四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

隠者は語る

「突然訪れたのは闇でした。麻袋を被せられ、幾日も身体を引き摺られたかと思えばそのまま放置されました。たしかに私はここから逃げたいと、そう思っていました。疲れていたのもあります。七年前、王弟による叛逆が起きた際に主だった者たちは皆処罰されましたので、政治や軍事はもちろんのこと、外交もそのすべてを任されておりました。私は宰相としてこれを放り出すわけにはいきません。ですから、持てる力のすべてを尽くしていたつもりでした」
 堰き止めていた思いが一気に溢れ出したのだろう。痩せた頬に一筋の雫が流れてゆく。窪んだ眼窩から覗くのは絶望と諦念、それから悔恨。どれも生々しく伝わってくる。
 聖騎士と獅子王が一戦を交えたあと、フォルネのルイナスが戦場に現れた。
 つづいて駆けつけたのはエディとシオンだ。ウルーグとイスカがぶつかって七日が経っていたものの、主力部隊は両軍ともにまだ余力を残していた。しかし、役者がここまで揃えばこれ以上戦う理由もなくなる。要人たちはいま、イスカの王城に招かれている。
 軍議室には時計回りにスオウとシオン、ルイナスとつづき、エリスとエディ、そしてブレイヴ。長机も椅子もない広間に敷かれた絨毯の上に銘々が腰をおろす。天井が高く吹き抜けの軍議室に暖炉はなく、あたためた山羊のミルクで冷えきった身体を落ち着かせる。フォルネの王ルイナスがもう一人を招いたのは、そのあとだった。
 真っ先に反応したのがウルーグの姉弟だった。エリスは目を瞠り、エディはその目に警戒心を宿らせた。ブレイヴは二人の反応を見てすぐに理解する。ウルーグの軍議室にて、いつも空席だったのは宰相席だった。
「彼が発見されたのはウルーグとフォルネの境の森だ。かなり衰弱していたらしい。だから私の元に伝わるまで時間が掛かったし、ここに連れてくるのも遅くなった」
 ルイナスは皆の前でまず謝意を示す。ウルーグの宰相は何者かに拉致され、そののちウルーグの南、国境近くで放置された。回復を待って話をきけたとしてふた月以上は待ったのだろうか。ブレイヴがウルーグへと入るより前の話だ。
「すこしのあいだだけでも、一日だけでも休みたい。私はエリンシア様に申し出るつもりでした。おやさしい殿下です。二つ返事で応えてくれるでしょう。しかし、そうならなかった」
 彼はルイナスがうなずくのを見てからふたたび話しはじめた。エリスやエディを見なかったのは、負い目があるからかもしれない。宰相ははじめに逃げたかったのだと、そう口にしていた。
「あれは、月の見えない夜でした。その日の私は疲れ切っておりました。イスカの獅子王へと宛てた手紙はいつまで経っても返ってきませんでしたし、軍議室では皆から毎日のように責められました」
「そんな手紙はイスカに届いていない。何度も言わせるな」
 気色ばむシオンを目顔で制したのはスオウだ。もう誰もイスカを疑ってはいない。獅子王の元へと親書は届いていなかった。そう認めている。
「今夜のうちに殿下のところへ行こう。それとも、このままどこかへ行ってしまおうか。中庭で長いこと私は空を見つめていました。やはり月は見えずに、このままだと身体が冷えるばかりだと、そう思い回廊へと引き返そうとしたとき、私の前に闇が現れました」
 闇、と。エディの唇が動いた。他の者たちはじっと宰相の次の声を待っている。
「私の前で甘美な声を持って囁く者がいました。どんな言葉で誘い込まれたのかは覚えていません。しかし、あれはたしかに私だったのです」
 彼はその言葉を最後に自分の身体を抱きしめた。彼は闇を見たと言った。よほど恐ろしい思いをしたのだろう。宰相は震えを止められずにいる。 
「……つまり、あなたは幻を見たのだと? そういうことですか?」
 ほぼ全員がエリスに同意する表情だった。しかしブレイヴはある違和を感じ取り、その隣のエディもおなじようだった。
「お待ちください、姉上。決めつけるのはまだ早い。彼は、《《本当に自分自身を見たのかもしれません》》」
「どういうこと?」
 エディは彼の目をじっと見つめる。宰相はすっかり怯えてしまい視線を合わせようとはしなかったが、嘘を吐いているようには見えない。錚々たる各国の要人が集まるこの場所で、虚言を繰り返すような人間はもっと堂々としているからだ。
「監獄の街で白の少年に襲われたとき、あの子どもははじめ《《ちがう人間の姿》》をしていました」
 スオウとシオンが怪訝そうに眉を寄せ、エリスも開きかけた唇を閉じた。興味深そうな表情でいるのはルイナスだ。
「あの少年は自分を人間ではない存在だと、そのような発言をしていました。実際、白の少年と戦って痛感しましたが、あれは人が抗えるような力とは思えません」
 ウルーグの鷹ことエディはいつだって正直な物言いをする。しかし、暗に《《彼女》》もまたそうだと示されているようで、ブレイヴの胸は苦しくなる。白の少年からエディやディアス、他の者たちを守ったのはレオナの力だ。そう、ブレイヴの耳にも届いている。
「なるほど。たしかに人ではない異形の存在ならば、他者に姿を変えることなど造作もないのかもしれないな」
「ルイナス。貴様はこんな戯言を信じるつもりか?」
「お前とてあの監獄の街で炎を見たのだろう? シオン、それにお前はエディからきいたのではないか?」
 シオンがルイナスから視線を外す。フォルネの王はくつくつと笑った。
「そう怒るな。別に私はどちらの肩を持つつもりもないが、しかしそこの聖騎士もエディと同意見だろう」
 いきなり水を向けられて全員の視線がブレイヴに集まった。イレスダートからサリタ、そしてラ・ガーディアへと。ここまでの経緯はおおむねルイナスに話している。
「待ってくれ。誰か、もうすこしわかりやすく説明してくれないか? 私はお前たちのように賢くはない。話についていけない」
 正直な物言いはスオウだったが、隣からは無遠慮なため息がきこえた。シオンは自身の連れ合いに説明するつもりはないらしく、この申し出を無視している。すこし前に死闘を繰り広げた獅子王とおなじ人とは思えない。ブレイヴは失笑しそうになったが、むしろこっちが本来のスオウなのだろう。初代王イスカルも普段は口数の少ない大人しいたちだったそうだ。スオウもまたおなじく、戦いとなれば受け継がれてきた戦士の血が獅子王を変える。
「すこし、話をまとめてみよう」
 ブレイヴの提案に皆がうなずいた。
「ウルーグとイスカで小競り合いがつづいていた。両国とも和解のために動いていたが、しかしウルーグからイスカに宛てた密書は獅子王の元に届いてはいなかった」
 どちらが先に領域を侵したのかは言わなかった。いまとなっては水掛け論に過ぎないし、問題とすべきはそこではなかったからだ。
「ウルーグからの密書が獅子王へと届かなかった理由はふたつ考えられる。最初からそんなものは存在しなかったか、あるいはスオウへと届く前に破棄されたか」
「どちらも考えられますね。姉が綴った密書もそれから宰相も。どちらも私は中を読んでいます。しかし、彼が途中から別の《《もの》》にすり替わっていたとすれば、話は別です」
「なら、スオウへと届く前に握り潰した奴らがいるのも真実だ。奴らはスオウの失脚を望んでいた」
 エディ、それからシオンがつづく。その話は初耳だ。獅子王の右腕だったシュロもそんな話はしなかった。俘虜の身であったにもかかわらず、たいした男だ。いまもなおその勇敢なる戦士が偲ばれる。
「私たちは獅子王に仇なす戦士たちを許さなかった。奴らを抑えつつ、ウルーグの動きを警戒していた。だがあいつは……、シュロはこの戦いを長引かせないように、自分がセルジュを連れて出陣した。自分が動けばウルーグの鷹も黙ってはいないと、そう思ったらしい。どういうわけか、ウルーグにいた聖騎士殿によって俘虜にされたわけだが」
 どう相槌を打つべきかわからずに、ブレイヴはシオンに向けて苦笑する。裏切り者のイレスダート人の軍師は、もともとシオンに保護されていたときいた。その結果、親しい友を喪ったのだから、シオンがブレイヴやセルジュを憎むのは当然だろう。
「シュロは私たちに……、いいえウルーグに協力してくれると、そう約束してくださいました。ですが、彼は……」
「あれを屠ったのは子どもの魔道士。お前たちが白の少年と呼ぶ存在だな?」
 問われてエリスはスオウにうなずく。点と点が線になってきたような気がする。
「その白の少年だが、一人とは限らないな」
 皆がルイナスを見た。胡座で頬杖をつきながらそれぞれの声を黙ってきいていたが、ここにきて確信めいた発言をする。
「おなじ姿の者が複数いると、あなたはそう考えているのか?」
「いいや、そうじゃない。だが、《《協力者》》はいるのではないか?」
 協力者。ブレイヴは繰り返す。
「イスカで戦士たちを焚き付けた者、ウルーグの宰相を拉致した者、シュロを殺した者。すべてが同一人物だと限らない。複数とみるべきではないのか?」
 たしかにそうだ。ルイナスはこの動乱の裏で何が起きていたかを見抜いている。
「ふん。遅れてきたくせにずいぶんと根回しがいいじゃないか? だが、お前のいうことも一理ある。イスカで動いていた奴らは少年たちばかりだった。あいつらが自分たちだけで考えていたとは思えない」
「彼らは私の義理の弟、シオンの弟に近しい者ばかりだった。シオンの弟はかつて叛逆を企てたが失敗し、私があれを殺した。関わった者たちも処刑した。だが、女子どもは見逃したし、他にも関係者は残っていたかもしれない」
「それが獅子王に刃を向けた戦士たち……、そして彼らを先導していた存在がいる」
 ブレイヴは考えながら声を落とす。ルイナスの推論も、シオンとスオウの言葉もおそらくすべて正しい。ただしすべてが結びついたからといって、答えがそろったわけでもないだろう。視線を感じて顔をあげる。ルイナスがにやっとした。
「忘れていないか? もうひとつの兄弟国を」
「サラザール、ですか? しかしあそこは……」
「ああ、エディ。皆、知っている。サラザールでは王が身罷ったばかりだ」
 ラ・ガーディアの最北サラザール。地名くらいしかきいたことのないブレイヴは、次の声を待つだけだ。
「かなりの老齢だったからな。まあ、病死だろう。しかしあそこには跡を継ぐ息子も娘もすでにいなかったから、まだ少年だった孫が玉座に収まっている」
「そいつが私たちに喧嘩でも売るつもりだったのか?」
 気色ばむシオンにルイナスは笑みでまず返す。
「さあ、どうだろうな。共倒れしているあいだに背後から襲うのは戦争の定石だが、少年王にそんな勇気があるかな? なにより、こちらに支援を求めているくらいだ」
「北は沃土に恵まれない大地ですから、食糧の支援を求めるのは当然だと……、そう思います」
 どこか愉快そうに喋るルイナスに対してエリスは真顔で言う。自国が戦争をしている最中でも、ウルーグは北の果ての兄弟国に援助をつづけていたらしい。
「サラザールにも叛乱分子が存在する。鎮圧するために助けてほしいと、イスカは嘆願書を受け取っている」
「そうだ。そこが重要なのだ」
 意図が読めずに顔をしかめたスオウに、ルイナスは言う。
「少年王は国を立て直すのに必死なようだ。まあ、無理もない。それまでの王が政治を省みずに、ここまで好きに生きてきたツケを払わされているんだ。だからこれまでなおざりにしてきた兄弟国に協力を仰ぐし、他国の魔道士だって受け入れる」
「他国の魔道士?」
 問うたブレイヴにルイナスがうなずく。
「名うての魔道士が北に集まっているときく。女神の名を持つ魔女、他にも数名。その白の少年も無関係とは思えない。さて、どこから集めたのやら」
「イレスダートも無関係じゃない。そう言いたいのか?」
 ふたたび視線が集まった。どうやらイレスダートの聖騎士が国を離れて、この西の国へと流れ着いた経緯を皆まで話さなければならないようだ。


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