三章 微笑みと、約束と、笑顔と

王女の顔

「これはレオナ殿下、お待ちしておりましたぞ。ともあれ、ご無事で何よりです」
 ねっとりとした不快で耳障りな声だった。レオナはその男を見つめる。四角い顔でとりわけ目立っているのは鷲鼻だ。目も唇の形もいびつで、作っている笑みがとにかく気持ちが悪い。それに顎を覆う不衛生な髭。これが、騎士なのだろうか。しかしレオナをここへと導いた若い騎士は、男の前で騎士の挙止をした。そうして、レオナとこの男を残して部屋から出て行った。
 レオナは意識して呼吸を整える。
 いいえ、ちがう。連れて来られたんじゃない。連れて行くようにと命じたのは、このわたしだ。
 城塞都市ガレリア。南のイレスダートと北の敵国ルドラスとの国境にあるその都市を守るため、幼なじみは王命に応じた。彼のの上官だったのがこの男、ランドルフだ。幼なじみはガレリア遠征のことをほとんど話してはくれなかった。彼にだって、話したくないことのひとつやふたつあるだろうと、そのときは思った。その理由がいまわかった。
 カウチへと座るように促されたものの、レオナはそれを無視する。
「あなた方がしているのは、侵略です」
 それらしい声を作ったつもりでも、声が震えないようにするだけで精一杯だった。見抜かれているのだろうか。男は表情を変えない。
「サリタは、自由都市です。他国の介入など、認められてはいません。それが……イレスダートであっても。それなのにあなた方は、武力を酷使してこの街にいる。その意味が、おわかりですか?」
 姉のソニアならば、あるいはアストレアのエレノアならばもっと強い言葉を使う。剣や魔力を用いて戦うことだけがたたかいではない。きっと、二人ならそう言う。
「ほう? 殿下は我々が侵略を行っていると、そう仰るのですな?」
 ランドルフは顎を触りながら言う。
「侵略でなければ、何だと言うのです?」
 この街には王都マイアの騎士がいる。威嚇のためなどと、言い訳はさせない。彼らは子どもたちを泣かせて、デューイとマザーを傷つけた。
「これはなかなかに手厳しいお言葉だ。しかしながら、我々に命じたのは他でもない殿下の兄君だというのを、お忘れなく」
「黙りなさい」
 どうにも芝居掛かった声をするのがこの男の癖らしい。相手を小娘だと軽んじているから、最初からまともに相手をするつもりもないのだ。そうはいかない。レオナはイレスダートの王女だ。
「あなたは、直接王の声をきいたのですか? 白の間で、アナクレオンの目を見ましたか?」
 これにはランドルフも黙する。白の王宮の最奥、その白の間が開かれているときは限られている。そこへと足を踏み入れることが許されているのは、わずかな者だけだ。
「殿下の仰るとおりです。とはいえ、ガレリアにて元老院殿の声をきいたのも、また偽りない事実でございます。そうでなければ、ここに我々はおりますまい」
「それが、王命とは異なる声であっても、ですか?」
「まさか! この下命が国王陛下のお言葉ではないと、疑うはずもございません。我々は王都マイアが騎士であります。主君に異を唱えるなどあってはならないこと。……しかし、」
 ランドルフは大仰な仕草を持ってつづける。
慮外りょがいながら申しあげます。殿下がそこまでおっしゃるのは、兄君を信じたくない理由があるのでしょう?」
「……っ!」
 痛いところを突かれた。とっさに声を紡げなかったレオナにランドルフは底意地の悪い笑みをする。まったく、世間知らずの姫君だ。レオナは男の目の奥に嘲笑の色を見た。
「ふむ。殿下は何もご存じないのですなあ。そもそも、サリタはイレスダートにとっても重要な拠点なのです。きけばこの街の市長は自由を名目によその国との接触を図っているとか。となれば、いずれは我がイレスダートの敵となりましょうぞ」
「敵、など……。だからと言って、力で押さえつけるつもりですか?」
「それはいささか乱暴な物言いですな。我々はあくまで交渉をつづけているつもりですぞ? それに……」
 ランドルフは窓の外を見る。
「この街は危険だ。殿下を無事に保護できて安堵しております。ですから、もうよろしいでしょう? 家出ごっこをつづけるのは」
「なん、ですって?」
 挑発だ。わかっているのに声が引き攣り、否定の言葉で返せなくなる。同情のつもりなのだろうか。ランドルフの声音が急に変わった。
「おかわいそうに。殿下は聖騎士に騙されているのです。さあ、もうよろしいではありませんか? 国王陛下も心を痛めておいでです。殿下は一刻も早く、王都にお戻りになるべきだ」
 そのつもりだ。けれど、これでは何の意味もない。この男は幼なじみをまだ探しているし、サリタから退く気もないのだ。どの口が王女を保護したなどと言うのだろう。あのとき孤児院に押しかけて来た騎士たちは、レオナの顔を知りもしなかった。
 どうすれば守れるのか。レオナはここに来るまでそればかり考えていた。自分はこれまでずっと守られてきた。幼なじみはきっと、これからもレオナを守ってくれる。でも、そうじゃない。レオナにしかできないことがあるはずだ。
「いいえ」
 否定をどう伝えるべきか、レオナは次に出す声を必死に探していた。どの言葉を使えば彼を危険から回避させられるのか、何を述べれば彼を救えるのか。幼なじみというのは変えようもない事実、いまさら関わりがないなどと、あからさまな嘘は逆効果だ。では、それを使えばいい。レオナはにっこりと微笑む。
「利用していたのはこのわたし。彼は、関係ないわ」
「ほう?」
 男の目に嗤笑《ししょう》以外の色が見えた。
「アストレアの公子、ですって? 幼なじみだとしても、ただの臣下にすぎないのよ。《《家出ごっこ》》に付き合わせたの。わかるでしょう? 彼には何も関係ない」
 レオナは幼なじみの性格をよく知っているし、ランドルフもまたガレリアで彼を見てきたはずだ。ランドルフが顎髭をしごいている。この男は何か考えながら物を言うときにこの仕草をする。
「殿下はおやさしい方だ。あくまで聖騎士を庇われるおつもりですな」
「きこえなかったの? 彼は、無関係よ。罪に問われるのなら、このわたし」
 そうだ。そもそものはじまりは、レオナがガレリアに来てしまったから、ブレイヴは城塞都市を脱出する他なかったのだ。この男はどこまで知っているのだろう。それに、元老院は――。
 兄王と仲違いにより王女は王都マイアを離れた。白の王宮内では《《そういうこと》》になっているのかもしれない。それならば、好都合だ。
「兄上から離れたかったのも、ほんとうよ。それなのに、あなた方はアストレアに押し入った。わたしは王都に帰りたくなかったの。だから、彼は……アストレアから逃げるしかなかった」
 嘘ごとを重ねるたびに胸が傷んだ。でも、これがレオナが選んだ道だ。後ろめたさを感じなくてもいい。レオナは自分に言いきかせる。
「はっきり言って迷惑なのよ。こんなに付け回されるなんて、もううんざり。彼だって、おなじだわ。巻き込んだのは、わたし」
 アストレアを追われて、オリシスに逃れたのも王女の存在を隠すため、いわば彼は被害者なのだ。そういう目を、レオナはする。この男が真に無能でなければ言葉くらいは通じるだろう。
「それも、もうおしまいね。あなたの言葉には従います」
 声を変えて、レオナは王女の顔を作る。
「ですが、その前に……やはりこの行いを見過ごすわけには、いかない。わたしは、イレスダートの王女です。これ以上、この街での武力行為は許しません。サリタから兵を退かせなさい。これは、命令です」
 咎めを受ける覚悟でいる。けれど、それは王都に戻ってからの話だ。きっともう自由はなくなるだろう。嘆かなくてもいい。悲しまなくてもいい。レオナは自分へと言いきかせる。そうだ。あるべき場所へと、白の王宮の箱庭へと戻るだけだ。
 ランドルフはレオナの声が終わるまでずっと黙っていた。その沈黙が却って不気味だった。
「どちらも受け入れるわけにはまいりませんなあ」
「王女の声を、きけないと言うのですか?」
「困ったお方だ」
 子どもの相手をずっとして疲れたときのように、男は大きくため息を吐く。
「殿下はその目で見てきたのではないのですか? あれは叛逆者だ」
「ブレイヴがなにをしたと言うの?」
 声が、震える。この男はレオナたちがなぜイレスダートではなく、そこより外のサリタまで落ち延びたのかを知っている。
「オリシス公暗殺に聖騎士が関わっていないと言うのなら、逃げる必要などなかったはずだ」
 どうして、と。レオナは口のなかでつぶやく。アルウェンの訃報が王都へと届けられていたとしても、たった数日では不可能だ。なによりも、この男の耳に入っているのはおかしい。
「サリタの民も不安がっているのですよ。我々には王命に従う義務があり、同時にサリタの民を守らなければならない」
 密告者がいたのかもしれない。ブレイヴも彼の麾下ジークもずっと警戒しつづけていた。レオナは口内を噛む。どちらにしても、もう遅い。せめて彼らが逃げる時間くらいは稼がなければ――。けれども、レオナは次の声が紡げなかった。男の目がぞっとするほどに冷えていた。
「レオナ殿下にはすこし時間が必要のようだ。まずはゆっくりとお休みになってはいかがかな?」
 悼む心すらないくせに。レオナはそっと瞼を閉じる。涙など、絶対に見せたくはなかった。









「だから困ると言ったでしょう? こんな面倒ばかりを増やされては」
 日付が変わる時間でも市長はまだ執務室に籠もっていた。事前の約束もなしに来客が訪れるのも想定内だと言わんばかりの顔をしている。
「まったく良い迷惑ですよ。こちらとしては早くサリタから出て行ってもらいたいのですがね、皆様方には」
 まるで他人事のように物を言う。ディアスは失笑しそうになった。
「けれど、聖騎士の存在をあれに伝えたのはあなただろう?」
 羊皮紙に視線をおろしていた市長の目が、はじめてこちらに向いた。控えていた老爺《ろうや》が目を剥く。なんと無礼な! 言い掛かりも甚だしい。秘書がいかり出すより先に市長は片手をあげる。
「イレスダートの聖騎士様に王女様。私どもには何の関わりもない方々ですからねえ」
 悪びれた様子など一切見せないのがこの男らしい。自分が書いた筋書きどおりに事が運んでいるとでも思っているのだろうか。市長は知らない。イレスダートの聖騎士の性格も姫君のことも。まったく関係のない人間だからこそ知ろうとも思わない。勝手に争って早々に出て行けと、そういうつもりでいる。
 存外、甘い人間なんだな。ディアスは市長を過大評価もしていなければ過小評価もしていなかった。これから起こるのはサリタの住民をも巻き込むというのに、余所事のような顔でいる。好都合だ。ディアスはわざとそんな笑みを作る。
「だったら、まとめて追い出せばいい」
「なんですって?」
 赤い悪魔の異名を知っていたくらいだ。市長はディアスが聖騎士や姫君の幼なじみだということくらい把握しているはずだし、どちらに味方するくらいはわかっている。王命によりサリタに接触しようとしているディアス自身も、この市長は邪魔に思っているのだ。まとめてサリタから出て行ってもらえるなら、これほど都合の良いものはない。
「簡単だ。市民をまず焚き付ければ良い。この街の人間は聖騎士だろうと国王だろうと興味も関心もないのだろう? 混乱はすぐに起きる」
「おそろしいことを平気で言いますね、あなたは」
 これは、駆け引きではない。しかし、この市長ならば乗るとディアスは確信しているからこそ、声にする。
「失敗すれば姫君はともかく聖騎士は助かりませんね。良いお友達を持ったことだ」
「ここで死ぬような人間なら、最初から聖騎士になんてなっていない」
 市長は丸眼鏡を通してディアスの本心を探ろうとする。別に何も偽ってはいない。いつまでも狐の相手をするつもりもないし、こちらも時間は惜しいのだ。
「いいでしょう。乗って差しあげますよ。ああ、勘違いなさらないでください。別に貸し借りはなしです」
「ああ。そのつもりだ」
 どちらともなく笑みを作っていた。共犯者のする笑みだった。
 


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