて目立つ容貌でもない。
 年の頃は三十歳手前といったところ、裕福な商家の者ならば蒸留酒も好むだろう。あるいは聖職者か、そこまで考えてブレイヴはひとつ息を吐く。敬虔な教徒は酒を飲まないし、相手に勧めるのも林檎酒シードルだけだ。
 フード付きの外套はくたびれているようには見えなかったが、しかし身を隠すためよりも単なる防寒用だろう。それでは、この違和感に説明がつかない。ブレイヴはそう思う。ただの一般市民でないことはたしか、だからこそクライドはブレイヴをここへと連れてきた。
「この国の王に会いたい」
 男は驚きもせずに蒸留酒を飲んだ。
「いきなりだな」
 とはいえ、声音はどこかたのしんでいるようにもきこえる。助け船は出さないと決め込んでいるのだろうか。クライドはずっと無言でいるし、麦酒も半分減っている。
「だが、わかりやすい。回りくどいやり方は俺は好きじゃない」
 どうやらまったくの失敗というわけでもなかったらしい。ブレイヴは微笑する。
「まず、あなたの名を知りたい」
 男もおなじ笑みをする。
「ルイだ」
 本名か偽名か。詮索するだけ時間の無駄だ。西の国では有り触れた名前だし、そもそもブレイヴが知りたいのはそれじゃない。ただ会話のきっかけがほしかっただけだ。
「ルイ、あなたは不躾な申し出にも席を立たなかった。こちらの目的を知っていなければそうはならない」
「聖騎士に興味があっただけだ。いきなり切り出されて内心は驚いている」
 そうは見えなかったのが本音だが、ここは話を合わせておく。
「それが聖騎士に会いたいという理由か?」
「いいや」
 ルイはナッツを摘まみながら、食べないのかと目顔でブレイヴに問いかけてくる。王。聖騎士。他のテーブルもそれぞれ盛りあがっている。ここで飛び出てくる単語が他の客たちに届くこともなければ、きこえていたとしても何かの暗号くらいにしか思わないだろう。 
「だがひとつ訂正しておく。あんたの目的を皆まで知らない。だから敢えてきく。ウルーグに行くのは何のためだ?」
「あなたは正直な人だから、俺も言う。目的はウルーグじゃない。その先は……グラン」
「ほう……?」
 ルイの眉がわずかに動く。
「まだ冬には早いがそのうちに雪が降る。そんな時期に山越えなんてどうかしている」
 ディアスやクライドは何も言わないが、麾下のジークがいたらおなじ声をしたと思う。無茶なんて言葉で片付けられるものじゃない。本当はみんなそう思っている。
「そうまでして会いたい奴でもいるのか? ……恋人だな?」
「グランのカミロ様は父の友人だった。会ったことはない。でも、良き知恵を授けてくれると思うし、相談にも乗って頂ける」
「グランの賢王か。たしかに、頼るならばそこしかないだろうな」
 ブレイヴはクライドを見た。彼のグラスは空になっていて、再度注文しようとするルイを目顔で止めた。鎌をかけられたのかもしれない。ブレイヴは失笑しそうになる。
「サリタで派手に動いたんだ。イレスダートから離れた西の国で、あんたのことを知ってる奴がいても不思議じゃない」
 たしかにそうだと、ブレイヴは相好を崩す。イレスダートに聖騎士は三人、そのうちの一人は国を追われて西へと向かった。王の盾である二人が王都から離れるなど許されないこともルイは知っている。となると、国を追われたのはアストレアの聖騎士というわけだ。その先を目指すは山岳地帯のグラン王国、ここまで結びつけたならもう隠していても意味がない。
「それで? 王に会わせてくれる気になったのか?」
「むずかしい注文だな」
 俺を何だと思っている? そう、ルイはつづける。ここも正直に答えるべきだろうか。上流貴族ならばこんなところに入り浸らない。聖職者が隠れて酒を飲むならばもっと静かで落ち着いた場所を選ぶ。王家に縁のある商家の者だとしたら駆け引きをするにはちょうどいいし、もっと耳をそばだてれば他の会話だってきこえる。市井の声だって必要だろう。フォルネを治める王が保守的というならなおさらに。
 ルイのグラスも空になっていたが、給仕娘を呼ぶつもりはなさそうだ。話の腰を折られるのを嫌がるたちなのか、それとも別の理由があるのか。それは先ほどからブレイヴが感じている視線に関係しているのかもしれない。
「聖騎士殿はあまりラ・ガーディアを詳しくないようだな」
「そうでもない」
 会話に集中しているので、ブレイヴはどこからの視線かたしかめる術はない。しかし、隣にはクライドがいる。彼がずっと黙っているのもきっとそのためだ。
「マウロス大陸が竜の支配から逃れたあと、まだ国として成り立っていなかった西の大地をまとめたのは余所の大陸から来た男だった。海賊の生き残りか、それともただの漂流者か。彼には四人の子がいて、それぞれに土地を与えた。長兄フォルは最南の地を。それがこのフォルネだ」
「なるほど、素晴らしい。前言撤回する。聖騎士殿はずいぶんと博識でいらっしゃる」
 ルイは拍手でブレイヴを称える。芝居がかった大仰な仕草を見て、この男は各地を巡る旅芸人なのだろうかと、ブレイヴは考えを改めると同時に笑みで応えた。賢しらな声をしたのは次の出方を考えながら物を言っているからで、それにこれは士官学校で学んだ知識に過ぎない。士官生なら誰でも知っている話をここまで盛りあげられて、反応に困っているのはこちらの方だ。
 ルイもまた微笑んでいる。いまさらぬるくなった麦酒に手を付ける気にはなれなかったし、そうすることでこれ以上心の機微を読まれたくなかった。どうも上手く立ち回れない。ディアスやクライドの言うとおりに、王に近しい者とは接近できた。やはり二人とも自分を買いかぶりすぎだと、ブレイヴはため息を吐きたくなる。
「そもそも王に会ったとして何になる?」
「道は開ける。国境を閉ざしているのはこの国の王だ」
 酒肴を乗せていた皿もまもなく空になりそうだ。ルイは給仕娘を呼ばない。どこからか視線は感じる。この男がフォルネの要人だというのはわかっている。酒場のなかにルイの用心棒となる人物もいることも。
「極論だな。こうは考えないか? 王を説き伏せているのはその周囲だと」
「そうだとしても、最終的に決断を下せるのは王だ。それに……」
 ブレイヴは舌で唇を湿らせる。
「国境の扉を開けろとは言わない。ただ、俺たちをウルーグに通してくれたらそれでいい」
「言ってることがめちゃくちゃだな」
 自分でもそう思う。フォルネとウルーグへの行き来はできなくとも、どこかですり抜けている者だって存在する。ブレイヴはフォルネに入ったときを思い出した。きちんと補整されている石畳の道、大通りへとつづく途中で目にした居住地に並ぶのは銀灰色の三角屋根の家、東西に流れる河によって城下街は分断されているものの、しかし東に貧困窟があるとは思えない。フォルネは豊かな国だ。それこそ、イレスダートと遜色のないくらいに。
「一時的なものならいい。でも、俺にはそう見えない。長期的に物を見ている王だからこそ、ある程度は見逃す。商人、巡礼者。……他にも」
「そうだな。流通が止まればいつまでも黙っていないのは商家の奴らだ。それで? あんたは自分の懐が苦しいから他の手を考えたわけだ。正攻法にはほど遠いがな」
 揶揄に対してブレイヴは微笑みで返す。
「やれやれ。そこまできかされて、訳ありの聖騎士をわざわざウルーグへと通すと思うのか? 誰も見逃しちゃあくれない。なら、はじめから金貨を人数分でも積めばよかったんだ」
「それ以外でもすり抜けた者はいる。そうやって西から来た者だっている」
「なるほど。聖騎士殿のお仲間にイレスダート人以外も混じっているらしい」
 たとえば、横にいるクライドがそうだ。それにラ・ガーディアへの案内役を買って出てくれたデューイという青年、彼がいつからサリタにいたのかは定かではないが、それでもデューイは西からカナーン地方へと来た。
「……連れには女子どもがいる。病人だっている。あまり騒ぎにはしたくない」
 クライドだ。はじめから正直にみなまでそう打ち明けるべきだった。それでは足元を見られてしまうと、懸念したその判断は正しかったのかどうか、わからない。
「ずいぶんと面白そうな一行だな。それだけの大所帯だ。巡礼者に扮して旅をつづけるのも難儀するだろう」
 そう、だからこそ味方に付けられるならそうしたい。ルイの言う《《正攻法》》で国境を越えたとして、ウルーグで揉めごとになっては困るからだ。
 密約が必要だ。ブレイヴは最初に明け透けにものを言った。もちろんそれが不可能なことくらいわかっている。そう、王に会えなくてもいいのだ。肝心なのはその先、フォルネの要人が動いてくれさえすれば、必ず道は開ける。
 ブレイヴは微笑する。最初から最後まで、彼とはほとんど視線を逸らさずに、その灰褐色の瞳を見つめつづけてきた。
「やれやれ。やっかいな聖騎士に関わってしまったな」
 ルイの口調は一貫して変わらず、面倒を押しつけられたと言いつつもやはりどこかで面白がっている節がある。こういう男が国を動かす影なのだと、ブレイヴは思う。王が光ならば闇となる影の存在は必要だ。
「明日の朝、使いが来る。おそらく何も名乗らないが、黙って付いて行けばいい」
「礼を言う、ルイ」
「それは明日になってからだな」
 ルイは最後の乾酪を摘まんだ。
「あんたの宿に来るのは王宮からの使者でも、連れて行かれるその先は牢獄かもしれないぞ」
 ブレイヴはもう一度、微笑んだ。











「捜しましたよ」
 声には疲労と呆れと、それからわずかに含まれているのは怒りだ。それもそうだろう。カナーン地方から西のラ・ガーディアまではそこそこに遠く、イレスダートとなるとなおさらだ。ディアスはやおら振り返り、赤髪の男を見た。顔はやはり怒っていた。
「まったく、とんだ役目を押しつけられたものです」
「そう言うな。お前にしか頼めない」
「そうでしょうね。ええ、あなたはいつもそう言うのですから」
 ディアスは苦笑しながらも、目顔で彼をもっと近くに寄るようにと言う。西の国では金髪が多いから、青髪や彼らのような赤髪は特に目立つ。そのままどこか酒場にでも入ろうとしてやめた。彼も酒が強かったが、そのせいで良い具合に酔いが回ってくると愚痴や説教が増えてくる。この長旅の鬱屈を延々ときかされては堪らない。
「それで? あちらの情勢は?」
「思っていたより悪くはありませんね。さすがは聖騎士殿の母君です。ずいぶんと肝が据わっていらっしゃる」
 口を開けば饒舌なこと、もっとも彼はやっと戻ってきたというのにねぎらいの声ひとつない主君に対して思うところもひとつやふたつあるはずでも、最初の一言だけで済ませた。ディアスは彼の性格をよく知っていたし、彼もまた己の主をわかっているからだ。
「ただ、悪い知らせといえばそうなのでしょうね。これは聖騎士殿もあなたも想定外なのでは?」
「……なんだ?」
 勿体ぶった物言いに慣れていても、長々と相手をするのはさすがに疲れる。お喋りにもコツがあるんですよ。いいえ、ただのお喋り好きな男は嫌われますとも。特にランツェスでは。まずはとことんきいてやればいいのです。そうすると相手は勝手にどんどん喋っていくし、こちらの問いにもすんなり答える。
 自分の容姿に自信がなければ出てこない台詞の数々を、いつだったかディアスは辟易しながらもきいた。アストレアに潜入して彼は洗濯女を一人捕まえたのだろう。
「いますよ、その男がアストレアに。いったい、どういうわけなんでしょうね?」
「あいつは二人とも死んだとは思っていない。そのうちの一人がアストレアに居座っていると?」
「そういうことです」
 彼はにこやかにそう答える。ここに幼なじみがいたら彼の胸倉を掴んでいただろうか。いや、そうはならない。ブレイヴはいまフォルネの要人と相対している。
 ブレイヴが捜しているのは二人、かつての上官ランドルフと自身の麾下であるアストレアの鴉。自由都市サリタ攻略を命じられたのはランドルフ卿だ。ところがランドルフはサリタ攻略に失敗し、なおかつ聖騎士捕縛さえもできなかった。失態を犯したまま王都へと戻れない男に、アストレアを占有させたのは白の王宮だろう。
「で? もう一人は?」
 風が強くなってきた。ラ・ガーディアの南の領土は比較的暖かいというが、秋口に入った夜の時間となるとさすがに冷える。
「サリタの市長は聖騎士殿になんて回答しましたか? 答えは俺もおなじです。アストレアの鴉はサリタにはいません」
「では、生きている……と?」
「さあ、どうでしょう? その結論は正しくありませんね。あれをアストレアの鴉というならばそうではない。だとしたら、かの騎士は死んだと考えた方がいいでしょうね」
 ディアスは無遠慮に嘆息する。幼なじみは気性が穏やかだがああ見えて気の強いところもある。こんな回り道をされたらいくら優男と言われようが怒る。
「わかった。この話はここで終わりだ。オスカー、お前には」
「お断りします。……と言ったら、どうしますか?」
 当然の主張だと、彼はそう言う。
「パウエル家の長子らしからぬ声だな。それとも、俺を置いてランツェスに帰るか?」
「ご冗談を」
 長年ランツェス公爵家に使えてきた名門パウエル家の騎士だ。彼には腹違いの兄弟が何人かいて、いずれも優秀な騎士である。ああ、誤解なさらないでください。兄弟仲は良好ですよ。だから兄を出し抜いてまでのしあがろうとする者なんていやしませんよ。それをきかされたときは二人で葡萄酒ワインを飲んでいた。公子を異国に置いたまま、自分一人祖国に帰ってきた兄に対して弟たちはどう思うだろうか。
 彼はディアスに向かって一揖し、そうして去って行った。次はもっと長い旅になるだろう。ふたたび戻ってきたときに、オスカーはきっとディアスに遠慮のない声をする。まったく、とんだ目に遭いましたよ、と。

 

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