二章 アストレアに咲く花

歴史を人の手に取り戻す

 影とは光を遮るものであり、陰とは光とは対照のものである。
 表舞台からは遠い場所で存在し、暗の存在としてありつづける。たとえば、その存在を疎まれようとも、揶揄されようとも、認められずとも、彼らには関係がない。なぜならば、彼らにはそれだけの地位と力があるからだ。 
 民は彼らを元老院と呼ばわる。王に助言を与える機関として、イレスダートのいつの時代にも欠かせなかったそれを民は神聖とするか、あるいは畏怖を抱くのか。反応はそれぞれだろう。
 イレスダートは長きにわたって戦争をしている。北の敵国ルドラスとの和平を声高に訴える者などいない。いまだに安定しない情勢に、民はいつも不安と不満を募らせる。英邁な君主の庇護下にあっても、人々は自分たちの生活が脅かされることに怯えるものだ。愚かな民を導くのはじつにたやすい。彼らは、甘美な声をもって囁く。時の王を支えて、助言し、または運命をともにするのが元老院の本来の姿である。しかし、現在いまの彼らの姿はどうか。イレスダートの玉座にいるだけの王が存在していたのもまた事実、だからこそ名のある騎士などは彼らをことに嫌悪する。彼らを憂虞ゆうぐするのも自然な感情だろう。
 だが、他の大貴族たちはもっと慎重に構える。それこそ、すこし前などは表立って国王派と元老院派という派閥ができていたくらいだ。彼らはもはや影と呼べる存在ではないのかもしれない。白の王宮を意のままに操り、騎士団を動かせる。王権を制圧して軍事権を得たあとに、彼らが望むのは何か。要人たちは一堂に会する
「それで? 事は上手く進んでいるのか?」
 鴨肉のソテーを味わっていた男が、こう切り出した。長机には羊肉や白身魚のフライにレンズ豆の煮込みが並び、他にも卵料理や焼きたてのバケットが次から次へと運ばれている。果実酒は白と赤の数種類が用意されていて、そのうち蒸留酒を頼む者もいる。会食はこうしてなごやかに進むのだが、彼らの話題はそのうちにひとつへとたどり着く。 
「ご安心ください。首尾は上々でございます」
 応じる声は最初の声よりもずいぶんと若い。病死した父親に代わって爵位を継いだ青年貴族で、ここでは新参者の扱いだ。撫でつけた青髪に、切れ長の双眸が特徴的な青年貴族はいかにも自信たっぷりといった相好をする。 
「そう上手くいきますかな?」
 物言いは丁寧だが、声色は威厳に満ちていた。初老の侯爵はイレスダートの大貴族の一人だ。主食を食べ終えたのか不織布で口を拭っている。
「同意見する。あまり派手に動けば、すべてが台無しとなるぞ」
 初老の侯爵につづいたのは壮年の貴人だ。侍女を呼び止めてパンとスープのお代わりを申しつけている。青年貴族は気色ばんだものの、年長者たちの声には従うしかなかった。その横で葡萄酒をたのしんでいた黒髪の男が青年に酒を勧めるが、彼は黙って腰をおろした。不貞腐れているのだろう。黒髪の男が微笑する。
「されど、皆様方もすでにご存じでしょう? 消えた王女が、どういうわけかアストレアにいたことを」
 執事や侍女も、食事をたのしむ要人たちも、誰一人として動きを止めなかった。それほどに自然に吐かれた言葉は、しかし一人の伯爵の表情を曇らせた。 
「それは、たしかなのですか? なにかの間違いということは、」
「真偽をたしかめるべく、我が騎士団が動いております」
 黒髪の男は侍女が注いだ葡萄酒を一気に飲み干した。生まれた年に作られた葡萄酒がずいぶんと気に入ったらしい。これは三杯目だった。
「ローズ伯のご息女は白騎士団に所属しておりましたな? ああ、わかりますとも。彼は、ご息女とおなじ聖騎士ですから、他人事とは思えないのでしょう」
「私が案じているのは、そのようなことではありません」
 ローズ伯と呼ばれた男が反論をする。
「アストレアの公子は実直な人柄だときいております。しかし、私が申しあげたいのはそうではありません。過程や結果を問題にしているのではないのです。彼が、なぜそのような行動を起こしたのか。その理由が気になるのです」
 ざわめきはそれまで会話に加わっていない者からもきこえた。失笑、あるいはため息。どちらにしてもローズ伯爵に同情しているのだろう。気の毒そうに見つめる者がいても黙したまま、ここで国王側に付く者などごくわずかだ。
「すこし落ち着かれてはいかがかな? ローズ伯爵。しばらく夜風に当たれば酔いも醒めよう」
「私は酒など一口も飲んでおりませんし、いたって冷静です。節度を保つべきは、皆様方ではありませんか。あなた方の物言いは苛烈すぎる」
 ローズ伯爵に援護射撃するのは初老の侯爵だったが、それは思わぬ反撃だったらしい。普段は温厚な好々爺がグラスを床へとたたきつけた。侍女たちは悲鳴をあげて、割り込む隙がなかった青年貴族も青ざめている。居心地が悪そうに座っている者もいれば、苦笑する者もいる。
「過ぎたことを申しました。お許しください。ですが……、」
「もう良いではありませんか。ローズ伯」
「いいえ。公子と王女は幼なじみです。他に縁者もいない殿下が親しき者を頼ることに、何の疑念がありましょう?」
「ならば、何故公としない? それこそアストレアが虚偽を重ねている証拠ではないのか?」
 それは、と。そこでローズ伯の唇が閉じる。伯爵は違和を口に出しているだけで、他の者のようにはじめから決めつけてはいなかった。しかし、その指摘は的を射ている。王命ではないからこそ、彼らは疑う。元老院の与り知らぬところで事が動いているのならば、それこそ叛逆の意思と見做す。
「すべては、イレスダートのためだ」
 皆の視線が一斉にそこへと向いた。老者はこれまでのくだりを見ていただけだが、彼らの声をきき漏らしてはいなかった。
 彼らは等しく白の法衣を身に纏っている。特殊な技法を用いて、特別な魔法が込められた法衣は神聖な存在の象徴だ。彼らは白をことに好み、まるで己が王のように振る舞う。このなかで老者は最年長であった。皆は健康そうな肌艶をしているのに対して老者はひどく痩せていて、落ち窪んだ眼窩からのぞく瞳は闇のように深く、そして冷たい色をしていた。
「我らは一刻も早く、北との戦争を終わらせねばならない。多少なりとも犠牲は必要となろう」
「アストレアを代価となさるおつもりですか?」
「ローズ伯! 無礼であろう!」
 怒号する壮年の貴人を老者は片手をあげて制する。
「公爵家はそのために在る。なあに、案じることはない。奴らは王家のために命を惜しまぬ」
「では、より多くの駒が必要となりますね」
 黒髪の男が老者の声を引き継ぐ。
「ムスタールのヘルムートは扱いやすいですが、オリシスのアルウェンは厄介ですなあ」
「それも問題はなかろう。聖騎士はすでにオリシスにいる」
「なるほど、手の内にあるというわけですね」
 彼らにとっては公爵家の要人すらチェスの駒に過ぎない。老者の言葉に彼らは安堵の息を吐いた。だが、そこには愁いに沈む者がいる。
「レオナ殿下に危険が及ぶことはございませんね? あの方はイレスダートにて唯一の、」
「如何様にも使い道はある。あれは、ドラグナーだ。とはいえど、我が民は竜の力など必要としていない。これまでどおり、大人しくして頂こう」
 マイア王家は竜の末裔の一族だ。その血をもっとも濃く受け継いだのがかの王女だが、しかしあれは側室の子である。イレスダートが竜の加護を受けた聖王国だと信ずるは、御伽話をねだる子どもだけで大人はもっと現実を見ている。イレスダートに安寧をもたらす存在ならば、とうに戦争など終わっている。
 ゆえに、老者はそれを否定する。もはや竜の力など失われたも同然で、すなわち王家の力は弱まっていることを。そして残るのは、一人だけ――。
 さあて。どうやってそこから引き摺りおろすか。老者は笑む。彼らは食事へと戻っていた。葡萄酒の入ったグラスを高く掲げて乾杯をする。ずいぶんと早い祝杯だ。だが、彼らは確信している。酒の力など借りずとも良い。すべてが滞りなく進んでいて、この運命が誰の手にも渡らないことを、疑わずにいる。老者は皆をそこへと導くだけだ。
 とはいえ、アナクレオンは手強い相手となろう。元老院の傀儡同然だった前王アズウェルのようにはいかないと、老者は考える。けれども、彼らにとってそれさえも杞憂に過ぎない。駒はすでにそろっている。あとは、蛮族が瀰漫びまんする北の国を手に入れさえすれば、この国はようやく安息を得るはずだ。
 そうだ。取り戻さなければならない。古き竜の国などもはや幻想である。歴史が人の手に戻るそのときこそ、イレスダートに新たな時代が訪れるだろう。
 

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