三章 微笑みと、約束と、笑顔と

やくそく

 古くから商業都市として栄えてきたサリタの街には、露天商のみならずさまざまな商店が軒を連ねている。そのなかから薬草を取り扱う店を探すだけでも苦労するし、治療薬となればなおさらだ。
 レオナの傍付きは二度止める声をしたものの、三回目はきこえなかった。
 こうなってしまってはどんな言葉も届かない。広いサリタの街で世間知らずの姫君を放っておくわけにもいかずに、ルテキアも店探しを手伝ってくれる。堅物の騎士もレオナのおねがいには弱いのだ。
 木棚には乱雑に瓶が置かれている。そのうちのひとつでも取り出そうものならすぐ崩れてしまいそうで、うかつには触れない。籠一杯に入っているのは薬草なのか、それとも香草なのか。床のそこここにも大きな樽があり、乾いた木の実や草などが詰め込まれている。のぞいてみようにもとにかく室内が暗いので、それが何の薬草であるのか見分けがつかない。陽光を遮っているのは変色を防ぐためだろうか。
 それにしても、と。レオナは店内を見回す。他に客は二、三人ほど、店主はなじみの客らしき老爺と話し込んでいる。本気で売るつもりがあるのか、それともないのか。店内へと入ってきたレオナを、眼鏡の店主は値踏みするような目つきで見た。一目で余所者だと看破したらしい。それでも、レオナは眼鏡の店主がなじみ客とひそひそ話をする前に、薬のことをきく。はて? そのような病に効く薬がありましたかな? 眼鏡の店主はぐるりと店内を見回す。視線は右の端で止まり、店主は思い出したかのようにぽんと手を打った。
 ああ、そうでした。あのあたりにたしか緑の薬草が。そうはいうもの、どれもおなじ色をしている。辟易した傍付きが勝手に探しはじめたので、レオナもそれに倣う。眼鏡の店主と老爺はもうお喋りに戻っていた。
「ルテキアは薬にくわしいのね」
「いえ……。しかし、見当はついています。ハイトの葉は熱を下げる効能がありますし、クカの実は呼吸が楽になるはずです」
 言葉とは裏腹に、レオナの知らない単語をすらすらと唱えてゆく。博識なところもあるものだと、レオナが感心していると傍付きは苦笑した。
「受け売りです。知人が薬学に明るい人でしたので。ですが、名はわかっていても、私にはどれがそれであるのか判断がつきかねます」
「十分よ。ともかく、もういちど店主と話してみましょう」
 レオナは眼鏡の店主を呼んだ。店主は大儀そうに椅子から降りて、レオナとルテキアを順番に見た。
「あの、わたしたちハイトの葉とクカの実を探しているの」
「ほほう、ハイトの葉とクカの実ですな」
 眼鏡の店主はレオナの声を鸚鵡返しする。
「友人がとても苦しんでいるの。どうにか助けてあげたくて」
「ほう、さようでございましたか。もちろん、当店でも扱っておりますよ」
「よかった。それを……、そうねひと月分、くださらない?」
「もちろんですとも。しかしですなあ、失礼ながらお客さまは当店ではじめての方。でしたら、先にお代を頂かねばなりませんなあ」
 なるほど。商人とはしたたかでなければ務まらない職業のようだ。レオナは内心で戸惑いつつも、目顔でつづきをうながす。
「なにぶん、貴重な薬ですからねえ。ハイトの葉とクカの実がひと月分ですな。それでしたら、金貨が五枚。ご用意頂けますな?」
「なんだと……?」
 身を乗り出すようにして、声を荒らげたのはルテキアだ。あまりの剣幕にレオナはびっくりしてしまった。いつも冷静でいる傍付きにはめずらしく、となると違法な金額を求められているのはたしかだろう。レオナは呼吸を落ち着かせる。幼なじみならば、こんなときにどうするのか。売り買いの交渉などこれまで経験になかったが、けれども足元を見られているのはレオナにだってわかる。この街ではレオナは余所者だし、イレスダートの貴人だと眼鏡の店主は見破っている。となれば、多少上乗せしたところでこの街のルールとして最後は受け入れると、眼鏡の店主はそう思っているのかもしれない。
 すぐに出ましょう。傍付きはレオナにだけ届く声でそう言った。でも、と。レオナは傍付きを引き留める。これから他の店を探すのは時間がかかるし、きっと余所でもおなじものを求められる。ルテキアの顔は怒っているというよりも困っているようにレオナには見えた。金貨が五枚。傍付きはもとより、幼なじみや麾下のジークだってそんな大金は持ち合わせていないのだ。
 ここで引きさがるのが、本当にただしいのだろうか。
 レオナは自身の右手に触れる。薬指には銀の指環があった。これはレオナが五年前からずっと身に付けていて、母が唯一レオナに残してくれたものだった。
「では、これと引き換えに、売って頂けますか?」
 レオナは薬指から指環を引き抜くと、店主の手のひらに載せた。精巧な銀で作られた指環には祈りの言葉が刻まれている。愛する者を守るための神聖なる刻印だ。
「いけません! レオナ、それはあなたの……」
「いいの。おかあさまも、きっと許してくださるわ」
 名残は惜しい。それが本音だ。でも、こうする他に良い案が生まれてくるわけでもないのなら、レオナは迷わない。
「はあ、なるほど。これはこれは……」
 眼鏡の店主は奥の小棚からルーペを取り出して品定めをはじめた。店主のなじみ客である老爺も一緒になってのぞきこむ。これはなんと美しい。やや、これはただの指環ではありますまい。これはもしや、王家の。いやいや、まさかまさか。ふたりはこそこそ話をはじめる。待っている時間がもどかしくてたまらない。本当ならば値が付けられない価値のある指環だ。金貨が五枚、いやお釣りは十分に返って来るはず、レオナは薬指を撫ぜる。これでいいんだ。そうして自分へと言いきかせる。オリシスから逃れてきたものの、ほとんど身ひとつでここまで来た。この先にだってお金は必要となるし、そうなったときにレオナに手放せるものはこの指環しかなかった。遅いか早いかのどちらだけ。きっと、幼なじみもわかってくれる。
「ねえ、まだかしら? わたしたち、急いでいるの」
 これ以上は待てない。眼鏡の店主と老爺が同時に振り向いて、笑みを見せた。交渉成立ということだ。
「だめです、レオナ。考え直してください」
 諌言と言うよりは懇願のような声だった。レオナは傍付きの目を見ない。そうすれば決意が鈍ってしまうような気がした。いいの。わたしには、他になにもないもの。レオナは眼鏡の店主へと近づく。そのとき、だった。
「待ってください」
 レオナを止めたのは知らない声だった。白い長衣ローブを纏った青髪の少年。二組いた客のなかの一人だ。
「その薬でしたら、僕が持っています」
 レオナはまじろぐ。ちょうど背の丈はレオナとおなじくらい、彼はレオナの前に来てにっこりとする。利発そうな少年だ。物言いもずいぶんしっかりしている。
「ですから、その指環を手放すことはありません」
「えっ、でも……」
「大丈夫。僕に任せてください」
 そう言うと、少年は眼鏡の店主のところへとずんずん進んで行く。学者か、それとも医者か。巡礼者に見えなかったのは少年が実に堂々としているからだ。
「だめですよ、余所者だからって騙したりしては」
「な、なんのこと、でしょうか?」
「ほら、ちゃんと見てください。ここの薬草たちはちっとも元気がありませんね。それに、ハイトの葉もクカの実だって、そんなに高価な薬ではないでしょう?」
 店主は眼鏡を取り外して拭きだした。そんなことをしても、もう騙せない。少年はそういう目顔をする。
「では、これは返していただきますね」
 さっと眼鏡の店主の手から指環を取りあげると、少年はレオナのところへと戻ってきた。
「大事なもの、なのでしょう? 今度はもう、手放してはだめですよ」
「え、ええ……。ごめんなさい。ありがとう」
 自分の手元に返ってきた指環を守るように手で包みこみながら、レオナは口のなかでもう一度感謝を告げる。少年のうしろで眼鏡の店主はぽかんと口を開けて、老爺はくすくす笑っている。
「ほんとうに、ありがとう」
 涙が込みあげてきた。大切な母の形見。それが返ってきたことへの安堵、そして自らの愚かさに。傍付きが黙ったままでいるのは、そんなレオナに呆れてしまったからだろうか。しかしルテキアが見ているのはレオナではなく、少年の方だ。
「あなたは……」
 呼ばれて、青髪の少年は顔をあげる。
「あなたは、アステアね?」
「ああ、やっぱり。ルテキアさん、ですね?」
 二人は互いをたしかめあうような声をした。









 
 孤児院の寝台の数は限られているため、子どもたちはみんな一緒の部屋で寝る。男の子も女の子もおなじところだ。一人部屋は三つしかないのでそのひとつはマザーが使っていて客人用の部屋はシャルロットが、最後のひとつはキリルがいる部屋だ。
 栗毛の幼い少年はあれからずっと眠ったままだった。
 レオナがふたたびここを訪れたとき、キリルの傍にはマザーとルロイがいた。いきなりの来客にもマザーは驚きもせずに、やさしい笑みで迎えてくれる。ルロイはすこし眠っていたのかもしれない。まだ眠たそうにしている。
「突然お邪魔して申しわけありません。僕はアステア。アストレアの魔道士です」
 アストレア。思わぬ地名が出てきてレオナはまじろぐ。そうか。だからルテキアとこの魔道士の少年は顔見知りだったのだ。アステアの長い青髪とルテキアの青髪は、幼なじみの青髪よりももうすこし緑掛かっている色だ。イレスダートで青髪はめずらしくはないけれど、アストレアではもっとそうだった。
「専門とまでいきませんが、医学をすこし学んでいます。この子の症状も見てわかります」
 アステアは微笑んだものの、マザーは気まずそうに視線をおろした。
「薬は日頃から持ち歩いていますので、ちょうどよかったです。すこしここに置いていきますから、この子に与えてあげてください」
「は、はい……」
 マザーはうなずく。そこで台所からルテキアが戻ってきた。
「まず、このハイトの葉を煎じて飲ませてください。子どもにはちょっと苦いかもしれませんね。木苺のジャムがあってよかった」
 アステアはルテキアからお湯を受け取ると、そのなかに木苺のジャムをほんのすこし落とす。冷めるのを待つあいだに次はクカの実をすり潰す。こちらは甘いにおいがした。
「どちらも一日に三回ずつ、ぬるま湯と一緒に飲ませてください。熱は二日あればさがるでしょうし、その頃には咳もだいぶ落ち着くはずです」
 それから、アステアは大きな鞄から布袋を取り出した。なかに入っていたのは丸剤だ。
「これは……」
「ああ、ご存じでしたか。そうです。この子の病は呼吸器が原因ではなく、脳によるものです。でも心配は要りません。ロブリンの薬は特効薬として必ず効きます。子どもであればひと月もすれば、他の子みたいに元気になりますよ」
 湯が冷めてきた頃だろうか。アステアはキリルのちいさい身体を抱き起こした。ずいぶんと手慣れている。眠っているキリルもむずがったりせずに、ぜんぶ飲み干した。
「本当にありがとうございます。なんて、お礼を言えばいいのか……。ですが、わたくしには、あなたにお渡しするものが」
「お金は要りませんよ」
「しかし」
 アステアはまず笑みでマザーの声を遮る。
「ハイトの木はイレスダートの森に群生していますし、クカの実だってたくさん実っています。サリタでは高価に扱われているのかもしれませんが、アストレアでは簡単に手に入ります」
 それに、とアステアはつづける。
「薬はこういうときのために、多めに持ち歩いているんです。ですから、気にしないでくださいね」
 マザーは深くお辞儀をしたあとに、眼鏡を取り外して目元を拭った。ほとんど手入れがされていない白金の髪の毛に薄藍の瞳、年相応に置いていてもマザーは美しかった。もとは良家の家の娘であったのかもしれない。そう思わせるくらいに。
「ねえ……、キリルは? キリルは、良くなったの?」
 ルロイがマザーのスカートを引っ張る。これまで大人しくしていたのはむずかしい話を理解していなかったのだろう。マザーは声がうまく出てこないようだ。するとアステアがルロイの前でかがみ込む。
「きみが、この子のお兄さんだね?」
 ルロイがこくりとうなずく。
「そう……。弟をちゃんと守っていて、えらいね」
「熱も咳も、もう出たりしない? 目も……見えるようになる?」
 今度はアステアがうなずいた。
「おれ、やくそくしたんだ。キリルと。元気になって、目もちゃんと見えるようになって。それからおとなになったら……いつか、サリタを出ようって」
「そうだね。きっと、その約束は叶うよ」
 アステアはルロイの栗毛をやさしく撫でた。子どもはすこしくすぐったそうにして、でもちゃんと本当の笑顔で笑った。はじめて見る顔だった。
「お、おれ……っ、ほかのみんなに知らせてくる!」
 いても立ってもいられなくなったのか、ルロイは部屋を飛び出して行った。残された皆は笑い合って、そうしてレオナも子どものあとを追った。まだちゃんと話せていない。ルロイと本音で向き合う時間がほしかったのだ。
 レオナが部屋を出てあと、ルロイは廊下で尻餅をついていた。子どもの前には赤髪の青年がいる。
「うわっ、デューイだ」
「お前なあ、礼も言わずに出てきただろ?」
 デューイはルロイのちいさい身体を持ち上げようとしたものの、子どもは上手くすり抜けた。
「そ、そんなの、あとでするよっ!」
「いいや、だめだ。それにレオナにも礼を言わなきゃな。謝ってもいないだろ? お前」
「う、うるさいなあ! デューイのくせにっ!」
 これにはさすがに拳骨が落ちた。ルロイは頭をさすりながら、仕方なくといったようにこっちを振り返る。なんだかおかしくなって、レオナは笑ってしまった。なんだよう。そんな顔をする子どもにレオナは目線を合わせる。
「ね、なかなおりしよう?」
「お、おれはわるくない」
「うん、そうだね。でも、このままはいやなの」
「どこかに行ってしまうのか?」
 子どもは敏感だ。純粋で偽りのない目がレオナを見つめている。
「もう、会えないの?」
 どうこたえるのが正解だろう。どんな言葉も嘘みたいな気がしてレオナはルロイを抱きしめた。びっくりして子どもはレオナの腕から逃げだそうとしたものの、しばらくして大人しくなった。
「ねえ、わたしともやくそく、しよう? もう悪いことはしないって」
 声は返ってこなかったけれど、ルロイはレオナを抱きしめ返してくれた。子どもの体温はあったかくて、離れてしまうのがちょっと名残惜しかった。
「おれ、いつかレオナにも会いに行くよ。キリルもいっしょに」
 台所へとルロイが走って行く。部屋に戻ろうとしたとき、デューイはなんだか気まずそうに頭を掻いていた。
「あのさ、謝らなきゃいけないのは俺の方なんだよ」
「え……?」
「ごめん。あんたたちの事情も何も知らずに勝手なこと言った」
 そんなこと気にしなくてもいいのに。デューイが余所者のレオナたちを警戒するのは当然だ。でも、デューイはまだ自分に納得していないかのかもしれない。
「あのさ、あんたたちはアストレアの関係者なんだろ?」
「どうして?」
 偽るべきなのだろうか。でも、デューイはきっと何かに気づいている。
「あの魔道士の坊やがそう言ってたから。じゃあ、ここに公子が……アストレアの聖騎士がいるってのも、本当なんだな?」
 心臓が大きく高鳴る。逃げられない。ルテキアを呼ぶべきでも、声が出てこなかった。レオナは一歩うしろへと引きさがる。その腕をデューイが掴む。
「待ってくれ。俺は別に、あんたたちを売るわけじゃない。でも、もう奴らは勘づいてる。早くどこかに逃げた方がいい」
「やつら、って」
「サリタは貧しい浮浪者でいっぱいなんだよ。そういう奴らは情報が早い。きっともう、イレスダートの騎士たちにも伝わってる」
「なんですって……?」
 追っ手が来る前にサリタを出なければなりません。幼なじみの麾下ジークはそう言った。シャルロットの回復次第そうするつもりだった。しかし、それすら時間は残っていないのかもしれない。震えが止まらない。どうかこれ以上悪いことが起こりませんように。そんなささやかな祈りも、願いさえも届かない。
 


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