四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

朝が来て

「おはよう」
 声を掛けるとレオナは驚いた顔をした。
「おはよう。……はやいのね」
 ブレイヴの幼なじみは朝がちょっと弱い。こんな薄明のうちに起きていてもまだぼんやりしている頃だ。
 もっとも彼女の寝起きが悪いのには理由がある。幼なじみはちいさいときに、夜に一人では眠れなかった。こわいゆめを見るの。そう言って姉のソニアを困らせる。ブレイヴやディアスが王都マイアに行くのは年に三度ほど、こわがりな姫君の部屋に忍び込んでずっとおしゃべりをしたり、本を読みきかせたりした。そのまま三人眠ってしまって、翌朝大人たちには怒られてしまったけれど。
「ちょっとね、頼まれたことがあるんだ」
 きょとんとする幼なじみにブレイヴは微笑む。
「傷の手当てに薬草をたくさん使ったからね。アステアが山に採りに行きたいって。……でも疲れているんだと思う」
 だからまだ魔道士の少年は眠っているはずだ。レオナはちょっと笑う。
「昨晩は、大変だったから。ね、わたしも行っていい?」
「もちろん。一緒に行こう」
 疲れて眠れるならばそれでもいい。でも、幼なじみはなかなか寝付けずに、そうして朝が来た。他の二人を起こすわけにもいかないから台所に水を貰いに行った。そんなところだろうか。ブレイヴは幼なじみの横顔を見る。疲れていないはずはない。
「ロッテは? 熱はもう下がった?」
「眠れてはいたみたいだから。だいじょうぶだと思う」
「そっか。それならよかった」
 オリシスの少女をこんなところまで連れてきてしまった。幼なじみはときどきそれを後悔しているのだろう。どうすればよかったのかなんて、ブレイヴにもわからない。
「大丈夫だよ。この山道を抜ければすぐフォルネだ。それに、みんなも一緒にいる」
「そうね。きっと、だいじょうぶ」
「ここを発つ前に、クリスにもう一度礼を言いに行こう。彼にはすっかり世話になってしまったから」
 さっそく薬用植物を見つけた。ブレイヴは身を屈めて薬草へと手を伸ばす。ギザギザで濃い緑色をしているのがハイトの葉だ。アストレアでもよく見かける。煎じて飲めば熱は下がるが常用しても良いものなのだろうか。あとでアステアにきいてみよう。
「そうね。あ、傷薬になる薬草を届けたら……喜んでもらえるかも」
 ブレイヴは微笑する。すこし元気が出てきたかもしれない。巡礼者の二人、特に司祭のクリスには助けられた。それは、昨日の晩のことだ。
 クライドが警戒していたとおり、宿は野盗に襲われた。この山小屋が、というよりはブレイヴたちを狙っていたようにも思える。貴人を連れた集団のなかには騎士もいる。しかし、野盗たちは自分たちが有利だとでも思ったのだろう。
 周囲を見回ってくる。そう言ってクライドは出て行った。異国の剣士に懐いているレナードと、それからノエルも後を追った。異変があればすぐにクライドが知らせてくれる。それが、慢心だったのかもしれない。
「でも、わたしびっくりしたの。あの子、たたかえる子だったのね」
 そう、レオナがつぶやく。ブレイヴもおなじ気持ちだった。巡礼者の貴人――金髪の少女はクライドと接触して、明らかに怯えていた。悲鳴をあげたのも年頃の少女としては正しい反応だったし、ブレイヴはそれ以上深く気に留めていなかった。でも、いまにしてみれば貴人と聖職者の二人だけなのは不自然だ。誰が守るというのか。そう、守られるのではなく、金髪の少女は自分の剣で野盗たちと戦っていたのだ。
 たしか、フレイアと呼ばれていた。ラ・ガーディアの要人でその名の人がいただろうか。
「彼女たちがいなかったらと思うと、なんだか情けなくなるよ」
「そんな……。だって、ブレイヴたちも」
 ブレイヴはそのつづきを笑みで遮る。山のなかでクライドたちは野盗に遭遇した。しかしそれは奴らの一部にしかならず、他の者は最初からこちらに狙いを定めていた。戦力を分断させるだけの知恵はあったということ、まんまと引っ掛かったのはこちらの方だ。
「ディアスとアステアがいてくれて、よかった」
 野盗たちは複数の出入り口から入り込んでいた。先に進入した奴らをブレイヴとディアスが相手する。おなじ頃、フレイアという名の金髪の少女は裏から回った野盗と出くわした。いや、いち早く気づいていたのだ。そうでなければ宿の女主人と一人息子は守れなかった。そして、二階でも。
「レオナが、無事でよかった」
 取り返しがつかなくなるところだった。もしも幼なじみが傷つけられていたら、ブレイヴは野盗たちを皆殺しにしても許さない。
「わたしは、だいじょうぶ」
 嘘だ。彼女は、こわいのを隠している。
「ディアスも、そう。わたしのこと、そんなに心配しないで。ね?」
「そうじゃない」
 抱きしめたい衝動に駆られて、ブレイヴはふた呼吸を置く。レオナはブレイヴの目を見ずに、薬草を探すのに専念している。こういうときに幼なじみは本音を言わない。
「べつに、責めているわけじゃない。でも……」
 ディアスが言ったとおりだった。幼なじみは自身に宿った竜の力を他者のために使う。まもるためだと。彼女は言う。
 紫花の草と常緑低木が群生している。調合すれば痛み止めになる薬用植物だ。すこし奥には青い花が見える。あの花の名は何だっただろう。忘れてしまったけれど、青の花の茎をすり潰して患部に塗れば傷の治りが早くなる。教えてくれたのはジークだった。あれは、ブレイヴが初陣のときだった。
「はじめて人を殺したとき、俺はまだ子どもだった」
 薬草を摘んでいたレオナの手が止まる。
「十四歳だった。士官生で、でもみんな戦場に駆り出された。ルドラスが攻めてきたから」
 濃い緑のにおいがする。戦場でもおなじにおいがした。重傷者には治癒魔法の使い手が付きっきりで、軽傷者の手当てを手伝うのは見習いたちだ。痛い痛いと呻く声がきこえる。母親を呼びながら泣く者もいる。けれども彼らは助かった者たちだ。
「最初の日に斬ったのは一人だけだ。相手もまだ子どもで、もしかしたら俺よりも年下だったのかもしれない。自分が斬られたこともわからない、そんな顔をしていた」
 淡々とブレイヴは言葉をつづけていく。レオナは何も声を返さずにその手も止まったままだった。同情されているわけではない。幼なじみだって知っている。人を殺したときの痛みを、その命の重みを、わかっている。
「夜になって天幕に戻って、それから食事が運ばれてきた。野菜だけのスープはお代わりも自由で、上級生たちが俺を囲って勇者か英雄みたいにもてはやした。でも、その日は一口も食べられなかった」
 ブレイヴは自嘲する。心が弱い証拠だ。そのあとすぐに吐き気がして、目の前が真っ暗になった。覚えているのはそこだけ、気がついたら朝になっていたし、ブレイヴはまた戦場に立っていた。
「次の日は、もうすこし前線に近かった。見習いの俺たちなんて格好の的だったから、死に物狂いで戦った。その日は何人殺したのか覚えていない。でも、夜になって天幕に戻れば空腹に負けて黒パンを頬張った」
 そのときも、涙が出た。たぶん、あとから恐怖がきたのだろう。過保護な麾下は初陣のブレイヴの傍にいた。あの日、ジークは何も言わなかったように思う。
「三日目も、四日目もおなじように戦った。戦場から離れてしまえば手が震えたけれど、でも朝が来ればまた戦えた。たぶん、慣れたんだとそう思う」
 いつもまにかレオナは草木ではなく、ブレイヴを見ていた。痛みを堪えるようなそんな目をする。
「ブレイヴ、わたし」
「俺は騎士だから、それでいいんだ」
 むしろ遅いくらいだ。最初から平気な奴だっている。上級生たちは笑ってブレイヴの肩をたたく。みんなそうやってきたんだ。そうして、騎士になるんだ。
「きみに、そうあってほしくないと思うのは傲慢かもしれない。でも、」
 あの力は、使わせてはならない。ディアスの言葉はただしい。十二歳のブレイヴはレオナの力に守られた。あの日、あの力がなかったらレオナはイレスダートではないどこかに連れ去られていたし、ブレイヴもディアスも死んでいた。けれど、もしもレオナが竜の力に目覚めていなかったら、幼なじみはこんなにも苦しんだりはしなかった。
「都合の良いことばかり言ってるな、俺は。レオナの癒やしの力に頼っているくせに、その力は使うなだなんて矛盾している」
「でも、ブレイヴはあのひかりを、きれいだって言ってくれたわ」
 レオナが持ってきた籠のなかは薬草でいっぱいだった。アステアの喜ぶ顔が浮かぶ。クリスという司祭も喜んでくれる。彼らだって、癒やす力と壊す力は持っている。レオナと何も変わらない。ただ、ちがうのは。
「あのひかりをすきって、そう言ってくれたのはブレイヴよ?」
「それは、嘘じゃないよ」
「うん、わかってる。……わかっているの、わたし」
 殺したくて殺したんじゃない。でも、レオナの力は人の命なんて簡単に摘み取っていく。
「だいじょうぶ。むかしみたいに、子どもじゃない。力の制御はできると思う」
「レオナ」
「でも、あなたがそう言うのなら、使わない。サリタのときみたいには、ならない」
 微笑んでいるのに、泣いているみたいだ。最初の白い光、それからサリタ。一番後悔をしているのは幼なじみだ。こんな顔をさせたかったわけじゃないのに、ブレイヴはうまく声を紡げずにいる。
「そろそろ、戻らないと」
 幼なじみは無理して笑みを作る。山小屋を出てから小一時間が経っている。皆ももう起きているだろう。レオナから籠を預かって、空いている方の手を繋ぐ。来るときはまだ冷たかった幼なじみの手もあたたまっていた。
「おかえりなさい」
 山小屋に戻ればアステアが迎えてくれた。魔道士の少年はここの息子の仕事を手伝っていたらしく、両手で薪を抱えている。そのうしろから体格の良い男もつづいてくる。ブレイヴと目が合っても会釈だけ、昨日の今日だから気まずいのかもしれない。
 のろのろと動いていた男たちを呼ぶ声がする。あの元気の良さはここの女主人だ。まったくたくましい。ブレイヴは彼らを見て、ちょっと笑う。
「すごいわ、もうお手伝いしているのね」
 彼らの場合は手伝いというよりも、さっそくこき使われていると言った方がいいような気がする。
「結果的によかったのかもしれないな。こちらに怪我人は出なかったから」
「そうだと、いいんだけれど……」
 女主人は山小屋を襲った野盗たちを許した。その選択をブレイヴは否定できなかったものの、しかし驚いたのは皆も一緒だ。
 女主人はけっして美人ではなかった。男たちに負けないくらいに大柄だし、顔には肝斑かんぱん雀斑そばかすの跡がたくさん残っている。でも、彼女のように慈愛に満ち溢れた心の美しい女性はそういないと、ブレイヴは思う。 
「人手不足なんだよ。だからさ、行く当てもないんだったら、ここで働いてくれないかい?」
「正気じゃない」
 女主人の申し出に野盗の一人がそう叫んだ。一番若い少年だった。年長の大男が少年に拳骨をする。野盗たちの頭なのだろう。地面に額を押しつけて、まず女主人に謝罪した。その目には涙が溢れていた。
 それからが忙しかった。野盗の数は十三人、そのうちの一人が死んだ。斬ったのはブレイヴだが、あれは正当防衛だったと言える。殺していなかったら魔道士の少年が危なかった。
 死体はすぐに荼毘だびした。この辺りでも土葬が一般的だったものの、墓地まで運ぶ前に獣が寄ってくるからだ。祈りの言葉を唱えてくれたのはクリスで、彼はそのあとも良く働いた。怪我人たちの世話をしたのも彼だったし、野盗たちはレオナの力を恐れているのか幼なじみには近づかずにいる。いまだって、そうだ。
 女主人の呼ぶ声がする。ちょうどパンが焼けたらしい。寝坊した者は朝食抜きにされるから、寝ぼすけだってすっ飛んでくる。
「行こう、レオナ。ここはもう、大丈夫だ」
 西へ行こう。ブレイヴは幼なじみの手を引く。イレスダートよりも西へ。そうすれば、レオナはきっと自分に秘められし竜の力を忘れていられる。もうこれ以上、苦しまずに済むとブレイヴはそう信じている。

 
 

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