一章 イレスダートの聖騎士

銀の騎士ランスロット

 森の奥へとさらに進んでいけばすべての謎がようやく解けた。
 ブレイヴは呼吸をもっと深くする。表情には驚きを描かなかったつもりでもルドラスの騎士はそれを見ていたようで、唇には笑みの形が見えた。なかなか面白い人物のようだ。敵ではなく、おなじイレスダート人であれば冗談のひとつでも交わせた仲になったかもしれない。
 ルドラスの森と霧が隠していた集落は街と呼ぶにはあまりに仰々しく、砦と名付けるにはちいさいもので、ガレリアの三分の一ほどといったところだった。ブレイヴは身体の異変のひとつを見逃さないようにと神経を使っている。魔力を宿さずに生まれたブレイヴには、それを感知するのはけっして容易ではない。従者のふたりもおなじくそれで、この霧が自然現象であるか、あるいは魔の力によるものか判別がつかないのだ。こんなものが森のなかに存在していたという事実だけでもガレリアにとって、いやイレスダートには脅威であり、けれどもブレイヴは恐怖や焦りといった感情を覚えてはいなかった。たしかにここはイレスダートにとって危険ではあるが、発見できたことはのちに優位に働くはず、ただしあくまでそれはここから生きて帰れればの話だ。
 騎士が連れてきた招かれざる客を遠巻きに見ている者たちがいる。
 イレスダートの聖騎士に注ぐ視線はそれぞれで、老爺は悪魔を見る目つきをし幼子を抱く母親は怖れをそのままにする。若者たちは好奇心を隠しきれないようだが目が合うのは禁忌だと信じ込んでいるから騒ぎ立てない。俘虜《ふりょ》か、それとも使者か。どちらであってもブレイヴは彼らにとって敵だ。
 先導するルドラスの騎士はまっすぐに奥へと進んでゆく。ある程度の情報は与えてもすべてを見せるつもりはないようで、それは正しい選択だろう。だからブレイヴはそれを確信に変える。ここまで恐怖心を抱いていなかったのは殺されないという自信があったから、相手はすでにブレイヴの素性を知っているしむしろわかった上でここまで連れてきたのだ。それならば、何を望んでいるのか。その先は考える必要がなさそうだ。
 案内された一室には簡素な机と椅子が置かれているだけ、窓はなかった。上官と思わしき一人がすでに腰を掛けていて、後ろには従卒らしき人物がいる。ブレイヴは促されるまま座り、ふたりの従者は背後に控える。ここまで連れてきたルドラスの騎士が扉を閉めてそのままそこに居座ると、再び沈黙が訪れた。互いに名乗り出すことをしなかったのは、相手が誰であるのかを知っていたからだ。銀の騎士ランスロット。ブレイヴは口のなかだけで騎士の名を呼ぶ。
 かの騎士を最初にそう呼んだのは誰だったか。背に流した銀髪がその名の由来らしく、やはりルドラス人は身体の色素が薄いようで、彼もまた白皙だった。眼窩《がんか》に埋め込まれた碧は硝子玉のように澄んだ色をしている。すっと通った鼻筋や薄い唇にしてもどこか中性的な印象を受けるが、優男といったわけでもなさそうだ。彼を観察するその短い時間に、彼もまたブレイヴを見つめていた。碧の硝子玉は上手く感情を隠していても鋭さだけは仕舞いきれていない。
 こうして相まみえるのははじめてだった。
 ガレリアでの直接的な戦闘は記録されていなくとも武功は北から南へと伝わってくる。たとえそれが敵国の将軍であっても女性たちは美しい男を好むもので、そうした噂も含めて旅商人は北から仕入れてくるようだ。
 思ったよりも若い。それが、ブレイヴの最初の感想だった。おそらくあちらもおなじことを考えているにちがいない。階級にしても聖騎士であるブレイヴと同等、だとすればそれなりの影響力を持つ人間だと読んでもいいだろう。そうでなければブレイヴをここまで連れてきたりはしないはずだ。
 手足を縛り付けることもせず、また目も耳も塞いではいない。それどころか客人さながらの扱いだ。騎士は北の敵地を踏めば生きて戻るかあるいは死ぬかのどちらかでしかない。俘虜となれば尋問、または拷問を受けるのは避けられず、それならば騎士は迷わず死を選ぶ。人間としての尊厳を失うくらいならばそうするほうがいい。自殺が許されていないヴァルハルワ教徒の騎士であってもそれを選ぶのだから。
 しかし、このランスロットという騎士は正常な精神を持つようだ。人間が人間の扱いをする。それができる人物はそうおおくはないと、ブレイヴは思っている。
「三か月だな。これより以前に、我が軍に対して見境なく攻撃を加えていた貴国が、どういうことかそれを行わなくなった」
 長い空白の時間を破ったのはランスロットだった。
 騎士の言った三か月というのはブレイヴがガレリアに赴任してからの期間のことだ。総指揮官であるランドルフはとにかく敵となれば攻撃をし、執拗に追ってそれらを全滅させてきた。そこに攻撃の意思があろうとなかろうともだ。しかし、ブレイヴは上官の指示に逆らい深追いはせず、またこちらからの攻撃は極力避けてきた。ランスロットはそのことを問いたいらしい。
 おそろしく勘のよい男だと思った。つまりランスロットはブレイヴがそこにいるのを知っていたのだ。自国の情勢が敵国へと伝われば、それだけこちらが危うくなる。ましてや、窮迫した状況下にあると悟られるなどもっての外、総攻撃を掛けられかねない。聖騎士という存在はブレイヴが考えている以上の意味を持つようだ。
「どういうことなのか、その真意を貴公に問いたい」
 願ってもない言葉に一気に血の巡りが早くなり、鼓動が高鳴るのをブレイヴは感じた。ひとつ、呼吸を落とす。それから、硝子玉のような瞳を真っ直ぐに見た。考え抜いた言葉でなければならない。ブレイヴは用意された声を唇に乗せる。
「これから話すことはイレスダートの王アナクレオンの言葉であり、嘘偽りない声である」
 それは国王の真意であり、自分はそれを代弁するのだということをまず伝える。
「無駄な争いを我がイレスダートは望んではいない。イレスダートを血で穢すことはおろか、ルドラスに不利益をもたらすことも本望ではない。たしかに、過去を変えるのは不可能だ。けれど、その先はどうか。互いを認め、手と手を取り合えば、新たな未来が開けるのではないか。望むのは和平である。イレスダートの子らの命を無駄に捨てる気はない」
 語り手となるには、平常を装った上でそれなりの感情を込めなければならない。並べた言葉は王の声だったとしても、ブレイヴの思想は君主とともにある。
「なるほど。伝えたいのはそれか」
 銀の騎士は相好《そうごう》をくずさない。
「だが、一度は交わされるはずだった休戦条約も今は白紙。いまさらそれを蒸し返すというならば、そちら側に都合が良すぎる話ではないか?」
 嫌悪と軽蔑の両方が見える。しかしブレイヴはそれを不快だとは感じなかった。銀の騎士の言い分はもっともだったからだ。
 イレスダートとルドラスと、停戦協定調印式が行われていればいま北と南の王国は戦争などしていない。あれはそう、五年前のことだ。
 イレスダートの前王アズウェルは温厚な性格であり争いそのものを嫌う人間だった。和平を重んじるのはアナクレオン以上に、それゆえに周囲の反対を押し切って危険を顧みず王自ら敵国へ向かい、そして悲劇は起こったのだ。
 それは事故だった。しかし、偶然というのは時に必然という言葉に簡単にすり替わる。敵国で命を落とした王を前にして、それが事故であったなどと、誰が信じるだろうか。
「ならば、貴国はそれを認めるということか」
 ブレイヴはもうすこし声を下げた。それでも、ランスロットは眉ひとつとして動かさなかった。
 和平を求めておきながら王を誘き寄せ、そして葬ったと。誰もが信じ疑わなかったなかで、当時二十三歳だったアナクレオンはただひとり、ちがう声をした。 
 あの日、ルドラスを襲ったのは百年に一度といわれるほど強い嵐だった。
 マイア王家は竜の末裔として特殊な力をその身体に宿しているもの、しかし人間とおなじように死は訪れる。ただ、アズウェルはそれが早すぎたのだ。王家の子は普通の人間よりも生命力に優れるため病に罹りにくいと言われるし、傷の治りにしても異常なほどに、だから寿命も必然的に長くなる。若くして死を迎えるとすれば、それは殺されたときだけだ。
 冬が終わるよりも先にアズウェル王は北へと旅立つ。
 麾下の騎士は三百ほど、そこにはイレスダートの王女ソニアも、幼なじみの姉の姿もあった。当時のことを鮮明に記憶している者はすくない。生き残った者はわずかで、なによりもあの悪夢は心的外傷としていまも騎士たちを苦しめているという。父が生きていればと、時々ブレイヴは考える。らしくもない現実逃避をするたびに自己嫌悪して、あとは嫌な気分になるだけだ。
 王都マイアでは王と王女の死を悼み、悲しみ、そうして怒りは遅れてくるものだ。人々は声を大にする。我らの王は敵国に殺された。卑劣な策を要したルドラスを許してはならない。剣と取れ、槍を構え、矢をつがえよ、盾を持て。イレスダートを守れ。我らが聖王国に平和をもたらせと、叫ぶ。
 その混乱のなかで、アナクレオンはひとつの決断を下す。あれは、災害である。味方も敵も、さらには街ひとつを破壊したのは天変地異であると、そう結論づけたのには明確な理由があったからだ。嵐はルドラスの主要都市を壊滅させただけではなく、イレスダートもまた被害を受けた。十日以上つづいた雨は作物の収穫に影響し、特に被害の多かった地域では飢える者が出るだけに留まらず、衛生状態の悪化による病が蔓延した。
 こんなことができる者などいるはずがない。人間は、その力を持たない。
 両国ともに戦争どころではなくなっていたのが事実、アナクレオンはそれに異議を唱える者を処罰し、そうして今日に至るまでイレスダートとルドラスは冷戦状態にある。
 王都マイアであの忌まわしき日を語る者はいない。皆、忘れたいのだ。何よりも休戦などもはや夢物語にすぎない。
 しかし、ブレイヴはそう思わなかった。だから、ルドラス側があえてそれを持ち出すというのなら、利用する。
「他国への介入を望むというのか? ルドラスの覇王は。侵略を目的とするのならば、こちらは自衛のために武力を行使する」
 それは挑発でもなく、攻撃でもなく。けれど、もうすこしだけブレイヴは圧力をかける。
 恨みも憎しみもないといえば嘘になるだろう。
 表面に出さないように閉じ込めていた感情の色は隠しようもなく、脳裏に過ったいくつもの影を追い払う。敵国にて命を落としたアズウェル王、それから父を想い、戦場で散った仲間を、友を、ブレイヴは忘れたことはなかった。
 敵と敵だ。だとしても、ルドラスの滅亡を望んでいるわけではない。ブレイヴの矜持と誇りの先にはアナクレオンがいる。理想はおなじところにあり、それを実現させるために騎士の剣を持つ。私情はいらない。ブレイヴはイレスダートの聖騎士だ。
 蝋燭の火が残りわずかだというのをブレイヴは見た。その眼の動きもランスロットは見逃さなかった。正直なところブレイヴは焦っていた。二時間だと、伝えてきた。残り時間はそう長くない。ランスロットの口から導き出す言葉はひとつだけだ。
 騎士の鏡ともいえる男だろう。控えている従卒はブレイヴの動きにいちいち反応しているものの、ランスロットの声色はそのままで不信感を面に出すこともしない。それでも硝子玉のような瞳には、やはりどこか人間の感情が宿っているように思える。
 おなじであるはずだ。そうでなければ、ここまで殺さずにいる理由が見当たらない。演出された空白の中でブレイヴはただ待った。やっと、声は紡がれる。
「いいだろう。我が王にはあるがままに伝えよう。それが、アナクレオン陛下の真意であるということを、私は疑わない」
 それを最後にブレイヴたちは解放された。
 従卒がランスロットに何かを耳打ちしていたが、銀の騎士は目顔でそれを止めさせた。ここへとブレイヴを連れてきたルドラスの騎士の姿はなかった。だからブレイヴは悪い考えをすべて捨てる。奸詐《かんさ》を用いて欺くような人間には見えない。ランスロットは信じるに値する騎士だ。それが、敵と敵だとしても、次に会うのが戦場であったとしても、いまは未来に託したわずかな光に賭けたかった。
 
 

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