四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

逃げた軍師

「いい加減にしろ!」
 手足を縛られて自由はない。おまけに剣を佩いた敵の五人に囲まれていてもこの余裕である。ブレイヴは内心でため息を吐く。なかなか口を割らない獅子王の右腕に苛立っているのは鉤鼻の男、そもそもエディの麾下は短気で、しかしもう一人の痩躯の男もさすがに平静ではいられないらしい。目顔でエディに許可を求めている。
 辛抱強くシュロと向き合っているのはエディもそうだ。
 広葉樹の森でイスカの戦士と戦闘を開始したのは早朝、こちらの手勢は十人ほどでシュロも手練れの十五人ほどしか連れていなかった。奇襲を仕掛けたのはブレイヴたちだ。
「いつまでおなじ問いをするつもりだ? こうして貴様らに付き合ってやっているのだ。まともな台詞でも吐いたらどうだ?」
 挑発ならばいかにも幼稚だが、本来尋問とはこういうものだ。ブレイヴはエディを見る。王女エリンシアの意思を託されたその弟は拷問の許可を出さずにいる。目顔でそれを急かす麾下二人などまるで無視だ。
「こいつがまともに会話ができないのなら、他の奴を連れてきたらどうだ?」
 クライドだ。シュロとは別に動いていたイスカの戦士たちから集落を守り、それからブレイヴと合流した。戦力はこちらの倍、疲れていて当然だ。
 ブレイヴは無言で首を振る。俘虜として捕らえたのはいいが、ちいさな集落だと収監するような牢獄もないため納屋に閉じ込めている。鶏糞の充満する狭い納屋に、男ばかりが六人も並んで窮屈な上に暑い。日も暮れかけている頃で、皆の疲労もそろそろ限界だ。一人元気なのはこのシュロという男くらいか。ブレイヴは改めて獅子王の右腕と呼ばれる男を見る。
 浅黒い肌を包んでいるのは貫頭衣というイスカの民族衣装だ。
 騎士のような徽章はなくとも、そのたくましき肉体こそがイスカの戦士の誇りなのだろう。まず矢の攻撃でシュロの動きを止め、つづいてアステアの風の魔法で視界を遮った。真っ先に飛び出していった鉤鼻の男に追いついてブレイヴも加勢する。三人掛かりでようやくシュロから剣を奪ったものの、イスカの戦士は武器がなくてもまだ戦うつもりだった。たしかにシュロならば、腕の力だけで人を縊り殺すくらいは簡単だ。彼が大人しくなったのは、イスカが襲撃するはずだった集落が守られたという一報が入ってから、それにシュロ以外の戦士たちはこちらに捕らえられていた。
「では、姉の前でもおなじことが言えますか?」
 皆が一斉にエディを見た。
「なに……?」
「私はウルーグのエドワードですが、あなたは信じていないようですから」
「別にお前を疑っているわけではない」
「そうですか。しかし、《《本当のこと》》を言っていただけないと困ります」
 相対しているのがシュロではなかったら、相手は気圧されていただろう。麾下の鉤鼻と痩躯の男でさえも飲まれている。まだ子どもなどとんでもない。エディはウルーグの鷹だ。
 鉤鼻の男がブレイヴに訴えている。エディを止めてくれ。麾下に拷問を許さなかったのは、自分の手でそうするつもりだったのかもしれない。
「密書は最初の一通しか届いていない。これは本当ですね?」
「そうだ」
「エリンシアが送った手紙は十通を超えているはずですが?」
「知らん。……だが、スオウもおなじようなことを言っていたな」
「どういう意味です?」
 エディは膝をつき、シュロに視線を合わせる。
「言葉どおりの意味だ。獅子王の元に届いたのは一通のみ、されど王女の手紙にはそれが五通目だと書かれていた、と」
「つまり、何者かが故意に獅子王に届けなかった」
 つぶやいたブレイヴをエディが見る。ここまでは相違ないと思われる。
「王女だけではなく、我が国の宰相もイスカに文を送っていました。あなたはそれを受け取っているはずです」
「知らんな」
 またこれの繰り返しだ。歯噛みする鉤鼻を制しているのは痩躯の男だが、二人ともそろそろ限界だ。とはいえ、シュロという男が虚偽を重ねているようには見えない。
「密書の行きちがいなど、どうだっていいだろう。イスカはウルーグとの交戦を望んでいる。だから国境の集落を次々と蹂躙した」
「クライド」
「それでもそいつは知らんと言い張るつもりだろう? なら、答えは出ている。これ以上は時間の無駄だ」
「そうですね……」
 エディが立ちあがる。このあとにシュロがつづける言葉もさっきとおなじだろう。ウルーグの襲撃に与した戦士たちは面識もなく、獅子王とはなんら関わりのない奴らだ。そうしてシュロ自らが動いた目的も吐かないとなれば、ただ悪戯に時間を浪費するだけだと、ここにいる皆がわかっている。
 引き際だ。そう、ブレイヴはエディに目顔で告げる。シュロ一人を納屋に残して外に出れば、ウルーグの騎士たちがエディを待っていた。彼は無言で首を振ると、監視役として数名を置いた。中に入れないのはその方が危険だからだ。武器を持たないシュロだが暴れ出したら手に負えないし、逆に殺してしまう方がより分が悪くなる。自身の右腕を敵国で失えば獅子王は黙ってはいないだろう。そんな未来は誰も望んでなんかいない。
「俺が一緒にいたせいかもしれない」
 エディにだけきこえる声でブレイヴは囁く。
「きみが一人でシュロと相対していたら、口を割っていたかもしれない」
「さすがにそんな勇気はありませんよ」
 前に生き急いでいると言ったことを根に持っているような物言いだ。
「あのイレスダート人は無関係だと思います。たしかにシュロに策を授けていたようですが。シオン……、獅子王の奥方から借りたと言っていましたから」
「偽りは言っていなくても、シュロはなにかを隠している」
「賢い男です。ひとつでも弱みを見せればイスカは負ける。おそらく、私たちは試されていた」
 ブレイヴはうなずく。
「すこし時間がほしい。たしかめたいことが他にもある」
「イレスダート人の軍師が自白するとは思えないのですが」
「勝手に死なれた方が困るんだ」
 意図が掴めず次の言葉を待つエディの視線から逃れる。ふた呼吸ののちにエディはため息を吐いた。鉤鼻と痩躯の二人がこちらを見ている。エディが戻ってくるのを待っている。
「わかりました。あなたに任せます。しかし、あともう一人二人付けた方が」
「大丈夫だ。アステアを連れて行く」
 魔道士の少年が尋問に適しているとは思えない。眉根を寄せたエディをそのまま無視してブレイヴは行く。ちょうどアステアがこちらに向かってくるところだった。ほどなくして、エディがイレスダート人の軍師を連れて戻ってきた。何の抵抗もしなかったのだろう。シュロのように手足を縛られていなかった。
 物言いたそうな目で見る魔道士の少年にブレイヴは言葉をかけずにいる。彼を連れて裏山へと入ったのは、ここなら他に声が届かないからだ。自分はもう死んだつもりなのだろうか。囚人はまったくこちらに目を合わせずにいる。
「いつからだ?」
 やはり、答えない。ブレイヴは失笑しそうになる。イレスダートから逃げて行く先はカナーン地方かラ・ガーディア。西の大国はイレスダート同様に広く、あちこちを彷徨っていたのかもしれない。エディは彼を保護したらしいがそのうちに消えたとも言っていた。イスカに流れ着いた理由なんてどうでもいい。希死念慮に囚われた人間は彼のような目をしている。
 魔道士の少年がブレイヴを見つめている。本当は声を出したいのに、それが禁忌みたいに黙りこくっている。ブレイヴは囚人から目を逸らさない。両目を隠すほどに伸びた前髪、しかし眼窩《がんか》に埋め込まれた双眸は魔道士の少年とおなじ翠色だ。エーベル家のセルジュ。名を呼んでみればさすがに応えるだろうか。認めたところで己の主君をまともに見ない軍師など、ブレイヴの知らない人間だ。
「じゃあ、質問を変える。エドワードに接触すると、シュロに進言したのはお前だな?」
 囚人の唇は動かずにいる。
「ウルーグを襲撃したのは獅子王とは無関係の戦士たち、そうだな?」
 反応がないのでブレイヴはそれを肯定だと受け取る。
「イスカの獅子王が即位したのは八年前。スオウはイスカを平定したと思われていたが実際はそうではなく、王を不服とする者が叛乱を企てたときいた。それはいまもつづいているのだとすれば、民から王は認められていない」
「あんたは何もわかっていない」
 飛び出しそうになったアステアを制する。
「イスカの獅子王は己の未熟さも弱さも認めてる。スオウを玉座から引き摺り落とそうとするのは一部の人間だけ、奴らはウルーグを見下していても獅子王はそうじゃない。ウルーグの王女の声を待っていた」
 やはり他に人を連れてこなくて正解だった。ウルーグとイスカ、双方の主張は食いちがっているものの、しかし起きている事態はおなじだ。互いの声など届いてはいなかった。
「それでも、イスカのやったことは許されることじゃない」
「あれは獅子王の意思じゃない」
「認めればそれだけイスカが不利になる。それはたしかに正しいのかもしれない。でも、重要なのはそうじゃない。エリスもスオウもおなじだ。だからシュロはエドワードを先に狙った」
「……だとしたら?」
「たぶん、シュロは本気で講話が可能なんて考えていない。でも、エディならば確実にエリスに声を届けられるし、シュロも獅子王に真実を伝えられる」
 そこで声を切り、呼吸のために時間を使う。チェスのときとは正反対だ。そういえば、彼と言い争うときはいつもこうだった。
「もしもエディが駒のひとつにならなくても、王女から彼を奪えばそれだけでウルーグの戦力を削げる。本格的な戦争となっても、イスカが負けることはない。そうだろう?」
 大きくなりすぎた火種を消すにはそれしかない。ラ・ガーディアの兄弟国、そのひとつを失ったとしてもそれで戦争は終わる。おそろしく合理的な考えだ。イレスダートではどうだろうか。玉座にいるブレイヴの王ならばどう答えるかなんて、考えたくもない。
 彼は口を閉ざしている。アステアの目が赤い。
「それにお前はどっちでもよかったんだ。失敗すればイスカで誅殺されるし、長引けば戦場で死ねる。俺には、お前がそこまでイスカに肩入れする理由が見えない」
「ずいぶん勝手な推理だな」
「ああ。ここはイレスダートじゃない。お前の居場所とはちがう」
 公子、と。アステアが腕を引っ張っている。子どもに心配させるくらい大人げない喧嘩に見えたのかもしれない。 
「見込みが外れたのはお前を知る人間がいたからだ。別に失敗なんかじゃない。贖罪のために己の命を捧げる必要はない」
「……こんなところにイレスダートの聖騎士がいるなんて、誰も思わない」
 ブレイヴは微笑する。ちゃんと主君の顔は覚えていたらしい。
「オリシスのときとはちがう。それに、アルウェンはお前を許していた」
「許してもらう必要なんてない。あそこには戻らない」
「アルウェンはもういないのに?」
 彼の目が、はじめてブレイヴをはっきりと捉えた。
「オリシス公は死んだ。殺されたんだ。俺は何もできずに、だからこうしてイレスダートじゃないところにいる」
 まるで他人事みたいだ。ブレイヴは声を落としながら自嘲する。
「私には関係ない。あのひとは、もう騎士じゃなかった」
「本当にそう思うのなら、お前は逃げたりしなかった。こうして贖いつづけているからこそ、いまも苦しんでいる」
「買い被りすぎだ。私には他に選択肢がない。別にイレスダートでなくても、軍師として生きられるのなら」
「いい加減にしてください!」
 ひときわ大きな声に、ブレイヴも彼も振り返った。嗚咽を堪えているのか、魔道士の少年は呼吸を苦しそうにする。
「あ、兄上は、そんなひとではないです。ぜんぶ忘れたみたいに、なにもかも捨てて、そんなどこかに行ったりなんかしません!」
「アステア」
「僕は、ずっと捜していたんです。兄上に戻ってきて、ほしいから」
 アステアが本当に名前を呼んでもらいたいのはブレイヴではなく、目の前にいる兄だ。長衣ローブの袖で目元を拭って、それからアステアは彼を睨みつける。彼が身分も過去も、すべてを捨ててイレスダートから逃げたとしても、断ち切れないものがある。
「それとも、記憶でもなくしたって、そう言うんですか? 公子のことも、僕のことも」
「喚かなくとも忘れたりなどしていない。……エーベルの子が人前で泣くな」
「……っ! 僕は、兄上みたいな軍師じゃないんです」
 さっきまでじっと耐えていたのが嘘みたいに、アステアはしゃくりあげて泣いている。魔道士の少年の肩をたたいて落ち着かせる。ブレイヴを見あげるその目から涙は止まりそうにない。戻ってきてください。アステアの声を遮る。ここがイレスダートではなくとも、すべてを帳消しにするにはそれなりの理由が要る。
「シュロはこのままウルーグに置く。すぐには返せない。でも、代わりにエディがイスカに行く」
「なにを、言ってる?」
 狂人でも見るような目を彼はする。
「ウルーグの鷹が直接イスカの獅子王に声を届ける。セルジュ、イスカまでの案内はお前にしてもらう」
「正気じゃない」
 本気で言っていることを知っているからこその物言いだ。ブレイヴは剣を抜く。アステアが息を呑む音がした。
「どちらか選べ。このまま戻ってイスカの戦士たちに殺されるか、それともここで俺に殺されるか」
 彼がまだ暗い闇のなかにいて、その先の死を望んでいるのならその二択だけだ。だから、一度だけ機会を与える。そこに光を見つけ出せるかどうかは彼次第だ。
「セルジュ・エーベル。俺とともに来い。俺は、アルウェンほどやさしくはないから、許すなんて言葉では終わらせない。こんなところで勝手に死なせるつもりもない」
「言ってることが無茶苦茶だ」
 自分でもそう思う。それなのに彼は笑っていた。もうずっと笑い方なんて忘れていたみたいにぎこちない笑みだった。
「……ちゃんと覚えていますよ。あなたはずっと昔からそういう人でした」
 ジークが一人苦労をしていた。彼はひとりごちて、それから己の主君の前で膝を折った。


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