四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

叛乱分子

 雨あがりの街路で長靴ブーツを汚さないように歩くとなると、すこしの勇気が要る。古い民家がいくつも密集しているせいで日陰が多く、土もなかなか乾かないのであっというまに泥だらけになる。そのうち外套も汚れてきて、ブレイヴは気にするのを止めた。前を行くデューイがくすくす笑っている。
「新品じゃなくてよかったな」
 赤髪の青年はこの街の出身だと言った。どういう理由でここから離れてカナーン地方まで出奔していたのかは誰も知らない。ブレイヴはとりあえず苦笑いで返す。騎士服を脱いで旅人らしい服装に変えてきたが早くも汚してしまった。けれど、ここではこのくらい薄汚れていた方が正解なのかもしれない。
 そこらでたむろする男たちが値踏みするような目でブレイヴを見ている。背丈は大人の女くらいで、もしかしたらまだ成人もしていない少年なのだろうかと、ブレイヴは思う。彼らはとにかく痩せていて、その陰鬱な表情からはとても子どもには見えず、しかし落ち窪んだ眼窩からのぞく瞳はぞっとするほどに冷えている。
「大丈夫だよ。あいつらはべつにいきなり襲ってはこない。あんたらを金持ちか貧乏人か見定めてるだけさ。前者だったら客引きする方がよっぽど金になる」
 そっちの方がより厄介だったが、すぐにその意味を理解した。葉巻を加えた厚化粧の女が合図すると荒ら屋から少女が出てきた。
「目を合わせちゃ駄目だぜ。追い返してもずっと付いてくる。男は殴れば帰るけど、女は金を貰うまで絶対に逃がさない。そうしなきゃ、ひどい目に遭わされるのは自分だからな」
 絆されてあの荒ら屋に入ったら最後、薬漬けにされて廃人になるか奴らの仲間にされるか、もしくは他に売られる。一夜の快楽を求めるにしては高い買い物だろう? デューイがブレイヴの耳元で囁く。まるで自分自身が野引きする少年だったみたいに、そうきこえる。
「あれを置いてきて正解でした」
 セルジュがつぶやく。魔道士の少年は同行を願い出たが軍師にすげなくあしらわれた。少年ならばここにもう一人いる。ブレイヴはエディの横顔を見た。無表情を装いながら嫌悪と怒りの感情を隠しきれていないのも、ウルーグの鷹もまだ少年だからだろうか。ルイナスに倣って市井に紛れていたエディも、貧困街を目にするのははじめてだったようだ。
 たしかに、ここまでひどい場所はイレスダートではあり得ない。
 ブレイヴは自由都市サリタを思い出した。貿易都市と名高いあの街にも貧困窟は存在していたし、逃亡中の聖騎士は住民たちにつけ回された挙げ句、集団で襲われた。嫌なことを思い出してしまった。ブレイヴは心中でため息をする。もしもジークが一緒だったならば、やはりあの場所を選んだだろうか。
「襲ってくると思うか?」
「いいや、奴らはそこまで馬鹿じゃない」
 クライドの問いにデューイは首を振る。デューイ、ブレイヴとセルジュ、エディにつづいて、最後尾にはクライドとディアス。貴人の巡礼者にしてはなかなか無理がある組み合わせだ。訳ありの集団には手を出さない方が賢明だと、そう判断したのだろう。隘路を抜ければ少年たちもいなくなった。
 舗装された街路へと入っても街全体の印象が変わるわけでもなく、辻馬車に乗り込む貴人は下流貴族の装いだった。
「あれはお得意様かな」
 デューイがつぶやく。川向こうの北には貴人たちの居住区がある。気に入った娘を買うためには法外な金額を請求される。
「もっとも、ここには法も秩序なんてものはないんだ。あのおっさん、廃人になるのが先かそれとも正妻に知られて偉い目に遭うか、どっちが先だろうな」
 ここの出身のくせに他人事のように話すデューイは、笑みで自分の感情に嘘を吐いているようにも見える。
「サラザールはいつからこうなった?」
 相槌が返ってきたことに驚いたらしく、デューイは意外そうな顔をした。
「ずっとだよ。俺が生まれたときからそうだったし、親父やじいさんの代より前じゃないかな?」
 ずいぶんと曖昧な答えだ。言葉を濁しているのかそれとも本当に知らないのか、表情からは読み取れずに見つめるブレイヴの視線を、わざとらしくデューイは避けた。
 物乞いはそこらにいるし年端のいかない子どもだって武器を隠し持っている。
 この街では掏摸や暴力、あるいは裏切りといった行為は日常だと、デューイはそうほのめかす。イレスダートでも身分や貧富の差はもちろんある。没落貴族が職にあぶれてならず者と化した話は何度だって耳にした。それでも、イレスダートはここのようにはならない。王政が上手くいかなかった証だ。だからこの国は乱れている。
「そんなことはどうだっていい。……いつまで野放しにしておくつもりだ?」
 幼なじみの指摘はさっきの奴らじゃない。それよりもっと前から、サラザールに入ってからずっとブレイヴたちは誰かに付けられている。
「王国軍か、それとも敵対する異分子の、」
「どっちだっていいじゃないか。それにそろそろ熱烈な歓迎を受ける頃だし」
 デューイはちらっとうしろを見た。三人が姿を現した。顔に傷がある男と眼鏡を掛けた細男と、最後の一人は幼さの残る少年だった。襤褸の外套を纏っていても浮浪者に見えないのは、三人とも目に光が宿っているからだ。手に得物は持っていなかったが油断はできない。それこそ、サリタでは刃物ならば何でも武器にして、襲撃された。
「新入りは六人か」
「それにしちゃ綺麗な奴らばかりじゃないか。川向こうから来たのか旅人か」
「どうだっていいよ。ボスに引き渡すのが先だろ」
 クライドもディアスも、剣を抜くべきか迷っているように見える。ブレイヴの視線に気づいてデューイが片目を瞑った。彼らは《《ボス》》と言った。どうやら当たりのようだ。
 それとも、隘路にいた少年少女たちも、葉巻を加えた女たちも同胞だったのだろうか。この街の片隅に息づいている叛乱分子は蜘蛛の巣を張るように、あちこちに情報網を張り巡らせている。
「抵抗はしない。だから早くボスのところに連れて行ってくれ」
 デューイが両手をあげて三人の前に進み出た。顔に傷のある男と眼鏡の細男が顔を合わせる。
「あんたは誰だ?」
 二人が目で相談しているあいだに少年が問うた。デューイはちょっと首を捻って考える振りをする。
「不肖の息子ってとこかな?」
「はあ? ガゼルに息子なんて、」
「おい」
 顔に傷のある男が少年の肩に手を乗せた。失言だったと気づいたのだろう。少年はばつが悪そうに顔を背けた。
「駄目だ。連れてはいけない」
 眼鏡の細男が峻拒する。クライドとディアスが剣へと手を伸ばしている。《《ボス》》の名前を知った者を生かすつもりはないようだ。三人の顔つきが変わった。
「こうは考えないかい? 俺たちには他にも仲間がいる。ここで口封じしようものなら他の奴らが黙っちゃいないって」
「あいつの知り合いならばなおさらだ」
「ガゼルに会わせてからでも遅くはないと思うけどな。俺はあいつを知ってる」
「お前はともかく他の奴らは何だ? イレスダート人にユングナハル人もいる」
 そう、デューイが連れてきたのは他国の人間だ。青髪はイレスダート人に多いし、ユングナハルの人間は肌の色を見ればすぐにわかる。巡礼者を装うにはおかしな組み合わせで、そもそも異国の貴人ならこんな場所に足を踏み込まない。
「仲間だよ」
 デューイの言葉にほぼ全員がまじろいだ。
「俺はあんたらの仲間でもあるし、連れてきたのも仲間だ」
 赤髪の青年は人好きのする笑みを見せる。まるで出会った人間がすべて自分の友か仲間みたいな物言いだった。










「と、言っているが。本当にあいつの言葉は正しいのか?」
 三人の男たちに連れられた先は大衆食堂だった。夕刻の忙しい時間帯に客でもない男たちがぞろぞろと入ってきても、給仕娘は相手にしない。厨房で大鍋と格闘していた店主がこちらをちらっと見たがそれだけ、三人の男たちはそのまま裏手へと回って納屋の扉を開ける。施錠されていなかったのは、たいして物が詰まれていなかったからだ。
 麦酒の入った樽を脇に寄せると地下へとつづく梯子が現れる。とにかく狭い入り口を苦労しておりると地下室の扉はすでに開いていた。拷問部屋にでも押し込まれたかと思えば、中にあるのは本棚とカウチだけ、なるほど趣味で作った書斎といえばたしかにそう見える。
 一人掛けのカウチに腰を沈めた男は、眼鏡の細男に問われてしばしの時間を置いた。
 身体が大きいのでカウチが狭そうに見える。さして手入れもしていない金髪は傷んでいる。琥珀色の大きな目がじろっとこちらを睨んだ。いや、睨んだように見えたのは男の左目がなかったから、眼帯の下の目は怪我で失ったのだろうか。
「さて、どうだかな。知ってのとおり、俺には息子なんてものはいない」
「ほら見ろ! こいつは嘘つきだ!」
「まあ、待て。だが、十年以上前に赤髪のくそガキを拾ったのは覚えてる。厨芥を漁っていたそいつを手懐けるのはずいぶんと苦労した。もしもいま俺の前に現れたとすれば、そいつはただの恩知らずだ」
 吠える少年が大人しくなったのは、少年の境遇も似たようなものだったのかもしれない。顔に傷のある男がため息を落として出て行った。たいして広くもない地下室で十人も入るとなると窮屈すぎる。眼鏡の細男に責付かれてデューイが眼帯の男の前に出てきた。赤髪の青年は頭に巻いたカーチフがずれるのもお構いなしに、頭を掻いた。
「勝手に出て行ったのは悪かったと思ってる」
「そうだな。そのあと五年も姿をくらました上に、素性の知れない奴らを大勢連れてくるくらいだからな」
「いや、それはほら、言っただろ? 仲間だって」
 ブレイヴは《《親子》》のやり取りを注意深く観察する。つまりこの男が彼らの言うボスだ。ガゼルという男はサラザールに潜む叛乱分子の指導者、となればいきなり帰ってきた息子に警戒するのも当然だ。
「俺たちは王国軍とは関わりがない」
「そりゃ、見ればわかる。あんたはイレスダート人だし、うしろの兄さんもユングナハル人だ。金髪の坊やはウルーグ人か? 騎士か王族かなんかは知らんが、上手くデューイに騙されたな」
 おおよそは当たりだが、ガゼルはひとつだけ間違っている。
「こいつはべつに俺たちの仲間じゃない」
「そうですね。それに我々は騙されたのではなく、自分たちの意思でここにいるのですから」
 あっさりと否定するディアスにセルジュもつづく。ガゼルは興味深そうにこちらの声をきいている。
「いやいや、そりゃないだろ。サリタから一緒だったし、俺はずっとあんたらの案内役だったし」
「ほう……? カナーン地方だと? そんなところにまで足を伸ばして何をやってた? どうせまたお前の、」
「その話はあとだ! ……とにかく、みんなにここのことを説明してやってくれよ」
 もっともな意見だ。さきほどからブレイヴに視線を送っていたのはエディで、とにかく話がおかしな方へと向かえば途中で止めるつもりだった。旅人でも巡礼者でもないブレイヴたちが知りたいのは、サラザールという国の実情だ。
 ガゼルが目顔で残った二人に同意を求めている。眼鏡の細男はどうにも諦めたようで、反対に少年はまだブレイヴたちを、特にデューイを疑っている。ウルーグで金を借りたままとんずらして、エディの麾下だった鉤鼻の男にずっと敵視されていたといい、赤髪の青年は知らずのうちに敵を作りやすいたちなのかもしれない。
「物好きな奴らだな。それともデューイの言うように俺たちの仲間であり、救世主となるのか、反対に敵となるのか」
「それはあなたの言葉次第です。私は姉の代わりに、いえ……他の王侯の代わりとなってこの国を見定めます。私の目はそのまま、ウルーグとフォルネ、それにイスカだと思って頂きたい」
「坊やが一番手強そうだな」
 ウルーグの鷹を坊やと揶揄するくらいだ。もっともこれくらい豪胆な男でなければ叛乱分子を導く者として務まらないのだろう。
「貧困窟を通ってここまで来たあんたたちだ。だいたいの想像はついているだろう? この国の王政は機能していない。民はずっと耐えつづけてきたんだ。それが、変わろうとしている」
「老王が身罷り、少年が王の座についた」
「そうだ。悪政を終わらせるにはいましかない」
 ブレイヴをイレスダートの騎士だと認めていながら、その前ではっきりとガゼルは言った。王を表の舞台から引き摺りおろすためには、手段を選ばないと。


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