四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

スオウはまだか

 戦争のたびにどこからか集まってくる傭兵隊は、扱いにくい奴らがいい。
 クライドにそう言ったのはオリシス公爵のアルウェンだった。
 イレスダートはルドラスと戦争をつづけている国で、言わずもがな北は激戦地である。長く傭兵をやっている者たちは北になど近づかずに、小競り合いや内乱が起きるのを待っている。賢い奴らだよ、あいつらは。麦酒エールを呷りながら笑うアルウェンはいまよりずっと若かったし、クライドもまだ十五、六の歳だった。
 そんな奴らに先鋒や伏兵隊を任せていいのか? いざとなれば逃げるだろう? 
 矢継ぎ早に質問するクライドにアルウェンは教師みたいな顔をしている。自分は教官なんて向いていないから、ムスタールの黒騎士に押しつけたと以前そう言っていたくせに、この表情だ。
 輜重隊にくっついていれば前線より安全だとしても、それでは稼げない。傭兵たちの目的は手柄を立てて給金を貰うことじゃないと、クライドも知っている。清廉潔白な騎士たちは村落を落としても掠奪など許さないが、餓えた傭兵たちにとってはそれこそが仕事だ。つまり、アルウェンは傭兵たちの行いを黙認している。謹厳なたちだと、そう思っていたオリシス公が恐ろしくなったのはそれ以降で、同時にアルウェンという人に興味を抱いたのも事実だった。
 アルウェンの言葉は間違っていない。
 騎士のような崇高な精神を持たない傭兵たちは、自分の命をとにかく大事にする。不利となればさっさと逃げ出すし、戦闘が終わるまで森に隠れている者もいる。昨日まで一緒に酒を飲んでいた奴が、あくる日の戦場では敵陣で見つけたことだって一度や二度ではなかった。傭兵とは、そういうものだ。故郷のユングナハルを出てイレスダートやカナーン地方を放浪してきたクライドは、ずっとそういう奴らばかりを見てきた。
 此度雇われた傭兵たちもそのつもりだったのだろう。
 イスカの獅子王スオウが出陣する前に、イスカの戦力を分断させる必要がある。軍議室で言い放ったのはイレスダートが聖騎士ブレイヴの軍師だった。スオウの性格ならば先陣を切ってウルーグへと突撃する。スオウを知る王女エリンシアやその弟エドワード、それから騎士団長オーエンだったが、すこし前までイスカにいたセルジュの声は無視できなかったようだ。どうやら、イスカにも穏健派がいるらしい。慎重派とでも言うべきだろうか。ともかく、イスカにも不安分子が多数存在するようで、機に乗じて獅子王を失脚させようと目論む者でもいるのかもしれない。勝手にウルーグに侵攻して寇掠こうりゃくしていたイスカの戦士たちが良い例だ。
 誤算があったとすれば、その両方だったとクライドはそう思う。
 獅子王の右腕だったシュロという男は、イスカにとってなくてはならない存在だったらしい。俘虜《ふりょ》としてイスカに返す約束をしたその矢先、謀略によっ
て屠られたと知ればその嘆きも怒りも当然だろう。獅子というよりはまるで猪だ。イスカの戦士たちは一心不乱に襲いかかってくる。
 落葉樹の森がすっかり血に穢されてしまった。イスカの先発隊を西へと誘き出せた、そこまではいい。傭兵たちは自分たちの役目が終わればすぐ逃げ出すつもりだったようだが、イスカの戦士たちは敵をけっして逃しはしない。
 まともにやり合えば先に剣が折れる。丸腰となった傭兵たちは次々と剣の餌食となる。戦場から戦場を渡り歩いてきた強者も中にはいただろう。鍛えあげた鋼の肉体、しかしイスカの戦士たちの膂力が上だ。ここまではウルーグが圧倒的に不利だったが、伏兵部隊を合わせると数では勝る。混戦へともつれ込み、ひどい戦闘が繰り広げられた。どれだけやられたなど、数える気にもならない。敵も味方も、ほとんど壊滅状態だ。
 だとすれば、この場はイスカの勝利だろうか。いいや、そうじゃない。クライドはつぶやく。傭兵部隊のなかに強者がいて、それが戦力のほとんどを削ったなど、イスカにとっては想定外だったはずだ。
 戦士の最後の一人を斬った。まだ若い、少年の戦士は他の仲間が全員やられても剣を収めずにクライドに向かってきた。戦士の誇りというやつだろうか。クライドにはわからない。
 クライドは周囲を見回した。味方も敵も、生き残ったのは自分だけだった。ウルーグともイスカとも関係のないクライドだ。イレスダートの聖騎士とともにいるのだって成り行きで、だからこんな戦いで命を懸けるつもりもなかったのが本音だ。 致命傷は避けたものの、身体のあちこちに傷を負ってしまった。敵の返り血か自分の血なのか、わからないくらいに衣服は血に塗れている。痛みをあまり感じていないのは興奮状態にあるからだろうか。こうならないうちに逃げろ。掠奪に参加しないクライドはいつも傭兵たちからはみ出し者扱いだったが、いつだったかお節介な壮年の傭兵に忠告されたのを思い出した。
「あいつは、どこに行った……?」
 呼吸を整えながら、クライドはもう一度視線を左へと流す。敵味方の別けなく折り重なった屍体のなかには黒髪も金髪も両方の色が見える。だが、クライドが最後に見た濃い金髪は、あの蒲公英色はどこに行ったのだろう。
 クライドは舌打ちする。剣を収めて歩き出すと左足が痛んだ。しくじった。自分でもそれを認める。もしもいま、別の増援部隊に襲撃されたらどうなるか。考えるだけで笑いが込みあげてきた。
「くそ……」
 毒づいたところでどうにもならない。近くの部隊には治癒魔法の使い手などいないから、自分の脚で歩いて戻るにも難儀しそうだ。この辺りの集落はイスカに落とされているか、あるいは早々に逃げ出した傭兵たちが蹂躙している。手負いの剣士など格好の的、なにしろクライドにはウルーグともアストレアとも関連するような証がない。少年騎士を何人か付けましょうか? エディの申し出を断ったのもクライド自身だ。足手纏いは要らない。けれど、もし生き残っていたら他のウルーグの部隊に合流するのも容易かっただろう。
「邪魔されないだけ、いいか」
 独り言を零していること自体、らしくなかった。
 左脚を庇いながら、クライドはさらに森を奥へと進む。そこらに転がっている屍体は弔われるより前に獣に喰われる。ウルーグもイスカも、こうなってしまえば関係がない。だからクライドは戦争という行為が空しく感じる。流れ者として戦場に身を置いている者として、言うべき台詞ではないかもしれないが。
 見つけた。しばらく森を彷徨うこと、クライドはようやく彼女の姿を捉えた。しかし、ここまで敵が入りこんでいるのは想定外だった。フレイアはイスカの戦士たちに囲まれている。
 相手は四人。普段のクライドならば苦にならない数だ。こんな怪我さえなければ思考する間もなく駆けつけている。クライドの足を止めている理由は他にもあり、レナードからそれをきいていなければ彼女の《《邪魔》》をしているところだった。
 にわかには信じられなかったが、自身の目で見たなら理解する他なかった。
 舞のようだと、クライドは思った。幼い頃、故郷ユングナハルで見た円舞を思い出す。異国を旅する踊り手たちは武芸にも優れていたが、まさか彼女がそれを習ったとは考えにくい。なにより、あれは自己流だ。騎士や戦士のような型に沿った戦い方をしていない。かといって、大河を流れる水さながらの舞とも異なるあの動き、近づけば巻き込まれると、レナードはそう言った。
「おい……、大丈夫か?」
 四人の敵を倒した彼女は肩で息を整えていた。忠告は、忘れていなかったと思う。彼女の間合いに入ったクライドが迂闊だっただけだ。
「くそっ、見境なしか……っ!」
 彼女の剣を受け止めながら痛罵する。紅玉石ルビーの瞳がクライドを映している。敵、と。フレイアは完全にそう認識しているようだ。力で押し返すにしても動きを止めるためにはまず一撃を入れる必要があるものの、それでは怪我をさせてしまうだけだ。白皙の聖職者の声が脳内で響く。勝手に取り付けられた言葉でもある。しかし、約束とは呪いのようなものだ。
「俺を、見ろ!」
 クライドは再度訴えた。紅玉石色の瞳が大きく見開かれる。
「敵、じゃない……? じゃあ、あなた、なに?」
 何と言われても困る。この少女と出会った最初、クライドは思いきり怖がられた。その後も距離を置かれていたように見える。ただ、少なくとも敵じゃない。だからフレイアはちゃんと連れて帰らなければならない。
 少女もまたぼろぼろだった。戦闘の邪魔にならないようせっかく綺麗に纏めあげていた蒲公英色の髪も乱れているし、血と汗と埃に塗れてひどいにおいだ。負った傷にしてもクライドよりも重傷なのに、彼女は平気な顔をしている。痛みを感じない人間なのかと、一瞬そう考えたがおそらくはちがう。痛みこそが生を実感させているとでもいうのだろうか。そういう人間はとにかく死を恐れている。
「おい、どこに行く?」
 ふらふらと、頼りない足取りでフレイアは歩き出した。思わず掴んだその腕は、これまで敵を屠ってきたとは思えないくらいに華奢だった。
「敵、まだいる。ぜんぶ、やっつけなきゃ帰れない」
 正気かよ。クライドは絶句した。お互い満身創痍もいいところだ。殴って気絶させた方が早いのはわかっていても、その前に大声を出されては敵わない。まったく、面倒な子守りを押しつけられたものだ。
「せめて、俺の目の届くところにいてくれ」










 スオウはまだか。
 伝令使たちは仕事に忠実で、小一時間ごとに王女エリンシアの元にやってくる。斥候の衝突、および伏兵部隊が戦闘開始。ウルーグ、イスカ両軍ほぼ壊滅。監獄の街は陥落、その他周辺地域もイスカの手に落ちる。イスカの第二陣、
西地区へと誘導。戦力の分断は成功したと思われる。騎馬部隊が南下、至急援軍を求む。
 騎士団長オーエン自ら増援部隊を率いて動いたのは一時間前、救援が間に合うかどうか半々といったところだろう。
 エリスはずっと相好を崩さずにいる。虚勢なのか意地なのか、わからない。ただ、王女として気丈であるべき姿は求められているのはたしか、エリスが取り乱すだけで味方の士気に大きく関わってしまう。
 エリスの弟エディも騎士団長オーエンも行った。いま、エリスの傍にいるのは年若い軍師だけだった。軍議室では強い物言いを繰り返していた軍師も、ここでは黙りこくっているし顔色も悪い。戦場での経験がほとんどないせいだ。ブレイヴは若い軍師を気の毒に思うと同時に、以前幼なじみが落とした言葉を思い出した。
 この国はおかしい。普通は他国の聖騎士など頼らない。
 隣国との外交も任されていた宰相が消えた。王女エリンシアの脇を固める重鎮たちは消極的で、過去に王弟の叛逆に関わったとされる騎士たちは処罰されたため、騎士団長オーエンをはじめ若者ばかりがそろっている。王室に生まれながら第二子であるエドワードはウルーグの鷹と称されながらも、その扱いは一介の騎士とほとんどおなじだ。綻びを探せばいくらでも出てくるくらいに、ウルーグという国の脆さが如実に見て取れる。いったい、どうやってイスカに勝つつもりだったのだろうか。
 やはりオーエンを止めるべきだった。
 ブレイヴは王女エリンシアを見た。ブレイヴとおなじ歳の若い指導者は視線に気づいていながらも、ただ真っ直ぐを見つめている。自軍がイスカに負けるとは露ほども思ってはいない。そんな表情だ。
 彼は王女エリンシアに懸想しているのです。ブレイヴの軍師はそう囁いたが、本当にそうなのかもしれない。いや、彼が見ているのはこの先だ。ブレイヴはそう思う。《《もしもウルーグがイスカに負けたとしても》》、イスカの獅子王はエリスを殺さない。もともと兄弟国だったことを鑑みれば、ウルーグという国を滅亡させたりもしないし、王位を剥奪したとしても王族たちの命までは取らないと想定するのは甘すぎる考えだろうか。敗国となった民は指導者を責めるのは当然で、されど獅子王が奪わなかった命を、その人を、民が手出しするのは不可能となる。 
「公子の考えていることは、大体合っていますよ」
 セルジュだ。こちらが優位に立っているのかそれとも劣勢なのか、それすら判別のむずかしいこの状況で冗談を零す余裕があるらしい。
「だいたい、あなたがおなじ立場だとしてもそうするでしょう? オーエンは騎士ですが一人の人間でもあるのですから」
 肯定も否定もするつもりはなかったが、前に同族嫌悪と揶揄されたのがどうにも引っ掛かる。ありえない。そもそもレオナが戦場に立つことなどないし、イレスダートが北の敵国ルドラスに負ける考えにもならない。ただ、騎士の鏡と称していたオーエンの人間くさいその一面には、何かしらの感情が動く。同情とでも言うべきだろうか。数で勝るウルーグの騎馬部隊に対してイスカの騎馬部隊は膂力でそれを蹴散らす。戦士たちは心に怒りという獣を飼っているから死を恐れなければ、敵のすべてを殲滅させるまで止まらないのだろう。
「スオウを止めることができれば、まだ勝機はある」
「非現実的ですね。あなたはスオウを知らないから、そんな悠長な考えでいられるのです」
「それを見越して策を授けたのはお前だろう?」
 いななく馬を宥めながらブレイヴは言う。
「たしかにイスカの戦力は分断できましたが、十分ではありませんね。スオウの連れ合いが戦場にいません」
 連れ合い――シオンという名の女戦士だ。セルジュはイレスダートを出奔したのち西へとたどり着き、ウルーグでエディに保護されたあとも放浪をつづけて、それからシオンに拾われたと言った。
「シオンが獅子王の前に出てこないのはおかしいと?」
 軍師がうなずいて首肯する。
「こちらが獅子王と戦っているあいだに、左翼から回り込まれては確実に不利となりますね。その前にオーエンが戻ってくれば話は別ですが」
 はっとして、ブレイヴは軍師を見た。唇に笑みが描かれているのにいまになって気がついた。
「救援が間に合わないと見てオーエンが引き返す。いや……、騎馬部隊の第一陣を交代させたのもお前の策略だな?」
「軍師は勝てない戦いはしません」
 悪びれる風もなく吐き捨てた軍師にブレイヴはため息をする。いったい、いつのまにオーエンと組んだのか。エリスはともかく、主君である自分にも秘匿にしておく辺りが憎らしい。
「そして獅子王も上手く騙されていると?」
「スオウの傍にシオンがいたならばちがっていたでしょうね。馬鹿みたいに猪突猛進をつづけているくらいですから、冷静とは言えません」
「それは獅子王を過小評価なさっているのでは?」
 白馬に乗ったエリスが近づいてくる。物言いはきつくとも、エリスもまた笑みを作っている。
「スオウ様――、獅子王はすべてわかっていて、それでも真っ直ぐにこちらへと向かってくる。ならば、私たちは全力で戦わなければならない。……そうでしょう?」
 ブレイヴは失笑しそうになる。見誤っていたと、認めるべきなのはエリスとスオウと両方だ。欺かれたと知っても憤りを面に出したりもせず、血縁者を除いたもっとも信頼の置ける麾下を危険に晒されてもこの表情でいる。それどころか、エリスはオーエンが必ず自分のもとに戻ってくると、信じて疑っていないのだろう。オーエンは喜ぶべきだと思う。色恋の感情とはちがったとしても、王女からここまで信頼される彼は、やはり騎士の鏡だといえる。
 そして、イスカの獅子王。スオウはどんな策略に嵌められようともすべてを蹴散らす自信がある。
 前方が騒がしくなった。やがて、ブレイヴの瞳もそれを捉える。黒旗が近づいてくる。四葉と描かれているのは獅子、紛れもなくイスカを象徴する旗だ。



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