四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

取り戻せないもの

「うそつき」
 子どもはそうつぶやいた。
 かつて焼け野が原だったそこに木造の家が連なっている。中央には噴水広場で子どもたちがはしゃいでいる。東へと進めばやがて聖職者たちが祈りを捧げる塔へとたどり着く。北に見えるのは白亜と大理石で作られた白き宮殿だ。
 子どもはときどきそこから抜け出しては一人城下を彷徨う。復興が終わって三十年という月日が流れた。しかし、青玉石サファイアの瞳を持つ子どもは、この場所に城ができる前からずっと子どものままだった。
 人々は子どもを王として崇拝し、そして玉座へと導いた。
 はじめの数年はそれでよかった。口数のすくない大人しい子どもは大人たちの言いなりで、ただそこに座っているだけで皆が笑顔でいてくれた。
 綻びはすぐに訪れる。《《いつまで経っても成長しない》》子どもを周囲は気味悪がった。時の権力者たちはこぞって子どもに自分の娘、あるいは息子を与えようとしたが、子どものままでは新たな命など授からない。目論見が外れた要人たちはそのうちに味方同士で争い出す。神聖なる白き宮殿が血で汚れてもなお、子どもは玉座で大人しくするだけだった。
 もうひとりがいたら、こうはならなかった。
 子どもは母親の顔も覚えていなかったし父親が誰かも知らなかったものの、血を分けた兄弟がいた。兄と弟、姉と妹は助け合うものだ。それなのに、あいつはここを出て行ってしまった。
「あいつは、わたしを捨てたんだ」
 子どもはそう繰り返す。おなじ女の腹から生まれた双子だ。相手の考えていることはなんだってわかるし、またその逆も言える。ひとつしかない玉座に子どもは二人いた。時の王に二人は要らないことなんて誰もが知っていた。
 争いの種となる前に二人を引き離すべきだと、大人たちは声を揃えていた。二人の子どもは容姿は幼かったものの、大人たちのやり取りを目で視て耳で聴いている。だけど、あいつがここからいなくなったのは単なるきまぐれだ。子どもはそうつぶやく。あいつはひどい癇癪持ちで気に入らないことがあればすぐに怒り出す。殴られたのだって一度や二度では済まない。
「北に行くよ。あっちはここよりもっと栄えているって言うから。綺麗な姫さまと一緒になるのも悪くない」
 それすら騙されているのだと、子どもはそう思った。
 従順で大人しい子どもと、感情的で口さがない子ども。内に秘めたる力の強い方の子どもと、すでに自身の意思で力の抑制が可能な子ども。どちらが扱いやすかったなど言うまでもない。別たれた双子、一人は南にもう一人は北に。二人がふたたび会ったのは、《《この国が無くなった》》そのあとだった。

 








「お目覚めになりましたよ」
 回廊を歩いていたディアスの足が止まる。石灰岩で作られた王城はとにかく広い。二階建ての構造で中庭を見おろす四方の回廊は広々としている。各部屋も回廊とおなじく吹き抜けとなっているがその数は多く、要人を狙った侵入者が目的にたどり着くまでには屈強な戦士たちに取り押さえられてしまう。
 まるで迷宮だ。ディアスは感銘を受けると同時に、イスカという国がいつの時代も戦いに明け暮れていたことを改めて実感する。イレスダートと異なる点は、敵が外ではなく内にあったというだけだ。
 黒髪と褐色の肌、上下の繋がった貫頭衣に身を包んだ女性が近づいてきた。この側女はイスカの戦士シオンの侍女だという。イスカの王城に連れて来られて三日、南の一区だけが行動を許された場所だった。隙を見て幼なじみをとともに脱出を考えていたものの、王城の壮大さは想定外だったし、なにより側女が何かと世話を焼いてくる。そういう性分なのか、あるいは監視か。どちらにしてもようやく目覚めたようだ。
 扉がないのでノックの必要もなかったが、いきなり入ってきたディアスにまず子どもがびっくりした。
 王城では戦士を名乗るにはいささか不安の残る子どもの姿もあった。いずれもディアスの赤銅色の髪がめずらしかったようで、視線は好奇心に満ちていた。ただディアスは客人という名のいわば人質だ。それもはるか東のイレスダート人であり、余所者に近づく勇気はなかったらしく、子どもらはちょっと遠くからこちらを眺めるだけだった。
 背丈もちいさく線も細い見慣れない子どもだった。これまで会った子どもらのなかに見なかった顔だと、ディアスは子ども相手でも警戒を解かない。黒髪の子どもは幼なじみにくっついて離れなかったが、側女が一喝した。
「まあ! お客さまはずいぶん長いこと眠っておられたのですよ。いきなり失礼ではありませんか」
「だって、おはなししたかったんだもの。このひとは、竜族なのでしょう?」
 子どもらしい無邪気な発言だ。それに間違ってはいない。幼なじみは黒髪の子どもと側女に挟まれて困ったような表情でいる。
「でしたら、日を改めてちゃんと挨拶をしてからです。また母君に叱られたいのですか?」
「それは……、嫌だけど」
 黒髪の子どもは口をもごもごさせて、やっと幼なじみから離れた。すかさず側女が黒髪の子どもの腕を引っ張る。そうしてディアスとレオナに向けて一礼し、そそくさと部屋から出て行った。
 まるで嵐が去ったみたいだな。ディアスは幼なじみに向き直る。彼女は笑おうとして失敗した。
「あの子は……?」
「獅子王の子だろう」
「じゃあ、シオンの?」
 ディアスはうなずく。ここにディアスたちを連れてきたイスカの戦士たちは多くを語らず、ただあの側女に預けた。こちらの素性は粗方判明しているようで、だからシオンの子どもは竜族などという言葉を口にした。
「あの子となにか話したのか?」
「いいえ……。でも、あの子の他にも、ずっとわたしの傍にいてくれた人がいる」
 ディアスはわずかに視線を逸らした。
「わたし、どのくらい眠っていたの?」
「二日と半日だな。……覚えていないのか?」
 幼なじみはいきなり倒れた。監獄の街で白の少年と戦い、あれだけ多くの魔力を消費したあとだ。精神力も魔力も尽きるのは当然だろう。あわや落馬寸前で受け止めた幼なじみの身体はひどく冷えていた。あのときとおなじだった。
 幼なじみは額に手を当てて記憶を辿ろうとしている。蒼白だった顔色もすこしは元に戻ったように見える。
「ブレイヴは? ……みんなは?」
 きっとレオナは最初にもう一人の幼なじみの名を呼ぶだろうと、そう思っていた。じわりと、押し寄せてくる感情をディアスは押し殺す。眠っているあいだもウルーグとイスカは戦いつづけている。レオナがそれを知りたがるのは当然だ。
「エディとシオンは? ふたりは獅子王のところに行ったのでしょう? わたしたち、あのままイスカの王城に連れて来られたのね? 戦況はどうなったのかしら? エリスとセルジュはブレイヴと一緒だわ。それにアステアたちは?」
 思いつく限りの単語と人の名を、よくもまあこれだけつづけたものだ。正直にあきれた。
「そんなに一遍に質問をするな」
「ご、ごめんなさい。でも、わたし……」
 叱られたとでも思ったのだろう。幼なじみはうつむいた。別に怒ってはいない。しかし、わずかに感じた痛みがどうしてもディアスの邪魔をする。
「ごめんなさい。怒って、いるのね?」
「怒ってなどいない。ただ、お前があんなに無理をするとは思わなかった」
 ディアスが最初に白い光を見たそのとき、レオナは十歳になったばかりだった。
 いまでもあの日を思い出すと胴震いがする。人間を生きものではないただの肉塊に変えた異端な力。たしかに、少年のディアスもブレイヴも幼なじみに助けられた。レオナが力に目覚めなければ、どうなっていたかなんてわからない。感謝するべきなのだろう。それなのに、ディアスのなかに残っているのは懺悔と畏怖だ。
「ごめんなさい。でも、わたしは」
「わかっている」
 幼なじみはイレスダートの王女、マイア王家の子たちは竜の末裔である。そのもっとも濃い血と力を受け継いだのがレオナだ。私ではなかった。遠い昔、そうつぶやいた彼女の声が蘇る。
「エディとシオンはまだ戻ってこないし、戦況の仔細も伝わってこない。アステアたちはあの監獄の街に留まっているだろう。あそこには怪我人がたくさんいる。それから、」
 ディアスは呼吸のために一拍を空ける。
「ブレイヴもエリスもきっと無事だ。イスカの奴らが騒いでいない。となれば、獅子王もおそらく」
「間に合ってくれたら、いいのだけれど」
「いまは信じるしかない」
 我ながら似合わない声をしたものだと、ディアスはそう思った。叱りつけたのは自分だったが、元気のない幼なじみを見ているのは辛い。
「そうだね……。いまは、みんなを信じて……」
 不安を隠せないのだろう。幼なじみは左手の指環に触れている。きっとそれは無意識の行為だ。ディアスには幼なじみの不安のすべてを取り除いてやることはできないし、幼なじみの心の拠りどころになれそうもない。
「ごめんなさい」
 レオナはそう繰り返す。
「たくさん心配かけてしまって。ほんとうに、ごめんなさい」
 求めているのは謝罪ではなかったが、これ以上幼なじみを責めるのは酷だ。別に怒ってはいない。怒りを向けるべき相手はディアス自身だ。
 救ってあげてね。そう、彼女はディアスに言った。あれは一方的に取り付けられた約束だったように思う。いまになってあの声をよく思い出すのはなぜだろうか。すこし前にレオナに問われたからか、それとも――。
「夢を、みたの」
 独り言みたいだった。だからレオナはディアスの声を待たずにつづける。
「子どもの夢よ。会ったこともない子ども。でも、わたしはあの子を知ってるの。……ううん、ちがう。あれはわたし」
 こわいゆめをみるの。幼い頃のレオナはそう言って、いつも自分の兄と姉を困らせていた。いまもその夢を繰り返しているのだろうか。幼なじみがディアスを見つめている。上手く作れていない笑顔はどちらを意味しているのか、わからない。
「あれは、わたしと姉さまだった。前にもおなじような夢を見たわ。双子の夢。物別れしてそれっきり」
 レオナの姉ソニアだ。王家の第二子であるソニアは五年前から姿を消している。イレスダートとルドラス。長く争いつづけてきた南と北の両国で結ばれるはずだった和平条約は叶わずにソニアは消えた。
「疲れていたからだろう。いまはとにかく、ゆっくり休め」
 そうして、またあの側女を呼びに行こうとしたところでディアスは呼び止められた。
「ねえ、ディアス。なにか隠していない?」
 純真たる青玉石色の瞳から逃れるなど不可能だ。戦争が本格化する前に、ディアスはウルーグの城下街で一人の女を見つけた。そこにいるはずのない人で、あちらもディアスに気がついていたはずだ。しかし、雑踏のなかで彼女の姿はすぐにどこかへと消えてしまった。
 だから、あれは見間違いだったのだ。ディアスは口のなかで言う。
「いいや、なにも」
 幼なじみは嘘を吐くのが下手な人間だ。偽りの言葉で返したのだと知っていても、レオナはそれ以上なにも言わなかった。


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