四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

フォルネの要人とイレスダートの聖騎士3

 ルイの言ったとおり、使者は朝一番にやってきた。
 ブレイヴは驚いた。蒲公英色の波打つ髪と紅玉石ルビー色の瞳を持つ少女、それから白皙の聖職者。ブレイヴはこの二人を知っていたし一人はラ・ガーディアの人間で、でももう一人はイレスダート人だということも知っていた。
 向かう先がおなじくフォルネだとしても、二人がフォルネに縁のある要人だとは思わなかったといえば、ブレイヴが周りをよく観察していない証拠となるだろうか。フレイアという名の少女の挙措はまさしく貴人のそれで、彼女の従者であるクリスもただ者ではないと、そう感じていたはずなのに。
「では、フレイア様。聖騎士殿をお任せしますね」
 そう言い残して、クリスは二階へと消えた。昨夜は帰りが遅くなったので、レオナとは話せないままだった。
「あなたたちは、こっち」
 クリスを呼び止めようとして、フレイアに遮られた。ルイは昨日、使者は何も名乗らないと言っていた。つまりは余計な説明などないというわけだ。事実、フォルネの少女は城に着くまで無言で、イレスダートの人間をぞろぞろと引き連れて衛士に引き合わせたあとも何ひとつ喋らなかった。だからブレイヴもただ彼女に付いて行くだけ、さすがディアスやクライドは警戒しつつもいつもの表情のまま、レナードとノエルは壮麗なる王城をずっときょろきょろとしている。
 二人とも白の王宮に入ったことはなかったな。
 ブレイヴは口のなかでつぶやく。麾下のジークはブレイヴの傍を離れなかったものの、レナードはガレリア行きを前に準備に勤しんでいて、ノエルはアストレアで留守番だった。けれど、若い彼らが好奇心をかき立てられるのわかる。案内役の往年の騎士がこの美しい城の素晴らしさを伝えようと、先ほどから説明をつづけている。
 マウロス大陸の西に位置する国のひとつがフォルネ。ラ・ガーディアの最南で、他の三国を治める王も系譜を辿っていけばおなじ男へ行き着く。
「ええと……、じゃあ、他の国とこのフォルネは兄弟ってことですか?」
「ええ。そのとおり。兄弟国というわけです」
 士官学校の教官さながらに上手い解説だ。この往年の騎士は少年騎士らの指南役なのだろう。
「ああ、ほら。ご覧ください。これが我がフォルネの国章です」
「四葉……と、鹿?」
 今度はノエルがつぶやく。往年の騎士は満足そうにうなずいた。
「ええ、そうですとも。隣国ウルーグは鷹、イスカは獅子、そしてサラザールは兎」
「それって、何か意味があるんですか?」
 壮年の騎士が真顔になる。ノエルが慌ててレナードを小突く。
「ええ、それはもちろん。ラ・ガーディアの始祖は狩りを得意とされていました。長兄フォルは鹿狩りを、ウルは鷹狩りの名人であり、イスカルは大きな獅子を捕ったのだとか。つまりは、そういうことです」
 ふたたび案内役が笑顔になったので、若い二人は安堵する。 
「……時間稼ぎじゃないのか?」
 クライドがぼやいた。そうかもしれない。なにしろまだ朝の早い時間だ。ブレイヴはちらとうしろを見た。ブレイヴたちをここに連れてきたフレイアという少女は最後尾で黙している。ただ命令に従っただけ、そんな顔をしている。
 この少女はフォルネ王家とどんな繋がりがあるのだろう。
 ブレイヴの思考はすぐに戻される。次に案内された場所、ここでもブレイヴは目を瞠った。
 天井は低くとも窓は広く、光がたくさん入ってくるために明るい。調度品や壁画、あるいは彫刻物の素晴らしきこと、内装と見事に調和されていてそれは美しかった。皆もおなじようで、さっきまで騒がしかったレナードとノエルも急に大人しくなった。それもそうだ。他者を、それも異国の人間を招き入れてもいいものなのかと、ブレイヴは思わず往年の騎士の顔を見た。
「ご覧ください。こちらは我がフォルネの歴代の王にございます」
 ずらりと並んだ肖像画、そこに描かれている人物は皆一様に金髪であり、それから灰褐色の瞳を持っている。太陽の陽射しのような明るい光というよりは、くすんだ金髪、初代王フォルもおなじ色だ。視線を感じてブレイヴは往年の騎士へと目を戻す。たしかに遠回りをしていたようで、これを見せたかったのかもしれない。
「あの、ルイナス王の絵はここにはないんですか?」
「それは……」
 往年の騎士が咳払いする。ふたたびノエルがレナードを小突いた。
「いま描かせているところなのです。王もですが、絵師もなかなか多忙でして」
 ブレイヴはディアスを見た。病死した前王の跡を継いだ王子はまだ若くとも、玉座に着いてからは三年は経っている。そうだったはずと、騎士に尋ねようとしてわざとらしく視線を逸らされた。おなじ人種の王なのだろう。ディアスが目顔でそう言う。イレスダートの王アナクレオンは何時間もただ黙って座っているのを嫌っていた。つまりは、ルイナス王もそういうわけだ。
 そうしてたどり着いたのは王の間ではなく、応接室だった。
 やはり王に会うのは叶わない。牢獄行きを免れただけでもよしとするべきと、ブレイヴは切り替える。
 男が一人、外を見つめている。ブレイヴたちが入室して席を勧められてもすぐこちらを振り返ろうともせず、往年の騎士が扉を閉めてからようやく視線が合った。ブレイヴはまじろいだ。
「なんだ? いま頃になって気がついたのか?」
 彼は久しく会っていなかった友に対する物言いだった。声をきいてからでなければ気づかなかったのは、容貌がずいぶんと変わっていたからだ。くすんだ金髪はきちんと撫でつけていて、襟元の詰まったシャツは上質な絹が使われている。真紅のベストの胸元にはたしかにフォルネの国章が見える。彼は昼と夜ではまったくちがう人間らしい。
「それが、あなたの公の姿なのか?」
 問うたブレイヴにルイはくすくす笑う。
「お戯れが過ぎますよ、陛下」
 つづけて礼を言おうとしたブレイヴも、そのすぐ隣にいたディアスも、わけもわからずきょとんとしていたレナードもノエルも、ほとんど同時に息を止めた。ただ一人、相好を崩さなかったクライドをブレイヴは見る。
「知っていたのか?」
「あんたはとっくに気がついているとばかりに思っていたんだがな」
 代わりに答えたのはルイ――いや、ルイナス王だ。 
 ルイという名はフォルネの男子によくある名前で、だからわざわざ偽名を使わなかったと、そう思っていた。王とおなじ名を持つ者だっているし、そこにいる往年の騎士だっておなじ名前なのかもしれない。どうして気づかなかったんだ。ディアスの目顔に対して、ブレイヴはそう言いわけしたい気持ちになる。
「悪かった。いや、別に騙すつもりではなかったんだが……」
 謝罪しながらもルイナスはまだ笑っている。たしかにイレスダートの王と似た人種のようだ。公務に追われて日々を過ごしているからちょっとした悪戯を好む。もっともブレイヴが騙されやすいだけと言ってしまえばそれまでだが。
「まあ、座れ。話はそれからだ」
 長机の端にはフレイアが座っている。彼女は無表情で、すでに退屈しているみたいにため息を吐いた。ほどなくして執事が入ってきて、それぞれに香茶を振る舞った。果実のいいにおいがする。先に手を付けたのはフレイアで、毒味役のつもりなのだろうか。
 彼もまた香茶をたのしんでいる。飲まないのかと、目顔で問われてブレイヴは沈黙で応える。
「やれやれお堅い聖騎士殿だ。……さて、昨日のつづきだがフォルネを通してやってもいい」
 ブレイヴはまだ動かない。
「……条件は?」
「あんたは赤い悪魔だな? なるほど、姫君の護衛にうってつけじゃないか」
 気色ばむディアスをブレイヴは片手をあげて制する。お前らしくないぞ、ディアス。箱庭の姫君の存在を知っていただけではなく、幼なじみの嫌う渾名まで知っていた。ブレイヴはひとつ息を吐く。油断のならない男だということはわかっている。幼なじみを宿に残してくるべきではなかった。
「クリスは貸してあげただけ。あのひとたち、困ってたみたいだから」
 声は落としたものの、フレイアはこっちを見ようともせずに香茶のお代わりを自分で注いでいる。たしかに聖職者のなかには医学に明るい者がいる。レオナとクリスがいつ接触したのかわからないが、しかし幼なじみは白皙の聖職者を頼ったのだろう。シャルロットはずっと伏せたままだ。
「過保護な聖騎士殿だな」
 揶揄にもブレイヴはあえて無視をする。往年の騎士がまた咳払いをして場の雰囲気を変えようと試みる。大丈夫だと、ブレイヴは自分にそう言いきかせる。そうだ、きっとレオナは無事だ。幼なじみを人質にするよりもブレイヴらを牢獄に送った方が事が早く済む。それくらいはわかっている。
「条件をきかせて頂きたい」
「ウルーグで会ってもらいたい人間がいる」
 うしろで控えていた往年の騎士がルイナスから何かを受け取り、ブレイヴの前で広げた。
「これは、書状?」
「中を読んでみろ」
 精緻で美しい筆跡は女性のものだった。急ぎの要件なのだろう。挨拶は省かれていて、仔細も皆まではしたためられていない。その途中でブレイヴは顔をあげる。フォルネ王の灰褐色の瞳が待っていた。
「イスカがウルーグに侵攻した」
 彼は人の反応をたのしむたちだが、冗談を言う人間じゃない。
「いや、反対か。ウルーグがイスカに侵攻したのだ」
「どういう、意味でしょう? しかしこの手紙には、」
「ああ。ウルーグなら、エリンシアならば。たしかにそう主張するだろう」
 ウルーグのエリンシア王女。それがこの書状を送ったその人だ。偽りを書いてあるようには見えない。
「それはお前がエリンシアを知らないからだ」
 心のなかを見事に読まれた。ウルーグの王女はブレイヴとおなじ歳、それくらいしか知らない。
「ちがうな、その逆だな清廉潔白なあの王女を知っているからこそ、疑う」
「それはあなたが、この国の王だから?」
 ルイナスが微笑する。
「俺が麾下から受けた報告では、先に手を出したのはウルーグだった」
「しかし、王女はあなたに助けを求めています」
「フォルネは動かない」
「動かないのではなく、動けないのでは?」
 ブレイヴは声の方へと向く。同意見だった。
「なかなか良い読みじゃないか。さすがは赤い悪魔だな」
「その呼び名はやめて頂きたい」
 それきりディアスは黙ってしまった。ルイナスはしばらく微笑していたがふとレナードとノエルの方を見た。二人とも大人しく見守っていたのに、急に自分たちに視線が向いて緊張している。王に声を求められているのだ。発言の許可を得るべくレナードがブレイヴを見る。ブレイヴはうなずいた。
「……フォルネが干渉すれば、ウルーグに味方したとイスカに見做される、から?」
 ルイナスは無言で笑みだけ残している。次はノエルだ。
「あの……、ウルーグとイスカは、まだ本格的に戦争になってはいないんですよね? でも、フォルネの動き次第では、これが悪化する」
 昨日のルイナスなら拍手喝采で応えてくれる。つづいて発言を求められたのはクライド、ラ・ガーディアにもイレスダートにも無関係な剣士はここでだんまりを通すつもりだったらしく、無遠慮なため息がきこえた。
「つまり交換条件はそれだ。聖騎士に密書を届けさせる、と」
「そういうことだ。しかし、悪くはない条件だろう? 互いの利害は一致しているからな」
 往年の騎士が物言いたそうな表情でいる。その視線は王ではなくブレイヴにだ。にべなく断ってほしい。そういう顔にも見える。交換条件としては悪くないと、ブレイヴは思う。
  見誤っていたのかもしれない。フォルネの王、ルイナスという人を。慎重な人間ほど保守的にはならないのを、ブレイヴはよく知っている。イレスダートの聖王と重なるのは彼もまた王だからか、それともアナクレオンとルイナスはやはりおなじ人種だからか。
「密書をエリンシアに渡したあとは好きにすればいい」
 いつまでも黙っているブレイヴにルイナスはそう言った。
 往年の騎士がこちらをずっと見ている。昨晩、酒場でブレイヴと会ったあと、ルイナスは重臣たちと長いやり取りをしたのだろう。フォルネとしてはこんな手紙は無視して届いていなかったことにしたい。しかしそうすれば、ウルーグとイスカのあいだで本当に戦争がはじまってしまう。
 それにと、ブレイヴはルイナスをいま一度見る。彼は、ウルーグもイスカも見捨てるつもりはないのだ。一度譲らないと決めた人間には何を言っても無駄で、何より王の声は絶対だ。ブレイヴは意識して呼吸する。イレスダートのアナクレオンだと思えばいい。騎士は王の言葉に絶対に逆らえない。
「国境を越えてウルーグにたどり着く。でも、そのあとは密書など届けずに放棄する。その可能性は考えないのか?」
「それはない」
 即答だ。ブレイヴはまじろぐ。
「本当にそんなことを考えている人間なら、わざわざ口に出したりしないからな」
 一枚も二枚も上手の彼は、やはりアナクレオンとどこか似ている。往年の騎士がブレイヴにもうひとつの書状を届ける。なるほど、ずいぶんと手回しがいい。あらかじめ用意されていた密書を手渡すと、往年の騎士は聖騎士に一揖した。
「旅費もこちらで持つ。聖騎士殿もこれでしばらくは困らないだろう?」
「それこそ、このまま持ち逃げするかもしれないのに?」
 ルイナスが意地悪っぽい笑みをする。
「いいや、無理だな。同行者には俺の妹を付ける」
 その意図が読めた。長机の端ではとっくに空になったカップを突いている少女がいる。
「これから戦争がはじまるかもしれないところに、あなたの妹を?」
「問題ない。むしろ、フレイアにとってはそっちの方が安全だからな」
 まるでレオナが戦地の最前線である城塞都市ガレリアに来たときみたいだ。深入りしてはならない理由がどこかに隠されている。饒舌なルイナスがそれ以上は語らずに、おもむろに前髪を崩したかと思えばシャツの首元を緩めた。
「やれやれ、まったく肩が凝るな」
 そうしてやっとルイに戻った。陛下と、窘める往年の騎士の声などまるで無視だ。執事を呼んで今度は酒を持ってこさせる。気の早い祝杯だ。躊躇うブレイヴにルイナスはもう蜂蜜酒ミードを飲み干している。
「ああ、言い忘れるところだった。ウルーグのエドワードには気をつけろ」
 昨日のルイのように、しかし真顔で彼は言った。
「それが、ウルーグの王女の麾下?」
「まあ、そんなところだ。ともかくあれがウルーグで一番厄介だ」
 ルイナスは蜂蜜酒のお代わりを要求する。そして、こう付け加える。
「あれは、ウルーグの鷹だ」
 
 

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