四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

接触

 足音に気がついてブレイヴは振り返った。
「本当によかったのですか? 彼女をここに連れてきて」
 ブレイヴはまじろぐ。ウルーグの鷹は品行方正であり誠実な人間だ。世間話のきっかけに冗談を口にするようなたちじゃない。
「王城に残すのは危険だと、そう言ったのはきみだ」
「そうでしたね」
 作り笑いだろうか。エディの目は笑っていない。幼なじみの到着までに、もうすこし時間が掛かる。迎えに行くのは早すぎたようだ。
 城塞都市や他の砦のような城壁もない僻村だ。ひとたび侵入を許せば小一時間もしないうちに壊滅する。国境に近しい集落ほど堅牢な作りをしているが、ここはただの農村として認められている。奪うものが何もないからだ。
 だが、ブレイヴたちが到着する前には村が燃えたあとだった。
 収穫後の穀物は持ち去られていた。貯蔵庫はほとんどが空だった。抵抗した数名の若者は殴打されたものの、死者は一人も出なかった。畑を焼かれたのは見せしめだろう。茫然自失とする村人たちは、悔しさのあまりに涙を流して怨み言を吐きつづける。どうか早く、イスカを倒してくださいと。
村長むらおさから話がきけました。他の村人たちも、そこに集まっています」
 村はずれの奥が村長の家だ。高価な物品など何もないので、それほど荒らされずに済んでいる。襲撃を受けたのは早朝、夕暮れ前に到着したブレイヴたちを見つめる村人たちの視線は猜疑に満ち溢れていた。間に合わなかったのだから当然だ。
 焼けた畑からは火は消えても、嫌なにおいはまだ残っている。
 来た道を戻るブレイヴの足は重い。誹られ痛罵されても、とにかくいまは幼なじみたちを待つしかない。
「治癒魔法の使い手は貴重です」
 思考を読まれていたことに素直に驚く。さっきの台詞とは矛盾しているし、わかった上でエディは口にする。
「それがイレスダート人だとしても、彼らは差別したりなんかしません」
 治癒魔法の使い手なら三人いる。フォルネの司祭であるクリスはともかく、まだ声も戻っていないシャルロットに、それを期待しているとは思えない。そして、そのなかでイレスダート人は幼なじみ一人だけ、彼女の素性を明かしていなかったがさすがはウルーグの鷹だ。彼女が何者であるのか、薄々気がついているのかもしれない。
「イスカの襲撃者は?」
「シュロを見た者がいます」
 話をすり替えられても、エディは相好を崩さずにいる。
「己の力を誇示したいのならば、ここに何も残してはいかない」
「そうですね。獅子王……、スオウもですが王に近しい者たちは廉潔です。それに……」
 ブレイヴは目顔でつづきを促す。
「シュロの傍にはイレスダート人の軍師がいます」
「イレスダートの、軍師?」
「はい。村人たちも見ています。青髪はここでは目立ちますから」
 村人たちの視線の意味がわかった。いきなり立ち止まったブレイヴに、エディは怪訝そうな顔をする。
「知っている方ですか?」
「いや、確証がない」
「私はその者を知っています」
 平静をつとめながらエディを見つめ返した。彼は真顔でいる。
「三年ほど前でしょうか。あなた方と出会った街で、イレスダート人を保護しました」
「保護?」
「と言っても数日のあいだだけです。彼は、いなくなってしまいましたので」
 イレスダートを出奔した軍師ならば一人知っている。ただ三年前という時期が合っているかどうか自信がない。アステアならばちゃんと覚えているだろうか。
「身元はもとより、名前すらきけませんでした。黙秘を貫いていたというよりも、死にたがっているように見えました」
「……それがなぜ、イスカに?」
 わかりません。そう、エディが首を振る。死に場所を探しているのなら戦場を求める。騎士や戦士の考え方だ。それきり二人は黙って歩いた。これまでのイスカの攻撃とは明らかに異なっていた。シュロという人間が指揮しているから、たしかにそうかもしれない。けれども獅子王の右腕と呼ばれる男が、無作為に村を攻撃したとも思えない。目的はなにか。たぶん、エディもおなじことを考えている。
「私が思うには……」
 ブレイヴは黙ってつづきを待つ。
「そのイレスダート人が関わっているからだと、そう思います。シュロはたしかに廉直な人間ですが、この戦いを終わらせるためには手段を選ばない。そういう男です」
「それがイスカの獅子王のやり方か?」
「いえ、スオウはちがいます。私が気に掛かっているのはそこなのです」
「シュロが単独で動いている、と?」
 エディがうなずく。
「じゃあ、あちらの狙いもおなじだ。ウルーグの鷹、きみが来ることをわかってる」
「私を殺したところで、イスカの勝利には繋がりませんよ」
「そうじゃない。でも、交渉には使える」
 翡翠色の双眸がブレイヴを射貫いている。怒っているのだろうか。彼がこんな風に感情を剥き出しにするのはめずらしい。
「イレスダートではそれが常套手段ですか?」
「いいや」
 ブレイヴは微笑する。まだ子どもに見える。そう言ったディアスの声が蘇る。
「皆を集めてほしい。これからのことを話す」









 
 盤上でただ駒を進める彼の顔は無表情で、そこから何かを読み取ろうとしても無意味な時間を消費するだけだった。
 そのうちに無言の圧力に負けてブレイヴも駒を進める。三手先まで読んだつもりでいたものの、相手はとんでもない怪物だ。五つ下の公子相手でもまるで容赦がなかったし、自分がなぜ負けたのかを教えてもくれない。意地悪で嫌なやつだ。それが、最初の印象だった。
 けれども、少年のブレイヴは彼と過ごす時間が嫌いではなかった。
 騎士ナイトの役割、女王クイーンの役割。ただ駒のひとつである兵士ポーンの動かし方も彼から習った。会話はそれほど多くなかったと思う。深く考え込むときにブレイヴは黙り込んでしまう癖がある。辛抱強くこちらの時間に付き合ってくれることもあれば、目顔で急かしてくる。そういうときは大概ブレイヴが悪あがきをしているときだ。
 香茶を運んでくれたのはジークだったか、それともルテキアだったのか。だとしたら、あの頃からルテキアは母エレノアの騎士として傍にいて、ジークも彼もともに時間を過ごしたことになる。どうにも記憶があやふやなのはなぜだろう。きっと、ルテキア以外の二人がブレイヴの傍にいないからだ。
「怒っていましたね」
 魔道士の少年がこっそりとつぶやく。広葉樹の森を進んでいくそのなかにはエディの姿はない。過去を追っていたブレイヴの思考はそこで終わり、現実へと戻る。早朝の森は静かで、ブレイヴたち侵入者が現れても鳥たちもまだ騒いではいない。
「説得、たいへんだったでしょう?」
 ブレイヴは微笑みで返す。先遣隊としてブレイヴよりも先に出発したクライド、それからレナードとノエルとは別行動中で、彼らには別の集落の守りを託している。いまブレイヴと行動をともにするのは十人ほど、そこに自分が含まれていてウルーグの鷹が外されている。だからアステアは負い目を感じているのだ。
「俺が聖騎士殿に頼んだ」
 先頭を任せていた鉤鼻の男が言った。ブレイヴはうなずく。昨夜、集まった仲間のなかでエディを説得したのは痩躯の男、そしてこの鉤鼻の男はブレイヴに囁いた。エディはここに置いて行ってくれ。
「死に急いでいる者を連れてはいけない」
 昨日とおなじ台詞をブレイヴはもう一度吐く。それきり鉤鼻の男は無言になり、ブレイヴのうしろにつづく痩躯の男も、無口だからか何も答えずにいる。
「もし公子が、エディさんとおなじ立場であったら、どうしていましたか?」
 ブレイヴはまじろぐ。思いがけない質問だった。
「どうだろう? 俺は、他に兄弟がいないから」
 失言だったと認めたのか、アステアもそこで口を閉ざす。半分は嘘だ。ブレイヴには兄がいた。過去形なのは、ブレイヴが生まれたときには亡くなっていたからだ。
「でも、兄弟とはそんなものなのかもしれない」
 先に生まれた兄弟がいたら、嫡子となるその人を支えるべく生きる。貴人の家の子どもならば誰だってそう教え込まれる。姉が空を飛べない金糸雀カナリアならエディは自由に飛べる鷹だ。
「他にもききたいことがあるんだろう?」
 今度はアステアが瞬く番だった。
「イレスダートの軍師が、イスカにいるって……」
 声は尻すぼみに消えた。連れてきたのはエディの麾下である鉤鼻と痩躯の男、他もウルーグ人だ。もし隣にレナードやノエルがいたら、アステアの背中をやさしくたたくだろう。どうしたんだよ、らしくない。きっとそう言う。
「イスカがあの村を襲ったのは糧食の補給のためだ。人質も取っていない」
「でも、そのシュロって人は、他の村を襲いますよね」
「騎士団が守ってくれているところはいい。でも、そうじゃない集落はイスカを恐れる。帰順させて物資を奪う。そのうちにウルーグの騎士団が追いつく」
「狙いは……エディさんですか?」
 素直で正直な声だった。他の者たちが黙りこくっているのは認めたくないからだ。
「ウルーグの王子がいなくなれば、ウルーグの力が弱まるから……」
 聡い少年だ。ブレイヴが教官だったなら満点を与えている。アステアはアストレアの名門エーベル家の子、魔法の才能を持って生まれたために魔道士の道に進んだが、本来エーベルは軍師の家系だ。ただひとつだけ読みちがえていることがある。感情が邪魔をしているのだろうか。ブレイヴは魔道士の少年を見る。
「詰めの一手はいつも女王クイーンを取られたときだった。《《彼》》がそんな単純な失敗をするとは思えない」
「イスカも、それだけ追い詰められている、と?」
「そうかもしれないな。あるいは、それでもエディが来ると踏んでるのか」
 鉤鼻の男が片手をあげた。足を止めたブレイヴに痩躯の男が追いつく。
「何人いる?」
「十五人だ。真ん中の大男がシュロだな。イレスダート人もいる」
 ブレイヴも目を凝らして先を見たものの、浅黒い肌をした男の集まりしか見えない。
「思ったよりも数が少ない。やはり、本体はこっちじゃないな」
 鉤鼻の男も声を潜める。ウルーグの人間は弓の名手ばかりで目も良い。
「クライドさんたちは、大丈夫ですよね?」
「今度は間に合う。俺たちは、ここでシュロを止める。アステアは皆の援護を」
 ブレイヴが言い、鉤鼻の男が魔道士の少年の背中をやさしくたたく。痩躯の男はもう弓を構えている。他の者たちもそれぞれ得物を手にしている。
「狙うのは足だ。動きを止めれば、それでいい」
「造作もないことだ」
 応える前に、痩躯の男はもう矢を放っていた。



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