四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

悪い報告

「悪い報告と、悪い報告と、悪い報告があります。さて、どれからききたいですか?」
 その物言いはまるで他人事のようにもきこえる。実際そうなのかもしれない。彼が手にした情報はすべて過去のもので、己の主君へと届けるにはあまりに時間が経っていた。
 花祭りの初日も終わりかけた頃、もう一人の幼なじみが現れた。別にディアスをのけ者にしたつもりはなかった。かならず二人で来るように。そう、エリスには真顔で言われていたし、なによりもディアスは朝から姿が見えなかった。
 オスカー・パウエルはランツェス公爵家に仕える騎士の一族だ。
 パウエル家の長子オスカーはディアスの麾下、ブレイヴとも面識のある人物だった。彼らは王命により自由都市サリタの市長に接触する。そこまでは行動にしていたのだろう。首尾はどうだったのか、それを国王アナクレオンへと報告する義務を麾下に任せて自分は幼なじみたちと行動する。ディアスがなにを、どこまでを考えて西の国まで来てくれたのか、ブレイヴにはその胸の内のすべてを読み取るのは不可能だったが、少なくともオスカーにとっては良い迷惑だったらしい。挑むような目つきでオスカーはブレイヴを見ている。
「最初のはなんだ?」
 勿体ぶった物言いは騎士の癖かなにかだろうか。東のイレスダートから西のラ・ガーディアまで遠路はるばる戻って来たというのに、ディアスの声はずいぶんと素っ気ない。
「まったく、とんだ目に遭いましたよ」
 騎士はそう言って冷笑する。敬虔なるヴァルハルワ教徒たちも、花祭りの期間だけは大聖堂への礼拝が少なくなる。通常ならば一日に二度行われる祭儀も休みで、司祭や司教なくとも誰でも入れるように大聖堂の扉は開け放たれている。しかしここにいるのは四人だけだ。
 オスカーはブレイヴから視線を外して自身の主君を見た。箱庭の姫君のことは最初にちらっと見ただけで自分からは名乗らず、いてもいなくてもおなじ存在だと思っているのかもしれない。けっして人見知りする性格ではなかったが、レオナはレオナで騎士をすこし警戒しているようだ。
「ご託はあとできいてやる。最初の悪い報告はなんだ?」
 ディアスはいま一度、問う。騎士の顔つきが変わった。 
「ガレリアが落ちました」
 自分の主君のみならず、聖騎士であるブレイヴと姫君を同席させたのだ。それなりに《《悪い報告》》と覚悟していたものの、しかしこれはまったくの想定外だった。三ヶ月という短い期間ではあったが、ブレイヴもガレリアの守護を任されていた身だ。イレスダートの公国内から騎士団は集められているし、城塞都市の守りは堅固だということも知っている。いくらかの不安はのぞいていたとはいえ、ガレリア陥落の報はなにかの間違いだと思うくらいだ。
 それに、いまあそこを守るのはランツェスの炎天騎士団、つまりディアスの異母兄だ。ブレイヴはそういう目でオスカーを見る。騎士は素知らぬふりでつづけた。
「されどもご安心ください。ルドラスはガレリアより南へとくだってはおりません」
「どういう、ことだ?」
 思わず問い返したブレイヴに、騎士は鼻白んだようだった。
「あなたが敵国の将軍と交わした言葉は反故となりましたか?」
 ひょっとしたら試されているのかもしれない。ディアスも無言でいるのなら、二人が組んでいると読むのが普通だ。
「銀の騎士ランスロット。彼はたしかに優秀な騎士かもしれませんが、あれは敵側の人間です」
「裏切られたと、そう言いたいのか?」
「いいえ、まさか。しかしルドラスの将にもさまざまな人間がいるでしょう。あなたと彼の声だけで戦争が終わるならば、もうとっくに終わっているはずですよ?」
 ブレイヴは失笑しそうになった。なるほど、よく喋る。さっきの推測は撤回しよう。単に幼なじみが口を挟む隙がないだけだ。
「此度のルドラス侵攻にランスロットは関わっていません。聖騎士殿にとっては少なくとも吉報となりますね」
「では、誰がガレリアを?」
「さあ? さすがにガレリアまでは行っていませんので。私が耳にした《《噂》》では、西の居住区で火災があったとだけです」
 噂を鵜呑みするような騎士にディアスの麾下は務まらない。ブレイヴはまず微笑みで返す。オスカーもにっこりとした。
「……ガレリアがルドラスの支配下に置かれていない理由はなんだ?」
 ブレイヴもオスカーも、同時にディアスを見た。
「わかっていながら、あえて問うのですか? それはあなたの、」
「兄は見返りになにを差し出した?」
 ディアスはいつもブレイヴよりも冷静で、いつもその先を見ていた。西の大国ラ・ガーディアにいるあいだ、感情的な挙止《きょし》を繰り返していたのも先回りしてブレイヴを落ち着かせていたためだ。話の意図が読めないなどと口に出せば彼らに失望されるだろうか。おそらく、それこそが二番目の悪い報告だ。
「あなたの妹君は、いまルドラスにいます」
 はっと息を呑む音がきこえた。レオナだ。幼なじみはディアスの妹を知っている。
「兄上がウルスラをルドラスに売ったのか?」
「それは少々言葉が悪いような気がしますが、間違ってはいません」
「どういう、こと? どうしてウルスラが……」
「おや? 姫君はウルスラ様とお知り合いでしたか? ああ、そういえばお二人ともマイアの修道院に入っていましたね」
 少女の時分に修道院に身を寄せていたレオナは、そこでディアスの妹と友誼を結んでいる。それは友情というよりも姉妹の関係に近かったのかもしれない。
「公子のおっしゃるとおりです。ランツェスは独断でルドラスと同盟関係となった。ホルスト様はガレリアを放棄して、炎天騎士団ともどもランツェスへと帰還されました。つまりウルスラ様は人質も同然、されどもあくまで持ち掛けたのはルドラス側です。兄君は最良の選択をなさったのです」
 それも戦争の手段としては間違っていない。そう考えてしまうのは、自分の家族ではないからだろうか。そんな血の通っていないような人間だったのかと、ブレイヴは己に問う。いや、答えを見出すべきはそれじゃない。ホルスト公子の行いはイレスダートへの、マイアへの叛逆ではないのか。
「……白の王宮が黙っているはずがない」
 思考は途中からつぶやきとなってブレイヴの唇から零れていた。
「ええ、そうでしょうとも。あなたのアストレアのように、元老院から疑われて当然です」
 睨みつけたところでこの減らず口は止みそうもない。オスカーの白々しい演技のような声はつづく。
「ランツェス公爵は冗談のひとつも通じない謹直な方です。ホルスト様は謹慎を申しつけられましたし、白の王宮……とりわけ国王陛下へと弁明の書状を送っています」
「そんなものが通じるような相手じゃない」
「ずいぶんと説得力のあるお言葉ですね。しかし、我がランツェスに沙汰はくだっておりません。なぜなら、王都はいまそれどころではないからです」
「それが三つ目の悪い報告か?」
 オスカーは微笑してうなずく。
「まずは国王陛下の近状を……。初秋を迎えた頃からアナクレオン陛下は公務すべてを執務室で行っていたそうです。多忙を極める方です。心身ともに疲れもあったのでしょう。さいわいにして元老院の動きも大人しく、しかし冬がはじまったあたりから陛下のご様子に不審な点が見られるようになりました」
 ブレイヴが最後にアナクレオンと会ったのは初春だ。あの軍事会議がもう何年の前のようにも感じる。しかし、あのときのアナクレオンの表情は王たる自信に満ち溢れていたし、そもそもアナクレオンという人は自身の疲労など他者には見せないような人だ。ブレイヴは歯噛みする。ガレリア、それからアストレア。元老院はもちうるすべての手札を使って王を追い詰めようとする。
「……不審な点、とは?」
 ディアスの声に、ブレイヴは顔をあげる。幼なじみの麾下オスカーは応えるまでふた呼吸を置いた。
「元老院が国王陛下に対して、売国奴などという勁烈なる言葉を用いていることをご存じですね? イレスダートの公国をルドラスに売り渡す。代価として得られるのはこの戦争の終結です。アナクレオン陛下はそれを望んでいると」
「やめてください」
 いったい、どこでこの声を止めようか。逡巡するブレイヴよりも早く、幼なじみはオスカーの言葉を打ち切った。騎士は大袈裟にため息を吐く。
「話は皆まできいて頂きたいですね。ともかく、元老院が国王陛下を危険視しているのはたしかです。……そんななか、白の王宮では流血事件が起こりました。あろうことに白の間にて、です」
「それは……、兄上に刃を向けた者が」
「はい。ムスタール公爵ヘルムート、彼が国王アナクレオン弑逆の罪で投獄されました」
「あり得ない」
 今度はブレイヴがレオナよりも先に言い切った。
「もちろん、未遂に終わっています。でなければ、私もこんなに落ち着いてなどいませんよ」
「では、ムスタール公が王家に背いて陛下を手に掛けたなどという虚言も」
「残念ながらかの公爵の行いは事実ですし、国王陛下が重傷を負ったのもおなじく」
 うそよ。幼なじみのつぶやきがきこえる。
「ですが、アナクレオン陛下も王家の……竜の血筋を持つお方。死に瀕しようとも白の王宮の名だたる魔道士たちの力で、持ち直したことはたしかでしょう」
 レオナのつぶやく声がきこえたのか、そうでないのか。オスカーは淡々と事実だけを連ねていく。うそだ。ブレイヴもそうつぶやく。たちの悪い冗談にしては許されない報告だ。それも眩暈のするような悪い報告が三つ。うまく働かない頭でこれ以上言葉を紡ごうとも、騎士からブレイヴが納得するような声が返るとは思えずに、ブレイヴは一度開いた唇をまた閉じる。オスカーの関心など、すでにブレイヴやレオナにはなく、己の主君に向けて騎士はこう言った。
「ランツェスにお戻りください。国は、炎天騎士団はあなたを必要としているのです」










 大聖堂の礼拝堂には聖イシュタニアの像がある。
 敬虔なるヴァルハルワ教徒たちは聖イシュタニアの前で膝をつき、そうして解言の言葉を繰り返す。信徒とはちがうブレイヴは、食事の前や就寝時の祈りの言葉は唱えるような習慣はなく、けれども彼らのように祈りを欠かすことのない生き方を選べばよかったのかと、そう思う。急に自分を笑ってやりたくもなった。そんなものは、守れなかったものの言いわけだ。
 ディアスとオスカー、二人が去った大聖堂にブレイヴとレオナは残っている。規則正しく並べられた椅子に彼女は腰掛けて、ただぼんやりとイシュタニアの像を眺めている。
「帰ろう、レオナ」
 ブレイヴは幼なじみの前に跪く。レオナの青玉石色の瞳は、まだブレイヴを映してはいなかった。
「はやく戻らないと。ルテキアもロッテも、心配してる」
 初春の季節は昼間はあたたかくとも、夜になれば冬に戻ったみたいに冷える。外套を着込んでこなかったので、思ったとおり幼なじみの手は冷えきっていた。両手で彼女の手を包み込む。やっと、目が合った。
「そんなのは嘘だって、そう言ってはくれないのね?」
 縋るような目でレオナはブレイヴを見る。いまさら偽りを声に出したとしても幼なじみはもっと傷つくだけで、でもレオナは自分が傷つきたいからそんな言葉をブレイヴに求めている。こんなときに気の利いた声ひとつを落とせない自分が嫌になる。
 世界にふたりだけみたいだ。神聖なる大聖堂のにおい、夜の寂寞。イレスダートから遠く離れた西の国に、いま二人はいる。  
「どうして、なの?」
 ぽつり、と。声と同時に幼なじみの目から透明な雫が落ちた。
「どうしてわたしは、こんなところに、いるの?」
 純真たる子どもさながらの目で、幼なじみはブレイヴを見つめている。
「ギル兄さまは、いつもひとりで戦っていた。わかったいたのに、どうして、わたしは……」
 両の手に顔を埋めて泣く幼なじみに、なにをしてやれるだろう。ガレリア、アストレア、オリシス、そしてサリタ。ずっと逃げつづけてきたブレイヴは西へと向かうことを決めた。その先はグランだ。間違っていたのなら、どこからなんてわからない。イレスダートに留まり、王都へ戻る手段を模索した方がよかったのか。そうすればいくつもの悲劇を避けられたかもしれない。結果論だ。ブレイヴはちゃんとわかっている。それなのに、幼なじみに対してなんの言葉も持てない。
「ねえ、言って? ギル兄さまは無事って。そう、言って?」
「アナクレオン陛下は、」
 まだ頭が混乱している。きっと彼女もそうだ。理解の追いつかないことだらけで、なにを真実だと認めればいいのだろうか。オスカー・パウエルは嘘を言わない。ディアスを連れ戻すための虚言にしては度が過ぎているし、そうしたたちの人間には見えなかった。だからあれはすべて真実だ。ムスタール公爵ヘルムート。かつてブレイヴの教官だった黒騎士が、その手を大逆の血に染めたなどと信じられなかったとしても。
「どうして、言ってくれないの?」
 それは、彼女がいつも求めていた声だ。
「どうして、こたえては、くれないの?」
 懇願するように、甘く、おちる。
「いつもみたいに、笑っても、くれない。だいじょうぶだよって、それすらも……」
 せめて彼女がこれ以上震えなくてもいいようにと、ブレイヴは幼なじみを抱きしめる。清冽な花のにおいがする。レオナがいつも好んで付けていた香油を最初に選んだのは彼女の兄だ。
「かえりたい」
 ブレイヴの胸のなかで、また幼なじみは泣く。 
「帰りたい」
「うん」
「かえり、たいの」
「うん。レオナ。……わかってる」
「帰りたい。帰りたいよ、ブレイヴ。わたし、わたしは……、かえりたかったの」
 途切れ途切れで、頼りなく落ちるそのちいさな声は。世界にたったひとつ落とされた、彼女のほんとうの心が紡いだ願いだったのだろう。
「レオナ」
 行きたくなんてなかった。
 オリシスの庭園、アナベルの花が咲くその前で幼なじみは言った。ガレリアに行くのがこわかった。アストレアでもオリシスでも不安なままだった。そう言って泣く幼なじみは昔と変わらない王女のまま、だからブレイヴは早く幼なじみを王都に戻してやりたかった。
 生まれた場所へ、育った場所へ。そこに本当の自由がなくなったとしても、あの場所が彼女のあるべきところなのだ。一緒に帰りたかった。そう繰り返しながら泣く幼なじみをブレイヴは離さない。もしかしたら帰りたかったのは自分だったのかもしれないと、ブレイヴは思った。
「イレスダートへ。王都マイアに戻ろう。連れて帰る。かならず、きみを連れて帰る。だから、一緒に」
 どれだけ回り道をしたとしても、力を手に入れるためには手段を選ばない。ラ・ガーディア、そしてグラン。イレスダートで味方が作れないならば、他国に頼ればいい。すべては幼なじみを王都に帰すためだ。それからアストレアも取り戻す。遠いなと、ブレイヴは思う。オスカーがディアスを迎えに来て当然だ。遠い上にその旅路には果てがない。だとしても、この歩みを止めるわけにはいかない。
「一緒に帰ろう、レオナ」
 この手がどれだけ汚れたとしても、構わない。



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