四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

飛べない金糸雀1

「ようこそ、ウルーグへ」
 吟遊詩人さながらの美しいソプラノの声が響いた。
 衛士たちが一斉にお辞儀をする。擦れちがった幼い子どもが手を振っている。籠一杯に詰め込まれた花を一輪渡してくれた娘の瞳はきらきらと輝いていて、ふいに目が合った老爺もにこにことしている。
 彼らは余所の国の王でも迎えているのだろうかと、ブレイヴは苦笑する。
 巡礼のためか、あるいは遠縁の親戚でもいてはるばる会いに来たのか。旅の目的などそれぞれで、彼らはブレイヴたちをイレスダート人と認めても歓迎する。人々の表情が明るく、他国の人間にも親切なのは国が潤っている何よりの証、これから冬へとつづく季節でも街路樹の色鮮やかなこと、沿道に咲く花々もしっかり手入れされている。
 南の商業区を抜けて噴水広場にたどり着いたとき、ブレイヴは気がついた。王都マイアに似ている。いや、そっくりそのまま造られたと言った方がいいのかもしれない。イレスダートの歴史がはじまり、やや遅れてラ・ガーディアが建国された。最南にはフォルネ、隣国ウルーグとイスカ、それから北にはサラザール。カナーン地方に挟まれた東のイレスダートと西のラ・ガーディアはたしかに遠くとも、こうして人や物の行き来は盛んであるし、西の国の始祖である四兄弟のうちの一人が柔和なたちだったのだろう。
 はるかなる東の聖王国に憧憬して模範した王都を造りあげたのがこの国の最初の王ウルだったのなら、ウルーグの人々が闊達かったつなのもうなずける。
「まもなく祭儀がはじまりますね。私はシャルロットと一緒に行ってまいります」
 大聖堂の鐘の音が鳴る前に白皙の聖職者が言った。やや遅れて二人のあとをデューイが付いて行く。ルテキアは王女の傍付きだから離れるわけにいかず、だから一緒に行ってくれたのだろう。
「居眠りして、大司祭様に追い出されなければいいけど」
 つぶやいたレナードの隣でノエルとアステアが笑う。やがて時を知らせる鐘の音が東からきこえた。大聖堂の位置まで王都マイアにそっくりだ。
 時間が許せば観光をたのしみたいところでも、ブレイヴはまっすぐ王城へと進む。案内役の少年は余計な声もしなかったし、寄り道もしない。彼の名はエドワード。この国の王子だ。
 金髪の男がエディに何かをささやいている。大柄で鉤鼻の男は、最初にブレイヴを睨みつけていた方の金髪だ。エディはしばらく鉤鼻の男を見あげていたが、うなずいた。もう一人の痩躯の金髪がため息を落としたときには、鉤鼻は一行から外れていた。
 デューイのあとを追ったのだ。これに対してブレイヴは見届けるだけ、鉤鼻の男は聖騎士に訴えた。あの男に金を騙し取られている。その大きな目で睥睨へいげいされてブレイヴは気がついた。つまり聖騎士がデューイの主人だと思い込んでいるのだ。
 だからあの男は連れて行くなと言ったんだ。
 ディアスは何も言わなかったがうんざりとした表情だった。説教ならたくさんだ。でも、次からはちゃんと幼なじみの忠告を素直に受け取ろうと思う。引き渡せば良いじゃないかとクライドの声をブレイヴは苦笑する。金貨を二枚渡して事を済ませたのにかかわらず、鉤鼻の男はデューイにまだ思うところがあるらしい。
 やがて王城が見えてきた。堅牢なる白い宮殿は白の王宮を連想させる。幼なじみたちもおなじだったのだろう。ぱちぱちと目をしばたくレオナの横でディアスが物言いたげな表情でいる。
 フォルネのときとは打って変わって案内役の少年はただ真っ直ぐに進むだけ、そもそもこの国の王子にあれこれ説明を求めるのは間違っているだろう。それでもレナードとノエル、それからアステアは落ち着きなく視線を彷徨わせているし、レオナたちはやや遅れている。
 途中で執事が駆け寄ってきた。イレスダートの客人ですとエディが言い、執事は人好きのする笑みでレオナとルテキア、それからアステアを別室へと案内する。ブレイヴの目顔をエディは無視する。ここまで来て信用に足らない人間だとは思っていなかったが、ルイナスの声を忘れてはいない。ウルーグのエドワードには気をつけろ。
 回廊には人数分の靴音だけが響いている。
 エディは近道を選んでいるらしく、中庭や吹き抜けを突っ切ってとにかく先を急いでいる。約束の時間はまだ先で、しかし何か理由があるのかもしれない。庭園には季節外れの薔薇が咲き誇っている。青や紫の色が見えるのは庭師の腕が良いのだろう。特殊な栽培方法ができるのは限られた人間だけだ。
 ブレイヴはここに幼なじみがいなかったことを安堵する。レオナの庭園にも薔薇園が存在した。白の王宮から外れた離れの塔が幼なじみのあるべき場所、思い出してさびしい思いをさせたくはない。
 はっとして顔をあげると、エディの碧眼とぶつかった。
 やはり、この少年はなかなかの曲者と見える。そこまで考えてイレスダートの客人を別室に連れて行ったのだろう。
 玉座の間へは行っていないとわかっていたものの、それにしては遠い。小一時間ほど進んだところでブレイヴはエディに声を掛けるべきかと迷った。まさか牢獄へつづいているのか。ブレイヴの足がふいに止まった。
「誰か、その子を捕まえて!」
 ソプラノの美しい声が響いたと同時に、ブレイヴの前に黄色い生きものが飛び込んできた。
「鳥……?」
 とっさに両手で包み込めば小鳥は愛らしい声で鳴いた。金糸雀カナリアだ。愛玩鳥の一種でずいぶんと人慣れしているのか、逃げようともしない。
「ああ、よかった。やっと追いついたわ」
 回廊を走ってくる女性もまた金髪で、この鳥とおなじ金糸雀色をしている。
「ありがとうございます。私の……大事な子なの」
 深々とお辞儀する金髪の女性にブレイヴは鳥を返してやる。彼女の目の色は見たことがある。草原のような緑、そしてもう一人は。
「姉上。何ですか、その格好は」
 皆がエディを見た。ブレイヴはまじろぐ。彼はたしかに姉と言った。
「だって、この子が逃げ出したんだもの。急いでいたから仕方ないでしょう?」
「また侍女の服を勝手に借りたのですね。あれほど時間には遅れるなと、そう申しあげたでしょう?」
「あら? 軍議にはまだ時間があるわ。お昼だってちゃんと食べたし」
「そうではありません」
 抑揚を欠いた少年の声が段々と強くなる。呆気に取られているレナードと、くすくす笑っているのはノエル、渋面ふたつはディアスとクライドだ。
「姉……? では、あなたがエリンシア王女?」
 微笑ましい姉弟の喧嘩をずっと見ていたい気もしたものの、今日の約束のためにブレイヴはここに招かれた。
「あなたは……?」
「イレスダートの客人です。ブレイヴ・ロイ・アストレア殿。聖騎士殿と会う約束をお忘れですか?」
「あら? 忘れてなんかいません。でもあなたの手紙には明日と書いてあったでしょう?」
「それは、司祭様との約束です。父上が会いたがっていましたから」
 まあ、大変。顔に手を当てて、王女はイレスダートの客人たちを見つめている。ウルーグの王女はブレイヴとおなじ歳、知っていることといえばそれだけで、しかしブレイヴの想像していた王女とはずいぶん異なっている。何しろ彼女は病床のみである父王に代わって、このウルーグを導く立場にある人だ。
「ともかく、まずは着替えてきてください。まもなく軍議の時間ですが、聖騎士殿にも同席して頂きましょう」
「ええ……そうですね。ごめんなさい」
 他国の客人の前で姉を叱りつけてしまった気まずさからか、エディの次の声はすこしやさしかった。
「どうして、その子を逃がしてしまったのです? いつもは鳥籠に入れているでしょう?」
 金糸雀は繁殖期に求愛鳴きする以外は大人しい鳥だ。弟の声に王女は意外そうな顔をしてこう答えた。
「だって、たまには空を飛びたいでしょう? ずっと籠のなかですもの。退屈してしまうわ」
 


 
 
 
 
 

 長机にはおよそ十人が着席している。
 ウルーグの王女エリンシア――エリスと名乗った彼女、騎士団長オーエンと彼の麾下が二人、反対側にはブレイヴとディアスとクライド、レナードとノエルがつづく。すこし離れて座っているのがエディとフレイア、軍議という割にはウルーグの人間が少なすぎる。ブレイヴの目顔を読み取って、エリスがにこりとした。
「では、はじめましょうか」
 王女はちゃんと遅れてきた非礼を最初に詫びていたが、騎士団長は咳払いした。
「まだ来ていない者がおります」
「彼は欠席です。疲れが出たのでしょう。しばし休むように伝えました」
 エリスに最も近い席が空いているのは、宰相席だ。騎士団長オーエンはそこで引きさがり、次はこちらへと視線を流す。長身で金髪、無遠慮に見つめてくる青の双眸。麾下二人も似たような容貌で、顔立ちが整っている。ウルーグ人は色白で金髪、あとは碧眼が多い。そう、ルイナスからきいていた。たしかにこれまで会ったウルーグ人は皆おなじく象牙色の肌と金髪、眼窩に埋め込まれた碧眼もまた美しい。
「フォルネの王ルイナスより手紙を預かっています」
 あらかじめエディが知らせていたはずだ。エリスはゆっくりとうなずいた。金髪の若い騎士がブレイヴから密書を受け取る。大きな目と鉤鼻が、ブレイヴを睨んでいたあの男とそっくりだ。きっと親子なのだろう。値踏みするような目でブレイヴを見たあと、鉤鼻の騎士はエリスへと密書を届けた。
 ところが、王女はしばらくそのままだった。たまらずオーエンが呼びかける。
「中を読まないのですか?」
「見なくとも返答はわかっています。フォルネはウルーグにもイスカにも関わらない。私たちの国がどう動こうがフォルネは介しない。……そうでしょう?」
 視線はブレイヴに向けられていた。まるでルイナスの代わりに責められているみたいだ。弁明をするべきかと思ったが、そこでディアスと目が合った。幼なじみは沈黙を要求した。
「しかし、このままというわけにはいかないでしょう」
「ええ。そう、ですね」
 教え子に説くときのようにオーエンが言う。発言は許されていないのだろう。騎士団長の麾下二人は冷えた視線を王女に送っている。他に王女の味方となる者は王女の弟のみ、ブレイヴはエディを見たが彼もまた沈黙を貫いている。
「……なぜ、講話を持ちかけなかったのですか?」
 威嚇するような目をしたオーエンと非難する目つきの麾下たち、騎士らに対してエリスは謹厳な顔でいる。ブレイヴは注意深く王女の表情を観察する。そして、彼女の目が空席となっている宰相席へと導いたのを見た。
「蛮族共と対等に話をするだけ時間の無駄です」
「オーエン! 口を慎みなさい」
「殿下は何もわかっておられない。交渉に遣わせた騎士らがどうなったかを、知らないとは言わせません」
 感情を抑えきれなかったエリスと固い声で反論するオーエン。ブレイヴは混乱しそうになる。彼女たちの主張はどこか食いちがっているのではないか。
「蛮族と、あなた方はイスカをそう見做しているのですか?」
「隣国とはいえ、境を越えれば他国です。イレスダートがルドラスとの戦争をつづけているのが何よりの証ではありませんか?」
 隣でディアスが気色ばむのがわかった。ブレイヴも呼吸を落ち着かせる。他人が容喙ようかいするべきではなかった。これは、ウルーグとイスカの問題だ。
 だが、フォルネの王から密書を預かったブレイヴは間接的にとはいえ関わっている。そのつもりでルイナスはブレイヴをウルーグに送り出した。
「あなたたちの意見なんてどうだっていい。戦争がはじまれば私はウルーグといっしょに戦う」
 長机の端で大人しくしていたはずの少女がそう言った。香茶も茶菓子も用意されていなかったので退屈していたのかもしれない。
「フォルネは来ない。でも、あなたたちはたたかえる」
「おっしゃる通りでございます。殿下はいい加減覚悟を決められるべきだ。我々はとっくに腹をくくっているのです」
 早めに止めるべきだったのだろうか。孤立無援するウルーグの王女を助けるような義理はブレイヴにはなかったとしても、これではあまりにエリスが気の毒だ。それに、と。ブレイヴはルイナスの灰褐色の瞳を思い出す。あの目はどこまで見ていただろう。
「お待ちください。勝手に話を進められては困ります。私はたしかにルイナスの手紙を預かってきただけの身、しかし彼にはその目で見て判断せよと、そう言われました。ですから、」
「わかりました。すべて、おはなししましょう」
 仔細を皆まで知らないブレイヴにとってそれがもっとも望ましい声だ。エリスは疲れた顔をしていた。金糸雀を追いかけていた彼女とはまるで別人だ。でも、そうあるべきだとブレイヴは思う。皺ひとつない白の軍服、後れ毛まできっちり纏めあげた金髪、ここにいるのはウルーグの王女だ。
「発端が何であったのかを、ウルーグとイスカの関係を。すべて包み隠さずに申しあげます。その上で、お願いがあるのです」
 王女の声は震えていた。王女の仮面を被るには感情などすべて殺す必要がある。
「知恵を、力を。貸して頂けないでしょうか? 私に、このウルーグに」
 ブレイヴはうなずいた。それから端にいる王女の弟を見た。エディはブレイヴに視線を合わせず自分などここにはいない、そんな顔をしていた。

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