四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

飛べない金糸雀2

 夜半前、急報が入った。
 まだ執務室に籠もっていた王女エリンシアは、即座に騎士団長オーエン並びに官吏たちを軍議室に呼び集める。ブレイヴも眠っていたところをいきなり起こされた。鉤鼻の青年騎士は要件だけ伝えると、すぐに行ってしまった。
 おなじく眠っているだろうレナードとノエルは連れて行かなかった。騎士団長が呼んでいるのは聖騎士と赤い悪魔だ。しかし、ブレイヴが上着を羽織って部屋を出る頃には、外でクライドが待っていた。どうやら騒ぎで目が覚めたようだ。
「イスカが動いたんだな?」
 問うたクライドにブレイヴはうなずきで返す。鉤鼻の青年騎士は仔細を伝える前にもう消えていた。とはいえ、夜中にたたき起こすくらいだ。皆を呼び集める理由なんて他にはないだろう。
 軍議室の扉を押し開ければすでに激しい口論がはじまっていた。
 ブレイヴは素早く視線を走らせる。青年騎士と官吏、長机に隔たれていなければ殴り合いになっている勢いだ。ウルーグの騎士団は騎士団長オーエンを筆頭に若い者ばかり、壮年を越えると騎士を引退して要人の傍仕えをするかあるいは官吏に職を変える。若々しく血の気の多い騎士たちを壮齢の公人たちは見下している。一線を退いたからこそ見えてくるものもあるのだと、そう諭す。大人たちの舌戦を見て、少年騎士らは座り心地の悪さを感じている。騎士団長オーエンも腕組みをして動かない。王女エリンシアの声など届かない。
 ブレイヴは空いている席に座った。末席には王女の弟エディが控えている。目顔で彼に事の次第を求める。彼は疲れていた。
「動いたのは獅子王の右腕です」
「イスカの獅子王の?」
 エディはうなずく。勇猛果敢で知られるイスカの王は、敬意と畏怖を含めて獅子王と呼ばれている。
「彼はスオウの幼なじみです。名は、シュロ」
「会ったことがあるのか?」
「はい。獅子王即位のあと、姉と私はイスカに参りました。スオウと奥方にもそこで会いました」
 エリスがイスカを敵と呼ばない理由がわかった。状況が逼迫しつつあるなかで王女はまだイスカを、いや獅子王を信じようとする。スオウという人間を知っていなければそんな考えにはならないはずだ。
「なら、イスカは本気でウルーグを潰す気でいる」
 ブレイヴもエディも、クライドを見た。異国の剣士は、ウルーグに無関係の人間だからはっきり物が言える。
「おっしゃるとおりです」
「止めるべきなのは、王女の方ではないのか?」
「ディアス」
 ブレイヴは目顔で幼なじみを止める。
 血気にはやる青年騎士たちはイスカとの戦いを避けられないと声をあげる。のらりくらりとやり過ごしてきた官吏らは、本格的な開戦を引き延ばそうと画策する。王女はどちらでもない。エリスはイスカとの講話を求めているし、その声が届くと疑わずにいる。
「宰相席が空いている。彼は、まだ戻らないのか?」
 ブレイヴはそれとなく話題を逸らす。
「はい。……先日、見舞いに行ったと言う者からききましたが、会えなかったそうです」
「それほど具合が悪いとなれば、医者は何と言っているんだ?」
「いえ、そうではなく」
 エディが声を潜める。
「姉が彼に休息を命じたのは、あなた方がウルーグに来る前です。それからひと月とすこし、宰相は失踪していたのです」
「失踪? では、最後に会ったのは……?」
「家族の元にも帰っていません。むしろ、彼を案じて何度も王城に妻女が来ています」
 ブレイヴは空席となった宰相席に目を投げた。外交はすべて彼に任せていたという、その重圧に耐えきれずに心を病んでしまったとすれば気の毒でしかない。
「宰相はイスカへと密書を何度も送っていました。ですが、いずれもスオウからの返事は最初の一通のみ。獅子王へと届いていないと悟り、シュロにも密かに手紙を送っていたのです。ですが、結果はおなじく……」
「本当に届いていないのか、もしくは読んだ上でそれでもウルーグとの交戦を望んでいるのか」
「ええ。しかし……、獅子王にしても彼の傍にいる者たちも分別に長ける人間です。私は信じられなかった。彼らがそうまでしてウルーグを欲しているとは、思えなかった」
 エディはうつむいた。横顔は少年の面影が残っていても、その目は何かを決意しているようにも見える。過去形で物を言うからには血の繋がった姉よりも、ここにいる大半の者たちの意見に賛同しているのかもしれない。
 ブレイヴはディアスを見て、クライドを見た。二人ともおなじ表情でいる。今回単独で動いたシュロという男は、端倪たんげいすべからざる人物だということに、まちがいないだろう。だから皆がこれほどまでに倉皇としている。
「エリスはまだ、イスカとの講話を望んでいるのか?」
 翡翠色の双眸が持ちあがった。彼は一瞬、泣き出しそうなくらいに顔を歪めて、けれどもまたすぐにいつものエディへと戻った。和平など不可能だ。ブレイヴはそれを言わない。
「姉は……、」
「いい加減にして!」
 机をたたいたのはエリスだ。王女は立ちあがり、皆の顔を見る。舌戦を繰り広げていた青年騎士と官吏、沈黙を守っていた騎士団長オーエン、少年騎士も他の要人たち。エリスからは末席にいるブレイヴやエディは見えなかったのかもしれない。
「こんな不毛なやり取りをつづけていて、いったい何になると言うのです? 私たちは戦わない。お忘れですか? 我がウルーグとイスカは兄弟国だということを」
 エリスの声が震えている。感情のままに一気に声を吐き出したせいだ。既視感があると、ブレイヴは思った。自らの主張を曲げずに相手を罵倒し、声高に正義を訴える。イレスダートでもそうだった。ただあの日、皆を黙らせたのは国王アナクレオン。王の声はその一言で場の雰囲気を変えた。
「交渉は、つづけます。私たちは道を誤ってはならない」
「それでウルーグが守れますか?」
 迷いのない物言いは、己が主君を前にしても《《間違っている》》とはっきりと主張していた。視線が一人の少年騎士に集まる。金髪と碧眼の少年。ここで声を発してしまったのが禁忌だったように、緊張で顔が強張っている。しかし、少年騎士はつづける。その青い瞳は炎を宿している。
「殿下は、奪われた者たちを見ていないから、そう言えるのです。おれは、私は……見ました。駆けつけたときには、もう遅かった。家を焼かれ畑を焼かれ、はじめに男たちが殺された。逃げようとしていた子どもも老人たちも……、女はもっとひどい。路上で組み敷かれて代わる代わる男たちに、」
「もういい」
 騎士団長オーエンが止める。
「まだ少女でした。おれの妹よりもちいさい、初潮も迎えていないような少女です。下腹部は血にまみれていました。その目は絶望と悲しみを残していました。あいつらは、人間じゃない。あんな奴らは……!」
「もういい! やめろ!」
 少年騎士は泣いていた。自分が死ぬよりももっとつらいものを見た。だからこそ尾篭びろうな言葉を用いても、真実を王女へと伝えた。いや、王女エリスもきいていたはず、嗚咽する少年の声がただの報告よりも生々しく感じる。これらがすべて起きていたことだからだ。
 ブレイヴは絶句するエリスを見た。吐き気をこらえているのか顔が青白く固まっている。官吏たちは見たくもないものを見せられたときのように、顔を背けている。それでも、青い炎は消えない。少年騎士らはおなじ炎をその目に宿している。
「殿下、これが現実です」
「オーエン……。私は、」
「あなたはまだイスカと対話をつづけるおつもりですか? では、あなたはイスカの前にウルーグと戦うことになります。過ちを、繰り返すおつもりか?」
「私、私は……っ!」
 それを最後にエリスは部屋から飛び出した。王女の名を叫ぶ者、失望と落胆を隠さない者、己が吐いてしまった言葉に罪悪を感じて項垂れる者、しかしそこにはエリスに味方する者などいない。ブレイヴはエディを見た。
「行っていただけませんか? 私は、行けません。まだ軍議は終わっていません」
 ウルーグの鷹エドワードがそこにいる。ここでの発言権を一切持たないこの国の王子、ただ二番目に生まれただけの王子の扱いはそこらの騎士と同格だ。それが、ウルーグという国の実情なのだろう。ブレイヴはそう思っていた。
 軍議室を出て回廊を渡り、それから中庭へと出た。
 東の居館の外れにはいまは使われていない塔がある。勝手に出入りできないように施錠されているものの、古びた扉はやはり開いていた。ブレイヴはゆっくりと螺旋階段を進む。この場所はエディからきいていた。姉が逃げる場所はここしかありません。母が死んだときも伯父を殺したときもそうでした。
 最上階へとたどり着いた。屋上はウルーグの城下街がよく見渡せる。夜明けには遠く、明かりの見えない街は寝静まっている。
 どう声を掛けるべきかを悩んだ。空を飛べない金糸雀カナリア。あの日、大事にしていた鳥をエリスは逃すつもりだったのだ。
「私の初陣は十五のときでした。真新しい軍服に袖を通して、重たい楔帷子を着込んで、馬に乗る私は飾りものみたいでした」
 闇のなかに下弦の月が見える。足音で誰が来たのかわかったのだろう。しかし、まだエリスは空を見つめている。
「この城で叛乱が起こった。けれど未遂に終わって、逃げたのはあなたの伯父だった」
「エディね、あなたに教えたのは。ええ……、そう。あの頃は父上も元気で、けれども父上は自分の弟を許すつもりだった」
「弾圧を訴えたのは当時の騎士団長。なぜなら、王弟を唆していたのは騎士団だったから」
 エリスが振り返った。
「まだ子どもだった私はそれを後になって知ったの。言われたとおりに騎士団を率いて、伯父上を追い詰めて、それから……」
 大義名分のために旗頭にされた王女、でも本当は伯父を救うつもりだったのではないかと、ブレイヴはその声を呑み込んだ。王弟が叛乱を起こしたのは本当だし、最後まで抵抗したのも事実だった。そう、エディは言った。
「あのときの私がもっと強かったのなら、伯父上を救えていたのかもしれない。いいえ、私が伯父上を討つべきだった。エディは私の身代わりです。身内をその手で殺したの。まだ、たった十歳の子どもが……!」
 伯父殺し。その罪を少年は背負いつづける。でも、彼はウルーグの鷹だ。
「エディはきっと、後悔をしていない」
 他人が容喙ようかいすべきではないことなんてわかっている。嗚咽がきこえる。エリスは自分を指導者失格だと思っているし、統治者の器でもないと思い込んでいる。あの場で泣かなかったのも彼女の意地だ。
「あなたの弟はあなたの代わりになどなれない。でも、あなたとともに戦うことはできる」
「そうしてイスカとたたかえ、と?」
「そうじゃない」
 ブレイヴは首を振る。これから口にすることは、ウルーグの姉弟をさらに苦しめてしまうかもしれない。エディもエリスも、他国の聖騎士に光を見ている。
 手燭を渡してエリスを先に行かせる。軍議室では長い口論もようやく終わっているだろう。居館へと戻ったとき、鍵盤楽器クラビーアの音色がきこえてきた。誰が弾いているのだろう。切なく、物悲しいその旋律は鎮魂歌レクイエムのようだった。


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