四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

エディとシオン

「だって、わたしはギルにいさまみたいに、うまくできないもの」
 涙ながらに訴えればレオナの兄は困った顔をした。
 十歳も歳の離れた妹だ。説教を繰り返したところで子どもはもっと泣き喚くし、ひどいときには癇癪を起こす。それをわかっていたのだろう。
「あらあら、ひどい顔ね。ね、そろそろお茶にしましょうよ?」
 こうしてぐずっていれば姉が助けてくれるのだと、レオナも知っている。姉のソニアは怒るとちょっとこわいけれど、兄のアナクレオンよりはずっとやさしい。
「お前はいつもレオナに甘いな」
「レオナはまだ七歳よ? 魔法の訓練は早すぎるのではなくて?」
「自分の身を守るためだ」
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったレオナの顔を姉が手巾ハンカチーフで拭ってくれる。ギルにいさまは、いじわるだ。レオナはソニアの腕のなかから睨みつける。
「そんなの、いらないもの。ブレイヴとディアスが、わたしを守ってくれるもの」
 アナクレオンとソニアが顔を見合わせた。レオナの幼なじみはまだ幼く、士官学校にも通っていなかったが、それでも彼らがレオナの騎士だと皆は認めている。
「守ってもらうだけではいけない」
「ギル兄さま」
「レオナはマイア王家の子だ。竜の力を扱えなければならないし、他者のためにその力を使うのが使命だ」
 姉に抱きしめられながらレオナは身体をぶるっと震わせる。
「魔法障壁を作り出すのは造作もないことだ。だが、最大の防御は攻撃魔法を扱えなければ話にならない」
「……無理よ、この子には」
 かつてイレスダートを荒らした竜、その血と力を受け継いだマイア王家はいわば竜の末裔である。長兄アナクレオンは防御の魔法を得意とし、護身用の剣術もそこらの騎士には劣らない腕の持ち主だ。姉のソニアは四大元素すべての魔法を使いこなす上に、治癒魔法も防御魔法も得意とする魔法の熟練者だ。二人ともレオナくらいの歳にはある程度の魔力を自在に操ることが可能だったのだが、末姫レオナはごらんのとおりだった。
「ねえ、兄さま。レオナの治癒魔法を見たでしょう? この子には、他人を攻撃するなんて、とてもできないわ」
 痛いのはいやだ。魔法の訓練と称して、マイアの三兄妹は庭園に集まっている。
 まずアナクレオンが周囲に魔法障壁を張る。ソニアが火球を作り出し、その魔力を兄に向けて放つ。悲鳴をあげたレオナだが、兄アナクレオンには炎は届かない。アナクレオンの身体にうっすらと光の粒が見える。あれが、魔法壁。つづいて幼い妹へとソニアはごくちいさい風を放った。兄とおなじようにしたつもりでも、レオナは簡単に吹き飛ばされた。
 痛いのはいやだ。レオナの身体は地面へとたたきつけられた。打撲と擦り傷、それから風の刃がレオナの皮膚を切り裂く。痛みにレオナはわんわん泣いて、けれども姉が治癒魔法を掛けるその前に傷はほとんど消えていた。
「私やお前よりも、ずっと強く竜の力を受け継いでいるのはこの子だ」
「そんなの……」
 途中でソニアの声は止まった。上の兄妹二人はすでに洗礼を受けていたが、自分たちの身体のどこにも聖痕が現れなかったことを認めている。
「レオナの力はいつか必ず必要となる。しかし、制御できなければ――」
 あのとき、兄はなにを言ったのだろう。
 レオナは右腕に雷を纏わせる。左腕で右手を支えるようにして、連続で放たれる雷光は敵を逃さない。威力はあえて抑えている。白の少年の身体へと届かないのなら、相手の攻撃の隙を与えなければいいのだ。
 白の少年は空中で踊るように雷を躱している。魔力はもとより、剣や弓矢などの物理攻撃も彼には届かない。まるで遊ばれているみたいだ。
 その余裕の表情が気に入らない。レオナは歯噛みする。次に白の少年がこちらへと魔力を放ったそのときに、防げるかどうかなんて自信がなかった。それでも兄のように完璧な魔法壁が作れなくとも、姉のような万能な魔法が扱えなくてもレオナには力がある。雷槍――、それこそが真の竜の力を受け継ぎし者の力。竜人ドラグナーの力だ。
 あの少年は自分をバケモノだと、言った。そうだ。レオナもおなじバケモノだ。相手が人間ではないのなら、力を制御する必要なんてあるのだろうか。
「ねえ、こんなんじゃ退屈しちゃうよ。もっと本気を出してよ」
 来る。レオナは攻撃を止めて、すべての魔力を防御へと回す。自分の力だけでは全員を守れないこともわかっていた。
 紅蓮の炎か、氷結の刃か。
 四大元素の相反するその両方の力を扱うのは《《普通の人間》》には不可能だ。けれどもあの白の少年は造作もないままに、それを使う。次は風だ。魔道士の少年が操る小型の竜巻など比べものにならないほどの大きさで、レオナたちを襲う。
 お願い、間に合って。
 レオナは膝をついて祈りの格好をする。ドーム状に広がった光の幕がレオナを覆い、それはすこしずつ大きくなっていく。けれども、ここから離れているエディや後方の仲間たちには届かない。強風がすべてを呑み込んでいく。吠え立てる獣さながらに、吹きあたる風の音と複数の悲鳴がきこえた。
「こんなものじゃないだろ? お前の力は」
 竜巻が去ったその場に白の少年の声が響く。レオナのすぐ隣でディアスが倒れている。幼なじみはもともと重傷だったが、しかしディアスはまだ剣へと手を伸ばそうとしている。エディと鉤鼻の男が折り重なって倒れている。他の仲間たちがどうなったのかは、わからない。たしかめるより先に、白の少年がレオナの前に降り立っていた。
「それとも、まだ足りないの?」
「うあっ……!」
 顔をあげるように、髪を掴まれた。青玉石サファイア色の瞳がレオナを見下している。
「あとどれくらいの血を与えればいい? どれくらいの死を見れば、お前は目覚めてくれる?」
「なに、を……」
 言っている意味のひとつも理解できない。ただわかるのは、この少年はレオナを簡単に殺せるくせに玩んでいることくらいだ。
「もっと苦しめばいいんだ。お前なんて」
 オリシスのときもそうだった。この少年はレオナを知っている。けれど、どれだけ記憶を手繰り寄せてもレオナには覚えがない。王都マイア、白の王宮の片隅で生きてきたレオナが知る人間なんてわずかで、それから先だっておなじだ。では、記憶ではないのだとしたら? 恐怖とも怒りとも別の、この感情がなにかをレオナは考える。答えが出る前に白の少年はレオナから離れた。
「残念、お遊びはここまで。これ以上余計な邪魔が入ったら、たのしめないからね」
 とん、と白の少年は跳びあがり空中で一回転する。瞬きをするあいだに少年の姿は消えてしまっていた。

 








 白の少年がいなくなったあと、街を燃やしつづけていた炎も消えていた。
 夢や幻なんかじゃなかった。濃い墨のにおいがする。焼けて崩れ落ちた建物も巻き込まれた人々も、ぜんぶ現実だ。
 レオナは起きあがり、ディアスの背中に手を当てた。氷の刃も消えていたものの傷は深く、背中の他にもあちこちから出血している。
「動かないで」
 レオナを守ったがために、ディアスはこうなった。かろうじて涙は堪えたけれど、幼なじみの顔はひどく疲れていた。幼なじみの傷が癒えると、レオナは次にエディの元に駆け寄った。エディは麾下の二人を仰向けに寝かせている。痩躯の男はすでに事切れていた。でも、もう一人は。
 鉤鼻の男の身体を緑の光が包み込む。魔力はあとどのくらい残っているだろうか。他にも怪我人はたくさんいるし、これからのためにも力は残して置かなければならない。ところが、いつもならほんのわずかな時間で終わる癒やしの魔力がなかなか消えてはくれずにいる。 
「よせ、もう死んでいる」
 ディアスに止められても、レオナはまだ力を使いつづけようとした。痛いほどの力で腕を押さえられている。
「もう、十分です」
 今度は、エディだ。
「ごめんなさい、わたし」
「私は大丈夫です。ほとんどかすり傷で、二人が守ってくれました」
 そんなはずはない。エディへと手を伸ばすつもりが拒まれた。ディアスほどではなかったが、エディもぼろぼろだった。痩躯と鉤鼻の二人が命を懸けてエディを守ってくれたからこそ、彼は生きている。
「あなたはすこし休んだ方がいい」
「でも、まだ……」
 エディは首を横に振る。あの白の少年と対等に戦ったレオナの力を、彼もまた目にしている。
「それに、これで終わりではありません」
 目顔で誘導されて、レオナは目を瞠った。いつのまにここまで来ていたのだろう。黒髪と褐色の肌、見慣れない装束は異国の部族が身に纏う貫頭衣だ。
「イスカが……」
「ええ、そうです」
 エディが立ちあがり、彼らを威嚇する。戦士の姿は五人、いずれも若い男たちでしかし敵を見つけてもまだ交戦の姿勢を見せなかった。
「怪我人が多いな。……手当てしてやれ」
 そのうしろから、もう一人が現れる。はじめは青年かと、そう思った。男のように短く着られた黒髪、切れ長の目も他の戦士たちとおなじく黒曜石の色だ。
「どういうつもりですか? シオン様」
 答えたのはエディだ。シオンと呼ばれた女戦士は意外そうな顔をする。
「お前はエドワードだな? ウルーグの鷹。あの幼かった少年が大きくなったものだな」
 シオンが命じたとおりに、イスカの戦士たちは傷ついたエディの部下たちの応急処置に当たっている。
「お答えください。ここを襲ったのはあなた方だ」
「たしかに最初に火を放ったのはイスカの戦士たちだが、あれは獅子王とは無関係だ」
「……なんですって?」
「言葉が通じないか? 私たちはあれを追っていた。勝手に動き回られてはこちらも迷惑だからな」
 話が見えない。レオナはエディとシオンを見つめる。
「なにより、あの少年を私たちは知らない」
「その、証拠は?」
「イスカの人間には魔力が宿らない。よしんば持って生まれたとしても、使う術を知らない」
 レオナは息を呑む。シオンと他のイスカの戦士たちは白の少年を目撃していた。あるいは追って、ここまで来たのかもしれない。 
「我がウルーグも、あの少年とは無関係です」
「なに?」
「しかし、シュロとイスカの戦士を殺したのはあの少年です」
 ふいにシオンが笑みを見せた。嘲笑とでもいうべきか、彼女は子どもが戯れ言を言っているのだとそう思っている。
「その真面目くさった顔で、冗談のひとつを言えるくらいには成長したか!」
「きいてください、シオン様。これは、真実です」
 エディは立ちあがり、シオンの目をまっすぐに見る。彼の傍には麾下だった二人の死体が並んでいる。鉤鼻と痩躯の男、エディを守って白の少年に殺された。
「シュロはどこで死んだ?」
 眉を寄せたエディだったが、その意図をすぐに読み取ったようだ。シオンはそこへ連れて行けと言っている。エディは目顔で他の騎士たちにここに残るように伝えて監獄へと歩き出した。
「ディアス、わたしたちも」
 幼なじみが声を返さないのは、同意しかねるという意味だ。
「彼女は信じていない。でも、真実を見極めるためにここに来たと思うの。それに……あの力を、証明できる者が必要でしょう?」
 残りの魔力はあとわずかだ。これは傷ついた人たちを癒やすために使うべきだと、レオナはちゃんとわかっている。
 ウルーグの騎士たちがレオナを見ている。いや、正確にはその隣にいるディアスにだ。赤い悪魔。幼なじみの異名を彼らは知っていて、エディに付き添えない自分たちの代わりを託すつもりなのだろう。イスカの戦士たちもまたシオンの声に従っている。ウルーグとイスカ。敵と敵。けれども、いま傷つき倒れた者たちのために彼らは力を尽くす。
 エディとシオンを追って、やがて監獄へとたどり着いた。
 ここには火の手は回っていなかったが避難誘導には適した場所とは言えないため、他に人の気配はなかった。ここに来るのは二度目だ。レオナは口のなかでつぶやく好んで来るような場所ではない、それなのにもう一度足を踏み入れるなんて思わなかった。シオンは黙ってエディのあとにつづいている。
 まだ成長過程の細い少年の背中など簡単に刺せる。そうしないのはシオンがイスカの戦士であり、エディを信用しようとしているからだ。濃い血のにおいに吐き気を堪えながら、レオナも彼らを追う。
「ここで、シュロは殺されていました」
 そうエディがつぶやき、シオンは片膝をつく。血の跡をたどるようにゆっくりと地面を撫でる。祈りを唱えているのだろうか。彼女の顔はレオナからでは見えなかったが、しかし泣いているようだった。
「あれは何者だ?」
「わかりません」
「貴様らの敵か?」
「それも、わかりません」
 話にならないとばかりに、シオンは首を横に振る。
「ですが姉の、エリンシアの書状はすべて真実です」
「知らんな。私は中を見ていない」
「では、なぜあなたはここに来た?」
 エディではない声にシオンは一瞬怪訝そうな表情で返したものの、しかしディアスを認めて片眉をあげた。
「お前は赤い悪魔だな?」
 幼なじみは応えない。その異名を知っているのなら、わざわざ肯定する必要もないと思っているのかもしれない。
「イレスダートまでウルーグに介入しているとはな」
「彼らは協力者です。そして目撃者でもあります」
「堂々巡りだな。だが、さっきの少年がイレスダートの関係者なら話は繋がる」
「いいえ」
 レオナは二人の前に進み出る。
「あの白の少年はイレスダートとも関わりのない人です。わたしは、《《あの人を知らない》》」
 ひとつ、嘘を吐いた。シオンの黒曜石のような瞳がレオナを射貫いている。
「お前は、なんだ?」
「イレスダートの王女。レオナ・エル・マイア」
 エディの目は見なかった。幼なじみたちはレオナの身元をウルーグに明かさずに隠し通すつもりだったのかもしれないが、きっと彼は薄々どこかで気がついていたとレオナはそう思う。
「あなたたちもあの炎を、白の少年の力を見たでしょう? あれは人間の力じゃない」
「人間ではないというなら、あれは何だ?」
「わたしとおなじ、竜人ドラグナー
 イレスダートは竜に守られし聖王国、王家の直系は竜族の末裔であると、それくらいは遙か西の国でも伝わっているはずだ。ふたたびシオンの唇が動く前にエディがつづける。
「こうは考えられませんか? シオン様。我がウルーグとイスカと、それぞれを争わせようとする第三者の存在があると」
「それがあの白の少年だとでも?」
「私はその可能性を示唆しているだけです。しかし、イスカもおなじなのではありませんか? あなたは獅子王の意思とは別に動いている戦士がいると、そうおっしゃいました。つまりは私たちもおなじです。動乱へと結びつけた者たちがいる。火種を蒔いたのは彼らであり、我らではない。交戦の意思がそもそもなかったのなら……、これで戦争をつづける理由はなくなる。そう思いませんか?」
 極論だな。ディアスがそうつぶやいた。たぶん、シオンも同意見なのだろう。彼女はふた呼吸を置いた。
「なるほど。スオウに会うために、ウルーグの鷹がイスカに赴くといった理由はそれか」
「ええ。現実とはなりませんでしたが」
 しかし、まだ遅くはない。エディは目でそうつづける。
「私を獅子王に会わせてください」
「……いまさら行ってどうなる? スオウはとっくに出陣している」
「いいえ、嘘です。だったら、あなたはここにいない」
 思わぬ反撃を受けてシオンの目が丸くなったかと思えば、急に大きな声で笑い出した。まだ、間に合うかもしれない。レオナはエディとシオン、二人に希望の光を見た。
「いいだろう。だが、それには証が必要だな。人質を二人寄越せ。そこの二人でいい」
 返事を待たずに、シオンはエディの胸をたたいた。


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