四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

騎士の鏡

 朝晩がすこし冷えるようになった。夕暮れの時間がすこし早くなった。落葉樹の葉の色も緑から黄色へと変わっていく。本格的に秋へと入る前に、ウルーグの人々は忙しそうに働いている。
 収穫を終えた大麦が積まれた荷車が出発して、農村では人手が足らずに少年騎士たちが収穫の手伝いに駆り出される。少年騎士たちはそのままふた月ほど農村に逗留とうりゅうすることになり、それから両手一杯にお土産を抱えて戻ってくる。幼かった顔つきも精悍な顔へと変わり、細かった腕もたくましくなる。あれも騎士の修行のひとつなのですよ。そう、教えてくれたのはこの国の王女エリスだ。
 午餐のあとでゆっくり本を読むのがレオナの日課となっていた。
 レオナの隣で魔道士の少年が分厚い書物と格闘している。もともと本好きなアステアは、こちらから声を掛けないとお茶の時間も食事の時間をも忘れてしまうから大変だ。夕方からは約束があるから、遅れないようにしなければならない。
 夏とはちがって午後の陽射しが穏やかで心地が良い。
 庭園をゆっくりと散歩するには良い天気でも、こうもあたたかいと眠たくなってくるのが本音で、さっきからレオナはむずかしい顔をしてみたり頬をつねってみたり、欠伸を我慢したりとどうにかがんばっている。ちらと隣を盗み見ても魔道士の少年は書物とにらめっこ中、今日は薬学が詳しく載っている本を読んでいるらしい。
 魔道士の少年ほどではなくとも、レオナも本を読むのは好きだった。
 けれどもレオナが好むのは童話や恋愛を描いた大衆向けの小説がほとんど、今日は気分を変えてラ・ガーディアの歴史書に挑戦してみたものの、小一時間もしないうちに眠気が勝ってしまった。本に宿る精霊たちが悪戯しているんだわ。負けるものかとにらめっこしていたレオナは、ふいに肩を揺すられているのに気がついた。
「ごめんなさい。起こさない方がよかったですか?」
 謝罪する魔道士の少年に、レオナの頬が一気に赤くなった。
「ご、ごめんなさい! わたし……」
「疲れていたんですね。ちょうどよかった。すこし、休憩しましょう」
 いつの間に読み終えたのだろう。アステアが書物に挟んでいた栞は消えているから、お茶の時間もとっくに過ぎているのだろう。
「いけない。エディとの約束が」
「大丈夫ですよ。まだすこし時間がありますから。僕、お茶を貰ってきますね」
「あ、待って。それなら、わたしが行く」
 アステアは目を瞬かせたが、すぐに笑顔になった。
「では、お願いします。そのあいだに僕は本を返しに行ってきます」
 先にアステアが応接室を出て行った。レオナも立ちあがり、台所を目指す。ウルーグの城内はそこそこに広くとも、レオナたちが使わせてもらっているのは西の塔の一角だけ、それなら迷うこともなければ一人で行き来しても誰にも咎められない。
 それにしてもと、レオナはとぼとぼ歩きながら反省をする。まさか寝入ってしまうとは思わなかった。
 たしかにウルーグに来てから一日にやることは多い。朝は食事を終えたら北塔へと赴き、魔道士長へと挨拶することからはじまる。このウルーグにも魔道士の師団が存在する。白の王宮ほどではなくとも錚々たる顔ぶれが揃い、彼らはレオナたちをじろりと睨む。居心地の悪さはあってもここでなら魔法を使ってもいいので、レオナもアステアも魔法の鍛錬をする。水晶で作られた魔道の球体に魔力を放つのは、見習い魔道士の修行のひとつだ。
 風魔法を得意とするアステアは他の火や水といった初歩的な魔法はまだ勉強中らしく、それならレオナもおなじだった。癒やしの魔法は得意としても、四大元素はおろか他者を傷つける攻撃魔法のひとつも使えなかったのは子どもの頃、いまはどうだろうかと思案するレオナに魔道士の少年が忠告する。まちがっても光の魔法は使わない方がいいですよ。特に、雷を操るなんて以ての外です。 
 その意味がすぐにわかった。ウルーグの魔道士たちは淡々と自分の鍛錬をしているが、こちらに送ってくる視線は異端者を見るそれだ。
 レオナはアストレアやオリシスに身を寄せていたときを思い出す。家族や親しい友だち同然に接してくれていた人たちは、レオナがイレスダートの王女だとは知らず、それでもおなじイレスダートの人間だからやさしくしてくれる。でも、きっとそれだけではない。アストレアもオリシスも豊かな大地と穏やかな気質の人がそこにいるから、ウルーグの人たちの反応こそが正しいのかもしれない。
「あなたもおやつの時間なの?」
 台所まであともうすこしのところで声を掛けられた。ふわふわの蒲公英色の髪はフレイアだ。
「ちょっと遅れてしまったけれど……、ね」
 レオナはぎこちない笑みで答える。フォルネの王女フレイアもまたこのウルーグに留まっていて、食事の際など顔を合わせることもある。けれど、こうして話しかけられたのは、はじめてだ。レオナはそう思った。
「あの子たち、弱い」
 ちらちらと視線を送っていたのを気づかれたようで、フレイアはつぶやいた。レオナは目を瞬かせる。
「みんなびっくりするくらいに弱い。こんなんじゃ、戦ったらすぐに死んじゃう」
「あの、それって……?」
 クライドが言うには、フレイアという少女は自分以外の人間を《《あの子》》と呼ぶ傾向にあるらしい。どの子のことなのだろう。ブレイヴやディアスではないことはたしかだ。
「ええと、それはレナード? それとも」
「三人そろっても弱かったの。私がみんなやっつけた」
「ええっ?」
 レナードが異国の戦士に剣を教わっているのは知っている。ただし朝から晩まで子犬みたいにつけ回されても迷惑のようで、クライドが付き合うのは二時間だけだ。それでも足りないからレナードはノエルを巻き込んで剣の稽古をする。それをやっつけたとこの少女は言った。レオナよりももうすこし背が低く、一見するとただの貴人の少女に見えても、彼女は常に帯剣している。フレイアの物言いはいつも無愛想で、しかし彼女の言葉はぜんぶ正直だ。
「じゃあ、ノエルとルテキアも?」
「そう」
 そんなに強かったのだ。フレイアのおやつの時間がこれからなのも、アストレアの騎士三人をまとめて相手していたからだろう。
「ねえ、あなたは戦わないの?」
 紅玉石ルビーみたいな大きな瞳が見つめてくる。たたかうのは騎士の役目だ。少なくともイレスダートではそうだった。
「なに、を……?」
「へんなの。王女なのに、戦えないのって。エリスだって戦うよ?」
 王女エリスとは何度か会った。金糸雀色の綺麗な髪の毛、象牙色の肌、長い睫に縁取られた翡翠色の瞳。うつくしい王女だった。ただ、エリスが差し出した手は女性のものとは思えないくらいに固く、荒れていた。たたかう者。そうでなければ胼胝腫べんちしゅなど女性の手にできない。
「戦争になれば、エリスも戦場でたたかうのね」
「ちがう。それよりもっと前から戦ってる。あの子、自分の身内だって殺してるよ? 矢を放ったのはエディだけど。でも、とっくに人だって殺してる」
 ほんとうのことを言うべきだろうか。レオナは迷った。でも、それでは幼なじみとの約束を破ってしまう。
「人にはそれぞれの事情があるのですよ、フレイア様」
 振り返ると白皙の聖職者がそこにいた。クリスは毎日ウルーグの大聖堂へと赴く。オリシスの少女も一緒だ。
「ロッテは……?」
「彼女のお兄さんが迎えに来てくれましたので」
 おにいさん。レオナは口のなかで繰り返す。どのお兄さんだろう。レナードとノエルはさっきまでフレイアと一緒だった。兄さんがたくさんいていいな。そう言ったのはデューイだった。
「あの、おにいさんって? ロッテにはおねえさんはいるけれど、兄は……」
「そうだったのですね。赤髪の頭にカーチフを巻いた彼が、来てくれたんですよ」
 やっぱりデューイだった。彼はいつもシャルロットを気遣ってくれている。自由都市サリタでも孤児院の子どもたちにも好かれていたので、面倒見の良い人なのはレオナも知っている。
「そう、それに彼女とおなじ首飾りを持っていましたよ」
「ロッテの首飾り?」
「ええ。ウルーグに着く前に拾ったのですが、すぐに持ち主は見つかりました。珍しく彼が慌てていましたので」
 にこにことクリスは笑みを崩さずに話してくれる。そんなことがあったなんて知らなかった。それにシャルロットとおなじ首飾り、ルテキアに言ったら彼がどこかで盗んだものと決めつけてしまうかもしれない。
「さて、お茶の時間ですね。私も手伝いましょう」
 



 
 



 
 エリスの執務室から西の塔へと戻る途中で、鉤鼻の青年騎士に呼び止められた。
 騎士団長オーエンが話があるそうだ。それならば自分で呼びに来ればいいものを、わざわざ麾下を使わせるあたり、ブレイヴは完全には信用されていないのだろう。エリスのところに出入りしているのも折り入っての頼みを受けただけで、別に私用でそうしているわけじゃない。
「断った方が良かったんじゃないのか?」
 どちらの意味だろうと、ブレイヴはすこし考える。目を見ても幼なじみは答えてくれずに、だからブレイヴも苦笑いで返す。
「山越えを冬にするなんで命知らずだ。そう言ったのはディアスじゃないか」
 いや、言ったのはクライドだったかもしれない。けれど、幼なじみも同意見だった。
「王女の声を拒否していたらここにはいられなかった。と、なればすぐに取り立てに来るだろうな」
「きいた。蒼天騎士団が鈍っているのか、あの子が単に強いのか」
 アストレアの騎士団長トリスタンは面目次第もないとばかりに退団するだろう。アストレアの鴉ジークならば三人をさらに鍛え抜いただろう。そのどちらもここにはいないから、代わりにクライドが捕まった。レナードもノエルもルテキアも、ああ見えて負けず嫌いなので、異国の剣士はいい迷惑だとブレイヴに愚痴を零す。
「俺も時間を無駄にするつもりはないよ。騎士団に接触を許されたんだから、自分の鍛錬にもなる」
「なら、どうして騎士団長に呼び出される?」
「さあ? 少年騎士たちへの挨拶かな?」
 無遠慮なため息がきこえた。ディアスは自分は無関係と決め込んでいたらしく、しかし赤い悪魔殿もご一緒にと、その一言で一気に不機嫌になった。幼なじみの士官生時代の渾名を知っているということは、このウルーグにも士官生だった者がいるのだろう。
「いいじゃないか。余所の国で騎士団の指導をできる機会なんて滅多にない。それにみんながんばってる。レオナも」
「どうして急に馬に乗りたいなんて言い出したんだ?」
 それは本人にきくべきだと思ったものの、ブレイヴはわからないふりをする。
「心配要らない。エディが見てくれているし、ときどきエリスも顔を出してくれているみたいだ。きっと息抜きにはなると思う」
 ウルーグの民は馬を育てるのが上手い。王族や騎士の家系に生まれた子どもは剣を習うより先に馬を習うという。この国の主力もやはり騎馬部隊で、イレスダートの名だたる騎士団に引けを取らないだろう。そうした騎士団を見るだけでも光栄なことだとブレイヴは思う。
「レオナは明朝から北の塔に行ってる」
 もちろん知っている。レオナからきく前に王女の傍付きから止めてほしと言われた。
「アステアが無茶しないように、見張ってくれてるんじゃないかな?」
 幼なじみは気の毒そうな目でブレイヴを見ている。別に騙されているとは思っていない。レオナとはちゃんと約束をしている。
 中庭を抜けて騎士たちの居館が見えてきた。少年騎士たちが剣を抱えて駆け抜けていく。朝と昼の二回、厩舎の掃除をするのは少年騎士らの仕事だ。
「この国はおかしい。普通は余所の国の聖騎士なんて当てにしない」
 少年騎士らの背中を見つめていたブレイヴは、幼なじみの顔を仰ぎ見た。
「宰相が不在だからだ。それまでは、上手くやっていたらしい」
 最初の日、軍議室では落とさなかったが、エリスはブレイヴにそう零した。この国の宰相は一人で外交も任されていて、ずっと講話を持ち掛けていた。
「その宰相がまずおかしいと言っているんだ。戦争を回避しようと務めていた人間が、どうしていきなり主張を変える?」
「かなり追い詰められていたというから、他の人間の声を無視できなかったんだろう。……騎士団長オーエンはエリスとは対照的だ」
 やや声を潜めながらブレイヴはつづける。
「ウルーグとイスカの国境で小競り合いがあったのは本当だし、攻めてきたのはイスカだ。でも、要所となる砦ではなく無関係の村が襲われた。ウルーグの人間がイスカに憤るのも当然だ」
「村にはなにも残っていなかった。女も子どもも老人も、皆最後には殺された」
 その報告もまた事実だ。ブレイヴはうなずく。
「だが……、イスカはそこまでの非道をするような人間の集まりなのか? イスカの戦士たちは」
「エリスもおなじことを言ってる。あれは、イスカの一部の人間がやったことであり、イスカの獅子王は関わっていない。だから謝罪は望めなかった、と」
「本当に、それが正しいのか?」
 ブレイヴは足を止めた。そもそものはじまりをこの国の王女エリスは知っている。知った上で隠していた。
「困りますね、聖騎士殿。事実を書き換えられては」
 騎士団長オーエンだ。時間に遅れたつもりはなかったが、話しているあいだに遠回りをしていたらしい。
「赤い悪魔殿もよろしいかな? 先に手を出したのは我がウルーグです。我々がイスカの村を先に占拠したのです」
「……では、謝罪すべきなのはそちらでは?」
 オーエンの碧眼が大きく見開かれる。
「とんでもない! やつらがその報復に何をしたのか、あなた方も先ほどおっしゃっていたではないですか」
「それで話が終わらなかったからこそ、こうして長引いているのではないですか?」
「奴らが先にけしかけたのです。沃土に乏しい蛮族どもの国だ。ウルーグを欲するのは当然です」
 鉤鼻の青年騎士と痩躯の青年騎士が騎士団長を迎えに来た。すでに皆揃っているらしい。
「殿下の頼みを引き受けたのは聖騎士殿ですよ? あなたは余計なことを考えずに、我々のために戦ってくださればいい」
 ずいぶんと都合のいい物言いだ。他国の聖騎士など邪険にしているくせに、一応戦力としては当てにしているらしい。他にはレナードとノエル、それからクライド。たかが五人を含めたところでたいした戦力にはならないだろうに、それでも期待しているのはイスカを軽侮しているためか、あるいは自尊心の高い人間ばかりが集まっているためか。
 ブレイヴは騎士団長オーエンを見る。切れ長の青の双眸、自慢の金髪はしっかりと括られているがきちんと手入れされているのがわかる。金髪に碧眼、他の騎士たちも似たような容貌で、とにかく顔立ちが整っている。イスカの戦士たちを蛮族だと罵っていた背景はつまりそれだ。
 ブレイヴは失笑しそうになる。ウルーグの人間はイスカを甘く見過ぎている。
「お言葉ですが、エリンシア王女はまだイスカに講話を求めています」
「いついかなるときでも、戦場へと赴く心構えをしておくのは騎士として当然でしょう? どちらに事が運ぼうとも我々は騎士の仕事をするだけ、それが本当の騎士ではありませんか?」
 最初から歩み寄るつもりがなければこういう台詞は吐かないと、ブレイヴはそう思う。では、これは彼なりの交流の場を持ち掛けたのだろう。ブレイヴは笑みを作る。彼こそ、騎士の鏡だ。

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