三章 微笑みと、約束と、笑顔と

落としものと探しものとお願いごとと

 今日もまた灰色をした雲が空を覆っている。このところはこんな一日ばかりで、晴れの日よりもずっと雨の日が多くなった。 
 憂鬱な気分にさせる時期が終われば、イレスダートに本格的な夏が訪れる。
 南に位置するオリシスでは王都マイアよりもそれが早そうだ。レオナは空を見あげて、いまにも雨が落ちてきそうな雲を見てはため息を吐く。オリシスの城内は好きに使ってくれていいのだと、アルウェンもテレーゼも言ってくれた。けれども、レオナは余所者だ。
 王女の身分は当然隠してあるからオリシス公爵夫妻とその妹のロアしか知らないはずで、他の者にはどう説明しているのだろう。さすがにアストレアの公子のことは秘匿ひとくにできなかったらしく、だから彼は訳ありでオリシスに匿われているという次第だ。レオナもまたアストレア公爵家の縁戚の者だと、偽っているのかもしれないが、それにしては余所余所しくて居心地の悪さを感じてしまう。
 窮屈な思いをさせてごめんなさいねテレーゼは言う。
 そんなの気にすることなんてないのだと、レオナは作った笑みでこたえるしかなかった。そうだ。ここは、アストレアとはちがう。幼なじみの国のようにレオナは働いたりもしないし、あくまで客人扱いだ。ほんとうに遠いところへ来てしまったのだと、いまさらのようにレオナは思う。
「姫様。もうすぐ雨が降ってきます」
 レオナは庭園で午後の時間を過ごしていた。
 花壇に植えられているまあるい白い花は、アストレアで見たリアの花よりも大ぶりの、砂糖菓子のように見えるそれは花びらではなくてがくなのだとか。はじめて目にした装飾花はとても可愛らしくて、レオナのお気に入りになった。アナベルと呼ばれるこの花を育てているのはテレーゼで、旅商人が北の果てより持ってきた品らしく、苗木をすこしわけてもらったとそうだ。ひめさまと。もう一度、おなじ声がする。レオナは傍付きの声を無視していたわけではなかったものの、すっくと立ちあがると騎士を見つめた。 
「レオナよ」
「はい?」
「レオナって。そう呼んでほしいって、言ったでしょ」
 もうすこし、怒ったところを見せるべきなのか。レオナは腰に手を当てて仁王立ちする。居心地が悪いのかルテキアは視線を逸らし、ようやく言葉を落とした。
「ですが……、その、私には」
「王女は、ここにはいないの。そうでしょう?」
 勝手な約束だったかもしれない。お願いというよりも強制に近いその言葉に、傍付きはすっかり困ってしまったようだ。
 でも、ここは王都マイアでもなければアストレアでもない。アルウェンとテレーゼはレオナたちを守ってくれるけれど、皆がそうとは限らない。白の王宮から王女が消えたという噂も、そろそろオリシスへと入ってくることだろう。だから、自分の身は自分で守らないと。そういうお願いをレオナは傍付きにする。
「それにね、できれば敬語もやめてほしいのだけど……」
「それは無理な相談です」
 きっぱりと断られてしまえばため息を吐くしかなかった。傍付きとはこういう性格の者を言うらしい。こればかりはレオナも折れるしかなく、それでもちょっとした進歩だと思うことにする。
 聖堂から鐘の音がきこえてきた。
 テレーゼの姿が見えないのはそのためで、彼女は特別ヴァルハルワ教徒というわけではなかったが、祭儀に公爵夫人が居ればオリシスの民の心も休まるのかもしれない。公爵もその妻も、けっして時間を持て合わしているわけではないから、余計にレオナはこうした時間が長く感じてしまう。幼なじみはどうしているのだろう。皆が一緒のときには彼と深く話すことができずに、けれどもそれにすこし安心をしているレオナがいる。いまはまだ、ふたりきりになるのがこわい。それが、本音。
「あっ! ルテキアと姫様だ!」
 騎士の声は大きいので、中庭を挟んだ回廊からでもよく届く。呼ばれた先では赤髪の騎士レナードが手を振っていて、その隣には弓騎士のノエルもいる。レオナは二人にもルテキアとおなじお願いをしていたものの、すっかり忘れているようだ。
「あのー、ちょっとしたお願いがあるんですけどー」
「えっ? なあに? よく、きこえないわ?」
 レオナは首を傾げる。レナードは何か頼みごとをしたいようだが、肝心のその内容まではきき取れなかった。
「あ、ちょっと、待ってください! そっち、行きますからっ!」
 声を残すなりレナードは回廊を駆け出したので、レオナはびっくりする。自分たちの他に誰もいなくてよかったと思う。騎士は明るい性格だからすぐにオリシスの人たちとも仲良くなったようで、けれどこれはさすがに怒られてしまう。
「レナード! あなたなんてことを……!」
「ちょ、っと……待って。息が、」
「ああ、もう! ノエル! どうして止めてくれなかったの?」
「そう言われてもさあ。レナードだよ? きくと思う?」
 全速力で走ってきたせいかレナードは息を切らしているし、ルテキアは年長者らしく叱っているし、遅れてきたノエルは関係ありませんみたいな顔をしている。なんだかちょっと安心した。ここはアストレアじゃなくても、皆は普段どおりだ。
「なあに? わたしにおねがいごとって?」
「ああ、そうでした……。えっと……」
 やっと顔をあげたかと思えばレナードは隣のノエルを見た。二人は何やら目顔でやり取りをして、どちらが先に切り出すかで揉めている。ルテキアが咳払いをして、ノエルがレナードを責付せつく。騎士は呼吸を整えるための息をひとつ吐いた。










 レナードたちと別れてからというもの、レオナの傍付きはずっと不機嫌なままだ。
 たしかに騎士らしくはない行動だったとは思うけれど。レオナはちらっとルテキアの横顔を見たものの、やはりまだ視線を合わせてはくれないらしい。ならば、その原因のひとつもレオナにありそうだ。
「レナードは、まだ気にしているのかな……?」
「……そうだとしても、姫様を巻き込むなんて非常識です」
「ね。ルテキア?」
 さっき約束したばかりなのにと、レオナはちょっと頬を膨らませて見せる。ルテキアは咳払いをして、また黙り込んでしまった。やっぱりまだ早いみたい。内心でため息を吐きながら、レオナは自分がどうすればよかったのかを考える。
 レナードのおねがいはすごく簡単なことだった。
 騎士はあのときのことをずっと悔やんでいるのだろう。オリシスへとたどり着く前の砂塵の街にて、不甲斐ない姿をさらけ出した自分を許せずにいるのだ。それが、いくら不意を衝かれたからといっても、騎士は騎士だ。レナードはいつも明るい性格だけれども、彼にだって矜持がある。
 それなら、わたしだっておなじだわ。
 なるべく考えないようにはしている。皆がレオナを責めたりしないから、傷つくこともないはずなのに、ときどき惨めな気持ちになるのはなぜだろうか。まもられてばかりだ、わたしは。でも、必要とされたのははじめてだった。そう。レナードはレオナの力を見て、頼ってくれている。騎士は自分の力のなさを嘆いてばかりではなかった。だからいまよりもっと強くなることを望んで、異国の剣士に教えを請うた。クライドという人はしばらくオリシスにいるというから、騎士はその時宜を逃さなかったのだ。
 ここで話が終わるならば、きっとルテキアも素直にレナードを応援していたと思う。
 けれど、騎士がレオナを必要としたのは、その力だ。クライドの強さはレオナもこの目で見たし、異国の剣士が本気で剣を見せるなら、ただでは済まない。そういうときこそ、癒すための手が要るのだと、レナードは言ってくれたのだ。幼なじみに相談するよりも前に承諾したものだから、ルテキアは余計に起こっているのかもしれない。でも、彼の意思は立派だわ。そう思ったからこそ、レオナは否定の声をしなかった。
 いつもは歩調を合わせてくれるルテキアが、今日はちょっと早くて置いて行かれそうになる。もうすこし追いつこうとしたレオナは、しかし傍付きを呼び止めた。
「まって、ルテキア」
 レオナは傍付きが振り返るその前に蹲み込んでいた。回廊の隅の、ちょうど四角となっていたそこに何かが光ったような気がしたのだ。
「どなたかの落としものでしょうか?」
「そう、みたいね」
 それは銀の鎖でできた首飾りだった。
 楕円形の中心部には美しい女性の姿が彫刻されている。裏を返すと名前らしき文字が見えるものの、擦れていて読めなかった。高価な装飾品ではなくとも、これを落とした人がいる。それならばすぐに届けてやりたいところだが、テレーゼはまだ戻らないし城主のアルウェンは多忙な人だ。
「どうしよう、ルテキア」
 執事や侍女を捕まえて託すのは簡単でも、もうすぐ夕方がはじまる時間だ。皆が忙しくしているそのときに渡しても、きっとあと回しにされてしまう。
「待ってください。あの方は……、」
「えっ……?」
 ルテキアが見つけたその人は回廊より先のちいさな庭園にいた。ここでは薔薇が見頃らしく、赤や白の他にも紫や黄色といった彩りがたくさん見える。そして、薔薇園のなかには一人の少女がいた。蜂蜜色の波打つ髪には見覚えがある。アルウェンの養女シャルロットだ。
「どうしたのかしら? 雨が、降っているのに……?」
 小一時間前から降り出した雨は次第に強くなっていた。それなのに少女は身を屈めて花壇へと手を伸ばしてみたり、また立ちあがったりを繰り返し、明らかに様子がおかしい。花の世話をするならばこんな雨のなかでなくていいはずだし、とにかく止めるべきだとレオナが一歩を踏み出したそのとき、先に動いたのはルテキアだった。
「見つけたかもしれません。探し人を」












 雨に濡れた髪や肌を丁寧に拭いて、それからあたたかいお茶を入れて、冷えた身体を温める。
 本当は着替えさせた方がよかったのに、シャルロットが固辞したのでレオナもルテキアも無理強いをしなかった。テレーゼに知られたくない、と。少女はちいさな声で落としてそれきりだ。
 いきなり驚かせてしまったことを、レオナは反省する。
 けれど、見て見ぬふりなんてできなかった。きっと少女は探しものをつづけていたはずで、そうなればもっとテレーゼを悲しませていただろう。
「じゃあ、まずは手を見せて? ちゃんと手当てしないと、ね?」
「えっ……? でも……」
 ここはアルウェンから与えられたレオナの部屋だ。何か困ったことがあれば遠慮なく言いなさい。王女の傍付きだけでは足りないだろうから、侍女を近くに控えさせる。そうアルウェンはレオナに言ってくれた。そういうわけで、この部屋には調度品は揃っているものの、薬や消毒液の類はない。
「だいじょうぶ」
 笑みを見ていくらか安心のしたのか、シャルロットはやっと手を開いた。レオナよりもちいさい手は冷え切っていて、指や甲にも切り傷がある。ずっと探しいていたのだろう。誰かに手伝って貰えば、きっとアルウェンやテレーゼにも伝わる。やさしい子だ。少女は、人に頼ることをしないのではなく、血の繋がらない両親に心配をかけたくなかったのだ。
 重ねた手と手のあいだから淡い光が溢れる。一呼吸置いて、レオナはもう一度少女に微笑んだ。
「まほう……。すごいわ。レオナさまも、魔法が使えるの?」
「そう。あなたとおなじ」
「えっ? どうして……?」
 少女はまじろぐ。
「ごめんなさいね。前に会ったときにね、あなたが持っていた本が見えたの」
「あたり、です。でも、私はまだ全然で……。司祭さまが時間が許すときに、すこしだけ教えてくださるの」
「そうだったのね。……ね、教会には毎日通っているの?」
「ううん。司祭さまたち、すごく忙しそうにしているから、邪魔にならないときだけ。私でも、お手伝いできることがあるならって。いつも母さまが、ほんとうの母さまがしていたみたいに」
 シャルロットの実母は大聖堂で働いていたのだと、テレーゼは教えてくれた。そこでレオナは思い出す。落としものと、それから雨のなかで探しものをしていた少女と。ルテキアが傍にいてくれてよかった。傍付きはレオナの視線に合わせてうなずいた。
「ね、シャルロット。あなたは、もしかしたらこれを探していたのね?」
「どうして、これを……?」
「よかった。やっぱり、そうだったのね。回廊の隅っこで見つけたの。きっと落としたひとは、困っているだろうって」
 手渡された首飾りをシャルロットは抱きしめる。瑪瑙めのうのカメオに彫刻されたその人は、少女の母親なのだろう。レオナは無意識に右の手にはめてある指環に触れていた。少女の安堵と喜びがレオナにはわかる。いまはもういない人。けれど、遺してくれた大事な形見の品だ。
「ありがとう、レオナさま。でも、私……なにもお礼なんて、できなくて」
「気にしなくて、いいの。あ、でも……」
 途中で声を止めたレオナにシャルロットはきょとんとする。
「わたしのこと、レオナって。そう呼んでほしいの。わたしもあなたのこと、ロッテって呼びたいから」
 どうしたらいいのかわからないと言った風に、シャルロットはレオナを見てルテキアを見て、それからもう一度レオナを見た。
「レオナは、ほんとうはアストレアではなくて、王都のひとなのでしょう? 王家のひとって、その……」
「はっきり言ってもいいのですよ。変わっている、と」
「もう、ルテキア!」
 言葉を誘い出そうとした傍付きにレオナが怒ると、少女はやっと笑ってくれた。きっと仲良くなれる。だから、レオナは声をつづける。
「また、おはなししましょうね。それから、司祭さまみたいに、上手にはできないかもしれないけれど、わたしすこしなら魔法も教えてあげられると思う」
「ほんとうに……?」
 藍色の瞳が星みたいにきらきらと輝いている。また勝手な約束をしてしまった。視線を感じて隣を見るものの、傍付きは何も言わずに見守ってくれている。アルウェンとテレーゼならどうだろうか。ちょっと困った顔をするかもしれない。けれど、二人とも許してくれる。このやさしい少女の笑みを見て、レオナはそう思った。


Copyright(C)2014 asakura All rights reserved.designed by flower&clover
inserted by FC2 system