一章 イレスダートの聖騎士

葡萄酒と憂鬱と彼の愚痴


「なんなんだよあいつ! ほんっと腹立つ!」
 彼の口から最初に出たのは上官への不満だった。
「いつもいつも偉そうにしてさ、自分は酒浸りの親父だってのに」
 一度切り出すとどうにも止まらないらしい。赤髪の青年は次から次へと悪口を並べる。葡萄酒は一時間と経たずに二本目が空となり、つまり彼は酔っているのだ。
「レナード。口が過ぎるぞ」
「なんだよ、ジークだってそう思っているくせに」
 忠告に耳を貸すどころか同意を求められては苦笑するしかなくなる。ジークと呼ばれた騎士はそれをため息に変えた。
「だいたい見習いの育成だなんて、俺らの仕事じゃなかったのに。それを物覚えが悪いだとか、戦力にならないとかって知るかっての」
「お前もその見習いだろう」
「ちーがーう! 俺はもう騎士なんだから見習いじゃないの!」
 レナードは机をたたきながら全力で否定をする。素面《しらふ》ならばともかく、こうも呂律が回っていなければ何の説得力もない。ジークは完全に呆れていた。
 城塞都市ガレリアの兵士は若者ばかりであり、そのなかにははじめて剣を持ったという者さえいる。平民たちをかき集めたのだからそれは当然のこと、とはいえ経験不足は否めずに、そんな新兵たちを教育するのも騎士の仕事のひとつだ。
 国王アナクレオンの勅命により、このガレリア来てから三か月が過ぎていた。
 あたたかい季節を迎える頃だとはいってもここは北の大地、早朝の冷えは指先が痺れるほどだ。昼を過ぎても太陽の恩恵は受けられず、自然と身体の動きも固くなる。長々と訓練をしていてもただ体力の消耗をするだけ、総司令官であるランドルフはそれすらもわからない。
 そもそもこれは上官殿の仕事だったのだ。だというのに、どうにもそれが上手くいかなったのか、はたや面倒になったのか、よくわからない理由をあたかも正当な理由にすり替えられた上でブレイヴは任されていた。断ろうものならどんな処罰が下ることか、想像したくもない。
 ランドルフが兵士たちに指導した剣術、槍術、馬術にしても教科書になぞったいわば王道のものだ。はじめからその教育を受けていない者に、いくら途中から与えても都合よく事が進むはずもないだろう。あれでは誰も付いてはこない。
「自分が無能なのを棚にあげて、しかも匙を投げるなんてさ。許されると思う?」
 レナードの愚痴の数々にジークは相槌すら打たない。これではただの大きな独り言だ。もっとも、酩酊《めいてい》しているレナードはそんなことには気がついていないようで、ただ勝手に喋っている。 
 レナードとジークは、ブレイヴと同じくアストレア公国の出身だ。
 公爵家に仕える家系に生まれただけありジークの立ち居振る舞いは騎士のそれだ。歳はブレイヴよりも五つほど上、さすがに落ち着きもある。彼の持つ黒豹の異名は俊敏さと黒髪が由来だが、どうやら本人はあまり気に入ってはいないらしい。
 反対にレナードは騎士としては日が浅く、本人は否定したもののいわば駆け出し者だ。それでも、何百といる騎士の中からブレイヴがレナードを見出したのはそこに光るものを感じたからで、剣の扱いはなかなかで体力もある。粗削りなところと若さゆえの配慮のなさには目をつぶるとして、それは短所でもあり長所でもある。特に大胆さと行動力は誇ってもいいところだ。物怖じしない性格もあって人と打ち明けるのも早いようで、ガレリアの若者たちともすぐに仲良くなっていた。
 そんなレナードでも人並みの不満は持つのだろう。こうした言動はけっして褒められたものではなくとも、ランドルフはあれ以来ブレイヴだけではなくレナードも何かと目の敵にしているのだ。陰湿な嫌がらせは数知れず、しかし相手は上官であるために黙って耐える他はなかった。
 だからといって、鬱屈をそのままにしておけば毒も溜まるばかりで、つまりはここがレナードの吐き出し口だ。 
「へっぽこ親父のくせに、ろくでなしのくせに、木偶の坊のくせにさ」
 ついにブレイヴは噴き出した。
「あっ、すみません」
「いや、いいよ。なかなか上手いことを言うなと思って」
 これだけ好きに言っていたというのに、レナードはいまさらながらに主の前なのだと思い出したのだろう。それも含めてブレイヴは可笑しかった。はじめは口元に手を当てるだけに留めていたのが、  
「でしょう?」
 レナードがたちまち得意げに言うものだから、ブレイヴは声をあげて笑ってしまった。この調子の良さもレナードの特徴といえばそうだ。
 こころなしか胸の辺りがすっとしているのは、ブレイヴも歯がゆさを感じていたからだ。遠慮することはない。ここにはきかれて困るような者は誰もいない。
「こら! もうその辺にしておけ。公子、あなたも笑い過ぎです」
 二人がいつまでも笑うものだからさすがにジークが注意をする。それには素直に従ったものの、ブレイヴとレナードはこっそりと目を合わせた。言いたいことは二人ともおなじようだ。
 そうしてやっと落ち着いたのか、レナードの上官への愚痴はそこで終わった。そのかわりに話題は食べ物へと移る。
「やっぱりこのパン美味しくない」
 硬くなった黒パンはお世辞にも美味しいとはいえない。北国であるガレリアでは満足な作物が育たず、主食となるのが他にないのだからやむを得ず、とはいえ、毎食黒パンを囓るのにも飽きがくる。王都マイアから定期的に物資は届けられるものの、自分たちだけが贅沢ができるというわけではないのだ。栄養価の高い肉や乳製品、それからあたたかい食事が食べられるだけでもありがたい。それでも、故郷の味が恋しくもなるのが本音だった。
「そういえば、マイアの葡萄酒は美味しかったなぁ。濃厚で」
「お前はよほど王都が気に入ったようだな」
「そうじゃない。でも、王都はいいところだ。広いし、めずらしいものはたくさんあるし、ご飯も美味しい。綺麗な女の人もいっぱいいた」
 ジークの返しにレナードは反論する。どうやら、レナードは王都マイアがよほど気に入ったらしい。たしかに若者が憧れるのも無理はないだろう。マイアは祖国アストレアとは比べ物にならないほど栄華を極めている。
「あぁ、そうだ。せっかくだから大聖堂にも行ってみたかったなぁ」
 それにはジークの拳骨が落ちる。失言だったようだ。
「いてっ、何するんだよ!」
「遊びに来ているわけじゃないんだぞ」
「わかってるよ、もう」
レナードは大袈裟に頭を触るがジークは無視をする。ブレイヴには従者の気持ちはわからなくもなかった。レナードが本当に言いたいことは、また別にあるのだ。 
 ガレリアのさらに北、敵国であるルドラスの動きはないに等しく、ここ数カ月に大規模な交戦も記録されてはいない。ルドラス側に本格的な進軍はまだ見られずこうなれば就任期間が長引くのは必須、自軍の指揮も下がりかねない。実際のところ、攻めるよりも守る方が難しいのが現実、ランドルフがあれほど強く敵を討てと命じるのも理にはかなっている。
 ブレイヴは頭からそれを追い出した。たぶん、いま必要なのは忍耐だ。それも、レナードのような若い騎士には特に。
「たしかに、マイアの大聖堂は一見する価値があるかもしれない。白の王宮には理由なくして立ち入れないからね。けれど、ムスタールの大聖堂はそれに劣らず素晴らしいそうだ」
 ブレイヴはレナードに同調しつつも、意識を別へと向けさせる。推測で言ったのはブレイヴ自身も見たことがなかったからだ。
 イレスダート王国の北西に位置するムスタール公国はアストレアとは反対の位置だ。イレスダートはそこそこに広い。また、祖国とムスタールの間には森や湖が広がっているために迂回する必要があり、思った以上に移動には時間が掛かる。このガレリアからムスタールへは遠くはないとしても、とにかく行く機会がない。
「ヴァルハルワ教会の総本山ですからね」
 付け加えたのはジークだ。
「ふぅん、行ってみたいなぁ」
「簡単に言うな」
 レナードの頭の地図ではもっと距離はないようだ。的確なジークの指摘にブレイヴは苦笑する。
 いつ、帰れるのだろうか。口こそにはしないがレナードもジークも、ブレイヴも、一度は胸のなかで零していることだ。
 もしくは、いつ、はじまるのか。この争いには終わりは見えない。イレスダートとルドラス。どちらかが滅びるまでつづけられるのか。あるいは、何か別の、王国全体を掻き乱すような動きが先に起きるのか。あり得ない話だ。英邁《えいまい》な君主であるアナクレオンが違《たが》えることはない。
 ブレイヴはずっと先の知れないような未来よりも明日を考える。生きるか死ぬか。その渦中に己はいる。騎士のあるべき姿だ。ブレイヴがそこから外れることはないだろう。
 それでも、ブレイヴの心のなかにはいつもひとりの女性の微笑んだ姿がある。幼なじみの姫君。願わくば、あの笑顔をまた見たいのだ。

 
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