四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

年に一度の花祭り

 純真の白と熱情の赤、可憐な桃色があれば明るさをそのまま表した橙の色と、陽気な黄色ものぞく。清冽な青や神秘的な紫の色もまた美しく、一段と華やかな彩りが人々の目をたのしませている。
 今日は待ちに待った花祭りの日だ。太鼓をたたく音につづいて、軽やかな笛も音も心地が良い。蒼空は高々と広がりそこには雲ひとつ見えない。雪の女王は一足先に帰ったらしく、西の都に春の季節がやってきた。
 東にある大聖堂の鐘もどこか今日はやさしく響き渡り、行き交う人の表情は常に歓喜に満ち溢れていて、すこし前まで戦争をしていた国には思えないほどだ。陰鬱な時間がようやく過ぎ去り、それははじまりを告げる。ウルーグの、それからラ・ガーディアの歴史はここからまた作られるのだろう。
 石畳の道をゆっくりと歩きながら、レオナは午後の時間を過ごしていた。
 仲間たちもそれぞれの時間をたのしんでいるようで、アストレアの騎士三人組は朝から姿が見えなかった。赤髪の青年がオリシスの少女を誘って出掛けたと教えてくれたのはアステアだ。魔道士の少年はこんなに良い天気だというのに今日も書庫に籠もりきり、歳の離れた兄にいろいろと教わる時間がたのしいらしい。
 さて、今日はどう過ごそうか。
 サラザールからウルーグへと戻ってきて、あとはグランへと旅立つ日を待つだけだ。しかし、グラン王国へとたどり着くには峻険なるモンタネール山脈が立ち塞がっている。平野に春が訪れていても山の雪解けにはまだまだで、風雪にさらされながらあの山を越えなければならない。安全を考慮するなら初夏まで時を置くべきでも、そこまでの時間は許されていないのが現実で、レオナの幼なじみは一刻も早くイレスダートへと戻る道を模索している。レオナもおなじ気持ちだ。王都の兄アナクレオンも、ムスタールに残してきた傍付きのルーファスもレオナは忘れてなどいない。
 この日、レオナを花祭りに誘ってくれたのは幼なじみだった。
 ブレイヴは軍師セルジュとともに次なる旅路の準備に追われている。ウルーグで年に一度の花祭りは七日間つづくので、そのうちのすこしでも一緒にいられたらと、勝手に淡い期待を抱いていたレオナは驚きつつも、素直に幼なじみの手を受け取った。
「あのときよりも、もっとすごい人だわ」
 城下街へと繰り出して、大通りへとたどり着く前にもう人でいっぱいに溢れていた。さすが花祭りというだけはある。三角屋根の家からはたくさんの花がのぞいているし、街路に色付いた花たちもどれもが可愛らしい。坊やから老爺まで、みんなが本当の笑顔を作っているのがわかる。本当にたのしそうで、けれどもちょっと気を抜くと人の波に攫われかねないので、レオナは繋いだ手をしっかり離さないようにする。
「フォルネやイスカからも、たくさん人が訪れているみたいだ。サラザールからはさすがに遠いけれど、……でもあそこも落ち着いたらきっと来てくれると思う」
 レオナはうなずく。王政が崩壊してサラザールという国は自由になったからこそ、この先が大変だ。レオナはサラザールでは教会と王城内という区間だけしか見ていなかったし、そこで会えた人もリンデル将軍とその従者たち、それから過去にデューイの世話したというガゼルという人だけだ。それでも、別れるときにすこし名残惜しく感じたのはどうしてだろう。
「レオナ?」
「あっ、ううん……、なんでも、ないの。ちょっと、サラザールのこと、考えてて」
 顔をのぞき込まれてレオナはびっくりした。幼なじみの顔が近くなるとどうしても緊張してしまう。そういえば、二人だけで話すのもイスカ以来だ。
 意識しているのって、わたしだけなのかしら?
 唇の熱さも思い出せば恥ずかしくなるし、気にしているのが自分だけだとしたらちょっと悔しい。
「デューイとロッテには驚いたけど、でも彼が来てくれてよかった」
「う、うん。そうね……」
 気もそぞろなレオナの顔を幼なじみがちらちら見てくるものだから、レオナは彼の顔がちゃんと見られなくなってくる。話題を変えよう。アストレア組は出掛けて、軍師の兄弟は書庫に籠もりきり、フレイアとクリスの姿も見かけなかったのであの二人はおそらく大聖堂だろう。ウルーグの姉弟は花祭りの準備に追われていた。あとのこるのは――。
「そういえば、ディアスはどうしたのかしら?」
 失念していたわけではなくとも、ブレイヴがもう一人の幼なじみの名前を出さないのはめずらしい。幼なじみたちはいつも一緒だなんて言うと二人とも否定しそうなところ、それでも見かけたなら声を掛けたはずだ。
「……ディアスは他に用があるみたいなんだ」
「そうなの?」
「たぶん、逢い引きかな」
 レオナは目をまたたかせる。ここはイレスダートから遠く離れた西の大国ラ・ガーディア。知り合いらしい知り合いがいるようにも見えず、幼なじみがそんな冗談を言うとは思わなかった。
「ほら、あそこに人が集まってる。……行ってみる?」
 レオナはうなずく。急に話題を逸らされたのは気のせいだろうか。そんな思考も漂ってくる香ばしいにおいにかき消された。
 焼きたてパンを頬張って、次には七面鳥を焼くにおいに誘われて、喉の渇きを覚えれば新鮮な果実の絞りたてのジュースを味わい、バターをたっぷりと使った焼き菓子をかじっては彩り豊かな飴玉を口のなかで転がして、そうするうちにいつのまにか空の色も変わって、お腹も心もいっぱいになった。
「エリスが指定したのは、丘の向こうだったよね?」
「そう。夜になったら来てくださいって。すごい真顔で言われたから、約束を破ると怒られるかも」
「そうなの?」
 レオナはきょとんとする。エリスがすごい顔をして怒るところはちょっと見てみたい気もするが、いつそんな約束を交わしたのだろう。胸の辺りがざわざわするのを、レオナは単に食べ過ぎたのだと思い込む。露天商から噴水広場へ、それから西へ西へと移動して、最後は丘の向こうへと。おなじように午後のひとときをたのしんだ人々もレオナたちと一緒のところへと向かっている。
 しばらくその流れに任せて歩いていると、金髪碧眼の少女たちに呼び止められた。十歳前後くらいの女の子の集団だ。レオナは屈んで彼女たちと目線を合わせる。赤と桃色に白に、緑や青と紫が揃っている。
 少女たちが両手いっぱいに持っているのは、彼女たちのように明るく可愛らしい花々だった。
 どの色が好きかと問われて、レオナはううんと頭を悩ませる。白い花はアストレアのリアの花、黄緑色はオリシスのアナベルをそれぞれ思い出す。みんなは元気にしているだろうか。アストレアのエレノア、それからオリシスのテレーゼ。二人とも強い女《ひと》だ。またすこし思考が過去へと行きかけたところで、幼なじみが白い花を指定した。ほんのりと甘いいいにおいがする。春の香りだ。
 少女たちは馴れた手つきでレオナの髪の毛に白の花を編みこんでゆく。そのあいだレオナはされるがままだった。手鏡が手元にないため出来上がりを自分では確認できず、残念そうに苦笑するレオナに幼なじみはにっこり笑う。少女たちも満足そうな表情だ。
 お礼を告げて少女たちと別れると、丘の向こうではエリスが待っていた。
 金糸雀色の髪には翡翠色の瞳とおなじ花が編み込まれている。艶やかな深緑の花はエリスによく似合っている。
「ねえ、エリス。ここにはなにがあるの?」
「それは、はじまってからのおたのしみです」
 悪戯っぽく笑って人差し指を唇に当てるエリスは、目顔でレオナを誘導する。大篝火の周りに人々が集まっている。坊やから老爺まで、それに男女の組み合わせも多いように見える。
「まだすこし時間があるようなので、お菓子でもいかが? お腹は空いているかしら?」
 正直お腹はいっぱいなのにお菓子の誘惑には勝てなかった。ここでも露店が出ている。牛酪《バター》を甘く煮詰めた固飴に菫の砂糖漬けなど、女の子が好みそうなものばかりだ。エリスに誘われてレオナは菫の砂糖漬けを頂く。一口食べてみればふわっと口のなかに花の香りが広がった。瓶詰めにして皆はお土産にするらしい。女の子たちのどの表情も嬉しそうだ。
 レオナが幼なじみのところへ戻ると、ブレイヴはエディと話している最中だった。
「花祭りを十分にたのしめたようですね」
 こんなにやさしく笑う人だったのかと、レオナはエディをまじまじと見た。でも、それは当然なのかもしれない。エリスもエディも、兄弟国であるイスカとの争いを避けるために骨身を削って尽くしてきた。開戦後の姉弟は王女として、その弟としての役目を十分に果たしてきた。けれども二人はまだ若く、本来の顔はこちらなのだろう。
 軽快な音楽が流れてきた。祭りはここからですと、エリスが言う。笛の音と太鼓の音と、それに合わせて歌声がきこえてくれば、人々は輪になって踊りはじめた。ウルーグの空と水と草原、まずは豊かな自然に感謝する。それから家族や友人、愛する人へと。この幸福なひとときが来年もまたつづきますようにと、祈りを込めながら人々は舞う。
「この祭りではじめて踊った者同士は、必ず結ばれるんですよ」
 それだけささやくと、エリスはエディと一緒に輪のなかに入って行った。びっくりしてレオナは思わず幼なじみの顔を見あげた。
「ほら、二人ははじめてじゃないんじゃないかな? それとも姉弟だったら、その絆がいっそう深まる、とか?」
 真面目な顔をして解説するブレイヴに言葉をレオナは素直に受け取る。それよりもだ。残された二人はこのまま輪のなかに入らないわけにはいかない。もしかしたら、幼なじみは最初から知っていてレオナを連れてきてくれたのだろうか。エリスの意地悪っぽい笑みを思い返せば、なんとなく説明もつく。
「レオナ」
 ぼうっとしている時間が長かったようだ。幼なじみがくすくす笑っている。ディアスも一緒に、暗に促した自分がすこし恥ずかしくなる。
「あの、わたし」
「私と一緒に、踊って頂けますか?」
 晩餐会にて貴人の令嬢にできるだけ多く声を掛ける。それも騎士の仕事なのだときいたことがある。いつも白の王宮の箱庭で暮らしていたレオナには華やかな夜会など無縁の世界だった。表の舞台に慣れていた姉のソニアなら、自らから異性を誘っただろう。自分にはきっとそんな日は来ない、レオナはそんな風に思っていた。
 レオナをいつも箱庭から連れ出してくれるのは幼なじみだ。
 母は自分が側室だと弁えているからか、別塔からほとんど出ることもなく、幼いレオナにもほとんど会いに来てはくれなかった。母親のちがう兄と姉が来る日も限られているから、幼い王女はいつも独りぼっちだった。姉のソニアが作ってくれたちょっと不格好なウサギさんだけが友だちの王女、そんなある日公爵家の子どもたちが王女の遊び相手として招かれた。
 お部屋に閉じこもってばかりいないで、僕といっしょにあそぼうよ。
 あの日、レオナはブレイヴの手を取った。清冽な水とおなじ色の瞳、彼の故郷アストレアの湖はあんな色をしているのだろうと、そう思った。
 晩餐会で貴人たちが嗜むようなダンスとちがって、人々は思い思いの動きをしている。軽やかなステップがたのしい曲調から、ゆるやかな円舞曲《ワルツ》のような曲調へと変わってゆく。夜会のダンスすら経験のないレオナだ。何度も幼なじみの足を踏みつけて、そのたびに二人は目を合わせて笑う。
 こんなにおだやかな時間はきっといまだけだ。
 レオナはこの愛おしいときを忘れない。イレスダートへと戻れば、レオナはまた白の王宮の箱庭へと閉じ込められる。でも、それでいい。あの場所がレオナのあるべきところだと、レオナは知っている。


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