四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

イスカの獅子王とイレスダートの聖騎士

「私を倒せる者はいないのか!」
 腹から吠えるスオウの声がここまできこえる。
 少年騎士らは戦う前から竦みあがっている。王女エリンシアが年若い軍師よりも先にブレイヴを見た。傍らのセルジュがうなずく。弓矢の一斉攻撃がはじまった。
「あれの相手をまともにするのは、馬鹿のやることです」
 攻撃的な物言いは皮肉が半分、残りは警告だろう。黒馬の集団が近づいてくる。イスカには騎士がいないから自軍の将、あるいは主君を守るという概念もない。たしかにスオウはイスカの王だが、しかし戦士たちにとって主というのもそもそも間違っているのかもしれない。イスカの王とは、その国で一番強き者を指す言葉だ。
「スオウが来ます」
 エリスがつぶやいた。美しい横顔からは畏怖や憎しみといった感情とは別の、悔悟の情が見える。小競り合いから発した争いを止められなかった。和平を謳いながらも王女の声は獅子王に届かなかった。頼りとしていた宰相は心を病んで国から消えた。ウルーグとイスカ、兄弟国としての関係を修復する架け橋となるはずだったシュロという戦士を失ってしまった。エリスは、いったいいつから己を責めつづけているのだろう。
 死なせてはならない、そう思った。ここにはいないウルーグの鷹エドワードも、騎士団長オーエンも、誰一人として失わずにこの戦争を終わらせるのが不可能だったとしても、ウルーグの未来のためには死なせたくはなかった。
 黒馬の集団が近づいてくる。イスカの黒馬は気性が激しいために扱いがとにかくむずかしい。雨が降れば泥に足を取られるのを嫌がるし、霜が降りれば走るのを拒否する。それを手懐けて戦馬として鍛えているのがイスカの戦士たちだ。濡れ羽色の黒髪、褐色の肌、その大きな体躯を見ればウルーグの騎士などまるで子どもだ。
 雨のように降ってくる矢にも怯まずにただ真っ直ぐに向かってくる。黒馬の集団を率いている男をブレイヴは見た。あれが、イスカの獅子王。
 無理に食い止める必要はないと、セルジュがエリスに進言した。王女は己の軍師の意見よりも先に、ブレイヴの軍師の声をきいた。
 まさに獅子王の名にふさわしい戦いだった。
 イスカに身を置き、獅子王やその妻シオンの傍らで軍師として働いていたセルジュだ。賢しらな策を講じようともスオウには看破されると見抜いていたし、そうした上であえてここまで誘い込んだ。無論、スオウもそのつもりだろう。荒れ地の民は、いつの時代も戦いに明け暮れていた戦士たちの末裔だ。ひとたび戦場と出れば受け継がれてきた戦士の血が騒ぎ出すのかもしれない。
「エドワードとオーエンはどうした?」
 ついに、エリンシアとスオウが相対した。
「ここにはいません。彼らは、彼らの戦いをつづけています」
 王女に獅子王を近づけさせまいと、騎士たちがそれを阻む。エリスは目顔で彼らをさがらせる。ここまできて対話で終わるような相手じゃない。しかし、スオウはイスカの戦士である。
「敗北を認める代わりに、己の命でも差し出すつもりか?」
「いいえ」
 鼓膜が破れるかと思うくらいの大声にも、エリスはけっして負けていなかった。凜としたその表情で獅子王に向かい合う。
「ウルーグはまだ負けてなどいません。スオウ、あなたと戦うのはこれからです」
「お前が私を殺すと言うのか! 面白い!」
 スオウにつづいてイスカの戦士たちが一斉に笑い声をあげる。己の主君を、ウルーグという国を愚弄されたとばかりに気色ばむ少年騎士らは、いまにも飛び出しかねない顔をしている。
 互いに陣形を組み直し、そこから最後の戦いがはじまる。騎士団長オーエンはこちらへと引き返しているところだろうか。ウルーグの鷹と騎士団長を名指ししたくらいだから、二人の到着を待つつもりかもしれないが、それはあまりに非現実すぎる。オーエンはともかくエディはここには来ない。駆けつけて来るあいだに、勝敗は決している。
 ブレイヴはいま一度、獅子王を見た。
 イスカの歴史も始祖であるイスカル、それから現獅子王のスオウも時間の許す限りだったが調べあげた。イスカという国は他の兄弟国とは異なり世襲制にあらず、そのためイスカルの子が次の王となったわけでもなく、その血もいまを生きるイスカの戦士たちに受け継がれているのだろう。
 ブレイヴは目顔で軍師に訴えた。これからすることの一切に口出しも手出しも許さない、と。セルジュがブレイヴの傍に戻ってからそれほど時間は経っていなかったが、己の主君の性格は熟知しているはずだ。おやめください。そう、セルジュの唇が動いていた。
「貴様はなんだ?」
 エリンシアとスオウ。二人のあいだにブレイヴは割って入る。さすがはウルーグの馬だ。イスカの黒馬にも獅子王にも臆さずに、ブレイヴの言うことをちゃんときく。 
「ブレイヴ・ロイ・アストレア。……イレスダートの聖騎士」
「聖騎士? 知らんな」
 またイスカの戦士たちから笑いが起こった。ブレイヴも微笑む。スオウという人間は押し出しの良い人物らしい。もっとも、幼なじみのような悪名があれば遠い西の国まで名が通っていただろう。赤い悪魔のディアス。幼なじみもここにいればきっとブレイヴを止めた。
「ブレイヴ。なにを……?」
「手慰めになるとは思わないが、獅子王の相手をする人間が必要だろう?」
 スオウがいきなり王女エリンシアを狙うとは思えなくとも、他の戦士たちにエリスを討たれてはすべてが終わってしまう。
「公子! やめてください」
「セルジュはエリスの傍に」
 こういった演出も必要だろう。そういう目顔をブレイヴはする。騎士団長オーエンが戻ってきたとして、こちらにどう勝機が傾くかどうかエリスもセルジュもわかっているはずだ。獅子王を前にしてウルーグの騎士たちの士気はさがっている。
「一人とは言わん。十人でも二十人でも、まとめてかかってくればいい」
「いや、私一人で十分だ」
 そして、スオウ自身もこんな安い挑発に乗るような男ではないはずだった。ブレイヴは先に馬を下りる。長期戦となることは覚悟の上、馬を潰されて負けたとあってはオーエンに顔向けができなくなる。ふた呼吸のあと、スオウもつづいた。中央にブレイヴとスオウを残して円陣ができた。
 どこからでもかかってこい。
 スオウが振り回していた剣は騎馬戦では片手で扱っていたものの、両手に持ち替えている。あれをまともに受ければ剣が折れるのが目に見えている。ブレイヴは間合いを十分に取って、浅くなった呼吸を意識して戻す。
 先に攻撃を開始したのはブレイヴだった。切っ先がスオウへと届く前に弾かれる。なんて力だ。受け流しただけでこの威力、両足にもしっかり力を入れておかなければ力負けして尻餅を着きかねない。反撃が来るかと思えばスオウはつづけての攻撃を待っているようだった。試されている。聖騎士を名乗ったのはブレイヴ自身、憤りを感じる必要はないだろう。
 二撃目、三撃目と繰り返しながら、どれもスオウの剣に阻まれた。それこそ、ブレイヴの狙ったとおりだ。そのうち無聊を持て余したスオウが攻撃に回る。反撃を喰らうよりもあちらの攻撃を躱してわずかな隙を見つけ出す方が、危険ははるかに少ないと、そうブレイヴは見ている。ブレイヴは背後を見た。目が合った軍師はブレイヴに対してうなずいた。
「どこを見ている!」
 やはり、思ったとおりだ。
 普段は温順なたちであるスオウもイスカの戦士には変わりない。親しい友を喪い、イスカの王城から戦士たちを率いてここまで来た。平静であろうとしても戦いのなかでどうしても血が滾る。さらにはイレスダートの聖騎士まで出てきた。スオウはブレイヴの背後に控えたセルジュを見ただろうか。おそらくは、否だ。《《イスカを裏切ったイレスダート人がそこにいる》》ことすら気づいていない。 
 ウルーグもイスカも、両軍とも固唾を呑んでこの戦いを眺めている。
 蛮族と揶揄されたイスカの戦士たちだが、しかし彼らも騎士道精神とおなじく、神聖なる戦いに水を差すような真似をする者はいないのだろう。イスカの戦士たちは獅子王を信じているし、ウルーグの騎士たちも他国の聖騎士に己が国の未来を託している。なんて重いのだろう。ブレイヴはそう思った。たぶん、スオウもおなじだ。このままスオウの大剣を受けつづけているだけで手が痺れる。それに体格差、スオウに比べると小柄なブレイヴが不利なのは明らかで、どうしても先に体力が尽きてしまう。
 それこそが狙いだ。ブレイヴは唇に笑みを描く。獅子王の目が見開かれる。ブレイヴは剣を握り直し、攻撃もこれまでと動きを変えた。一瞬スオウの受け身は遅れて刃は肩へと届いた。血が噴き出しているにもかかわらず、スオウはうめき声のひとつもあげずに、また動きも鈍らなかった。その機を逃さずブレイヴは攻撃を繰り出していく。
 幼い頃から教わってきた騎士の剣技はやめだ。これは異国の剣士に倣った、クライドのような自然に沿った動きだった。間近で見ていたブレイヴだからこそ、いまなら試してみるべきだと思ったのだ。
 我慢比べがはじまった。相手もまた人間である。こちらの体力が尽きるが先か、スオウが倒れるのが先か。呼吸を整える間もなく、ブレイヴは連続攻撃へと変える。最初の一撃は受け止められようとも構わない。ブレイヴは笑みを崩さずいる。戦場に狂った聖騎士。相手は狂気を感じているのかもしれない。それでも、スオウはけっして手を緩めない。
 本当に強い王だ。ブレイヴはそう思った。
 後の歴史には、まさしく死闘であったと記されるだろうか。この戦いのなかでブレイヴは奇妙な感覚を抱いていた。ラ・ガーディアの大地に愛された王と異国の聖騎士、決して交わるはずのなかった二人が剣を交える。これが戦場ではないどこかならば生まれはちがっても年齢はちがっても、あるいは友情を育めたかもしれないと、そう感じさせるほどの魅力をスオウは持っていた。
 スオウが大剣を片手に持ち替えた。ブレイヴが与えた傷は彼の筋を傷付けていたようだ。攻撃力は落ちるものの、攻撃は止まらない。スオウは真正面から剣を振り下ろした。ブレイヴがそれを受け止めるのをわかっていながらのあえての攻撃、おかしいと思ったときにはもう遅かった。
 掌底が胸へと放たれる。激しく咳き込みながらブレイヴは血を吐いた。直接押し込まれた胸よりも脇腹や背中の方に激痛が走る。どこかの骨をやられた。傷を庇う間もなく、大剣がブレイヴを襲いつづける。そのとき、誰かの声がブレイヴの耳に届いた。
 それは二人の戦いを見守るセルジュやエリス、またはここにはいないはずの幼なじみたち――レオナやディアスの声にもきこえた。負けてはならない。自分から言い出した戦いだ。ブレイヴはうしろへと飛びさがって間合いを取った。目と目が合い、それは長く付き合った友に向ける目にも似ていた。
 次が本当に最後の攻撃となると、ブレイヴは悟った。
 焼ける喉に唾を押し込んでブレイヴはもう一度、敵を見据えた。先に動いたのはスオウだ。重い、重い一撃だった。ブレイヴは押し負ける方を選んだ。刹那、勝利を確信したスオウの笑みが見えた。ブレイヴもまた笑む。身体の力を抜いて体重を左へとずらし、相手の剣を地面へと打ち込ませる。体勢を崩したスオウの腕を斬りつければ、王はついに剣を手離した。その隙は、おそらくもう二度とはない機だった。
「なぜ、殺さない!」
 静寂は数秒とも持たず、イスカの王は怒りを露わにした。ブレイヴはスオウの喉元に剣を押し当てたまま、動かなかったのだ。
「あなたの命を奪うことを、彼女は望んではいない」
 翡翠色の双眸がこちらを見つめていた。エリスはしっかりした足取りで近づいて来る。
「スオウ、お願いです。これで終わりにしてください。私たちは、」
「ここで剣を収めたところで、イスカはウルーグを憎みつづける」
 はじめからスオウはこの戦いで自身の命を捨てるつもりだったのだろうか。いいや、そうじゃない。獅子王もエリンシアとおなじく、抗いながらここまで来たのだ。それならば、もう戦う必要もない。ブレイヴがスオウから離れようとしたそのとき、頭上から降ってきたのは若い男の声だった。
「敗者は、勝者に従うべきだろう? ちがうのか?」
 イスカの獅子王とウルーグの王女、それから異国の聖騎士。誰も介入できなかったその場に現れるのはまさしく相応しいといった人物だった。またこれ以上ない絶妙な間ともいえる。ブレイヴは肩の力を抜いて、エリスは思わず相好を変えた。しかし、スオウはそうはいかない。
「フォルネのルイナス。やはりウルーグに介入していたか」
「私が否定の言葉を落としたとしてもお前は信じないのだろう? 目に見えるものだけを追うのは、統治者としていかがなものかな?」
 この挑発もまた演出のつもりだろう。ルイナスは薄い笑みをする。周囲は次第にざわめきはじめていた。無理もないと思う。これまでウルーグともイスカとも一切の関わりを断ってきたフォルネの王が突然現れたのだ。どちらの味方ともならないのならば、あるいは敵として認めるしかない。ところが、ルイナスは想定外の声をつづけた。
「双方ともここまでだ。互いに剣を収めよ。これ以上の戦いなど必要がない。……いや、最初からするべきではなかったのだ。この戦いは」
「なにを、おっしゃっているのでしょう? ルイナス様、私たちは己が国を守るためにこれまで戦ってきたのです!」
 エリスが憤るのも当然だ。自分よりも若い王女にルイナスは落ち着くように目顔で諭す。
「はじめから仕組まれていた。そう言えば納得するか? それには場と時間が必要だな」
「お前はいつも回りくどいやり方をする! フォルネもイスカの敵と見做されたいか!」
「まあ、待て。落ち着いてもう一度よく考えろ。ウルーグとイスカ、フォルネ。それにそこのイレスダートの聖騎士。この他にも関わった存在がいただろう?」
「なに……?」
 スオウが声を低めて、ブレイヴもまじろぐ。あの白の少年のことを言っているのだとしたら平仄が合わない。ルイナスはあの子どもを知らないはずだ。遅れてきたからにはそれなりの理由が要るのはたしかで、フォルネの王へと向けられている視線はどれも猜疑に満ちている。
「やれやれ、困ったものだ。落ち着いて話もできないとはな。……しかし、どうやら頃合いのようだ。役者もそろった」
 ルイナスの視線に導かれて、ブレイヴも南を見た。亜麻色の馬、そして黒馬の集団が駆けつけてくる。エリスは弟の名を叫んで、スオウは己の連れ合いの名を口にした。
「なるほど、貴様も一枚噛んでいたというわけか」
「その様子では本当に戦うべき相手がわかったようだな」
「ルイナス様。私たちは真実を見極めるためにここに来たのです。ウルーグもイスカも、これ以上兄弟国同士が傷つき合ってはなりません」
 黒髪の女戦士がシオン。本来なら敵であるはずの相手と一緒に現れたのがウルーグの鷹だ。誰も理解しがたいこの状況でわかっているのはひとつ、これ以上血が流れる必要などないということだ。極度の疲労と傷の痛みからその場に座り込みそうになったブレイヴは、自分がここにいるのはどうにも場違いではないかと、いまさらながらにそう思った。


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