四章 ラ・ガーディア−四葉の国−

カタリナとフランツ

 抜けるような青い空には雲ひとつとして見えずに、白の王宮を吹き抜ける乾いた風も心地が良い。
 イレスダートは季節の変わり目ごとに雨が降る。冬から春にかけては冷たい小雨が、夏の前には鉛色をした分厚い雲が空を支配して、長いあいだ雨を降りつづかせる。北の城塞都市ガレリア、おなじくイレスダートの北部に位置するムスタール公国では長雨による被害がもたらされた。まもなく秋が訪れようとするいまも、白の王宮は物資の支援を惜しまずにいる。
 いや、その表現がはたして正しいのかどうか。実際、あのやり取りを目の当たりにしたのは自分ではなく、騎士団長である。彼は、長時間に及んだ会議のあとでひどく疲れた顔をしていたが、しかし確約を取り付けたのだと言った。下命かめいに従って、白騎士団の騎士たちが北の大地へと赴く。自分もそこへと行きたいと申し出たならば、彼は何を答えただろう。すこし考えてみて、馬鹿なことを思い描いたものだと彼女は嘆息する。
 東の塔へと向かう途中で数人と擦れちがった。
 上流階級の貴人、あるいは騎士たちは彼女の姿を認めるなり恭しく頭を垂れた。彼女もまた騎士の挙止きょしをして回廊を奥へと行く。東の塔の最上階へとつづく階段を前に、踵を鳴らしながら回廊を進んでいたカタリナ・ローズは突然止まった。呼び止めたのは、カタリナとそう変わらない背丈をした少年騎士だった。
「また、ですか?」
 年下の騎士に対してする物言いではなかったが、しかし自然と唇からは零れていた。半年前にようやく十八歳になったばかりの少年騎士だ。精悍せいかんな顔にすぐに動揺が現れた。
「は、はい。西通りにある宿屋の主人が第一発見者だそうで……、死んだ娘は商家に出入りしている洗濯女だとか。少なくとも、主人の見知った顔ではなかったそうです」
 縷言るげんを要せず、重要な箇所だけを述べさせる。頼りない口吻こうふんではあるものの、三度目でやっと少年騎士はカタリナの期待に応えてくれた。
「最初のひとりは貴族の令嬢、次は巡礼者の娘……、それから洗濯女ですか。ではやはり、身分は関係なさそうですね」
 少年騎士は娘が《《殺された》》とは言わなかった。しかし、これでもう五人目だ。イレスダートは戦争をしている国であるから、国の情勢は常に不安定だというのも事実、職にあぶれた者たちが貴顕きけんを狙った事件は少なくはない。上流貴族の貴人たちには勧告し、王都を巡回する騎士の数も増やしたとはいえ、十分ではなかったのかもしれない。カタリナは素直にそれを受け止める。
「はい……。それから、今回も娘の遺体からは心臓が、」
「そこだけ抜き取られていた」
 《《消えていた》》、のではなく《《抜き取られていた》》。カタリナは少年騎士の声を先回りする。
「そう、です。遺体には他に損傷は見られず顔も綺麗なまま……、それに、その」
 言いにくそうに少年騎士はうつむいた。カタリナは嘆息する。陵辱のあとに殺されたのなら、その表情は苦痛に満ちていただろう。
「わかりました。あとは、私から団長に申し伝えます」
 カタリナはそこで部下を下がらせた。少年騎士はまだ何かを言いたそうに唇を動かしていたが、しかしすぐに一揖いちゆうして去って行った。戦場で戦うにはあまりにも頼りないちいさな背中だ。最後まで見送らずにカタリナは最上階へと足を勧める。
 それにしても――。
 カタリナは口のなかで推理をつづける。貴人の娘たちだけを狙うならば目的はすぐにわかる。しかし、それほど裕福ではない庶民の娘に手を出したところで望んだ金は入らないだろう。暴行するつもりなら顔や身体が綺麗なまま残されているのもおかしい。そもそも心臓だけを抜き取るなど、本当に可能なのだろうか。
 最上階が近づいてきた。白の王宮には名だたる宮廷魔道士たちがいる。先に彼らに話をききに行くべきだった。そう、思いかけてカタリナはかぶりを振る。魔法や魔術に明るくないカタリナが行ったところで、相手にされずに嫌な気分になって帰って来るだけだ。
 こうした猟奇的犯行に及ぶ愉快犯が王都にいるなど考えたくもなかった。ここは、王都マイア。イレスダートが中心地にして聖王アナクレオンの治める聖都である。掏摸すりや強盗、暴力などけっして許されない場所なのは誰もが認めているはずだ。過ちを犯した者は罰を受けなければならない。この国の王はどんなちいさな犯罪も見逃さない。そのために、カタリナたちがいる。王の盾となる白騎士団がいる。
「フランツ、いますか?」
 団長室の扉をたたいて、カタリナはそう呼びかけた。声はすぐに返ってきた。白騎士団騎士団長フランツは非番だった。返事がきこえたことにほっとする自分と、どこかで落胆する自分と、そのどちらもいることにカタリナは気がついた。
 フランツの部屋はとにかく散らかっていた。
 机上の羊皮紙は雪崩を起こしそうなくらいに詰まれている。来客用の円卓には空になったカップが残されていて、皿に盛られた焼き菓子には見覚えがある、あれは三日前、カタリナが南通りで購入したものだ。王立図書館から借りてきた資料はそのまま床へと置かれているし、フランツの軍服の上着も投げ捨てられている。騎士団長には扈従こじゅうがいたはずだが、休暇を取っているのかもしれない。カタリナはやはりここに一人で来て良かったと思う。こんな姿は少年騎士には見せられない。
「報告があるのだろう?」
 促されてカタリナは視線をフランツへと戻した。小言はあとだ。ここにはカタリナではなく、白騎士団副団長としている。
「はい。また一人が殺されました。場所は西通りにて、洗濯女の娘です」
「これで五人目か。行方不明者の数とおなじだな」
「はい。これで身分は関係なくなりました。貴族も商家も、庶民も。夜間の外出は控えるようにと喚起しております」
「ああ。我々ももっと巡回させる騎士の数を増やさなければならない」
 フランツの目尻の皺が深くなった。疲れているのだろう。彼はいつもカタリナの前で疲れた顔をしている。フランツはたしかに白騎士団の団長だが、白騎士団を動かすには白の王宮の許可が要る。元老院が何を言うか、答えは会議の前にもうわかっている。
 カタリナは拳を作る。ときどき、自身の置かれている立場がもどかしくて仕方なくなる。分を弁えているつもりだ。カタリナは王の盾であり、この国の聖騎士のひとりである。だからこそ、と。カタリナは口のなかで言う。
「被害者に共通するのは若い娘ということ、それから臓器の一部……心臓だけが抜き取られている。そう、報告を受けています」
「心臓……」
「騎士団長?」
「いや、つづけてくれ」
 奇怪な事件にフランツが眉を顰めるのも当然だ。
「遺体に他には傷はないとのことです。……魔道士長にも伝えるべきでしょうか?」
「いや、いい。次の会議では彼も参加する。協力要請を出す否か、それは元老院の決めることだ」
 カタリナはうなずく。報告は以上だった。騎士団長には他にも仕事が山ほどある。非番の日にも動かなければならないほどの。
「あの、国王陛下には」
 退出する前にカタリナはどうしても確認したかった。
「我らが動けるように、許してくださったのは陛下だ」
 それなら、よかった。カタリナは安堵し、それから次の声を用意する。
「では、巡回する騎士のなかに、私も加えてください」
 フランツの目が険しくなった。
「許可できない」
 想定内だ。カタリナは視線を外さない。
「でしたら、父に相談します」
 無遠慮なため息がきこえた。微笑するカタリナにフランツは相好を崩さずに、声音もまた変わらない。
「ローズ伯もずいぶんと苦労なさっている。その上、一人娘がこうも強情ともあれば……心中お察しする」
 カタリナが父の名を出した時点でフランツの負けは決まっていたようなものだ。ローズ伯は元老院議員である。
「あなたは騎士団長として、自身の役割に専念なさってください。私は、あなたの代わりに動きます」
 王の盾として。カタリナの唇がそう声を紡ぐ。
「君は思い違いをしている。私が王の盾ならば、君もまたおなじだ」
「ええ。あなたも私も、イレスダートの聖騎士です」
 あるいは、王の剣であればもっと自由が許されていたのだろうか。カタリナは思考をそこで止めようとした。もう一人は、いまこのイレスダートにはいない。
「賛成多数で可決されるだろうな。君の実力と功績は、皆が認めている」
「ありがとうございます」
 フランツはあまり皮肉を言うようなたちではなかったが、カタリナはそう受け取った。士官生の時分には戦場を経験し、王都マイアの士官学校を首席で卒業、成人後には間もなく騎士となった。聖騎士の称号を下賜かしされたのは他の二人に比べたら日は浅くとも関係はない。いや、ひとつ問題があるとすれば。
 カタリナはふたたび微笑する。狙われたのはいずれも若い娘たちだという事実を、これを生かせるとしたらカタリナだけだ。
 今度こそ速やかに退出しなければならない。それなのに、カタリナは先ほど追い出したはずの思考をどうしてもやめることができない。
「ひとつ、確認したいのですが……」
 声に出すこと自体が禁忌のように思われるのは、どうしてだろう。カタリナは震えそうになる自分を叱咤する。
「アストレアの公子……ブレイヴ・ロイ・アストレアが、イレスダートにいないというのは、本当なのでしょうか?」
 フランツの目を見ているのがこわくなった。彼は、怒っているのだろうか。騎士にあるまじき声をしている。カタリナにはその自覚がある。
「どういう意味だ?」
「そのままの、意味です。公子はガレリアから逃亡、そののち独断でアストレアに帰還しました。それに対して元老院がアストレアに虚偽をかけたのは、当然の行為です」
 フランツは黙している。皆まできいてくれるのならば、これを逃すつもりはない。
「隣国オリシスにはアルウェン公がおられます。公子が、アルウェン公を頼りとするのは、あなたも存じていたはずです」
 ただ真実を声にしているだけなのに、虚言を吐いているようにも感じてきた。カタリナは唇を舌で湿らす。
「……それで?」
「アルウェン公の訃報は、変えようもない事実です。しかし、私には公子がこれに関わっているとは」
「では、公女が虚辞きょじを連ねているとでも?」
「……っ、それは!」
 反論しようとしたカタリナに対して、フランツは片手をあげて留まらせた。
「君自身が矛盾を感じているのではないか? それが、こたえだ」
 アストレアの公子はオリシス公の死の直後にふたたび姿を消した。何の関係もなければ逃げる必要がない。そんなことはわかっている。でも、そうじゃない。
「あなたは、どうなの?」
 我ながら馬鹿な問いだと思った。フランツは答えない。失望されたのだろうか。
「公子の傍にはレオナ殿下がおられます。おそらくは、王命です。元老院がどうして、公子を追わなければならないのでしょうか?」
 元老院はアストレアを潰すために躍起になっているが、それは建前だ。はじめからアストレアを欲していなければこうも早くに動けない。そこまでわかっているのに、なぜ誰も間違っていると指摘しないのか。正義感や道義心だけではない。カタリナの心が、それを認めずにいる。
「職務の放棄、王女の拐引かいいん、王家転覆の疑惑……。元老院の声をそのまま鵜呑みにするのはたしかに馬鹿げている」
「じゃあ……、」
「されども、国王陛下は黙秘をつづけている。レオナ殿下が白の王宮にいないといいう証左しょうさもない」
 なにを、馬鹿な。カタリナは失笑しそうになる。カタリナにはそれをたしかめようがない。白の王宮の離れ、末姫の住まう別塔には近づくことは許されないからだ。流言であるならば元老院もここまで騒ぎ立てないことなど、フランツだって知っている。それでもなお、カタリナの前で騎士の声をする。
「下がりなさい。いま、君にいなくなってもらっては困る」
 これ以上声をつづけようものならば、フランツはカタリナに謹慎処分を下さなければならなくなる。先に釘を刺されてしまった。カタリナは騎士団長の前で一揖する。忘れてはならない。カタリナもフランツも、イレスダートの聖騎士なのだ。


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